あすなろ

塾長日記

親切な人

2015-02-24 07:52:24 | Weblog
退院してどうするかと考えておいたときに取り急ぎケアーマネに相談しようと思って入院中の病院にケアーマネージァーを呼んだ。彼女が手配してくれて退院した次の日から、ヘルパーさんが来てくれた。倒れた僕の部屋を見た人は2人くらいいるし札幌の友達は一生懸命片づけてくれたけれど、次の日このケアマネさんとヘルパーさんの掃除はこれぞプロというのだった。どうしてああなったかと説明しようとしたけれど、3か月の入院して思うのだけれども、説明したり自分の精神状態を分析したところで聞く方は困っちゃう。人生は行動のみなんだね。落ち着いたら今回のお世話になった人たちにお礼の行脚にいこうとおもっていねる。けど今は思ったより体が不自由だ。今朝足の手当てをして、コーヒーをのもうとしたらいつもテーブルの上で転がっているドリップがない。もしやとキッチンに行くとドリップがきれいに洗ってある。ドリップなんか洗ったことがない。きたねぇー。毎日10枚は出るタオルの洗濯の中に包帯もあらってあった。自宅ではこの包帯で十分じゃないか。昨日はケアマネさん病院に行って私の栄養状態を聞きに行ってくれた。
何日か前、空腹で死にそうになった。みんな糖尿だから仕方ないというふんいきだったけれど、本当につらかった。訪問看護師さんも逆に低血糖を心配してくれた。もう我慢できないでホットケーキミックスしかないので水で溶かしてて食べたというと。ケアマネさんがヘルパーさんにお金を渡してくれて今バナナと食パンがある。

後は根気よく

2015-02-23 22:34:21 | Weblog
風呂でも後の人を気にしないで入るということはなんと素晴らしいことなんだろうと思いますね。風呂から出て乾燥肌のひび割れにクリームを塗るとにかく
感染症防止大作戦。結局は自分の身は自分で守らなくてはね。
東京大空襲の時両腕を火傷した妹が痛がるで土に埋めて冷やしたら破傷風菌で死んでいったと昨日の新聞に載っていた。かわいそうだな私なんぞ最新の病院で3か月だってもまだ傷口が完全ではないのに栄養も不十分な70年前の当時の家で直らないうち
壊疽を起こすな。それにしても完治に時間がかかる


あらしの後で 

2015-02-22 21:39:54 | Weblog
生きることが分からなくなった。何か答えを得るかとも思った。

足が退院してどんどんダメになってきた。3か月の入院は足の筋肉を奪っていっていた。そういう生活の中では、教会にいくというのはなんとも楽しみなことだ。そうして教会に行くと皆さんが声をかけてくれる。これだけで心が温まる。私の塾には30年いじめがなかった。どんな生徒にもみんなが声をかけてくれる。今2度の大病で生きることに自信を失っている身にはこの優しい言葉が響く。今週の予定の中にYさんの家の家庭でのお祈りが出ていた。前回一度いってそこでの人たちからYさんの家で会いましたねとお見舞いの色紙に書いてあった。行きたいと思ったけれど中学生のように自分からは言い出せなかったら、Yさん夫婦から、家に帰ってからは牧師さんからまで電話をいただいた。人はこんな小さな思いやりで元気になって行くものなのですね。

教会に行くまで

2015-02-22 20:26:38 | Weblog
2/22ヘルパーさんで台所も完璧にきれいになっているのでコーヒーカップひとつ汚しておけない。部屋は倒れる前のようなことには今後決っしてならないだろう。
2014年1/14私は脳内出血を起こして入院した。まわりのベッドの人は亡くなる人もいるし半身不随になっていったのに、私は麻痺もなく命もあって職場に復活した。しかし受験も終わっていて30年間塾をやってきて生徒は初めて誰も来なかった。行くところのない日々、誰も私を必要としていない。どうしていいかんわからないまま,近くの教会に行った。
生きることが分からなくなった。何か答えを得るかとも思った。

包帯が高すぎる

2015-02-21 19:44:40 | Weblog
やっぱり足が不自由なおじさんになってしまいました。歩くと途中で足が痛くて歩けなくなってしまうのですよ。今までは小田急方面にしか出たことがなかったのですが、病院が田園都市線だからどうしてもつくしのとか田園都市線方面に行くことになりますね。人生も仕事も違う道を歩き出すのだからこんなものでしょう。それにしても足が再び膿んだらおしまいだから一日2回以上足を洗って2回は治療します。2回も訪問看護婦を呼ぶにはいかないけれど1回は自分で治療しますね。ところが包帯とかガーゼとかこれだけ交換すると金が大変金が大変だけれど交換しないわけにいかないから、ほとほと困っていると包帯とかガーゼを差し入れてくれる人がいた。食べ物は低カロリー食が2回配達される。やはり大病から教会に行った人が多くてひじきとかきんぴらとかの差し入れも教会関係者からあった。持ってきてくれたのは牧師さんだった。後ロールパンを20個くらい差し入れがあった。これを一つまた紅茶で大音量で好きなテレビを見ていると幸せですわ。こういう日が来ることを待っていた。辛い入院体験がこのくらいの自由でも私を幸せな気持ちにさせる。それにしてもヘルパーさんはすごい。

