貧困
貧困の問題について、本を書く人達は、『貧困は、家庭環境が原因だ』と書くけれども。本当は、本人の能力の問題ではないか。
『安心ひきこもりライフ』の作者がその本の中で、『勉強、運動、友情、どれも、出来ない人は、学校に行きたくなくなるのは、当然でしょう』と書いていたが。
学校では、『英語、数学、国語、理科、社会』を一生懸命教えて、美術と音楽については、あまり教えないが。それは、『英語、数学、国語、理科、社会』が、出来たら、お金を稼ぐのが、簡単になるが。美術と音楽が出来ても、お金を稼ぐのは、難しいからで。
貧困についての本を書く人が、両親ともアルバイトの家庭の子どもについて、『彼らになりたい夢を聞いても、「さあ、アニメを見る仕事とか、ゲームをする仕事とかないかな」とかしか言わない』と書いていたが。それは、その子どもが、学校の勉強が出来ないからで。学校の勉強が出来たら、もっと、具体的な、実現可能な夢はあると思うが。学校の勉強が出来ないから、『アニメを見る仕事とか、ゲームをする仕事』とかいう、実現不可能な夢しか語れない訳で。
「親はあまり関係ない」。本当は、本人の能力の問題だと思う。人は、自分にとって、実現可能な夢を見るのだから。
『バシャールなんて、嘘つきだ』と言っている人達が、大勢いるらしい。
『私の夢は叶わない』と思っている人達だと思う。そして、その考えは、その人達にとっては、現実な訳で。
『安心ひきこもりライフ』の作者がその本の中で、『人よりも努力して、人よりも、働けなかったら、働くのが嫌になります』と書いていたが。
『働かざるもの食うべからず』とか言って、『無職の人達ずるい』『ニートの人達ずるい』と言っている人達はいるが。引きこもりには、引きこもりの理由があって。『働く能力がない』と。そりゃ、お金があって、働かないでいられる生活が出来るなら、やりたい人は大勢いると思うが。大抵の無職とニートは、そんなに楽しい生活をしている訳ではない。本当は、『働く能力があるなら、働きたいよ』と思っている。だけど。働いたら、仕事で、怒られるから、嫌だ、と。
『楽しんで』働けるなら、大勢の人が働きたい、と。実際は、働く能力がなくて、職場の人に怒られるから、働きたくない、働きたくなくなる、と。
(続き)
家庭環境が、格差の原因だから、親から切り離して育てれば、格差はなくなる、という考えはある。ポル・ポトもそうだし。『カルト村』(ヤマギシ会の事らしい)もそうだが。だけど。
『カルト村で生まれました』の作者の妹さんは、大学院まで行ったらしい。この人の両親共に、大学に行った人だが。(卒業はしていないかも知れないが)。で、『カルト村で生まれました』の作者さん自身も、村の掟では、村が決めた本以外は読んではいけなかったのに、学校の先生と相談して、図書館の本をいくらでも読んで良いようにしてもらった、と書いていた。
結局、家庭環境は本人の能力にあまり関係ないと思う。学生の時間の4分の1ぐらいは学校にいるのだから。(ちなみに、3分の1は睡眠)。
バシャールからしたら、人口の1%ぐらいの人が、ワクワクすることをしたら、世界は変わるから、バシャールが、『ワクワクすることをしなさい』というのは、正しいのかも知れない。だけど。それが、全ての人にとって、正しい意見という訳ではないかも知れない、と。
『家庭環境が素晴らしければ、学校の成績が上がるはずだ』という事を言っている人達がいるようだけど。通信教材を親が買って、それを、放置する子どもは大勢いる。家庭環境はチャンス、機会なのだろうけれども。それを、みんな、使える、使う訳ではない。チャンスを生かすかどうかは、本人の問題、と。あまり貧困過ぎたら、チャンスも何もないのは確かだけれども。
(続き)
橘玲さんの、『言ってはいけない』的に言えば。「かっこいい人や美人の人からは、かっこいい子どもや、美人の子どもが生まれやすく、スポーツが得意な人から、スポーツが得意な子どもが生まれやすいのと同じ確率で、勉強が出来る親からは、勉強が得意な子どもが生まれやすい」と。『だけど。それは、社会的に言ってはいけない意見と言うことになっている』と。
『能力は同じでなければならない』という神話があるのだよね。本当はそんなことはないのに。
橘玲さんは、『親は学校教育という環境を与える事が出来る』と書いていたが。
しかし、人のブログを色々読んでいると。「良い高校行っても、そこで落ちこぼれて、ダメな人生を生きている人達、男性がいっぱいいるのだな」と。
本当の所は、良く分からない。親は、期待して、色々するが。子どもが親の期待にこたえられるかは分からない。
(続き)
しかし、本当に必要なのは、エネルギーだから。
この文章を書こうと思ったのは、“2ちゃんねるまとめのまとめ”で、『絵が下手なのが、コンプレックスだったので。絵の勉強をした。それで、絵が上手くなって、漫画家になりたいという夢が出てきた。で、絵が下手なので、絵が上手くなりたい。専門学校行くのと、大学行くのとどちらが良いでしょうか』という記事を読んだからで。
