本当の”ポシティブ”(肯定的)って何だろう。
バーシャルは、「ポシティブとは、統合するエネルギー、ネガティブとは、分離するエネルギー」と言っています。
苫米地英人さんは、「抽象度を上げること」だと書いています。つまり、私が大事から、私の家族が大事、それよりも、私達の市が大事、それよりも、この国に住む人達の幸せ、それよりも、この地球上に住む人達の幸せ、それよりも、この地球に住む、すべての生命体の幸せ、という風に、抽象度を上げた人の幸福を考えられるようになることが、大事である、と書いています。
ちなみに。苫米地英人さんの夢は、「この地球上に住む、全人類が差別も争いごともなしに、幸福に暮らすようになること」だそうです。
ポシティブが統合的なエネルギーだというのは、つまり、「全人類が、この地球上に住むすべての生命体の幸福のことについて、考えるようになれば、この地球上は天国になる」ということなのではないか、と思うのですが。
戦争はくだらない。自分の国の利益を得るために、他国の人の幸福なんて、どうだって良いという人達が起こす行為なのだから。
まあ、死刑判決もある意味ばかげていますけれどもね。「悪いことをした人間だから、その人を殺しても良い」という考えなのだから。
それはともかくとして。そう考えてみると、「本当の意味で、ポシティブな人は少ない」ことが分かります。
中国脅威論を唱えている人達は一体何を考えているのだろうかと思います。
私は常に、「中国人だって、先進国のようになりたいだろう」と思います。なんで、中国が先進国(日本人)のようになろうとしたら、脅威なのだ? ちなみに。経済をゼロサムゲーム(双方を足したら、合計0)のように考えている知識人とかの人が大勢いるが。何を考えているのだろう、と思う。経済はゼロサムゲームではないはずなのに。中国の経済発展は、日本の利益になるはずなのに。それを信じられない人が大勢いるということで。
苫米地英人さんは「他人の不幸は蜜の味」という人は少数であろう、と書いていますが。しかし、「中国の経済発展は脅威である」という主張をする人が大勢いることを思うと。人類の多数派は、「他人の不幸は蜜の味」という人達なのではないかと思えてなりません。
まあ、彼ら、知識人だって、「日本人の幸福」(日本に住む人達の幸福)は考えているようなので。そんなに、非難するほど、ネガティブではないけれどもね。世界には、「同じ部族の幸福」しか考えられない人達も大勢いるし。同じ地域に住む人達でさえ、「あの人達は、違うカーストの人達だから」と思って、その人達の不幸については、全く無頓着な人達は大勢いるからね。
何度でも言うが。世界のすべての人達が、「この地球上に住むすべての生き物の幸福」を考えられるようになれば、この地球上は、天国になるであろう。
まあ、そういうお話なのだと思う。