8月30日(水)
成田から一路西安へ。
さすがに成田から西安となると、空路も今までより長かったです。
しかし今夏は富山・岩手・青森・山口の四か所で調査ができ、本当に資料収集が進みました。
やはり研究の助成がつくとこうも違うものかと感じざるを得ません。
研究調査の合間に、母校での講義、研究者らとの交流・情報交換、論文執筆、
そして中国での担当授業の計画・準備などもでき、充実した夏期休暇でした。
母校千葉大学での講義
8月31日(木)-9月1日(金)
この二日間は専ら、西安の勤務先の大学ホテルの一室に入り、そこで生活準備や授業準備をしました。
西安では授業数(100M×5)は多くないですが、科目数が多く、担当したことのない科目も複数あります。
かつ、歴史専門の私が大学院の翻訳・通訳授業をすることになったので、やや焦りも感じています。
一応、今夏に翻訳・通訳の指南書を読んできましたが、それだけでは確実に不足でしょうから、
一年目は自分の得意な分野にウェイトを割きながら、講義を進めるしかないと思っています。
なお座る時間が長く、かつ運動時間が短かったためか夜にぎっくり腰(軽度)を発症。
夜は何度も姿勢を変えながら、なかなか眠れないまま朝を迎えるという事態に。
「授業準備が終わったら9月シンポの研究発表の準備を!」と思っていた矢先だったので、
これにはさすがに焦りが出ました。
事実、発表者からは幹事役の私宛に発表資料が届き始めています。
これ以外にも日本事情の連絡・自身の作業、次の論文作成があります。
9月2日(土)
赴任校での学科教員会議で、教員同士の顔合わせ。
今度の大学は15名の中国人教員、5名の日本人教員の計20人。
一学年30名前後の日本語科としては多すぎる教員数ですが、
この大学では教授<副教授<講師の順に担当講義数が異なり、
教授になるとほぼ授業がなくなり、研究に時間を随分割けます。
(学科主任などをしている方の場合は全く別の様ですが…)
その中に、研究型の教員として契約している教員の場合、
より授業が少なくなり、研究成果を挙げることが求められるようです。
そのため、これだけ教員数がいないと足りない構図になっています。
これは私が経験してきた複数大学の中でも初めての経験であり、
今度の西安の大学が中国のトップ校であることを認識させられます。
なお教員にはそれぞれ空調・本棚が備えられた研究室が割り振られ、
ここを24時間自由に使うことができます。
これは日本の大学では当然のことなのですが、中国では稀といえます。
私も今回の大学で初めて、このような待遇を受けられることになり、
心から有り難いと思った次第です。
早速、私も自分の書籍一部を西安へ運びました(下の図)。
恐らく今後、中国で購入する書籍類などもどんどん増えるでしょうが、場所が確保できたのが有り難いです。
ともあれ月曜から新学期開始です。
腰を少しでも良くしてから、学期を迎えようと思っています。
成田から一路西安へ。
さすがに成田から西安となると、空路も今までより長かったです。
しかし今夏は富山・岩手・青森・山口の四か所で調査ができ、本当に資料収集が進みました。
やはり研究の助成がつくとこうも違うものかと感じざるを得ません。
研究調査の合間に、母校での講義、研究者らとの交流・情報交換、論文執筆、
そして中国での担当授業の計画・準備などもでき、充実した夏期休暇でした。
母校千葉大学での講義
8月31日(木)-9月1日(金)
この二日間は専ら、西安の勤務先の大学ホテルの一室に入り、そこで生活準備や授業準備をしました。
西安では授業数(100M×5)は多くないですが、科目数が多く、担当したことのない科目も複数あります。
かつ、歴史専門の私が大学院の翻訳・通訳授業をすることになったので、やや焦りも感じています。
一応、今夏に翻訳・通訳の指南書を読んできましたが、それだけでは確実に不足でしょうから、
一年目は自分の得意な分野にウェイトを割きながら、講義を進めるしかないと思っています。
なお座る時間が長く、かつ運動時間が短かったためか夜にぎっくり腰(軽度)を発症。
夜は何度も姿勢を変えながら、なかなか眠れないまま朝を迎えるという事態に。
「授業準備が終わったら9月シンポの研究発表の準備を!」と思っていた矢先だったので、
