日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

キンモクセイが香る、ギンナンがにおう秋

2015-10-17 07:24:11 | 編集手帳

10月11日 編集手帳

 

 終戦の8年後、
1953年に大相撲のテレビ中継は始まった。
「それからですね、
 土曜日曜が必ず『満員御礼』になったのは」。
昭和の名横綱、
初代若乃花の花田勝治さんが述懐している。

それ以前は「よく入ったときで半分そこそこ」だったという。
『昭和史が面白い』(半藤一利編著、文芸春秋)から引いた。
戦前のラジオ放送開始のときも観客が急増したと、
こちらは往年の名解説者、
元関脇出羽錦の奈良崎忠雄さんが同じ本で語っている。

観戦の疑似体験が実体験への渇望を呼び覚ましたのだろう。
書物や映画でふれた風物を求めて旅に出る人もいる。
そうかと思えばパソコンやスマホを眺めるばかりの若者もいる。
昔ながらの媒体に比べ、
実体験に誘(いざな)う働きがインター ネットは強くないのかもしれない。

先週の日曜ときょうの本紙に作家の椎名誠さんが登場している(一部地域を除く)。
先週の記事で、
ネットやテレビではわか らないものがあると話していた。
「それは、
 においなんですよ」

少し外に出るとわかる。
キンモクセイが香る。
ギンナンがにおう。
現実の世界でしか味わえな い秋が確かにある。

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オランダ ガス採掘で地震多発

2015-10-16 07:30:00 | 報道/ニュース

10月7日 キャッチ!


オランダ北部フローニンゲン。
のどかな風景が広がるこの地域がたびたび地震に見舞われるようになったのは20年余前からである。
年間10回前後の地震が観測されている。
地震の規模を示すマグニチュードは2~3と比較的小規模だが
震源は深さ約3kmの浅い地点に集中し
住宅地に近接しているため地元の自治体では17万を超える世帯で家屋などに被害があったとみている。
この地区に暮らすヘル・バリンクさんもたびたび強い揺れを経験してきた。
「地震が起きたとき妻は棚を必死に抑えていました。
 揺れて煽れそうで怖かったです。
 採掘のせいで地盤が沈み建物にひずみができてしまいました。」
少しずつ地盤沈下も進んでおり
この地区の多くの世帯で家の床が傾いたり壁にひびが入ったりする被害が起きていると言う。
地震の原因とされるのが天然ガスの採掘である。
フローニンゲンの地中にヨーロッパ最大の埋蔵量のガスが確認されたのが1959年。
以来 オランダ政府と資源メジャーが共同で運営して採掘を続けてきた。
収益は政府の重要な財源である。
1980年代からガス田を調査してきた専門家はこの採掘と地震との因果関係を指摘する。
(地震専門家 エスロ・エバース博士)
「フローニンゲンの地図とこの5年間起きた約400回にのぼる地震の記録です。
 ガス田周辺に集中しています。」
エバース博士の考える地震発生のメカニズムは
地下約3kmのガス層から継続して大量の天然ガスを採掘したためにガス層そのものが縮む。
これにより地中の圧力に変化が生じ周囲の断層にずれができて地震となる。
海に近い低地に位置するフローニンゲンの地質は水分が多くて柔らかい上震源が浅いことから
揺れが増幅して地表に伝わりやすいと考えられている。
エバース博士ら専門家は3年前に
このままではマグニチュード5クラスの規模の大きい地震が起きる可能性を指摘した。
これを受けて政府はガス採掘と地震発生の因果関係を初めて認めたうえで
この2年間でガスの生産量をほぼ半減。
さらに被害の補償に応じることを決めた。
(ガス採掘運営会社 広報官)
「採掘が自信の原因で住民に迷惑をかけたことは認識しています。
 ガス減産は供給不足と国の減収につながりますが住民の安全が優先です。」
ガスの減産にもかかわらず地震はいまも続いており住民の不安は収まっていない。
地元のスロフトレンのテンブリング町長は住民の家を回って被害の現状や訴えを聴いている。
(被害住民)
「地震で天井が動いて壁にヒビが入りました。」
テンブリング町長はフローニンゲンの他の自治体とともに
ガス田を運営する政府に対し集団住民訴訟を起こした。
ガスのさらなる減産と住宅の耐震工事など保証の拡充を強く求めていく考えである。
(スロフトレン テンブリング校長)
「ガス田はオランダ経済を支えてきました。
 我々はその貢献に見合う措置を求めています。
 お金を求めているのではありません。
 安全を返してほしいだけなのです。」


