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東海道・見付宿から由比宿を走る!その1

2006-06-07 21:56:10 | Weblog
≪東海道・見付宿から由比宿を走る!その1≫

 今から四百年ほど前、江戸幕府は五街道を整備した。その内の一番重要な幹線道路が東海道であることは現代人でも承知している。しかし、その道を実際に辿った人はそれほどいないと思われる。

 今回は見付宿(磐田)より由比宿の間を自転車で訪ねてみた。以前、御油宿から見付宿の姫街道(東海道脇往還)を走り、ゴールとなった床屋さん角より今回はスタートした。本陣跡や一里塚跡の碑を見ながら進むが、見るべきものはない。わずかに道の曲り具合に当時の面影を感じることができた。

 三ヶ野で道は左に折れ、切通しになった雑木林の中を走る。“明治の樹道”と命名され、当時の街道の雰囲気が感じられた。今も東海道の道筋には松並木が所々に残っていて、当時の旅人気分が味わえるのが嬉しかった。

 袋井宿に入る。道はそこそこの広さがあるものの、今では裏道となってしまい、道路沿いの商店街も寂れていた。久津部一里塚跡で休息を入れる。今日の同行者はサイクリング初体験のAさん、子供用のMTBではちょっと大変そうだが、頑張ってもらうしかない。

 掛川宿に入る。街中を迷いながら進むが、路地の左奥に掛川城が見えれば現在位置は確認しやすい。忠実に七曲りを辿って先に進む。葛川の橋の袂に一里塚があった。その先で国道1号線に出るが、バイパスがあるためにそれほどの交通量はない。伊達方の一里塚より旧道に入って日坂(にっさか)宿へと入っていった。

 緩くカーブした坂を上ったところが宿場跡であった。坂の途中にあった旅篭の建物はかなり古く、その看板に歴史を感じた。宿場を抜け、バイパスの下を潜ると激坂が始まった。とてもペダルが漕げる勾配ではなく、何度か押しが入る。途中にある民家の方に励まされ、なんとか丘の上の茶畑へと出た。静岡と言えばお茶の産地、丘から眺める周りの丘陵地(これが牧の原台地か)一帯が茶畑というのは心安らぐ風景である。

 小夜の中山と言えば夜泣石、久延寺の境内に置かれた丸い石がそれだという。意味ありげといえばそう見えるのだが・・・。急激な坂を下って菊川へと至る。これで坂はお終いと思いきや、復元された菊川坂の石畳を押しで上り、峠より金谷坂の石畳を押しで下ることとなった。当時の旅が大変だったことを実感できるのはよいのだが、ハンドルを通じて感じる振動は半端ではなかった。

 JR金谷駅の先で地下道を潜り、金谷宿へと入って行く。今もこの辺りの中心地らしく、のどかな商店街が続いていた。大井川に出会い、大きな橋を渡って島田宿へと入っていった。