これにはさすがに焦りが出ました。
事実、発表者からは幹事役の私宛に発表資料が届き始めています。
これ以外にも日本事情の連絡・自身の作業、次の論文作成があります。
9月2日(土)
赴任校での学科教員会議で、教員同士の顔合わせ。
今度の大学は15名の中国人教員、5名の日本人教員の計20人。
一学年30名前後の日本語科としては多すぎる教員数ですが、
この大学では教授<副教授<講師の順に担当講義数が異なり、
教授になるとほぼ授業がなくなり、研究に時間を随分割けます。
(学科主任などをしている方の場合は全く別の様ですが…)
その中に、研究型の教員として契約している教員の場合、
より授業が少なくなり、研究成果を挙げることが求められるようです。
そのため、これだけ教員数がいないと足りない構図になっています。
これは私が経験してきた複数大学の中でも初めての経験であり、
今度の西安の大学が中国のトップ校であることを認識させられます。
なお教員にはそれぞれ空調・本棚が備えられた研究室が割り振られ、
ここを24時間自由に使うことができます。
これは日本の大学では当然のことなのですが、中国では稀といえます。
私も今回の大学で初めて、このような待遇を受けられることになり、
心から有り難いと思った次第です。
早速、私も自分の書籍一部を西安へ運びました(下の図)。
恐らく今後、中国で購入する書籍類などもどんどん増えるでしょうが、場所が確保できたのが有り難いです。
ともあれ月曜から新学期開始です。
腰を少しでも良くしてから、学期を迎えようと思っています。
この名前は中国国籍というか昔から朝鮮名として祖父が名付けてくれたのをそのまま使っています。
生まれは首都圏の米軍基地の隣で、米語は幼稚園の頃からのおつきあいです。甘えさせてくれた優しい黒人の兵隊がベトナムで散って行ったのがとても悲しくて、まさに何でも見てやろうで、医学部卒業後に英米留学して来た経緯があります。
中国語も亡き伯父の勧めで北京放送にて直接学び、本郷時代に台湾省の本省人に直接発音を矯正してもらいました。短期語学留学で台北へ行った時も役に立ちましたよ。
語学は得意な方で高校時代から宇宙人と言われてました。大学受験もドイツ語だったので、当時医学部のドイツ語必須を外してもらえたのがラッキーでしたね
理系でも私たち生物系と他ではかなりの差はあります。南極帰りの火山学者と学生時代に飲んだ時、フィールドワークでは何年もかけて一本の論文を書くんだと言われて驚きました。
清華大はもともと南北戦争直後の米国へ留学する予備校として設立されましたが、実際に赴任してみると Ivy によく似た研究中心型大学というのが良く分かります。
私も医学部を出たら附属病院で研修せずに都立病院で研修を受けました。私のように臨床メインの人間は少数派。私の清華大での教え子も殆どは研究医になります。
講義というか手術室の会話や手術後の反省会並びに論文購読は全て米語とラテン語です。ラテン語は医学部の低学年の解剖学で習ったはずなので、分からない学生には医学ラテン語の復習をさせます。
臨床が長かったのでメジャー雑誌に論文が載るのは万年助教授になってからでしたけど、日本では全く見向きもされず、海外での評価が高かったことに驚きました。高校時代からレポートを全部英語で書いて、英国人や米国人の先生に直接添削を受けていたのが意外な所で役だっています。
文科系もだんだんと IF で評価される時代になるのではというのが、後輩の人類学者の話です。彼も日本では就職がなくて中東の大学に就職しました。
それではこれからD1をいじめるので。もういい加減に予習が終わった時間かと。まだ徹夜2日目ですから、アカハラとかパワハラと日本では言われそうですが、山形大みたいな暴言は吐きません。
ノートンが勝手に goo のメルアドを入れてしまったので、すみませんが前発言は削除しておいて下さい。また誤変換がありました。ATOK はダメですね。
この名前は中国国籍というか昔から朝鮮名として祖父が名付けてくれたのをそのまま使っています。
生まれは首都圏の米軍基地の隣で、米語は幼稚園の頃からのおつきあいです。甘えさせてくれた優しい黒人の兵隊がベトナムで散って行ったのがとても悲しくて、まさに何でも見てやろうで、医学部卒業後に英米留学して来た経緯があります。