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福も人も呼ぶ招き猫に感謝

2015-10-15 07:30:00 | 報道/ニュース

10月7日 おはよう日本


瀬戸物で知られる愛知県瀬戸市は
明治時代 日本で初めて招き猫を磁器で量産した。
年に一度 街中が猫だらけになるお祭りがある。
その名も「招き猫まつり」。
約100年前から招き猫が作られ名産品として親しまれてきた。
いまも多くの陶芸家が招き猫を作る全国有数の産地である。
招き猫の街として町おこしをしている瀬戸市。
街のいたる所で猫が手招きをしている。
招き猫まつりの知名度が一気に上がるきっかけとなった“ネコメーク”。
ある1人の発想から始まった。
瀬戸市内で美容室を営む大竹路恵さんは
招き猫を祭るだけだったお祭りをもっと盛り上げられないかと考えていた。
(大竹路恵さん)
「街が元気になることが一番必要。
 そのために瀬戸に人を集めたい。
 人を瀬戸に呼ぶ。
 私の仕事で貢献できること
 メークというかたちで。」
自分たち自身が招き猫になって瀬戸に人を呼び込もう。
こうして始めたネコメークが話題になり参加者は年々増えていった。
招き猫まつりの当日。
この日を待ちわびた人たちが大勢瀬戸に押し寄せた。
みんなのお目当てはネコメーク。
誰でも無料でメークを受けられるとあって1時間待ちの大盛況である。
自らも猫になりきった大竹さん。
ひとりでも多くの人に猫になってもらいたいと大忙しである。
メークを手伝うのは大竹さんの思いに共感した110人の学生ボランティアたち。
ネコメークを始めて10年。
このために遠くからやってくる人たちもいる。
「神戸から来ました。」
「タイでーす。」
大人も
赤ちゃんも
みんな猫に変身。
(大竹路恵さん)
「ネコメークで笑顔になる。
 いっぱい幸せな猫ちゃんを街に出すと瀬戸の街が服を招いている
 招き猫まつりなんだなと実感する。」
普段は人通りもまばらな商店街も人々が繰り出して活気が満ち溢れる。
買い物やそぞろ歩き。
2日間で4400人の猫たちが瀬戸の街を思い思いに楽しんだ。
街に人と元気を呼び寄せたい。
その思いがいま瀬戸の街にたくさんの笑顔を招いている。

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破壊続くパルミラ遺跡を守れ 取り組み始めた日本人研究者

2015-10-14 07:30:00 | 報道/ニュース

10月6日 おはよう日本


奈良県立橿原考古学研究所 元副所長 西藤清秀さん。
奈良ともゆかりが深いシルクロードの文化財を研究し
パルミラ遺跡については国内の第一人者である。
「シリア砂漠の薔薇」と称されたパルミラ遺跡。
紀元前1世紀~3世紀にかけて栄えたシルクロードの交易として
荘厳な柱が並ぶベル神殿には世界中から観光客が訪れていた。
西藤さんは発掘調査隊の隊長として現地を繰り返し訪れ地元の研究者とも交流を深めてきた。
(西藤清秀さん)
「年代を示す大きな神殿
 西アジア式の神殿が残っているのはパルミラだけですし
 魅力ある遺跡だと思う。」
しかしシリアでは4年ほど前から内戦が激化。
今年に入ってからはISが勢力を拡大し現地調査が不可能になった。
さらにISはこれまで貴重な文化財を破壊してきた。
偶像崇拝を厳しく禁じるということだけでなく
取り去った文化財を資金源にしていると言われている。
そのISが今年5月パルミラに侵攻した。
国連の機関が公開したベル神殿の衛星写真
8月27日撮影した写真には本殿などが写っている。
しかし4日後の31日では建造物が無くなっていた。
事態が悪化するなか西藤さんの元に衝撃的な知らせが届いた。
長年親しくしてきたパルミラ遺跡の研究者ハリド・アスアドさんが殺害されたというのである。
“非常に悪いニュースを教えます
  ハリド・アスアドがきょうISによって殺された”
アスアドさんはパルミラ博物館の元館長で
半世紀以上にわたってい席の研究を行い
古代遺跡の解読するなど成果を上げてきた世界的な歴史学者である。
西藤さんとは20年以上にわたって親交があった。
(西藤清秀さん)
「もう残念しか言いようがありません。
 残念 無念。
 本当に腹が立つというか。」
西藤さんの元に届いた情報ではアスアドさんは被害を避けるため
パルミラ遺跡の文化財を別の場所へと移動させていた。
ISが迫りくるなか息子たちは安全な場所に逃げようと声をかけたが
アスアドさんは1人現地にとどまり
その2日後ISに拘束されたというのである。
(西藤清秀さん)
「留置されて文化財のありかをしゃべるよう強制されて
 それをしゃべらないから殺されたという話は聞いています。
 非常にパルミラを愛する人間ですので
 パルミラを見殺しにしたくないという思いはあったのだろう。」
アスアドさんの思いを受け継ごうと西藤さんは欧米など10カ国以上の研究者に呼び掛けた。
パルミラ遺跡の問題を話し合う国際会議を12月に隣国のレバノンで開こうというである。
会議はパルミラから他の場所に避難させた文化財を外国に移す方法を検討するほか
失われた文化財の復元を目指し各国の研究者が持つ情報を共有するのが狙いである。
さらに歴史や考古学に関係する期間を回り活動への募金を呼び掛けている。
この日は日本の古代文化について調査研究する施設を訪れ協力を呼び掛けた。
「シリアの文化財救済の支援をしようと思って寄付金を募っているものですから。」
(万葉文化館副館長)
「興味は持っていただけるんじゃないかなと思います。
 ぜひ積極的に協力していきたい。」
(西藤清秀さん)
「遺跡は人間が生きてきた証しを残してくれている場所ですし
 アスアドが愛したパルミラを現実には戻らないけれども
 できるだけ彼の見た世界に戻せるよう努力していきたいと思います。」
太古から人々が守り伝えてきた歴史の証し。
その灯を絶やさないという決意を秘めた取り組みが始まっている。

