≪峠旅・裏木曽 鞍掛峠から真弓峠へ! その1≫
辺境の地に憧れる自転車乗りにとって、御岳の南部に位置する裏木曽一帯の峠は垂涎の的でもある。付知川の左岸に立ちはだかり、東美濃と木曽を隔てる阿寺山脈は標高1.900m前後を有する。その山脈を越える峠は三つ、北から鞍掛峠(1.408m)白巣峠(1.380m)真弓峠(1.490m)である。
今回、鞍掛峠と真弓峠へ日帰りで訪れた。メンバーは9名、それぞれが自転車の道の達人であり、レースやシングルトラックで鍛えた面々で心強い。
舞台峠の先に車をデポし、そこよりスタートする。15分程で御厩野から上がってくる道と合流し、県道442号「白草山公園線」へと入って行く。舗装はされているものの可也の勾配で息が切れる。御厩野川沿いに道はグングンと高度を上げ、左岸に渡ってヘアピンを曲がるとゲートに出会う。その先よりはダートとなり、後輪の空転に苦労させられることとなる。正面の山の斜面を見上げると上部に横切る道が見えた。別の道が合流しているのかなと思いたいところであるが、それは我々がこれから上がる道であった。
前方に鞍部が見え、東屋も確認できるようになると峠は近い。最後は山の斜面をトラバースするように峠へ辿りついた。この林道は昭和37年に王滝のヒノキを切り出すために作られたそうで、工事用のトラックが崖から落ちて犠牲者が出たという。峠の石仏はその慰霊のためであろうか。
昭和54年10月28日、御岳が有史以来の噴火をした。その時、下呂の住人たちは鞍掛峠に上がり、目前に噴煙を上げる御岳をここより眺めたという。生憎と今日は曇り模様で望むことは出来なかった。
更にゲートを通過し、小坂・王滝営林署の管轄となる国有林へと入って行く。林道はダートといっても良く踏まれていて安定しているため、自転車の走行に支障はなかった。一般車の来ない静かな道を団子になり、お喋りを楽しみながらのんびりと走る。木々の紅葉も最盛期で、緑の熊笹に映える赤や黄色のコントラストが美しい。
やがて林道は三浦(みうれ)貯水地の湖畔へと至る。干上がった湖底には立ち枯れた木の根っ子が整然と並んで異様な風景を見せていた。大きく西岸より回り込み、かつて森林鉄道の貯木場があったと思われる場所へと出た。
ここで右折し、林鉄の軌道跡のルートへと入って行った。ススキの原を過ぎ、再びゲートを越えてダム湖の断崖を行くことになる。その高さは10m程であろうか、一本のワイヤーが古いレールの柱を利用して横に張ってあるが、石に乗り上げて右側に転倒すれば、最悪ダム湖に落下という事態となる。
軌道跡は藪で覆われ、釣ヤが通るのであろうか、一本の道が続いていた。時より現れる木製の橋にキモを冷やす。枕木と分厚い板が貼ってあるものの、腐り始めてコケが生えているために滑りやすい。
先行者の後ろ姿を見失わないように必死で付いて行く。藪の下には大小の落石が隠れているために油断が出来ない。突然、橋の向こうトンネルが現れた。長さは50m程か、向うの出口が見える。それぞれがライトを付け、自転車を担いで歩き始める。トンネルの中は水没しているため 、枕木や飛び石を頼りに通過する。一部には落盤の箇所もあり、いずれは崩壊するのかもしれない。
大きくカーブを描く木製橋梁の上でランチタイムとした。周りは紅葉の海、見下ろす河原には枯れた大木の根っ子が累々と横たわっていた。その先には青く静かに佇む三浦湖があった。
最後、左にカーブする真っ暗なトンネルを貫けるとゲートに突き当たり、舗装路へと出る。全員トラブルもなく、林鉄の廃道化した軌道跡を走破出来てほっとする。このルートが通れるのも時間の問題であり、訪れるのなら今の内かもしれない。ちなみにこの森林鉄道は三浦堰堤(ダム)建設のために昭和13年に完成し、昭和51年に廃線となったそうである。
ここより滝越へは下り一方、快適に自転車を走らせる。途中、真っ暗なトンネルが現れ、ライトの明りを頼りに進むものの、どこが壁やら天上かもわからずにキモを冷やす。ここでまたもやMさんがサングラスを落とすが、なんとか見つかったようだ。
