ちょびっと♪日記

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「相棒-シーズン10-」初回二時間SP

2011-10-26 | ドラマ「相棒」



『相棒ten』初回二時間SP、見ました。



ちょっと久しぶりにぞくっとした。
映画及びシーズン9を経て、『相棒』も新しいテーマに向かっていくんだろうか。
特命や杉下右京を飼い慣らそうとしながら結果的に守る立場にいた小野田を失った今、ある意味本当の『二人だけの~』(プレシーズンのサブタイトルである)に戻ったとも言えるシーズン10。

脚本は初回や最終回、元日SPの常連、輿水氏。
はずさないなあ、やっぱり。という印象。
輿水氏と和泉氏はもはや『相棒』の世界観そのものかもしれないと思うときがある。
それ以外の回は、どこにも繋がらないただのお遊び的要素や、キャラクターの描写のためだけの小道具が時々使われるが、今回はとにかくそういう無駄がないのにも関わらず2時間きっちり見せてくれた。
ついで見できずガン見していないと何か見逃すかも…と思ったほど。

何度かぞくっとするシーンがあったが、一番キタのは冤罪で服役して出所した直後に自殺した男の遺書を、その母親が見た時の神戸とのやりとりのシーンだった。
遺書には神戸を絶対に許さないと書いてあった。
誰もがそれを逆恨みだと思っていた。
裁判当時もだれもその男の言い分を信じなかった。
誰もが彼を犯人扱いした。
男に付きまとわれた挙句殺された被害者の女性を助けようとした神戸の証言を誰も疑わなかった。

神戸の偽証を知っていたのは唯一、神戸自身。

それは最後に相棒・杉下によって暴かれる。特命係のあの部屋で、神戸と杉下、二人のときに。
その瞬間まで神戸が裁判で小さな偽証をしたことは視聴者には知らされておらず、当然私も母親と神戸のシーンでは知り得なかったのだけど、特別な細工のあったシーンでもないのに背筋がうすら寒くなった。
神戸は「正義なんて簡単に歪められると知りましたから。」とそこで口にしたけど、その台詞のせいでもないようだった。
もう一度見直して見たけど理由は分からない。演技とかそういうのじゃなくて空気感みたいなものだと思う。
ただその同じ感覚は、杉下が神戸に自ら偽証を告白させたとき、大河内と神戸が偽証の件について語ったときにもあった。

贖罪とはなんだろう。
償いたい相手はいない、時効も成立している。それでも神戸の中に生まれ始めた正義は贖罪を求めるのかもしれない。いつ終わるともしれないのに。

大河内は言った。
「お前が有罪にしたわけじゃない。判決に影響が出るような嘘じゃない。
 誰も信用しなかった。みんなそうだった。今だから思えることだ。
 友達が殺されたんだ、憎むのは当然の感情だ。」
神戸は
「警察官だったのに。俺は警察官だったのに。」と言った。

誰も信用しなくても、誰もが犯人だと決めつけていても、憎むのが当然の感情だったとしても―飽くことなく真実を追求する警察官の姿は、やっぱり杉下右京を見せているんだろう。
何も変えられなくても全力を尽くす勇気、かぁ。深いなあ。深くて強い。

神戸くんと杉下さんの今後の関係性が気になるところだけど
シーズン10の初回でこんなん打ち出して、後に続く脚本家さんたち、大丈夫かな。

そしてとうとうたまきさん(杉下の元妻・益戸育江)が『花の里』(店)を閉めてどこかに行ってしまった。
亀山夫妻がいなくなり、たまきさんがいなくなって初期のレギュラーは捜査一課トリオと鑑識さん、あと暇か?の人くらいになってしまった。刑事部長とか煩い上司は置いておいて。
途中ゲスト出演だったはずの大河内がレギュラーに出張ってきてますが。
なんか杉下さん、ぼっち。
唯一の相棒・神戸くんにも厳しさで接するし、すごーくひとりぼっちだ。
亀山の粗野だけど正しさを愛する純粋さ、みたいなものが神戸くんにはないもんな。
なんとなく処世術を身につけた狡猾さを感じさせるキャラクターだから、杉下さんとは対峙する印象が強いのか。

『相棒ten』どこへ行くのか。見届けねばなるまい。



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