 

 

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ファインバブル革命 

2015-10-13 07:15:00 | 経済フロントライン

10月3日 軽罪フロントライン


ファインバブル。
直径わずか10分の1ミリにも満たない極めて小さな泡。
水槽で使う通常の泡と比べ大きさは30分の1以下。

カンパチやブリの養殖を営む弘瀬裕一さん。
2年前からファインバブルを使い始めた。
(養殖業者 弘瀬裕一さん)
「正直言うとびっくりした。
 こんなに効果があるんだなって。」
養殖では魚に寄生虫が付くのを防ぐために定期的に生簀に薬をまく。
しかし狭い生簀に数万匹の魚を集めるため水中の酸素が足りなくなり多くの魚が酸欠で死んでいた。
そこで弘瀬さんは生簀にファインバブルを活用。
すると魚がほとんど死ななくなった。
通常の泡は浮力を受けて水面に上がり消えてしまう。
一方ファインバブルは極めて小さいため浮力がほとんど無く水中に長くとどまることができる。
泡の中の酸素が時間をかけて水に溶け
水中の酸素量が大幅に増える。
その結果 生簀の魚が酸欠で死ぬことが劇的に少なくなった。
(養殖業者 弘瀬裕一さん)
「おかげで作業がすごく安心して行えるようになった。
 本当に感謝している。」
このファインバブルの装置を開発したのは高知工業高等専門学校の秦隆志准教授。
側面の穴から空気を注入し中に水を流す。
内部にはらせん状の水が入っている。
中を通る水を高速で回転させることで注入された空気が細かく切り刻まれ小さな泡ができる。
(高知工業高等専門学校 秦隆志准教授)
「ファインバブルは水と空気でできる。
 それを使うだけで効果が生まれてくる。
 ある種の革命的な材料として期待することができる。」
ファインバブルは農業の分野でも活用が始まっている。
しょうがを栽培するハウス。
しょうがに与える水にファインバブルを入れてみた。
すると生育に大きな変化が現れた。
ファインバブルの水を与えたしょうがは普通の水を与えたしょうがに比べ太く丈夫に育っている。
水の酸素濃度が4倍以上に増えた効果と見られている。
(農家 柳村節男さん)
「始めて良かった。
 増収につながってくるしいいものがとれるのではないか。」
いまファインバブルはあらゆる分野でビジネスを変えると期待されている。
業務用のマヨネーズ。
ファインバブルを入れたところ泡の効果で口当たりが滑らかになったという。
極めて小さな泡は汚れを落としやすいため半導体などの洗浄にも使われている。
さらにがん治療など医療分野でも応用できないか研究が進んでいる。

