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峠旅 奥秩父・大弛峠から三国峠へ・・・!!その2

2008-10-14 07:27:08 | Weblog
《峠旅 奥秩父・大弛峠から三国峠へ・・・!!その2》

 長野県南佐久郡川上村。人口は5千人弱、冬はマイナス20度にもなるという高原。標高1,100m~1,500m、川上村は千曲川源流、水のふるさとです。ふりそそぐ太陽を充分に浴び、冷涼な空気の中で育った「川上村レタス」をはじめとする高原野菜をお楽しみに!!・・・と、ブログにあった。

 その最奥にある梓山地区に白木屋(しろきや)旅館はあった。百名山を目指す登山者憧れの深田久弥氏、詩人の佐藤春夫氏や尾崎喜八氏も投宿したという老舗旅館(創業は明治9年)だそうだ。

 ここでようやく全員が揃う。かなりのハードプランになったようで、皆の顔には疲労感が漂っていた。さっそく、風呂へと直行をする。10人は入れるであろうか、広々とした湯船に浸かり、今日の辛かった峠越えの話しに花を咲かせる。・・・裸の付き合い!!・・・嬉しいものである。

 風呂の次はご馳走・・・浴衣に着替え、豪勢?な料理の前に座る。取り合えずビール・・・この喉越しの一杯がやめられない。生きてて良かったと思える瞬間でもある(ちょっと大げさか!)

 ビールの次は地酒、初鴬(はつうぐいす) 木内醸造、佐久市の造り酒屋だそうだ。日本酒は冷に限る・・・飲んべい氏の薀蓄がはじまる。

 サイクリストの宴会はなかなかハード・・・峠のない上りのようなもので、果てしなく続く・・・それは冗談であるが、峠越え以上に体力もいるようだ。部屋へ帰ってからの二次会も遅くまで続いた。

 翌朝も快晴、まずは腹ごしらえからであるが、いつものようにお代わりのご飯がなくなる。年齢を問わず、各自が三杯は食べるところが凄い。サイクリストは、ご飯イコール燃料であるから仕方ないが・・・

 近くのコンビニで食料を調達し、三国峠を目指す。梓山の集落を過ぎ、レタス畑の中を行くようになると風景も一変する。川上村の高原野菜は有名で、早朝に収穫されたレタスは、その日のうちに都会のスーパーの店頭に並ぶそうだ。家族総出なのか、何組かの農家の方たちが忙しく働いていた。

 レタス畑が終ると落葉松の樹林帯へと入ってゆく。道は緩やかに何度もカーブを描きながら高度を上げていった。全面舗装なのが有難い。昨日の大弛での下りがトラウマのように蘇る。

 三国峠(1740m)へはあっけなく着いた。切通し状になった峠を越えれば関東の景色が眼前に広がる。東方向に際立つ山は両神山だとコバさんが教えてくれた。その右手に見える尖った山は武甲山だそうだ。山名は以前より知っていたが、見るのは始めてで、いつかは登ってみたい山である。ちなみに、峠名の三国は、武蔵国、上野国、信濃国を指す。

 後続も次々と峠へ到着し、記念撮影大会となる。昨日の大弛では、こんな余裕はなく、和気藹々としたムードが嬉しい。改めて信州側の景色も眺め、峠旅のひと時を楽しんだ。

 いよいよ中津川林道へ突入である。土砂崩れのため、通行止めとの情報が気がかりではあるが、出たとこ勝負!?でスタートを切る。ゲートを過ぎ、紅葉の始まりかけた樹林の下のダートを疾走する。その距離は18キロとか・・・今時、こんな長い地道を走れることはサイクリスト冥利に尽きる。

 閉鎖区間のため、クルマが来ないのは有難いが、道は踏まれていないために荒れていた。この日に備えて組み上げたニシキのMTB、パスハンもどきが大活躍であった。フラットバーに太いタイヤ・・・ドロップハンドルのランドナー組は苦戦をしているようであった。やはり、ブレーキングがネックのようである。

 パンクが一名、あとは転倒者もなく、無事に林道を走り終えることが出来た。後で知ったことであるが、やはりこの林道も森林鉄道の跡を改修して造られたそうである。ガードレール?に変身した軌道レールにその痕跡が見られた。

 人里へ出、「彩の国ふれあいの森」にて埼玉の皆さんとお別れをする。その後、一行は美味しい蕎麦?を食べ、秩父の町で反省会という名の飲み会をされて解散したそうである。

 私の今日の宿は旧名栗村、まだまだ60キロはありそうなので、先を急いだ。中津川沿いを走り、国道140号へ出会う。右折して、雁坂トンネルを抜ければ、山梨の塩山へは近いのであるが、自転車の通行は不可とのこと。

 三峰神社へのロープウェー乗り場を右に見、次の橋を渡れば秩父鉄道の終着駅となる「三峰口」へと至る。なかなかレトロな造りの駅舎で、しばしの休憩を取る。駅前のひなびた食堂へ入り、ビールでもと思うが、道中が長いためあきらめる。

 鉄道沿いの旧道を縫って秩父市街を目指す。セメントの原材料となる石灰岩の山である武甲山(1304m)の姿は痛々しい。ここまでやってよいのか!とも思うが、採掘権を持った個人所有の山なのであろう、見るも無残という印象であった。

 秩父市役所のところで右折し、国道299号へ入る。ここは横瀬町とある。西部秩父線に沿って正丸峠方面へ向かう。途中、家族連れでにぎわう芦ヶ久保の道の駅が見えたが、気後れがして通り過ぎてしまった。

 正丸トンネルを見送り、山伏峠へ向かう。道はそれほど厳しくないため、余裕で走ることが出来た。峠を越えれば名栗の里へ・・・峠のすぐ下の急斜面に建つ民家のたたずまいは、とても関東とは思えない風景であった。

 そこより30分ほど、今日の宿となる下名栗の「河鹿荘」へ無事に着くことが出来た。


その3へ続く・・・