中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

西安での新生活が始まりました。

2017年09月03日 00時50分21秒 | とりあえず日記
8月30日(水) 
成田から一路西安へ。
さすがに成田から西安となると、空路も今までより長かったです。

しかし今夏は富山・岩手・青森・山口の四か所で調査ができ、本当に資料収集が進みました。
やはり研究の助成がつくとこうも違うものかと感じざるを得ません。

研究調査の合間に、母校での講義、研究者らとの交流・情報交換、論文執筆、
そして中国での担当授業の計画・準備などもでき、充実した夏期休暇でした。

母校千葉大学での講義



8月31日(木)-9月1日(金)
この二日間は専ら、西安の勤務先の大学ホテルの一室に入り、そこで生活準備や授業準備をしました。
西安では授業数(100M×5)は多くないですが、科目数が多く、担当したことのない科目も複数あります。

かつ、歴史専門の私が大学院の翻訳・通訳授業をすることになったので、やや焦りも感じています。
一応、今夏に翻訳・通訳の指南書を読んできましたが、それだけでは確実に不足でしょうから、
一年目は自分の得意な分野にウェイトを割きながら、講義を進めるしかないと思っています。

なお座る時間が長く、かつ運動時間が短かったためか夜にぎっくり腰(軽度)を発症。
夜は何度も姿勢を変えながら、なかなか眠れないまま朝を迎えるという事態に。

「授業準備が終わったら9月シンポの研究発表の準備を!」と思っていた矢先だったので、
これにはさすがに焦りが出ました。

事実、発表者からは幹事役の私宛に発表資料が届き始めています。
これ以外にも日本事情の連絡・自身の作業、次の論文作成があります。


9月2日(土)
赴任校での学科教員会議で、教員同士の顔合わせ。
今度の大学は15名の中国人教員、5名の日本人教員の計20人。

一学年30名前後の日本語科としては多すぎる教員数ですが、
この大学では教授<副教授<講師の順に担当講義数が異なり、
教授になるとほぼ授業がなくなり、研究に時間を随分割けます。
(学科主任などをしている方の場合は全く別の様ですが…)

その中に、研究型の教員として契約している教員の場合、
より授業が少なくなり、研究成果を挙げることが求められるようです。
そのため、これだけ教員数がいないと足りない構図になっています。

これは私が経験してきた複数大学の中でも初めての経験であり、
今度の西安の大学が中国のトップ校であることを認識させられます。

なお教員にはそれぞれ空調・本棚が備えられた研究室が割り振られ、
ここを24時間自由に使うことができます。

これは日本の大学では当然のことなのですが、中国では稀といえます。
私も今回の大学で初めて、このような待遇を受けられることになり、
心から有り難いと思った次第です。

早速、私も自分の書籍一部を西安へ運びました(下の図)。
恐らく今後、中国で購入する書籍類などもどんどん増えるでしょうが、場所が確保できたのが有り難いです。



ともあれ月曜から新学期開始です。
腰を少しでも良くしてから、学期を迎えようと思っています。


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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
凄い! (熊吾郎)
2017-09-03 02:43:06
 お疲れ様です。腰の状態は大丈夫でしょうか?
 それにしても、新しい学校凄いですね。中国はこういう予算配分というか待遇が、日本よりも「露骨」ですね、びっくりです。
 励みになります。私も精進いたします。
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熊吾郎さんへ (M)
2017-09-03 17:04:18
コメントありがとうございます。腰はまずまずですが、何とかなるでしょう。今の状態が「凄い」のかは分かりませんが、中国の大学(かつ、外国語学部)の中では稀であるのは事実だと思います。ちなみに研究室は二人で一つに割り振られますが、私は研究に割くウエイトが多いとの判断から、あまり研究室を使わないという同僚の方と一緒の部屋になり、本棚も空間もほとんど私が自由に使わせて頂いています。これも有り難いことです。
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交大赴任 (km45)
2017-09-03 19:36:02
はじめまして。
西安交通大学日語系は理系で中国はじめて設立された日本語科で伝統があります。交大は中国トップ9校連合に入っており、これまで経歴した大学とは異なります。無事に公儀を終えられることをお祈りします。
なお、日本語科の入っている校舎は中国人富豪による寄付です。
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km45さんへ (M)
2017-09-03 20:24:17
メッセージありがとうございます。書かれた情報については教員会議にて説明がありました。教員の方々もそうしたプライドを持ってお仕事をされていることと、今から期待をしています。