踵があってよかった

2015-02-21 07:07:04 | Weblog
それにしてもつらい入院生活でその2年前より始まっていた、生活破壊、退院したらこうするぞというのはあった。もうだめだと思ったときはたぶんおしまいだと思ったから入院中できることを一つずつやってきた。今日は朝4時に目覚めた。好きな時間にテレビを見ながら紅茶を飲む。幸せだなぁと思う。そこで見たテレビにNHKの小さな旅があって津軽鉄道をやっていた。ただあけても暮れても雪かきの毎日こういう番組はさわやかだねぇ。俺も頑張ろうってね。雪かきなんかできないけれど、この後NHKは宮尾登美子をやっていた。26年間売れなかった宮尾登美子は本心を語りだす。これでヒットする。わたしのブログもこれだね、もう時効なことはガンガン書く。
今日は午後2時に訪問看護師さんが来て、足のチェック、少し変だと僕の担当医にスマホで写真を送ってくれる。足の切断面の治りが遅くてね。血糖値を下げるしか方法がない。歩くとまだジュクジュクしてくるしかし歩かなくては生きていけない。かかとがあってよかったよね。全部車いすだったら生活なんかできなよ。

わたしには夢がある)

2015-02-20 14:29:01 | Weblog
新幹線が金沢まで行くからJR東日本のCMが多いその中に女性運転手が新幹線をを運転しているものがある。見る度に
『あっカブちゃんだ』と叫ぶ。カブちゃんは今福島の名のなき村でアッごめん名はあるか。新幹線の運転手になるべく特訓をしていて、僕が入院中淋しいから不自由な手で手紙を書いたら福島からお見舞いに来てくれた。昔の生徒だ。うれしくて引き止めちゃったけれど南町田を夜9時くらいに帰ったから福島まで帰れたのか。あの勉強好きなカブちゃんが勉強がつらいといっていたから大変だなと思った。俺たちが若いころはJALなんて言ったらエリートオブエリートでJR国鉄といえばえっ国鉄というようなものだった。今はあの赤字だった国鉄がスーパーエリート会社になってしまった。
しかし時速200キロも300キロも出る列車を操縦するとはどんなことなんだろう。彼女が合格して新幹線を運転するとき、私は乗りたいと思う。このブログを読んでカブちゃんを知っている人も知らないけれど興味ある人そのたびに行く人募集します。
退院最初の夢です。

幸せになりたい

2015-02-19 20:29:11 | Weblog
水曜日は寒かった。昨年脳内出血を起こした日はこんな寒い日だった。高血圧が発症の原因というがこのとき私は救急車の中で血圧180くらいであった寒くて低い100くらいの自分が寒い外からスーパーに入った瞬間暖房で180くらいになって一気に80も血圧が跳ね上がったので血管がブチ切れたという次第であるから2回ほど玄関まで行ったのだけれども外出は止めた。そのためにまったく食い物のない家で一日耐えていた。木曜日、なぜか教会の牧師さんがスリリンゴだのきんぴらだのの缶詰を大量に届けてくれた。紅茶と森永のビスケットを買ってきてⅠから2枚食べただけで幸せな気持ちになる。テレビを大音量で好きな時間に好きなだけ見て、眠くなるからねる。こんなことが何と幸せなのだろう。日曜日には南町田のグランベリーに行ってパン食べ放題と持ち帰り放題1500円に参加する。そういうことを言ったらそんなことをして大丈夫という人がいる。自分の体だ自分で管理するさ。病気のつらさは自分が一番知っている。頑張ろうとかいうのでなく幸せにもうなりたい『もうの副詞がいいですね』

夜が明けたら 9

2015-02-18 22:40:46 | Weblog
退院したら塾も廃業したことだし、エッセイでも書きながらノンフイックション大賞でも狙ってみようかしらと思っていました。夜九時に消灯されてじっとベッドの中で文章考えていましたよ。
『寝たきりの分岐点』3か月入院をした。まわりのベッドの人が手術をして部屋に帰ってくるとどんどん寝たきりになる。それは歩かないからだけでなく、食事まで看護師さんが食べさせてくれる。体を拭いてくれる。しっかり話ができた人がボケーとしていくのは本当に怖かった。私は手術してすぐに病院中を歩き回って廊下に血を垂らして何度も怒られた。売店に行って新聞を読んだ。看護師さんはそれでもプロだけれど、家族はひどい。何時間もベッドの横にいて、あれがほしいかこれを買ってくるねと世話を焼きすぎる。家族が看護婦さんにトイレといってますがと世話を焼く。面倒を見ているつもりで患者を寝たきりにさせていく。それなりにリハビリをして退院してきたが、筋肉の衰えは想像以上で今、とても駅まで歩けなくなっている。こんなの車いすになったり電動車いすになったらもう筋肉は抜け落ちてしまうだろう。

夜が明けたら8

2015-02-18 18:36:26 | Weblog
入院もいいなと思ったのは最初だけ、今回は不自由な生活にいらだった。夜7時から朝7時まで何にも食えない。甘い暖かい紅茶さえ飲めない。夜九時消灯じゃない。
ほんとうつまらなかった。文句ばかり言っているまわりのベッドの爺と一緒になっちまった。退院してから調べるとやはり脳内出血が引き金になっているんだね、脳卒中を受けた患者はその後2~3年で死んでいる。命が助かったとか言っているけれどもう一度なんかが来たらおしまいだ。部屋にもいたけれど食事も3食点滴じゃつまらないだろうな。死ぬのを待っているんだから、オイラは嫌だね。幸せにろぅぜよ。