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城郭めぐり 山陽路を辿る!!

2011-02-08 21:23:22 | 城郭めぐり
《城郭めぐり 山陽路を辿る!!》
城跡を巡る方は多いと聞く。明治以前の武家社会では、各藩の権力の象徴として城郭が築かれた。しかし、明治の廃藩置県で不要となった城の多くが破却されてしまったという。残っていれば、その多くは国宝級といっても過言ではない。

城の魅力・・・正直、コンクリートで復元された天守閣には魅力を感じない。今も残る石垣であったり、堀には当時の縄張り(設計)の妙があって面白い。街並み(城下町)から眺める城跡も味があり、また、天守台から見下ろす城下も当時の殿様気分で心地よい。


(広島城)
1600年、関ヶ原の戦いで功績のあった福島正則が毛利輝元に変わって50万石で入城。しかし、16年後、洪水によって崩れた石垣を幕府の許可(武家諸法度)なく修繕したため、信州川中島・高井野藩へと左遷(4万5千石)させられた。徳川にすれば、加藤清正とともに豊臣家恩顧の家臣を処分したかったようである。

広島の原爆投下・・・それまで国宝の広島城があったが、原子爆弾投下の際には、爆発時の熱線に耐えたものの、その直後の爆風の衝撃波と圧力により下部2層が上部の重さに耐えきれず倒壊、間もなく上部3層も崩落し、大量の建材が天守台や北東の堀に散乱したという


(三原城)
1567年、小早川隆景によって築城。水軍の影響もあり、堀へは瀬戸内海より直接に入れたとも。現在、山陽新幹線が城内をぶった切り、悲惨?な状況に・・・城跡へは駅の構内からしか入れないらしい。


(福山城)
ここも新幹線の駅が横にあり、多くの堀や石垣がなくなったようである。復元された五層の天守閣はなかなか立派・・・伏見城から移築された伏見櫓と筋鉄御門は重文だそうだ。平城ながらなかなかの威厳があってよい。


(鬼ノ城)
実は今回の旅のメインディッシュ?でもありました。鬼ノ城はきのじょうと読む。岡山県総社市にあり、山の標高は397m・・・ちょっとした登山の覚悟がいる。結果、ちょっと期待しすぎた感じ・・・和田山の竹田城のほうが感動・・・飛鳥時代の山城とも、桃太郎伝説の舞台とも・・・案外、お城ではなく、宗教的な儀式をする場所であったかとも推測!??


(備中高松城)
羽柴秀吉による水攻めで有名な城跡・・・今も11日間で造られた堤防跡の一部が残っていて、基礎の部分が復元されていた。城主・清水宗治は家臣の命と引き換えに自害したという。「中国の大返し」その後、秀吉は明智光秀と山崎の天王山で一戦を交え、やがて天下を取った。

(参考)鳥取城の兵糧攻め・・・何週間か経つと城内の家畜、植物などは食い尽くされ、4か月も経つと餓死者が続出し、人肉を食らう者まで現れた。信長公記にはこう記されている。「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず。」、吉川経家はこの凄惨たる状況に、自決と引き換えに開城、自害した。・・・秀吉は恐ろしい!??


(津山城)
この城跡は凄い・・・その見事な石垣を見るだけでも感動を覚える。往時の櫓の数は、広島城76、姫路城61に次ぐ数(60)を誇ったという。1603年、森忠政が18万6千石で入封。彼は美濃兼山城の城主、森可成の六男で、森蘭丸の弟でもあった。何か岐阜と津山は縁があって親近感が湧いた。

2005年、備中櫓が復元された。