大きな可能性を秘めた日本のファインバブルの技術。
世界市場を見据えた動きが加速している。
今年6月 企業などが参加した戦略会議。
集ったのは大手電機メーカーや食品メーカーなど33社。
目指すのはファインバブルの国際標準作りである。
「国際標準の提案をしました。
 現在 提案という形で受け入れられ詳細な審議が続けられているところです。」
いまファインバブルの研究はイギリスや韓国など世界各国で始まっている。
日本が世界をリードする形で泡の大きさや密度など基準作りを行えばビジネスでも先行できるという。
(ファインバブル産業会 藤田俊弘副会長)
「日本から提案することが日本の産業創生
 世界における日本の位置づけをグッと前倒しできるし
 いち早く産業創生のリーダーシップをとれる。
技術を持っていて提案する国が有利であることは間違いない。」
会議に参加した大手精密機器メーカーの担当者。
このメーカーはファインバブルの大きさや個数を正確に測れる計測器を独自の技術で開発した。
今後 国際標準で泡の基準が決まれば計測器の需要が一気に高まると期待している。
(島津製作所 山田洋一製造部長)
「この市場は潜在的なところも含めかなり大きくなると想定している。
 市場の拡大と合わせて勝算はある。」

 

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ベトナム 国への思い サンダルに込めて

2015-10-12 07:15:00 | 報道/ニュース

10月3日 おはよう日本


ベトナムの首都ハノイ。
狭い路地を抜けた先に
市内でただ1人
タイヤを使ったサンダル作りを続けている職人がいる。
ファム・クアン・スアンさん(73)。
数十種類の工具を駆使し50年以上変わらないやり方で作ってきた。
このサンダルが広く使われるようになったのはベトナム戦争である。
物資が乏しく良い靴が充分になかった時代。
うっそうとしたジャングルや沼地など過酷な環境で戦う兵士たちの足を守るため
どこにでもあった古タイヤを利用した作られた。
建国の父 ホー・チ・ミン主席も愛用。
質素倹約を重んじたホー主席は
このサンダルを履いて外国での公式行事に臨んだり国内各地をめぐったりした。
いつからか「ホー・チ・ミンサンダル」とも呼ばれ
祖国を守り抜いた闘争のシンボルとなった。
(ファム・クアン・スアンさん)
「昔は靴がなかったから兵士だけでなくみんながゴムサンダルを履いていた。
 1にt500足作ったこともあった。」
しかし戦後 経済成長に伴い国民に愛されたサンダルは見向きもされないようになった。
(ハノイ市民)
「見た目が貧乏臭く使い勝手が悪い。」
「僕の世代はもうはきませんよ。」
ベトナムの歴史が込められたサンダルをなんとか後世に伝えたい。
スアンさんの娘婿のグエン・ティエン・クオンさん(36)は
10年間勤めていたIT企業の副社長の座をなげうってサンダル作りを手伝い始めた。
(グエン・ティエン・クオンさん)
「歴史的にも文化的にも世界に類を見ないとても価値のあるものだと思う。
 この伝統が途切れないようなんとか守っていきたい。」
クオンさんがまず手掛けたのがデザインの改良である。
若者向けのサンダルを創作
飛行機で使われている特殊なタイヤを使うなど素材も工夫した。
また情報の発信にも力を入れている。
ホームページを起ち上げ
戦時中に使われたものから最新のものまでさまざまな種類を紹介。
さらに週末にはホー・チ・ミン氏の業績を紹介する博物館で
訪れた学生らにサンダルがつくられた歴史的な背景を説明している。
(学生)
「職人の巧みな技で作られていることや
 歴史についてもよく知ることができた。」
クオンさんの取り組みによってタイヤを使ったサンダルに再び注目が集まり始めている。
IT業界の有望な経営者として国民に広く知られる男性も愛用するようになった。
「以前のサンダルはあまり加工よくなかったが今のデザインはいい。」
戦争の記憶が薄れていくなか
サンダルに込められたベトナムの誇りを伝えていきたいとクオンさんは考えている。
(グエン・ティエン・クオンさん)
「このサンダルには歴史のものが足りた詰まっていて
 とても価値がある。
 サンダル作りを発展させる重い責任があると感じている。」

クオンさんはベトナム政府に対し
スオンさんをいわば「現代の名工」の1人に認定するよう働きかけ
政府も前向きに検討しているということである。


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その人の聴く、木の実の降る音

2015-10-11 16:32:49 | 編集手帳

10月7日 編集手帳

 

 会津藩のお膝元、
いまの会津若松市に生まれた遠藤現夢(げんむ)という人がいる。
醸造が本業だが、
明治の磐梯山大噴火で一面荒れ野になった磐梯高原(裏磐梯)に10万本の木を植えた。
裏磐梯“緑化の父”とも、
裏磐梯自然公園の開祖ともいわれている。

