笑顔が
元気の源
倖せの種。
何でもできる・・・
何でもどうぞ・・・
どんなモノも・・・
それがメリットだと思っていました。
型にはまらない自由度って売りなんだ!って
会社の創業が大正の終わり・・・
会社の設立が昭和32年・・・
昭和時代の流れってそれがよかった?
それでよかった?のかもしれませんね
私が入社したのが(三村工業株式会社に)
平成3年・・・
告知活動をいうモノを全く?しないで・・・
日々の実践が営業活動に繋がっていた?
人をキーワードにした営業活動だけでよかった時代だった??
それがバブル時代というモノだったのかもしれませんね・・・
待ちの姿勢でよかった??
それは、お客様のニーズに何でも応えられる資質も求められた!?
結果、いい意味での何でもできる会社?(体質?)となって・・・
今に至っていると思います。
“いえづくり”というよりも“建物づくり”という感覚が強かった?
『安心』と『安全』を形に・・・
それは強固で重厚な箱や空間を造り上げるという部分の意識も強かった?
一つ一つを造り上げていく過程での思いは正確さや安定性というモノに比重が・・・
言葉のまんまソフトよりもハード?系タイプだったのかなぁって(今冷静に分析すると)
鉄筋コンクリート(RC)造の物件を数多く手掛けていたのもその成果??
ただ、幸いなことに設計事務所さんとのタイアップ(協働)もあったので・・・
その無骨さ?愚直さ?という部分をうまくカバーしてくれていた??事実も・・・