あすなろ

塾長日記

命をかけてについて

2009-04-18 20:09:44 | Weblog
命をかけてについて
作家の宮崎学はその著書『突破者』の中で学生運動の時『革命に命をかける』なんて言ったけれど今思うと命なんかかけてなかった
社会に出て会社経営をしてみるともう夜もほとんど眠れないし、物の味なんかしないしそれはすざましいものだと書いています。ボクの妹はライターなんですけれど仕事で何日も眠らないで書きあげたとき、学生時代あのくらい集中して勉強したら東大にも入れたかもと言っておりました。とにかく真剣に物事に取り組まないと決めたことはやり遂げられない。逆にいえば決意をしてやり遂げる気力をもてば鬼神も道をあけると思うんですよ。
昨日、ゴミのことでボクと怒鳴りあいをしたジィさんはその奥さんの後ろに隠れて顔を合わせないようにしています。
バカヤロウ。中途半端ならケンカ売ってくるなよな。
本当にボクはこの自分が育ててきた組織に命を賭けているんだかんね。



仕事について 友情について

2009-04-18 15:59:54 | Weblog
仕事について
先日、有名な中華料理店の二代目になった昔の生徒がやってきて
メニューを英訳してくれと言ってきた話はすでに書いた。できないというとなんでだよ。簡単じゃないかという。お金をもらわなくちゃできないというと、ケチという。ボクが考えるのに仕事というのは責任が伴うと思う。もし間違えていてトラブルになったとき、無料の上に責任を取らされることはあり得ないと思うのだが
昨日、近所のゴミばかり拾っているジィさんが教室に乱入してきてこっちは遊んでいるんじゃないんだからといったら俺だって働いているといった。働いてなんかいない。もう一度書くけれど仕事というのは報酬をもらうけれど、責任を伴うものだと思う。
一日の時間の使い方も分からず、ゴミを拾って思いつきで、別に迷惑もかけていないのに、楽しそうな笑い声の漏れている仕事中の教室に、話すこともないから乱入してきて、ゴミの捨て方なんかのクレームをつけられても、一生懸命生きている人生の先輩という気にはならない。
友情について
子供達は迷惑をかけられている、あるいは意地悪をされている奴のことまでも友達という。それは友達じゃなくて知人だろうといつも僕は言う。先日も新しい学校に入った子がやってきて友達が11人で来たという。友達の定義は何なのだろう。
メル友なんていうのもそうだよね。1~2回メールを交換して友達なんてね。ありえない。