現夢を詠んだ句がある。
〈木を植ゑし男の墓に木(こ)の実降る〉(鈴木貞雄)。
現役の俳人たちの投票による『私の好きなこの一句』(柳川彰治編、平凡社)で第285位に挙げられている。

昨夜、
東京大学宇宙線研 究所の梶田隆章所長(56)に今年のノーベル物理学賞が贈られると聞いて、
この一句が胸をよぎった。

謎の多い素粒子「ニュートリノ」に質量(重さ)があることを突き止める梶田さんたちの研究を指揮したのは、
誰が呼んだか“鬼軍曹”、元東大教授の戸塚洋二さんである。
「ノーベル物理学賞にいちばん近い日本人研究者」と言われながら、
がんに倒れ、
7年前に66歳で亡くなった。
〈木を植ゑし男〉だろう。

かわいい後輩の壮挙に、
その人はきっと天の高みで木の実の降る音を聴いている。
ニュートリノ。
木の実。
涙。
降るものが、
どれも美しい秋である。

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ノーベル賞受賞 今宵はワインを・・・

2015-10-10 08:00:00 | 編集手帳

10月6日 編集手帳

 

 小紙の先輩記者に、
俳人の前川紅楼(こうろう)さんがいる。
昨年いただいた句集『火喰鳥』(文學の森刊)に好きな一句がある。
〈夜学教師いつも力みて白墨折る〉。
白墨を握る指先からほとばしる熱血が目に見えるようである。

のちの学究ぶりから想像するに、
その人も一句の先生と同じく、
白墨を折るほどの情熱家であったにちがいない。
北里大学特別栄誉教授の大村智さん(80)は、
夜間高校の教壇に立ちながら大学院に通った苦労人である。

寄生虫病の新しい治療法を発見した業績により、
今年のノーベル生理学・医学賞に選ばれた。

大学院を出たあとも、
受賞へ直線コースを歩んだわけではない。
助手の職を得た山梨大学ではワイン醸造の研究に取り組み、
そこで微生物の魅力 に引き込まれたという。
人徳だろう。
夜学の窓に映るともしびといい、
甲州の葡萄(ぶどう)畑といい、
人生の回り道に沿う風景はどれも美しい。

ワインですか? 
承知しました。
病み上がりでグラスに緩めの封印をした小欄だが、
ノーメル…もとい、
ノーベル賞の快挙となれば日本人として知らん顔はできない。
今宵(こよい)は飲まざらめやも。
酔わざらめやも。

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広がる?! “ぼっち”消費

2015-10-09 07:15:00 | 経済フロントライン

10月3日 経済フロントライン


都内のベンチャー企業が開発した製品。
段ボールの部品を組み立てて
スマートフォンやタブレット端末を出来上がった箱にはめ込んで完成。
使うときは仰向けに。
ひとりぼっちでも手軽に映画館にいる気分を味わえるというもの。
10月中に発売する予定のこの製品は
製品化のための資金をインターネットで募ったところ大きな話題を呼び
計画を大幅に上回る額が集まった。
(ルーシーオルターデザイン 青柳智士代表取締役)
「正直 予想外だった。
 ある程度の反応はあると思っていたが
 ひとりで映画を寝ながら見ようというニーズは捉えられたと思う。」
“ぼっち”を楽しむ若者たち。
背景にあるのが意識の変化である。
東京工業大学の学生食堂の一角には去年新たな客席が設けられた。
“ぼっち”席。
相席ばかりでは入りづらいという学生からの要望を受け
壁際や中央に仕切りをつけた“ぼっち”席が新たに設けられた。
「周りに気がねしないでひとりで食べるときすごく使いやすい。」
「ツイッター見ながらラインで連絡しながら勝手に食べるのは気が楽です。」
ぼっち席の導入後 食堂の利用者数は1割近く増加した。
(東京工業大学生活協同組合 大築匡専務理事)
「いろいろな学生がいるのでそういった意味で
 ひとりでも利用できる仕組みを整えて間口を広げるという意味があった。」
こうした若者の変化をとらえた意外な商品も登場している。
9月に開かれた東京ゲームショウ2015の会場。
注目を集めていた1つが「ぼっちてんと」。
中には事務机といすが置いてある。
手軽に個室を作れるという室内用のテントである。
「すごい安心する。」
「すごく落ち着きます。」
「パソコンとかゲームするとき暗いと集中できるのでちょうどいい。」
テントの価格は8千円。
売っているのはアウトドア用品のメーカーである。
発売から1年
予想を大きく上回る売れ行きである。
開発のきっかけはある社員が仕事に集中するために自分の机にテントを張っていたことだった。
(ビーズ テント開発者 為替隼利さん)
「はじめは車内から『あれなんだ?』という非難を受ける立場だったが
 代わりに人を入れると『もうでたくない!』
 自分の席にもテントを張りたいという声が出てきたので
 これはいけるなと感じた。」
今後 テントのサイズやカラーを増やし
さらに販売を伸ばしたいとしている。

