《輪旅 御所から北野天満宮へ!!》
2月に入れば、京都市内の梅も咲きほころぶ。今回は、自転車の仲間20名で古都の散策を楽しんできた。
先ずは御所へ・・・平安京の時代から明治初期まで、都は京にあった。明治に入り、都は東京に移されたが、天皇家にとっては、やはり京都がホームベース!??のように感じた。
京都御所・・・794年、大和国の平城京より山城国の平安京に都が移され、その中央に内裏が造られた。しかし、相模国に幕府が作られた鎌倉時代、京の都は戦乱に明け暮れ、平安京の内裏(天皇の住まい)も、羅城門も、朱雀門も、大極殿も荒れてしまったという。
現在の御所は、鎌倉中期、土御門天皇の里内裏であったものを拡充し、現在に至っている。平安時代をほうふつとさせる優美な建物を見るだけでも感動できる。宜秋門、建礼門、紫宸殿、清涼殿、御常御殿、御涼所と見学をする。特に、承明門から眺める紫宸殿は圧巻、身震いをするような感動を覚えた。
その後、自転車の仲間20名と合流し、御苑の中を一周した。このような自然が市内にあり、テニスや散策を楽しめるのはとても羨ましい。
(北野天満宮の梅)
武者小路通りにて北野天満宮へ向かう。三千家の一つ、武者小路千家官休庵の前を通った。途中、今売り出し中の妖怪ストリートへも。
天満宮の梅は満開で、多くの参拝者で行列が出来ていた。京都の方はきちんと並んでお参り・・・大阪なら、横から入って直ぐにお参りするとⅠさんからのお言葉、岐阜も同様である。やはりお品がいいということか。
(古都を自転車で散策)
清水寺や金閣寺などの有名なところもよいが、ディープ??な京都の裏道も味わいがある。予期しない場所に、歴史の教科書に出てくるような建物や遺跡があるとかえって感動するようだ。
お昼は「水琴亭さもん」で・・・1500円のランチはとても豪勢で、京都らしくなかった。部屋の中から眺める庭園も素晴らしく、今回の一番の収穫?だったように思う。
(花街・島原の角屋)
昼食後はフリープランへ・・・京都の街中を20名で走るのは辛い。祇園から円山公園方面へ向かうものなど、それぞれが好きなところへ。
京都方面のサイクリングでは、いつも情報をいただいてるF原氏の案内で壬生寺へ。壬生狂言で有名なお寺の建物は昭和37年に焼失し新しいものであるが、新撰組隊士の墓である壬生塚がある。隣には、新撰組の宿舎となった壬生屯所もある。
ここで更に別れ、男だけ?で島原の遊郭跡へ向かう。幕府公認遊郭・・・江戸吉原、京都島原、大阪新町、伊勢古市、長崎丸山・・・そういう時代もあったということだ。
島原大門をくぐり、今も建物が残る輪違屋、角屋を訪れた。神社仏閣とは違う、豪壮な町屋としての威圧感を感じた。お公家さんも、西郷さんも、新撰組もここのお馴染み?だったとか。
更に南下して梅小路機関区へ・・・蒸気機関車好きにはたまらない場所。あの石炭を焚く匂いと、甲高い汽笛の音を聞くだけで青春?が蘇る。展示されていた京都市電の車両も懐かしい。現在も犬山の明治村を走っているのと同型のようであった。
羅城門跡より、京街道(鳥羽街道?)にて伏見へと向かう。鳥羽街道、伏見街道、西国道(山崎道)、奈良街道、師団街道・・・東海道は、53次ではなく、57次であったとか。
伏見といえば灘と並ぶ酒どころ・・・月桂冠、黄桜、富翁、キンシ正宗、松竹梅をはじめ名だたる酒蔵が24集まっている。湧き水の良さが酒の味を左右するため、ここ伏見の酒造りが盛んになったそうだ。なぜか、松竹梅は灘の酒でもある!???