辺境の地に憧れる自転車乗りにとって、御岳の南部に位置する裏木曽一帯の峠は垂涎の的でもある。付知川の左岸に立ちはだかり、東美濃と木曽を隔てる阿寺山脈は標高1.900m前後を有する。その山脈を越える峠は三つ、北から鞍掛峠(1.408m)白巣峠(1.380m)真弓峠(1.490m)である。
今回、鞍掛峠と真弓峠へ日帰りで訪れた。メンバーは9名、それぞれが自転車の道の達人であり、レースやシングルトラックで鍛えた面々で心強い。
舞台峠の先に車をデポし、そこよりスタートする。15分程で御厩野から上がってくる道と合流し、県道442号「白草山公園線」へと入って行く。舗装はされているものの可也の勾配で息が切れる。御厩野川沿いに道はグングンと高度を上げ、左岸に渡ってヘアピンを曲がるとゲートに出会う。その先よりはダートとなり、後輪の空転に苦労させられることとなる。正面の山の斜面を見上げると上部に横切る道が見えた。別の道が合流しているのかなと思いたいところであるが、それは我々がこれから上がる道であった。
前方に鞍部が見え、東屋も確認できるようになると峠は近い。最後は山の斜面をトラバースするように峠へ辿りついた。この林道は昭和37年に王滝のヒノキを切り出すために作られたそうで、工事用のトラックが崖から落ちて犠牲者が出たという。峠の石仏はその慰霊のためであろうか。
昭和54年10月28日、御岳が有史以来の噴火をした。その時、下呂の住人たちは鞍掛峠に上がり、目前に噴煙を上げる御岳をここより眺めたという。生憎と今日は曇り模様で望むことは出来なかった。
更にゲートを通過し、小坂・王滝営林署の管轄となる国有林へと入って行く。林道はダートといっても良く踏まれていて安定しているため、自転車の走行に支障はなかった。一般車の来ない静かな道を団子になり、お喋りを楽しみながらのんびりと走る。木々の紅葉も最盛期で、緑の熊笹に映える赤や黄色のコントラストが美しい。
やがて林道は三浦(みうれ)貯水地の湖畔へと至る。干上がった湖底には立ち枯れた木の根っ子が整然と並んで異様な風景を見せていた。大きく西岸より回り込み、かつて森林鉄道の貯木場があったと思われる場所へと出た。
ここで右折し、林鉄の軌道跡のルートへと入って行った。ススキの原を過ぎ、再びゲートを越えてダム湖の断崖を行くことになる。その高さは10m程であろうか、一本のワイヤーが古いレールの柱を利用して横に張ってあるが、石に乗り上げて右側に転倒すれば、最悪ダム湖に落下という事態となる。
軌道跡は藪で覆われ、釣ヤが通るのであろうか、一本の道が続いていた。時より現れる木製の橋にキモを冷やす。枕木と分厚い板が貼ってあるものの、腐り始めてコケが生えているために滑りやすい。
先行者の後ろ姿を見失わないように必死で付いて行く。藪の下には大小の落石が隠れているために油断が出来ない。突然、橋の向こうトンネルが現れた。長さは50m程か、向うの出口が見える。それぞれがライトを付け、自転車を担いで歩き始める。トンネルの中は水没しているため 、枕木や飛び石を頼りに通過する。一部には落盤の箇所もあり、いずれは崩壊するのかもしれない。
大きくカーブを描く木製橋梁の上でランチタイムとした。周りは紅葉の海、見下ろす河原には枯れた大木の根っ子が累々と横たわっていた。その先には青く静かに佇む三浦湖があった。
最後、左にカーブする真っ暗なトンネルを貫けるとゲートに突き当たり、舗装路へと出る。全員トラブルもなく、林鉄の廃道化した軌道跡を走破出来てほっとする。このルートが通れるのも時間の問題であり、訪れるのなら今の内かもしれない。ちなみにこの森林鉄道は三浦堰堤(ダム)建設のために昭和13年に完成し、昭和51年に廃線となったそうである。
ここより滝越へは下り一方、快適に自転車を走らせる。途中、真っ暗なトンネルが現れ、ライトの明りを頼りに進むものの、どこが壁やら天上かもわからずにキモを冷やす。ここでまたもやMさんがサングラスを落とすが、なんとか見つかったようだ。