 


 

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徳島 美波町 移住してきた家族の暮らしぶりは

2015-10-08 07:18:26 | 報道/ニュース

10月3日 おはよう日本

 

徳島県では東京などに本社を持つIT企業がオフィスを構える動きが進んでいる。
県内全域に光ファイバー網がいきわたっていることが企業の進出を後押ししている。
なかでも太平洋に面した美波町では
パソコンソフトの製作やホームページのデザインを請け負う企業など12社が
いわゆるサテライトオフィス
地方の拠点を設けていて
去年 町として初めて他から引っ越してくる人が町を出る人の数を上回った。

人口約7400人の海沿いの街 美波町。
65歳以上の高齢者の割合は41%。
徳島県の中でも高齢化が急速に進んでいる。
入り江に面して建つかつて老人ホームだった建物。
ここに東京から進出したIT企業のサテライトオフィスが入居している。
働いているのは県外などから移住してきた人たちである。
ソフトウェアのエンジニアとして
電子書籍のコピー防止や企業情報の漏えい防止システムの開発などにあたっている。
(埼玉県から移住した男性)
「ITの仕事をしながら海のそばで暮らせるところを探して移住した。」
このオフィスに来たばかりの中西亮太さん。
地方で子育てをしたいとサテライトオフィスを持つこの会社に転職。
家族とともに横浜市から移住してきた。
(横浜市から移住 中西亮太さん)
「海があったり川があったりする環境は都会にはないので。
 通勤らっすにも巻き込まれることもない。」
正午過ぎ 中西さんは車で出かける。
「自宅に戻ります。
 昼食に。
 昼休み帰宅は横浜だと時間的に無理ですね。」
オフィスから自宅までは車で5分余。
ウミガメの産卵地として知られる大浜海岸の近くに自宅はある。
「毎日必ずお昼に子どもに合える。」
中西さん夫婦には今年2月に生まれたばかりの双子の女の子と小学1年生の男の子がいる。
(中西亮太さん)
「移住して良かったのは
 家族と会ってる同じ時間を過ごす時間が長くなったこと。」
双子の赤ちゃんがいるなかでの移住は大きな決断だった。
都会のような便利さのない生活に妻の可奈江さんは戸惑ったという。
(中西可奈江さん)
「横浜は電車でどこでも出かけていたので
 すぐ店も病院もあるので双子がいても出歩けた。
 ここまで大変だとは思わなかった。」
それでも地元の人たちのあたたかさに触れ次第に馴染んできた。
(近所の女性)
「お年寄りばかりで
 にぎやかになっていい。」
(中西可奈江さん)
「いっぱい声をかけてくれる。
 小さい子が少ないし双子が珍しいので
 道行く人に話しかけられてありがたい。」
中西さんが勤めるIT企業は勤務場所が美波町でも東京でも給料は変わらない。
技術さえあれば
田舎暮らしを楽しみながら会社員として仕事ができるのがサテライトオフィスの大きな魅力である。
(中西亮太さん)
「IT企業でサテライトオフィスを展開し
 自社で製品を出している会社は少ない。」
現在暮らしている家は地元の人の紹介で借りた庭付きの2階建て。
家賃は月4万円と都会では考えられない値段である。
(中西亮太さん)
「家の中で走ってもマンションだと迷惑がかかる。
 一軒家で庭も付いていて広々と。
 家族がいればどこでもいいなと。
 なんとかやっていける。」
移住した人たち同士も気軽に交流している。
東京や神戸などから移住した人たちともすっかり仲良くなった。
過疎化が進む地域で広がり始めた新しい働き方と暮らし方。
地方の再生になる動きになるか注目される。

 



