みむたろうのベクトル

心理カウンセリングも大自然も大好き。人の心に思いを馳せてもやもや考えるのも好きなことです。

ゲシュタルトについて

2014年02月21日 00時36分47秒 | 心理学

フィギュアスケート、まおちゃん残念でしたね。昨日から、当人は辛かったろうなぁと思います。

私は出るだけですごいと思っているので、そろそろフリーが始まりますが(始まっているかな?)自分のためにオリンピックをめいっぱい楽しんで欲しいですね。

 

 

さて、先日 こでまる の由来 の記事で、ゲシュタルトについて少し書かせていただきました。

今日はもうちょっと書いてみたいと思います。

私が去年勉強していた心理療法士という資格は、ゲシュタルトやNLPなど色々なものから少しずつ拾って、MIX した心理療法を提供するもので、ゲシュタルト療法をじっくり勉強したわけではありません。だから ここに書く事が間違っていたらごめんなさい。。と前置きをしたうえで。。

 

先日の記事では喉が渇いた例をあげ、未完了の感情や体験を終わらせる、というお話をしましたが、ゲシュタルト療法では、「今体に何が起こっているか」ということを大事にします。たとえば喉が渇いた例なら、「今、喉が渇いたと感じている」それが大切です。

喉の渇きならまだしも、人には様々な複雑な感情があります。気付かない、感じない方がとりあえず自分を守れる場合、頭は自分に気付かせないようにすることがあります。それは”こんな事たいしたことない”と自分に言い聞かせる事であったり、”仕方なかった”という諦めであったり、言い訳もそうかもしれないですね。反面、体にはすごく怒りを感じていたり、脱力感や疲労感が出ることもあります。

私も最近、職場ですごく腹の立つ事がありました。その時はやり過ごしましたが、気が付いたら、”社会人だし怒るなんて出来ない” って、何度も自分に言い聞かせて、体に湧き上がる怒りを堪えていました(笑 

これらは割と見つけやすい、感情を抑える人間の技術です。

ですが、人の頭はとても高度で、大変であればあるほど、意識で感じないようにさせます。そうすると、納得したり理解している、たいしたことないなど、人は自分で信じこみます。  

 

でも・・・

皆さんも体験があると思いますが、後から冷や汗をかいている事に気づいたり、体が震えたり、喉の詰まった感じや、肩こり、体のこわばり、緊張、偏頭痛・・・ などなど、様々な形で体はストレスを表現します。 そう、体も感情を感じているのです、そして脳と違って、体はだます事が出来ないと言われています。

私が理解するゲシュタルトはこれかなと思います。

感情を体に聞いていく。 

それは体の気になる部分に丁寧に注目をするだけで出てくる事もあります。

また、未完了になっている過去の体験を、専門家とともに再体験する中で、今自分が体で何を感じているのかに気付き、「今ここ」で感じて、体験を終わらせる、という事もあります。

この後者の再体験の方を私は学院で勉強していて、去年の8月ごろ練習練習とアップアップしていたのはこの練習でした。

 

人はとても高度な生き物です。色々な理由をつけて、時には自分すらだまし、困難やままならない事ともバランスを取りながら暮らしています。それはある程度は正常な状態で、人間なんて毎日そうやって生きるものだと私は思います。 でも、事の大きさや頻度によっては、どうしてもバランスが取れなくなる事があります。

それは、無意識のなかでは別の感情を感じているからであり、未完了の体験がくすぶっているからと言えます。意識で納得させたことも、もうひとつの自分である無意識は納得していないのです。
 
意識と無意識で感じているものを近づける事、心理の世界では、これを自己一致と呼びカウンセリングもこれを目指すものと言われています。 意識と無意識がより近いほうが、ストレスは少ないようです。
 
 
現代はストレス社会とよく言われます。 そういう名前付けを、私はあまり好まないのですが、そうはいっても、わりと見場良く暮らしているかなぁとも思います。 そんな中で、自分と上手くやっていく方法、意識と無意識の折り合いを上手く付ける事、すごく我慢しなくてもやっていける方法、カウンセラーはそんなものを提供する技術者ではあるな、と思っています。
 
 
なんだか花の金曜日に 長い話しになってしまいました。
分かりやすく書いたつもりなのですが、どうでしょうか。
面白いとかちょっと興味を持って頂けたら嬉しいです。
 
 
目から鱗の本当にすごい発見なんですよ。
技術を学べるなんて、先人に感謝です。
コメント
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