「下らない事言ってないで、真面目に勉強して、普通の大学行け」と思った。
「だけど、この人、勉強が嫌いか、苦手なのだろう」と。
「漫画の専門学校に行っても、上手いストーリーの書き方は教えてくれない。絵が上手くなれば、漫画家のアシスタントの仕事にはつけるかも知れないが」と。
「親に金ださせて、つまらない、選択をすべきではない」と。
本当は高卒で働くか、真面目に勉強して普通の大学に行って、それでも、漫画家になりたいというのなら、働きながら、漫画を書くべきだ、と思った。
漫画家になるというのは、そんなに簡単に実現出来る事ではないし。
この人には、その覚悟がなさそうだから。
『ワクワク』も一つのエネルギーだが。
「エネルギーがない人はダメ」。
会社が良い大学を出た人を採用したがるのは、良い大学を出たと言うことは、その大学に入る為に、一生懸命勉強をしたというエネルギーを買っている訳で。だから、スポーツ頑張っていても、企業は採用する。それは、それだけのエネルギー、情熱があったと言うことだから。「情熱がない人はダメ」。
まあ、『ワクワク』の英語表現は、エキサイトメントで、興奮だが。つまり、『興奮する事をやりなさい』と。『情熱を感じることをやりなさい』と。
(続き)
マスコミって、何で、『貧困は幸いなり』というのですかね。
本当は、豊かであることは、素晴らしいのに。
「貯金があると言うことは、素晴らしい事だよね」と思う。なぜ、それを否定するのだろうか、と思う。
『自転車操業』というが。ずっと、自転車をこぎ続けていたら、疲れてしまう。貯金があったら、途中休憩が出来る。
『何で、手形なんて使うの? 現金で取引すれば良いじゃない』は正しい。だけど。現金がなかったら、手形を使わざるを得ない。
『銀行員の夢は、トヨタの手形を切る事だ』とか言うことを書いてあったのを読んだ事があるが。「トヨタは、あまり手形を使わないかも知れない」と思う。現金がないから、手形を使う羽目になるのであって、現金がたくさんあれば、手形を使う必要はないよね、と思う。
豊かさを否定して、『貧しい者は、幸いなり』というが、それは、おかしいと思う。「本当は金持ちの方が、幸いではないか」と思う。
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貧困の問題について、本を書く人達は、『貧困は、家庭環境が原因だ』と書くけれども。本当は、本人の能力の問題ではないか。
『安心ひきこもりライフ』の作者がその本の中で、『勉強、運動、友情、どれも、出来ない人は、学校に行きたくなくなるのは、当然でしょう』と書いていたが。
学校では、『英語、数学、国語、理科、社会』を一生懸命教えて、美術と音楽については、あまり教えないが。それは、『英語、数学、国語、理科、社会』が、出来たら、お金を稼ぐのが、簡単になるが。美術と音楽が出来ても、お金を稼ぐのは、難しいからで。
貧困についての本を書く人が、両親ともアルバイトの家庭の子どもについて、『彼らになりたい夢を聞いても、「さあ、アニメを見る仕事とか、ゲームをする仕事とかないかな」とかしか言わない』と書いていたが。それは、その子どもが、学校の勉強が出来ないからで。学校の勉強が出来たら、もっと、具体的な、実現可能な夢はあると思うが。学校の勉強が出来ないから、『アニメを見る仕事とか、ゲームをする仕事』とかいう、実現不可能な夢しか語れない訳で。
「親はあまり関係ない」。本当は、本人の能力の問題だと思う。人は、自分にとって、実現可能な夢を見るのだから。
『バシャールなんて、嘘つきだ』と言っている人達が、大勢いるらしい。
『私の夢は叶わない』と思っている人達だと思う。そして、その考えは、その人達にとっては、現実な訳で。
『安心ひきこもりライフ』の作者がその本の中で、『人よりも努力して、人よりも、働けなかったら、働くのが嫌になります』と書いていたが。
『働かざるもの食うべからず』とか言って、『無職の人達ずるい』『ニートの人達ずるい』と言っている人達はいるが。引きこもりには、引きこもりの理由があって。『働く能力がない』と。そりゃ、お金があって、働かないでいられる生活が出来るなら、やりたい人は大勢いると思うが。大抵の無職とニートは、そんなに楽しい生活をしている訳ではない。本当は、『働く能力があるなら、働きたいよ』と思っている。だけど。働いたら、仕事で、怒られるから、嫌だ、と。
『楽しんで』働けるなら、大勢の人が働きたい、と。実際は、働く能力がなくて、職場の人に怒られるから、働きたくない、働きたくなくなる、と。
(続き)
家庭環境が、格差の原因だから、親から切り離して育てれば、格差はなくなる、という考えはある。ポル・ポトもそうだし。『カルト村』(ヤマギシ会の事らしい)もそうだが。だけど。