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日本のマナー 中国語で解説

2015-10-07 07:15:00 | 報道/ニュース

10月1日 おはよう日本


中国人観光客が急増する北海道で誕生したのが
日本のマナーを中国人に紹介する冊子。

札幌ススキノの食べ放題で肉料理や回線を楽しむことのできるレストラン。
連日 中国からの観光客が訪れている。
この日も30人のグループが食事の真っ最中。
レストランでの習慣が違う中国と日本。
日本人から見るとマナーが悪いと感じられる行動も見られる。
例えば飲み物の持ち込み。
中国ではレストランでの水が有料なので飲み物を持ち込むのが一般的である。
カニの殻などをテーブルに置く。
中国ではテーブルの掃除を担当する店員がいることから当たり前の光景だと言う。
(中国からの観光客)
「皿の上に置くと店員に余計な作業を増やす。
 中国ではあとで片づけてもらえる。」
食事が終わったテーブルの下に食べ物が落ちていることも少なくない。
中国では盛大に食べることがおいしさの表現だと言う。
(レストラン 伊藤実会長)
「中国ではたくさん食べて散らかすのはおいしい。
 日本ではきれいにというのがマナー。
 難しい問題ですね。」
中国からの観光客との摩擦をどうしたら減らせるか。
外国人向けの情報誌を作っている出版社は
道の外郭団体観光振興機構からの委託を受け
日本のマナーを紹介する冊子を作った。
中国の習慣や考え方を踏まえて日本との違いを説明している。
例えばレストラン。
食べ物を散らかさないことや
食べかすなどをテーブルに載せないこと。
それに持ち込みや持ち帰るをすると罰金の対象になることもあると説明している。
トイレの使い方。
使用したトイレットペーパーをごみ箱に捨てることが多い中国。
日本では便器の中に捨てることが書かれている。
ルールだけでなく日本人の気持ちを分かってもらおうという工夫も凝らされている。
「郷に入っては、郷に従え」
ルールを尊重してほしいと思っていることを紹介している。 
(冊子を制作 出版会社 日色無人社長)
「日本人と中国人は週間文化も違うが考え方や国民性が違う。
 そういう人たちが同じ空間で過ごすから
 えーなんでこういうことをするのか、と。
 日本人と楽しく過ごすにはこうした方がいいともっとちゃんと教えてあげないとだめだと思う。」
この冊子は4,000冊が道内のホテルやレストランに配られた。
予想以上の反響で
すぐに1万5,000冊の増刷が決まった。
中国からの観光客はどのように感じるのか。
(中国からの観光客)
「日本の文化がもっとわかります。
 日本の食事の文化には見習うべきいいところがたくさんあると思う。」
観光客も受け入れる側もお互いの文化や習慣の違いを知ることが
より良いおもてなしにつながることが期待されている。
 

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伊勢えび養殖 新たな段階に

2015-10-06 07:15:00 | 報道/ニュース

9月30日 おはよう日本

高級食材としての伊勢えびは卵からかえして育てることが難しく
養殖の技術はまだ確立していない。
三重県の水産研究所が全国で初めて人工ふ化させた伊勢えびを海に放流した。

ダイバーがそっと海に放しているのは伊勢えびの子ども。
海に入ったのはこの日が初めてである。
人の手で育てられた伊勢えびが初めて海に放流された。
伊勢えびを育てたのは三重県水産研究所。
三重県特産の伊勢えびを将来にわたって安定的に捕ることができるよう
80年以上にわたって人工的に育てる研究を続けている。
(三重県水産研究所 松田浩一主幹研究員)
「人工的な伊勢えびを放流して自然に育ったものを捕ってもらう。
 技術を開発しておけば伊勢えびの漁獲の安定化につながる。」
幼生(フィロゾーマ)伊勢えびの赤ちゃんは体が透明で足が長く
大人の伊勢えびとは全く違う姿をしている。
1年近く海に漂いながら約30回の脱皮を繰り返し
親と同じ姿をした2cmほどの稚えびになると沿岸部の岩場にたどり着き成長していく。
研究所ではいまから20年余前に幼生を稚えびまで育てることに成功した。
世界初の快挙だったが当時稚えびまで育った割合は約0,1%。
実用化にはまだまだ課題があった。
飼育の難しさは幼生の繊細な体にあった。
厚さわずか0,03ミリの体に細長い足。
とても傷つきやすく病気にもかかりやすいのでほとんどが1年以内に死んでしまった。
(松田浩一主幹研究員)
「手足が非常に細くて繊細で長い。
 幼生同士がからまったりして足が取れたりとうまく飼えなかった。
10年前意外なことが起きた。
鳥羽水族館が伊勢えびの幼生を展示したときのことである。
松田さんが提供した幼生は予想を超える数が稚えびまで育った。
なぜ水族館での飼育はうまくいったのか。
違いは水槽にあった。
水族館は海月の展示に使う丸いパイプのような形をした水槽を使った。
ポイントは海月を飼育するときと同じ水の流れだった。 
水槽の縁に沿って水を回すような流れを作り
幼生を水槽の中に分散させていたのである。
さらに水槽の側面を黒い板で覆った。
海の中の幼生は水深200mの深海で暮らしている。
光のささない深海の環境に近づけた。
その結果 今では稚えびまで育つ割合が約60%にまで上がった。
多くの稚えびを育て上げるようになった。
稚えびの確保にめどが立ったため研究は次のステージへ進むことになった。
人の手で育てられた伊勢えびが自然界で生きていけるのか。
25匹を海に放して確かめることにした。
天然ものと見分けがつくよう背中にはタグを付けている。
放流されるとすぐに海藻の影や岩の隙間に向かっていった。
(松田浩一主幹研究員)
「天然のえびに混じって放流したえびも確認できたので
 仲間はずれにされていないとわかり安心して今後研究できる。
 大規模でたくさんの稚えびを生産してそれを実際に放流して
 実用化に向けたコストを下げた大量飼育を実現させていきたい。」
人工ふ化させたイセエビを人の手で育てる苦労を乗り越えてやっとたどり着いた放流。
伊勢えびの安定的な漁獲に向けた大きな1歩を踏み出した。

