暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

本の感想3

2010-12-25 15:03:41 | Weblog

 『ルポ 貧困大国アメリカ』を書いた作者の『アメリカ弱者革命』を読んだが、気分が悪い。(『ルポ 貧困大国アメリカ』を読むよりましかと思ったのだが。)やりきれない、気分が悪い理由は、個々のアメリカ人は、「正しい行為をやっているつもり」であることである。正しさを信じながらの現実の人殺しが気分が悪い。

 バーシャルは、「正しいことをやっている、悪いことをやっているという意識は、その人がポシティブなことをやっているか、ネガティブなことをやっているかという説明にはなっていません」「ポシティブというのは、統合するエネルギー、ネガティブとは分離するエネルギー」と言っていますが。神の対話の説明で行けば、「ポシティブとは、私たちは一体であるという思考エネルギー、ネガティブとは、それぞれの個人が分離しているという思考エネルギーのこと」だと思う。

 

 ゲイの人の話は本当にかわいそうだと思う。ゲイの人が住んでいる町にいられなくなる理由は、「聖書には、男と女を作ったと書いてある。だから、ゲイはダメだ」ということのようである。そんなに聖書の言っていることが大事ですかね。「お互いに愛し合いなさい。それがただ一つの教えである」とある人は書いていました。しかし、人がお互いに愛し合うことを拒否する思想とは、一体それが何の正義であろうか。

 

 「自分だけがよければ、後は、どうでも良いのだ」という思想が気持ち悪い。何でお互いに愛し合うことが出来ないのでしょうか。

 

 本を読んでいて思ったけれども。イラク・アフガニスタンに派遣された人は、アメリカ人の中では、100万人ぐらいなものらしい。アメリカの人口は、3億はいるはずだから。アメリカ人口に占める、イラク・アフガニスタンに派遣された軍人の数は、0.3%にしかならない。だから、そういう人達の思いは無視しても良いという。「弱者のことなんか知ったことか。そんなことより、私の今日の金儲けの方が大事だ」という。増田悦佐さんの本とかを読んで、アメリカの金融エリート達は、最低でも年棒1億、トップは、年棒50億くらいのお金をもらって、失敗したら、全部、アメリカ政府につけをまわす。そういうことをやっているのは、分かっているのだが。キリストの教えはどこに行ったのだろう。「あなたがたの中の最も弱いものを助けなさい」という教えは。

 

 成果主義の行きすぎがいけないのは、「じゃあ、成果をあげられないものは、死ななければならないのか」という点だと思う。まあ、何でも、どんな思想でもやりすぎはいけないけれどもね。

 

 オバマ大統領は言いました。「ナチスを非暴力で止められたのか」と。しかし、なぜナチスが出てきたのかといえば、第1次世界大戦で敗戦国のドイツに対して、多額の賠償金を課したからでした。それで、ドイツは、ハイパーインフレになったのでした。「敵を見たら、それは、自分達だったのだ」と。(「あなたの敵を愛しなさい」とキリストは言ったはずなんですけれどもね。)

 

 どこかに、敵がいるのだ、という思想ではダメだと思う。アメリカ人は、「日本人は、問題を他人のせいにする人を信用しない」と考えているようですが。(結構、アメリカ人の中で、良く知られたらしい。)「敵は、自分達の他にある」という思想ではダメだと思う。すべてのことは、自分達自身が生み出したことだから。

 

 自分だけ、自分達だけが幸せだったら、それで良いのですかね。そこの所が、アメリカ人の考えのダメな所だと思う。共産主義の過激派のことを思い出します。「敵を殺せ」と言っていくうちに、共産主義者の中にも敵を探しその人達を大勢殺したという話をね。

 

 「共産主義崩壊」と言い、「その後、10年以内の資本主義は崩壊するであろう」と書いていた人がいたが。崩壊するのは、正義だと思う。思想も怖い。

 

 日本人は、リアリスト=現実主義者です。現実を見て、それで、考える。欧米人というか、宗教を信じる人達は、思想というか理論が先で、そこから考えるという感じ。理論とか思想というのは、現実が最初にあるはずだと思うのですけれどもね。

 

 他罰的。悪は他人にあると考える。自罰的。問題は自分達にあると考える。日本人の日本に対する悲観論は、日本人の自罰的思考形式が原因と思われるが。恐らくその方が正しい思考形式なのでしょうね。「敵は他者にあり」では問題は解決しません。

 

 「牧師の言うことさえ聞いていれば良いのだ。」「私、私達は正しいことをしているのだ。」と言って、他人の不幸を無視する。他者の存在の正しさを否定するのが、問題の原因だと思う。「みんな一生懸命頑張っているのだ」と。「何で、同じ地球上で争わなければならないのでしょうか」ね。自分達の正義だけを、正義だと考えるのは、危険だと思う。すべては相対的なものだ。絶対的なものだと何もないと。一つの思想・正義だけを信じるのか危険だと。この本だけを読めば、後は、読む必要のない本など存在しない。第3次世界大戦は、正義と正義の争いになるであろうといいたいが。しかし、すべての戦争はそもそも、正義と正義の争いなのだ。他者の正義を無視する思想が戦争を招くと。だから、韓国人が日本について何を教えていようと、中国政府が日本について何を教えていようと。その考えを、完全な過ちだといって否定してはならない。彼らには彼らの考えがあってそういうことをしているのだから。そういうことを否定するのは、とても危険だと思う。

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