時事解説「ディストピア」

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新版・「位置づけ国家と革命」 その2

2013-07-01 20:18:03 | 反共左翼
まず、こちらの文章をお読みください。


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レーニンは、それらのロシア文学にたいし、『国家と革命』において、
少数派の職業革命家指導の下で国家権力という暴力装置を暴力革命で奪取し
旧国家機構を粉砕し、議会制度を廃止し少数者による暴力的独裁=プロレタリアート独裁で
権力を維持し、しかるのちに国家を死滅させることができるという、
高度に理論的装いをこらした革命ユートピア小説を執筆した。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/lenin2.htm
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上の文章はウィキペディアの『国家と革命』の解説の参考サイトとして
紹介されているのですが、これほどまで同書の内容を無視したものはないでしょう。

突っ込み所が多すぎて困るのですが、一応列挙すると

①少数派の職業革命家指導の下で
 ↓
 『国家と革命』には書かれていない記述
  レーニンは逆に少数者(抑圧者)を多数者(被抑圧者)に従わせるという
  意味での民主主義を本書で主張している。

②国家権力という暴力装置を暴力革命で奪取し
 ↓
 正確には、『国家』という「階級支配の機関」を武力革命で廃絶し
 です。レーニンによれば国家とは支配階級が被支配階級を抑圧するための手段として
 国家を用いているという説明になっていますから、国家=権力です。国家権力ではない。

 また、レーニンは官僚制度などの国家の非暴力的側面も批判をしているので、
 暴力装置という表現も正しくありません。

 奪取という言葉も、やや不適切な表現です。
 この表現だけでは、国家を少数者の支配機関から
 多数者の少数者へ対する支配機関へ転化させるというレーニンの主張が表れません。

③少数者による暴力的独裁=プロレタリアート独裁で権力を維持し、
 ↓
 多数者による民主主義的独裁です。
 民主主義と独裁がイコールで結ばれることに違和感を覚えると思いますが、
 そもそも、レーニンは一時的に民衆に特権を与えることを想定して
 この言葉を用いており、正確には執権、あるいは大権とでも訳すべきものです。

④しかるのちに国家を死滅させることができる
 ↓
 「国家の廃絶ができる」の間違いです。
  ちなみに「国家の廃絶」とは、元来は被支配者を抑圧するための機関である国家が
  民主主義の徹底により、被支配者が支配者を監視・制限することによって、
  その性格が変化するという意味です。


このように、ざっと見ただけでも間違いだらけの説明ですが、
もっとも珍妙な説明が「高度に理論的装いをこらした革命ユートピア小説」という部分です。

レーニンの文章が「高度」かどうかは読者の頭脳によりますが、
レーニンは決して革命を行えばユートピアが訪れるといった楽観論を
唱えたわけではありません。むしろ、そのような政府さえ転覆させれば良いという
無政府主義に対して徹底批判したのが『国家と革命』です。


レーニンが再三、熱弁をふるっているのが「民主主義の徹底」であり、
そのことでよってしか、コミューン型社会には到達できないということです。

すなわち、官吏に対しての普通選挙・リコール、労働者並みの俸給、
全員の行政への参加、官僚の撤廃、軍隊の解散と人民の武装化です。

このことは空想ではなく実現可能であり、また実現させなければならない、
そしてコミューン型社会が実現したその時には、民衆による自治が完成し、
国家は元来の意味での支配的性質が消滅し、死滅すると述べているのです。


ですから、レーニンの主張が空想=ユートピアだと言うのならば、
民主主義が完全実現した社会が地獄に他ならないと主張することになります。

つまり、民主主義そのものの否定でしかレーニン国家論の否定はできないわけで、
当然、批判者は民主主義そのものへ対するラディカルな意見をよせてくるはずです。

ところが、『国家と革命』批判の論者は、なぜか
民主主義の完全実現⇒理想社会の実現
革命を起こす⇒理想社会の実現と曲解して話をしているのです。



上の引用文では、『国家と革命』の最大の論点である
民主主義の徹底を無視した評価であり、革命ユートピアという
誰も主張していないことをあたかもレーニンが書いたかのように話しています。

ここで、引用文の続きをご覧ください。

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暴力依存型権力の管理・官僚制へのレーニン的オプティミズムは
20世紀最大の誤解といわれるほど、その後の社会主義国家の官僚制増殖に無力だった。

国家死滅どころか、どのように『奪われた権力』になっていったのかは、
ダンコースが分析している。

『国家と革命』全文を読めば、
そのユートピア性とレーニン的オプティミズムがよく分かる。

この全文をHPに掲載したTAMO2に敬意を表する。
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ここでは、論者の曲解はますます暴走し、
民主主義に期待し、官僚制の撤廃を狙ったレーニンの国家論は
「暴力依存型の管理・官僚制へのレーニン的オプティミズム」という、
まったく別の内容にすり替えられています。

「国家と革命全文を読めば~」と書いていますが、論者が『国家と革命』を
 読んでいないか、あるいは意図的に歪曲していることは明らか
です。

 確かにレーニンはコミューン型社会を理想郷として描いていますが、
 革命後の社会は、このコミューン型社会への過渡期としています。

 しかも、革命後において民主主義を徹底「させなければいけない」と
 語っているのであり、決して革命万能論を唱えたわけではありません

『国家と革命』は全面的に民主主義を信頼した論調であり、
 これは民衆の武装化に大きく表れているところです。

 すなわち、支配者の武装解除と、被支配者の武装化をもって
 権力者の弾圧に対抗するための力が現れると考えており、
 仮にユートピア的だとすれば、この民衆の武装化への楽観的な態度こそ
 指摘する箇所でしょう。ところが、批判者はこの点を無視しているわけです。 



以上をもって結論付ければ、
ウィキペディアの参考サイトとして載っているページに書かれていた論調こそ、
無知と無理解によって構築されたレーニン国家論の改ざんに他ならない
と言えるでしょう。

しかも、論者は『国家と革命』を読んだことがあるのだそうですから、
わざと出鱈目を書き、読者を騙すという卑劣な詐欺行為と言えましょう。

この悪質な詐欺師どもは慰安婦を否定する極右に通じたものがあります。

実際、『国家と革命』批判論者の一人、加藤哲郎は慰安婦否定論者の桜井よし子らと
一緒に、北朝鮮の「人権侵害」を訴えていますし、本質は同じなのではないでしょうか?


こういった連中が大声で騒ぎたてているのが現代日本での『国家と革命』批判です。

私たちは、このような連中と同じになって保守派の犬となり、
コミューン主義の洗浄を行うべきではありません。

私たちが本当にすべきことは、『国家と革命』の歴史的地理的制限、
すなわち1910年代のロシアの状況に沿った国家論だという前提のもと、
現代の政治批判に役立つように、意義ある個所を選び抜き、
更に昇華させることにほかなりません。

そのためには、まず先入観を抜きにして、
『国家と革命』そのものを読んでみることが必要でしょう。

ペテン師たちは、なるべく本書を読ませまいとしているのが現状です。
彼らの意に逆らうことこそ、支配者へ対する抵抗の第一歩となると思います。

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