朝ごはんを
美味しく
頂きました。
伯父も伯母も
食べたくなくなったり
美味しいと
感じなくなってから
亡くなったから
美味しいと
感じることは
とても
幸せなことなんだ
と思った。
今、生きている
きっと明日も
生きられる
という確信を
感じさせてくれる
ものかもね。
丁寧に
いただきますと
ごちそうさま
全てのものに
ありがとう
こんばんは、みむたろうです。
月曜日のお通夜と火曜日のお葬式と、無事に滞りなく終わりました。伯父は身軽になって、皆に見送られました。納棺のあと美しく飾って下さって、葬祭場の方の心配りと仕草に感動しました。
赤貝が好きだった伯父のために、妹が赤貝のお寿司を握って、棺に入れました。妹らしくたくさん作ったので「多い!」と笑っていたのですが、既に無い伯父の姉妹も好きだったそうなので、皆であちらで食べたのではないかな。棺には、囲碁がプロ級だったので囲碁の免状とか、歌の詩集とか、お医者さんだったので白衣とか、俗世の私たちは色々なものを旅路に持たせてしまいました(笑) きっとこれからは見守ってくれる存在になるのだろうな。そうはいっても。。
寂しいですね。会社帰りにも、土日も、もう病院に行かなくてよくなってしまった。
お通夜の日の午前中、健康診断の予約をしていて行ってきたのですが・・会社からもらう受診票を出さなくてはいけないのに見事に会社に忘れてきて、日曜日わざわざ取りに行ったのです。
うむー、普段食べないものを食べて帰る。
じゃーん、ももパフェ♪ 1600円とちょっとお高めですが、桃がごろごろ入ってました。幸せ♪
大好きなホットケーキやさんのフルフルは、パフェも有名です。
こんにちは。みむたろうです。
6月から入院していた伯父、とうとう6日に亡くなりました。
昼前に血圧が下がったと連絡があり、会社を早退させてもらって駆け付けたところ、14時半ころ、皆に囲まれて息を引き取りました。病院の看護婦さんにも優しくして頂き、私たち家族に見守られ、あたたかい、最期だったのかなと思います。
人は死ぬときに、周りに人にいて欲しいか、というのは私の長い間の問いでした。「死ぬのは初めての体験で怖いから、そばにいてあげたい」というある看護婦さんの言葉を聞いて納得できるものがあり、数年前、親戚の最期に立ち会う事が出来ました。その時も怖くはなかったけど、今回も怖くはなかったな。
亡くなったら、自由になって苦しくないし動けるし会いたい人にも会い放題であろう、という思想を持っているので、親しい人に看取られなければならない事は全くないと思いますが、皆に声を掛けられ、好意と感謝を伝えられながら迎える最期は、或る意味、その人が「愛であった」という一つの形になるのかなと思います。
と、ここで色々考えて評価判断してしまう所が「The 人類」だとも思うんですけど(笑)
本当にシンプルなところは、
悲しい、さみしい、もっと生きて欲しかった、でもこれが現実だから 受け止めたい。
という、そんなところかな。
99歳だし復活する状態でもなかったので、自然な事だという考えが、脳の整理を手助けしてくれます。
でも年齢じゃないよね、大往生だけれども、身内から見たら「一人の人間、一つの命」ただそれだけ。伯父が軽やかな身になって、行きたいところに行っていることを願います。きっと施設にいる伯母のところだと思う(笑) 亡くなる前日に伯母のところに行ったら、「その辺にフワフワいるのよー」って言っていたから、きっと私たちが体験しているのとは違う次元で、会えているのだと思います。
ご報告が遅くなってしまってごめんなさい。会社の方でも事件がありまして・・、ざわざわして更新してませんでした。 事件と言うのは、私がとうとう新入社員に切れる、というね。いやぁ、会社って学ぶこといっぱい。成長させて頂いております。そちらは別途ご報告しますね(^^)
昨日の夕陽
この美しい色合いは、ほんの数分だけでした。
あまりのきれいさに妹も出てきた。
美しいと感じられる事が幸せです。
こんばんは。みむたろうです。
いやあ、土日はあっという間ですね。
今日はいつも使っているcolor note というメモアプリに本日の to do を書き入れ、がんがん終わらせて一日を終えました。細々としたことを色々片付けた・・という達成感のような疲労感のような、そんな気持ちで一日を終えようとしています。
毎度書いている入院中の伯父、誕生日を無事に迎え、99歳になりました。6/2 に入院してから、いつも寝ていて意識もはっきりしていなかったのですが、24日は私の顔と名前もはっきり分かり「すわ、良くなるか」と思われました。
ところが、27日はまた具合が悪くなりもう難しいと言われ、あぁ誕生日は意識なく迎えるのね・・(涙)と思い、28日の仕事帰り花屋さんでアレンジメントを買いました(病室にはなかなか置けないようですが、伯父さん、個室にいるのです)。
「今日が誕生日で99歳になるんですが、本人は意識がないかもしれなくて、もうこの世を去ろうとしているんです。でも、せめて花を傍においてあげたくて・・ 涙涙」と涙ながらにお話ししたら、店長がサービスしてくれて素敵なアレンジメントを作ってくださいました。沈んだ気持ちで病室につくと・・ 話声が聞こえる!? 妹といとこも来ていて、「おー、XXXか。」と、伯父は私の事も分かります。あれ?死にそうなんじゃ・・・?
