≪峠旅・裏木曽 鞍掛峠から真弓峠へ その2!≫
御岳の南山麓に位置する滝越、それは王滝川を遡った最終集落でもある。春と秋に開催されるアドベンチャーレースの時だけは若者達で賑わうものの、今は15軒ほどの民家が残るのみの寒村である。木曽ヒノキの伐採が盛んなころの面影はもうどこにも無かった。
この周辺は平家の落人伝説の地でもある。鎌倉時代、相模国の三浦半島一帯を支配していた三浦氏の末裔が東美濃より山を越え、王滝周辺に住み付いたという。加子母、付知、滝越の三浦姓の始祖となる三浦太夫の話しは興味深いものがある。
集落で唯一のお店となる平沢商店(今は閉店とか)の自販機でスポーツドリンクを買う。蕎麦屋が一軒あると聞いていたが先を急ぐ旅でもあり、そそくさと通過してしまった。白巣峠を越えて付知に戻るのであればここで右折をすることになる。
更に王滝川沿いに下ると立ち枯れたヒノキが林立する池に出会う。昭和58年9月14日、王滝村を震源地とする長野県西部地震が発生した。マグニチュードは6.8、濁川の一帯は地滑りや土石流に襲われ、多くの犠牲が出たという。死者29名、今も行方不明の方がいると聞いた。
氷ヶ瀬の貯木場のところで右折し、ウグイ川沿いに付けられた林道を上りはじめる。路面状態は比較的フラットで走りやすく、それほどの苦労は無かった。しかし、同行の若い連中は元気そのもので、どんどんと先へと行ってしまい、一人静かに大自然を味わう羽目となった。
余りの遅れを心配したOさんが迎えに来てくれ、最後の上りをサポートしてくれた。多分、峠に早く着いた仲間は、遅い私が熊に食われているのではと噂をしていたに違い無い。
稜線の上部をトラバースするようになり、林道は東方向へと続いていた。真弓峠は鞍部の一番低い所を岐阜県側へ越えたところで、ゲート付近よりは眼下に付知川源流の雄大な風景が広がっていた。その真下にはこれから下るワインディングロードが紅葉の海の中へ消えていた。
この下りが恐怖であった。木曽側の締まったダートとは打って変わり、砂利のゴロゴロした不安定な路面で、ルートの選定に気を使う。途中、Nさんがパンクをしたようで、ホイールを外して修理をしていたが、「大丈夫ですか!」と声だけ掛けて横を走り去った。
最近のMTBは例外無くサスペンションを装備している。今回、私一人がリジッドサス仕様で、路面からの強烈な振動に苦労させられた。昔人間は肘と膝の屈伸を最大限活用して荒れた路面をやり過ごす。ダート道を快調に飛ばす連中を見ると流石にサスペンションが欲しくなった。
井出ノ小路谷に出会うところで全員が集合した。他に転倒などのトラブルも無く、無事に走り切ったようである。ほっとする間もなく、最後のウィニングランへ入る。舗装路も出始め、満面の笑顔で快走する仲間の表情が印象的であった。
付知の観光センター跡に付いたのは午後の4時頃、舞台峠の先を出発したのが午前8時前であったので、約8時間の走行となる。二つのビッグ峠、紅葉の海の国有林、森林鉄道跡と感動の連続の自転車旅であった。
御岳の南山麓に位置する滝越、それは王滝川を遡った最終集落でもある。春と秋に開催されるアドベンチャーレースの時だけは若者達で賑わうものの、今は15軒ほどの民家が残るのみの寒村である。木曽ヒノキの伐採が盛んなころの面影はもうどこにも無かった。
この周辺は平家の落人伝説の地でもある。鎌倉時代、相模国の三浦半島一帯を支配していた三浦氏の末裔が東美濃より山を越え、王滝周辺に住み付いたという。加子母、付知、滝越の三浦姓の始祖となる三浦太夫の話しは興味深いものがある。
集落で唯一のお店となる平沢商店(今は閉店とか)の自販機でスポーツドリンクを買う。蕎麦屋が一軒あると聞いていたが先を急ぐ旅でもあり、そそくさと通過してしまった。白巣峠を越えて付知に戻るのであればここで右折をすることになる。
更に王滝川沿いに下ると立ち枯れたヒノキが林立する池に出会う。昭和58年9月14日、王滝村を震源地とする長野県西部地震が発生した。マグニチュードは6.8、濁川の一帯は地滑りや土石流に襲われ、多くの犠牲が出たという。死者29名、今も行方不明の方がいると聞いた。
氷ヶ瀬の貯木場のところで右折し、ウグイ川沿いに付けられた林道を上りはじめる。路面状態は比較的フラットで走りやすく、それほどの苦労は無かった。しかし、同行の若い連中は元気そのもので、どんどんと先へと行ってしまい、一人静かに大自然を味わう羽目となった。
余りの遅れを心配したOさんが迎えに来てくれ、最後の上りをサポートしてくれた。多分、峠に早く着いた仲間は、遅い私が熊に食われているのではと噂をしていたに違い無い。
稜線の上部をトラバースするようになり、林道は東方向へと続いていた。真弓峠は鞍部の一番低い所を岐阜県側へ越えたところで、ゲート付近よりは眼下に付知川源流の雄大な風景が広がっていた。その真下にはこれから下るワインディングロードが紅葉の海の中へ消えていた。
この下りが恐怖であった。木曽側の締まったダートとは打って変わり、砂利のゴロゴロした不安定な路面で、ルートの選定に気を使う。途中、Nさんがパンクをしたようで、ホイールを外して修理をしていたが、「大丈夫ですか!」と声だけ掛けて横を走り去った。
最近のMTBは例外無くサスペンションを装備している。今回、私一人がリジッドサス仕様で、路面からの強烈な振動に苦労させられた。昔人間は肘と膝の屈伸を最大限活用して荒れた路面をやり過ごす。ダート道を快調に飛ばす連中を見ると流石にサスペンションが欲しくなった。
井出ノ小路谷に出会うところで全員が集合した。他に転倒などのトラブルも無く、無事に走り切ったようである。ほっとする間もなく、最後のウィニングランへ入る。舗装路も出始め、満面の笑顔で快走する仲間の表情が印象的であった。
付知の観光センター跡に付いたのは午後の4時頃、舞台峠の先を出発したのが午前8時前であったので、約8時間の走行となる。二つのビッグ峠、紅葉の海の国有林、森林鉄道跡と感動の連続の自転車旅であった。