中国語も亡き伯父の勧めで北京放送にて直接学び、本郷時代に台湾省の本省人に直接発音を矯正してもらいました。短期語学留学で台北へ行った時も役に立ちましたよ。
語学は得意な方で高校時代から宇宙人と言われてました。大学受験もドイツ語だったので、当時医学部のドイツ語必須を外してもらえたのがラッキーでしたね
理系でも私たち生物系と他ではかなりの差はあります。南極帰りの火山学者と学生時代に飲んだ時、フィールドワークでは何年もかけて一本の論文を書くんだと言われて驚きました。
精華大はもともと南北戦争直後の米国へ留学する予備校として設立されましたが、実際に赴任してみると Ivy によく似た研究中心型大学というのが良く分かります。
私も医学部を出たら附属病院で研修せずに都立病院で研修を受けました。私のように臨床メインの人間は少数派。私の精華大での教え子も殆どは研究医になります。
講義というか手術室の会話や手術後の反省会並びに論文購読は全て米語とラテン語です。ラテン語は医学部の低学年の解剖学で習ったはずなので、分からない学生には医学ラテン語の復習をさせます。
臨床が長かったのでメジャー雑誌に論文が載るのは万年助教授になってからでしたけど、日本では全く見向きもされず、海外での評価が高かったことに驚きました。高校時代からレポートを全部英語で書いて、英国人や米国人の先生に直接添削を受けていたのが意外な所で役だっています。
文科系もだんだんと IF で評価される時代になるのではというのが、後輩の人類学者の話です。彼も日本では就職がなくて中東の大学に就職しました。
それではこれからD1をいじめるので。もういい加減に予習が終わった時間かと。まだ徹夜2日目ですから、アカハラとかパワハラと日本では言われそうですが、山形大みたいな暴言は吐きません。
ノートンが勝手に goo のメルアドを入れてしまったので、すみませんが前発言は削除しておいて下さい。
この名前は中国国籍というか昔から朝鮮名として祖父が名付けてくれたのをそのまま使っています。
生まれは首都圏の米軍基地の隣で、米語は幼稚園の頃からのおつきあいです。甘えさせてくれた優しい黒人の兵隊がベトナムで散って行ったのがとても悲しくて、まさに何でも見てやろうで、医学部卒業後に英米留学して来た経緯があります。
中国語も亡き伯父の勧めで北京放送にて直接学び、本郷時代に台湾省の本省人に直接発音を矯正してもらいました。短期語学留学で台北へ行った時も役に立ちましたよ。
語学は得意な方で高校時代から宇宙人と言われてました。大学受験もドイツ語だったので、当時医学部のドイツ語必須を外してもらえたのがラッキーでしたね
理系でも私たち生物系と他ではかなりの差はあります。南極帰りの火山学者と学生時代に飲んだ時、フィールドワークでは何年もかけて一本の論文を書くんだと言われて驚きました。
精華大はもともと南北戦争直後の米国へ留学する予備校として設立されましたが、実際に赴任してみると Ivy によく似た研究中心型大学というのが良く分かります。
私も医学部を出たら附属病院で研修せずに都立病院で研修を受けました。私のように臨床メインの人間は少数派。私の精華大での教え子も殆どは研究医になります。
講義というか手術室の会話や手術後の反省会並びに論文購読は全て米語とラテン語です。ラテン語は医学部の低学年の解剖学で習ったはずなので、分からない学生には医学ラテン語の復習をさせます。
臨床が長かったのでメジャー雑誌に論文が載るのは万年助教授になってからでしたけど、日本では全く見向きもされず、海外での評価が高かったことに驚きました。高校時代からレポートを全部英語で書いて、英国人や米国人の先生に直接添削を受けていたのが意外な所で役だっています。
文科系もだんだんと IF で評価される時代になるのではというのが、後輩の人類学者の話です。彼も日本では就職がなくて中東の大学に就職しました。
それではこれからD1をいじめるので。もういい加減に予習が終わった時間かと。まだ徹夜2日目ですから、アカハラとかパワハラと日本では言われそうですが、山形大みたいな暴言は吐きません。
ちなみに文系と理系の差として、博士課程の学生の育成方法や授業の在り方についてかなり違うのは理解できましたが、他にも違いがあるのでしょうか?