『カルト村で生まれました』の作者の妹さんは、大学院まで行ったらしい。この人の両親共に、大学に行った人だが。(卒業はしていないかも知れないが)。で、『カルト村で生まれました』の作者さん自身も、村の掟では、村が決めた本以外は読んではいけなかったのに、学校の先生と相談して、図書館の本をいくらでも読んで良いようにしてもらった、と書いていた。
結局、家庭環境は本人の能力にあまり関係ないと思う。学生の時間の4分の1ぐらいは学校にいるのだから。(ちなみに、3分の1は睡眠)。
バシャールからしたら、人口の1%ぐらいの人が、ワクワクすることをしたら、世界は変わるから、バシャールが、『ワクワクすることをしなさい』というのは、正しいのかも知れない。だけど。それが、全ての人にとって、正しい意見という訳ではないかも知れない、と。
『家庭環境が素晴らしければ、学校の成績が上がるはずだ』という事を言っている人達がいるようだけど。通信教材を親が買って、それを、放置する子どもは大勢いる。家庭環境はチャンス、機会なのだろうけれども。それを、みんな、使える、使う訳ではない。チャンスを生かすかどうかは、本人の問題、と。あまり貧困過ぎたら、チャンスも何もないのは確かだけれども。
(続き)
橘玲さんの、『言ってはいけない』的に言えば。「かっこいい人や美人の人からは、かっこいい子どもや、美人の子どもが生まれやすく、スポーツが得意な人から、スポーツが得意な子どもが生まれやすいのと同じ確率で、勉強が出来る親からは、勉強が得意な子どもが生まれやすい」と。『だけど。それは、社会的に言ってはいけない意見と言うことになっている』と。
『能力は同じでなければならない』という神話があるのだよね。本当はそんなことはないのに。
橘玲さんは、『親は学校教育という環境を与える事が出来る』と書いていたが。
しかし、人のブログを色々読んでいると。「良い高校行っても、そこで落ちこぼれて、ダメな人生を生きている人達、男性がいっぱいいるのだな」と。
本当の所は、良く分からない。親は、期待して、色々するが。子どもが親の期待にこたえられるかは分からない。
(続き)
しかし、本当に必要なのは、エネルギーだから。
この文章を書こうと思ったのは、“2ちゃんねるまとめのまとめ”で、『絵が下手なのが、コンプレックスだったので。絵の勉強をした。それで、絵が上手くなって、漫画家になりたいという夢が出てきた。で、絵が下手なので、絵が上手くなりたい。専門学校行くのと、大学行くのとどちらが良いでしょうか』という記事を読んだからで。
「下らない事言ってないで、真面目に勉強して、普通の大学行け」と思った。
「だけど、この人、勉強が嫌いか、苦手なのだろう」と。
「漫画の専門学校に行っても、上手いストーリーの書き方は教えてくれない。絵が上手くなれば、漫画家のアシスタントの仕事にはつけるかも知れないが」と。
「親に金ださせて、つまらない、選択をすべきではない」と。
本当は高卒で働くか、真面目に勉強して普通の大学に行って、それでも、漫画家になりたいというのなら、働きながら、漫画を書くべきだ、と思った。
漫画家になるというのは、そんなに簡単に実現出来る事ではないし。
この人には、その覚悟がなさそうだから。
『ワクワク』も一つのエネルギーだが。
「エネルギーがない人はダメ」。
会社が良い大学を出た人を採用したがるのは、良い大学を出たと言うことは、その大学に入る為に、一生懸命勉強をしたというエネルギーを買っている訳で。だから、スポーツ頑張っていても、企業は採用する。それは、それだけのエネルギー、情熱があったと言うことだから。「情熱がない人はダメ」。
まあ、『ワクワク』の英語表現は、エキサイトメントで、興奮だが。つまり、『興奮する事をやりなさい』と。『情熱を感じることをやりなさい』と。
(続き)
マスコミって、何で、『貧困は幸いなり』というのですかね。
本当は、豊かであることは、素晴らしいのに。
「貯金があると言うことは、素晴らしい事だよね」と思う。なぜ、それを否定するのだろうか、と思う。
『自転車操業』というが。ずっと、自転車をこぎ続けていたら、疲れてしまう。貯金があったら、途中休憩が出来る。
『何で、手形なんて使うの? 現金で取引すれば良いじゃない』は正しい。だけど。現金がなかったら、手形を使わざるを得ない。
『銀行員の夢は、トヨタの手形を切る事だ』とか言うことを書いてあったのを読んだ事があるが。「トヨタは、あまり手形を使わないかも知れない」と思う。現金がないから、手形を使う羽目になるのであって、現金がたくさんあれば、手形を使う必要はないよね、と思う。
豊かさを否定して、『貧しい者は、幸いなり』というが、それは、おかしいと思う。「本当は金持ちの方が、幸いではないか」と思う。
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