もう、伯父さん、よくわかんない(笑) 具合が悪くても色々治るらしく、先生にも「特別な臓器の持ち主」と言われました(笑) 6月持たないと言われた伯父が無事7月を迎え、今後、平穏な死を迎える準備をすべきなのか、また物が食べられるようになるべく復活の方向で動くのか、私たちも揺れております。 何が本人のためなのか。 模索の日々が続いています。
涙ながらの私の話に、お花屋さんがサービスしてくれたアレンジメント
私が気に入った花をいくつか入れてもらっています。
伯父に見せてもまったく興味がなかったけれども(笑)
何かあっても、この花たちが伯父を見守ってくれますように。
今日はぐったりと寝込んでいて、作って持って行ったミルクセーキシャーベットには全く関心がなかった。家で美味しく頂きました。
私の今日のランチ。
一平ちゃんのインスタント焼きそば。 そしてコカ・コーラ レモン入り。
インスタントなものをあまり食べないので、こういうのすっごく久しぶり。なんか食べたくてー。コーラがよく合います。とっても美味しかったです。 シャーベットに卵の黄身を入れた残りの白身。さっと焼いて上に乗せただけだけど、写真がちょっとよくなる。
今日は入院している伯父の事を書きました。興味ないかたはスルーして下さいませ。最後にちょこっとにゃんズの写真あります。
昨日は仕事の帰り、入院している伯父を見舞いました。細い腕に点滴をしていて、そのためか顔色は前日よりは良かった。手を動かしたりは力強いけど意識的反応はない、という感じでした。
心理学を色々勉強する中で、死という事に関しても考える機会があり、死は生と同じくらい尊いこと、死ぬということは、産まれる事と同様に大切なことなんだ、というのは頭では理解したけれど、感情は別ですね。
ほぼ99歳の人が今世を去ろうというときに、祝福できずまだ居て欲しいと思う。今まで何度も生還したから、また奇跡起きるかなぁって思ってしまう。
親でもないし、正直介護が始まってから深く関わるようになっただけなのに。
と思うと、伯父のためではなく、自分のために自分のエゴで思っているだけなのかなぁ、人情だから当然だし、エゴもあるしね。って、思いは千々に乱れます。
終末医療って興味がありましたが、実際こうなるとまったく分からず。
意識があっても食べられないときは、点滴も辞めて、衰えて死ぬのを待つの?
栄養を入れるのを辞めるって、どのタイミングで決めるんだろう。家族が決めるんだよね? とか
最後は家でって思ってたけど、家で衰弱していくのを見守るのは辛すぎる
とか。餓死と自然死はどう違うんだろう・・・。
とか、答えはないけれど色々考えます。
死という大切な出来事を丁寧に受け止めていきたい。そして伯父のために丁寧に行動したいのです。
⬇なぜかとても狭い範囲に集まっておやつをもらうひとたち。こと、生き死にとなると、このひとたちは師匠だ。いつも本質と向き合っているからにゃ。何が大切か、よく分かっているのにゃ。