文系の方ではまだまだの感もありますが、論文のImpact Factorを重視する傾向は今度強まると思われますし、いわゆる、メジャー誌に何本掲載があるか、著書が何冊あるかという点で評価されるという面では同じ評価基準になりつつあるのではないかと個人的には感じているところです。
最後にYe Xiangさんの日本語はどこでどう覚えたのでしょうか?医学系では英語は使えないと困るでしょうが、日本語は不要のはずですし。ちょっと気になったのでお尋ねする次第です。
Impact Factor が全ての自然科学の世界にいると、視野が狭くなるのは仕方がないのかもしれません。
Google Scholar で検索すれば出てきますけど、中国に来てからは急激に引用数が上がっているのが自分でも分かります。日本の大学病院の臨床で埋もれてたら、今の生活はちょっと考えられないかもと思います (万年助教授でしたし)。
現在は救急病棟の部長職が本業で、確かにコマ数というか講義そのものがオペのあとの反省会、兼、関連する論文の山のコピーを渡してレポート提出という感じです。
小児科内科に来た患者が成長して高等中学から頑張ってうちの医学部に入ってくると、大切に見守ってよかったかなというのが医者冥利なのかもしれません。日本の大学病院で院生や研修医をいじめていた頃は考えもつかなかった話です。
私の場合は大学院専門で、週の前半はほとんど毎日徹夜で救急病棟にて救命活動をしてます(もともと消化器外科出身)。
ちょっとブログを読ませていただきましたが、文系学部がない (文系は大学院のみ) のうちとは異なり、へぇと驚かされることが多いです。
院生も博士課程のみで、一人ずつ大切に博士号を取らせて、米国留学へ旅立たせています。この辺は文系と理系の大きな差かもしれませんね。
私自身がアイビーの出身なので、早口の東部なまりの米語しかしゃべらない私のあだ名は「宇宙人」です(笑) 指導は清華大でもかなり厳しい方でしょうね。最低でも博士課程の間 (というか2年以内に) Science に連名で載らないと平気でクビにして北京大へ追放します。IF が高い論文に載らないような無能を米国へ税金掛けて送り出すと恥だからです。
あ、患者さんに対してはちゃんと普通話でしゃべってますので、誤解ないよう。北京はすっかり銀杏が落ちて、黄色い葉っぱが靴にべっとりついて地下鉄の会談が危ない季節です。
意外な感じがします。日本(理系だから?)では真逆ですね。できるだけ講師の人には授業を減らして、研究中心になってもらっています。 それでなくても最近は業績で昇進が決まりますから。論文数にインパクトファクターを掛けて… 数字でナンボの世界ですから。
blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4302/trackback
ちなみに、km45さんは日本史(しかも近世史?)が御専門の方ではないでしょうか?公儀を使われた辺りで何となくそう感じました。
西安交通大学日語系は理系で中国はじめて設立された日本語科で伝統があります。交大は中国トップ9校連合に入っており、これまで経歴した大学とは異なります。無事に公儀を終えられることをお祈りします。
なお、日本語科の入っている校舎は中国人富豪による寄付です。
それにしても、新しい学校凄いですね。中国はこういう予算配分というか待遇が、日本よりも「露骨」ですね、びっくりです。
励みになります。私も精進いたします。