御香宮神社(ごこうのみや)へ立ち寄り、美味しい伏見の湧き水をいただいた。その後、京都駅へ・・・鳥羽伏見の戦いの時、格子戸に付いた弾丸の跡にぎょっとした。
おまけ・・・その1
灘の酒といえば、大関、日本盛、白鹿、松竹梅、白鶴、菊正宗、剣菱、沢の鶴、富久娘など。
おまけ・・・その2
豊臣秀吉が京都に聚楽第(じゅらくだい・じゅらくてい)を構えていたころ、都を囲む塀「御土居・おどい」を築いたという。その中を洛中、その外を洛外と言うそうだ。現在もその痕跡が数箇所残っているという。鞍馬口、丹波口の地名はその当時の名残りとか・・・次回、それを訪ねて回るプランをやってみたい。
2月に入れば、京都市内の梅も咲きほころぶ。今回は、自転車の仲間20名で古都の散策を楽しんできた。
先ずは御所へ・・・平安京の時代から明治初期まで、都は京にあった。明治に入り、都は東京に移されたが、天皇家にとっては、やはり京都がホームベース!??のように感じた。
京都御所・・・794年、大和国の平城京より山城国の平安京に都が移され、その中央に内裏が造られた。しかし、相模国に幕府が作られた鎌倉時代、京の都は戦乱に明け暮れ、平安京の内裏(天皇の住まい)も、羅城門も、朱雀門も、大極殿も荒れてしまったという。
現在の御所は、鎌倉中期、土御門天皇の里内裏であったものを拡充し、現在に至っている。平安時代をほうふつとさせる優美な建物を見るだけでも感動できる。宜秋門、建礼門、紫宸殿、清涼殿、御常御殿、御涼所と見学をする。特に、承明門から眺める紫宸殿は圧巻、身震いをするような感動を覚えた。
その後、自転車の仲間20名と合流し、御苑の中を一周した。このような自然が市内にあり、テニスや散策を楽しめるのはとても羨ましい。
(北野天満宮の梅)
武者小路通りにて北野天満宮へ向かう。三千家の一つ、武者小路千家官休庵の前を通った。途中、今売り出し中の妖怪ストリートへも。
天満宮の梅は満開で、多くの参拝者で行列が出来ていた。京都の方はきちんと並んでお参り・・・大阪なら、横から入って直ぐにお参りするとⅠさんからのお言葉、岐阜も同様である。やはりお品がいいということか。
(古都を自転車で散策)
清水寺や金閣寺などの有名なところもよいが、ディープ??な京都の裏道も味わいがある。予期しない場所に、歴史の教科書に出てくるような建物や遺跡があるとかえって感動するようだ。
お昼は「水琴亭さもん」で・・・1500円のランチはとても豪勢で、京都らしくなかった。部屋の中から眺める庭園も素晴らしく、今回の一番の収穫?だったように思う。
(花街・島原の角屋)
昼食後はフリープランへ・・・京都の街中を20名で走るのは辛い。祇園から円山公園方面へ向かうものなど、それぞれが好きなところへ。
京都方面のサイクリングでは、いつも情報をいただいてるF原氏の案内で壬生寺へ。壬生狂言で有名なお寺の建物は昭和37年に焼失し新しいものであるが、新撰組隊士の墓である壬生塚がある。隣には、新撰組の宿舎となった壬生屯所もある。
ここで更に別れ、男だけ?で島原の遊郭跡へ向かう。幕府公認遊郭・・・江戸吉原、京都島原、大阪新町、伊勢古市、長崎丸山・・・そういう時代もあったということだ。
島原大門をくぐり、今も建物が残る輪違屋、角屋を訪れた。神社仏閣とは違う、豪壮な町屋としての威圧感を感じた。お公家さんも、西郷さんも、新撰組もここのお馴染み?だったとか。
更に南下して梅小路機関区へ・・・蒸気機関車好きにはたまらない場所。あの石炭を焚く匂いと、甲高い汽笛の音を聞くだけで青春?が蘇る。展示されていた京都市電の車両も懐かしい。現在も犬山の明治村を走っているのと同型のようであった。
羅城門跡より、京街道(鳥羽街道?)にて伏見へと向かう。鳥羽街道、伏見街道、西国道(山崎道)、奈良街道、師団街道・・・東海道は、53次ではなく、57次であったとか。
伏見といえば灘と並ぶ酒どころ・・・月桂冠、黄桜、富翁、キンシ正宗、松竹梅をはじめ名だたる酒蔵が24集まっている。湧き水の良さが酒の味を左右するため、ここ伏見の酒造りが盛んになったそうだ。なぜか、松竹梅は灘の酒でもある!???
御香宮神社(ごこうのみや)へ立ち寄り、美味しい伏見の湧き水をいただいた。その後、京都駅へ・・・鳥羽伏見の戦いの時、格子戸に付いた弾丸の跡にぎょっとした。
おまけ・・・その1
灘の酒といえば、大関、日本盛、白鹿、松竹梅、白鶴、菊正宗、剣菱、沢の鶴、富久娘など。
おまけ・・・その2
豊臣秀吉が京都に聚楽第(じゅらくだい・じゅらくてい)を構えていたころ、都を囲む塀「御土居・おどい」を築いたという。その中を洛中、その外を洛外と言うそうだ。現在もその痕跡が数箇所残っているという。鞍馬口、丹波口の地名はその当時の名残りとか・・・次回、それを訪ねて回るプランをやってみたい。
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