ちなみに、km45さんは日本史(しかも近世史?)が御専門の方ではないでしょうか?公儀を使われた辺りで何となくそう感じました。
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中世史 (km45)
2017-09-03 23:41:45
ブログの日本史(古代・中世)を御覧になれば分かるように、私の専門は鎌倉期政治経済史です。特に前期です。最も研究が集中しているのは治承・寿永の内乱です。
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変換ミス (km45)
2017-09-03 23:43:00
「公儀」は「講義」の変換ミスでした。
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意外な感じ (Hiroshi)
2017-09-08 10:47:10
>教授になるとほぼ授業がなくなり、研究に時間を随分割けます。

意外な感じがします。日本(理系だから?)では真逆ですね。できるだけ講師の人には授業を減らして、研究中心になってもらっています。 それでなくても最近は業績で昇進が決まりますから。論文数にインパクトファクターを掛けて… 数字でナンボの世界ですから。
blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4302/trackback
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Hiroshiさんへ (M)
2017-09-09 15:53:10
他の中国の大学での全事例を知りませんが、恐らく、中国では職位が上がることによって授業数は若干減っていくように感じます。事実、こちらの大学の教授の中には授業は週1-2日という方が多いです(院生講義のみの場合も有)。確かに、日本の母校を見ていると学部長や副学長になった先生方も授業数は決して少なくないようですね。相当お忙しいだろうなと、見ているだけでも感じます。
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文系はかなり違うのですね! (Ye Xiang)
2017-10-06 21:28:20
清華大医学院の Ye Xiang (生命科学学院では Yigong Shi の米国名) と申します。国慶節も研修医を連れて退院した患者さんの訪問医療研修をしております。来週からはいつものように週の後半が研究医としての活動になります。

私の場合は大学院専門で、週の前半はほとんど毎日徹夜で救急病棟にて救命活動をしてます(もともと消化器外科出身)。

ちょっとブログを読ませていただきましたが、文系学部がない (文系は大学院のみ) のうちとは異なり、へぇと驚かされることが多いです。

院生も博士課程のみで、一人ずつ大切に博士号を取らせて、米国留学へ旅立たせています。この辺は文系と理系の大きな差かもしれませんね。

私自身がアイビーの出身なので、早口の東部なまりの米語しかしゃべらない私のあだ名は「宇宙人」です(笑)  指導は清華大でもかなり厳しい方でしょうね。最低でも博士課程の間 (というか2年以内に) Science に連名で載らないと平気でクビにして北京大へ追放します。IF が高い論文に載らないような無能を米国へ税金掛けて送り出すと恥だからです。

あ、患者さんに対してはちゃんと普通話でしゃべってますので、誤解ないよう。北京はすっかり銀杏が落ちて、黄色い葉っぱが靴にべっとりついて地下鉄の会談が危ない季節です。
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訂正と付け足し (Ye Xiang)
2017-10-06 21:48:15
「会談」は「階段」の変換ミスでしたね。歩きスマホならぬ「歩き質問魔」なので、会談でも同じなのですが。

Impact Factor が全ての自然科学の世界にいると、視野が狭くなるのは仕方がないのかもしれません。

Google Scholar で検索すれば出てきますけど、中国に来てからは急激に引用数が上がっているのが自分でも分かります。日本の大学病院の臨床で埋もれてたら、今の生活はちょっと考えられないかもと思います (万年助教授でしたし)。

現在は救急病棟の部長職が本業で、確かにコマ数というか講義そのものがオペのあとの反省会、兼、関連する論文の山のコピーを渡してレポート提出という感じです。

小児科内科に来た患者が成長して高等中学から頑張ってうちの医学部に入ってくると、大切に見守ってよかったかなというのが医者冥利なのかもしれません。日本の大学病院で院生や研修医をいじめていた頃は考えもつかなかった話です。
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