車いすで快適な生活を!

車いすで楽しく快適に過ごしたいという子をもつ母日記

しょうちんの誕生(4年前)・・長いので時間ある時に!

2006-06-25 21:48:55 | しょうちんのこと
しょうちん、今日で4歳のお誕生です。
本当に元気いっぱい・笑顔いっぱいのしょうちんです。

どうしても、しょうちんの出産前後思い出して、
胸が締め付けられるような気持ちになります。
しょうちんの出産予定日は7月18日でした。
3週間ばかり早く生まれてきました。

しょうちんは、背中に大きな瘤がありました。テニスボールぐらいかな。
本当は、妊娠中に発見して、大きな病院で帝王切開し、
24時間以内にしょうちんの手術という流れで出産するらしいです。

でも、発見されず、自然分娩でした。
よく出産できたものだと今更ながら思います。
行く先々の病院で、妊娠中に気づかないはずがない・・と何度言われたことか。

そうなんです。
やはり、産院は選ばないといけないですね。
私も5月いっぱいまで仕事をしていたので、職場から近いところであればいい。
と思っていたのです。

まっ、でも無事?出産できたし。
しょうちんが小さかった(2590g)ためか、背中を傷つけずに出産できたので
手術に緊急性がない状態でした。
といっても、すぐに福井県立病院に救急車で運ばれNICU入りです。

しょうちんは、3000人から5000人に1人という病気なので、
福井では手術症例が殆どないそうです。
緊急性がないといっても、手術はできるだけ早くする必要がありました。
(県立病院では、1年後でも3年後でもいいといわれたのですが
後で調べたら、出来る限り早く手術するべきらしいです)

私が産後の入院中にしょうちん父は、
情報技術を駆使して、病気のこと、病院のことを調べて
たくさんの知り合いの人に助けを求めたそうです。

そこで、たまたま関東で、このオペをするにはNO.1といわれるお医者様が
従兄弟だよという、大学の先輩が福井にいました。
すぐに、連絡をとり、紹介をしてもらいに東京に行ったそうです。
東京・・・遠いですよね。お金もかかるし。
すごく悩んだそうです。関西で探すかとも。
しょうちん祖父と話し合い、東京で手術を決めたそうです。

しょうちんは、県立のNICUで3週間入院した後、東京J大付属病院に転院。
病院から直接小松空港へ。
しょうちんをクーファンにいれて、しょうちん父と母、祖父(義父)と祖母(実母)で
飛行機にのりました。
私の体調も精神的にも不調だったような気がします。
やっと歩いていた・・そんな感じでした。

飛行機とタクシーで病院につき、すぐに入院・検査。
その1週間後に8時間に及ぶ大きな脊髄の手術をしました。
待っている間、苦しくて苦しくて、何がなんだかわからなかった。
生きているだろうか?
予定より長い・・・。
何かあったんじゃないか?
本当に重苦しい時間。でも、私は泣きませんでした。

自分を責めて責めて責めて・・。
くやしくて情けなくて・・。
これからどうなるんだろうという恐怖心。
いろいろありすぎて、現実逃避したいという気持ち。

手術は一応終わりました。
医師はできるだけのことはした。とのことでした。
一応成功みたいでしたが、想像をこえる大変さだったそうです。
その日、しょうちんは集中治療室に入り、お部屋には戻ってきませんでした。

お部屋は母子同室の4組部屋。
次の日、たくさんの管につながれたしょうちんが帰ってきました。
まず「こんなに線いっぱいあって、どうやって世話するのーーーー」と。
この日から、ようやく私の初めての育児であり、看護であり、
介護の生活がスタートしたのです。

すごく前のことなのに、鮮明に覚えています。
誰にも話すことができなかったことなのです。
話すと涙がでそうで。
今は辛くないけど、その時の自分の感情が甦ってしまうのですね。
こうやって、活字にすることで、頭の中や気持ちが整理されるようです。

誕生日・・・しょうちん父と母、祖父、祖母、叔母(義妹)で車の絵のチョコケーキ
でお祝いしました。
たくさんの笑顔をありがとう。
4年前、みんないっぱいいっぱいで笑顔なかったけど、今はいっぱいだね。
こんな日がくること、ずーっと待っていました。
どうか明日も1年後も10年後もその後も、笑顔いっぱいで迎えられますように。
コメント (8)
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