 

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外国人に人気 遍路の魅力とは

2015-10-05 07:15:00 | 報道/ニュース

9月28日 おはよう日本


去年12月 全米である番組が放送された。
米 公共放送製作の番組「神聖なる旅」。
アメリカの公共放送が6回シリーズで放送したエルサレムなど世界の巡礼を紹介する番組。
その初回を飾ったのは日本の四国遍路だった。
(製作したプロデューサーの話)
「外国人は人生において直面している問題の答えを求めてやってくる。
 歩けば歩くほど魅力にはまっていく。」
四国遍路は弘法大師空海が開いて1200年とされている。
巡るのは
1400㎞にわたって四国4県に点在する88か所のお寺をつなぐ遍路道。
宗派や宗教に関係なく誰でも歩くことができる。

毎年15万人が訪れるとされる四国遍路。
最近目立っているのが外国人の姿である。
「とてもおもしろい。」
「自然に囲まれて歩いたりしてすごく楽しい。」
海や山などに本の自然の中を歩き
都会にはない地方の暮らしぶりに触れられるとして人気を集めている。
アメリカ カリフォルニア州からやってきたメリッサ・ビショップさん。
仕事上の人間関係に悩んでいたビショップさん。
1人で歩いてその答えを見つけようと四国遍路にやってきた。
「焼き芋食べなさい。」
「お接待ですか?」
ビショップさんがお遍路の中で体験したのは
お接待と呼ばれる地元の人たちのあたたかいもてなしだった。
山の中を1人で歩いていた外国人のお遍路さんを心配し
地元の人が「自分の家に泊まったら」と声をかけてきた。
地元にはもともと困っているお遍路さんを手助けする風習がある。
ビショップさんは長い道中で見知らぬ人に助けられて自分を見つめなおすことができたと言う。
(メリッサ・ビショップさん)
「人を思いやる気持ちや助け合うことの大切さを教えてもらいました。
 自分1人だけで良い人生を送るなんてできないし
 絶対にありえないと思いました。」

地元では四国遍路の世界遺産登録を目指す動きが活発になっている。
しかし実現には外国人の受け入れ態勢などに課題があることがわかってきた。
世界遺産登録に向けた活動を中心的に行っている香川県文化振興課 北山健一郎さん。
北山さんは7年にわたって遍路道の保全や歴史的価値の調査を進めてきた。
しかし過去2回
世界遺産の国内候補に申請をしたがいずれも見送られた。
文化庁から指摘された課題の1つは遍路道の管理体制が確立されていないこと。
遍路道は国道や県道の他に個人が所有する道がある。
いったん道が荒れても管理者が複数にまたがっているため
すぐに修繕できないこともある。
さらに外国人向けの宿泊施設の整備も課題に指摘された。
言葉も道もわからない外国人に利用しやすい宿泊施設がじゅうぶんに整っていないのである。
北山さんは同じような巡礼の道ですでに世界遺産に登録されている場所を参考にすることにした。
(北山健一郎さん)
「先輩格であるスペインの巡礼路なので
 四国遍路 世界遺産登録に向けた活動の糧にしていきたいなと。」
北山さんが注目したのがスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路。
22年前に世界遺産に登録された。
フランスから続く800㎞の道のり。
終着点にある大聖堂を目指し
1000年以上前から巡礼者が歩いて来た。
9月上旬 北山さんは四国4県の担当者とともに現地を視察した。
州政府の職員にまず案内してもらったのが巡礼路沿いに70か所ある公営の宿泊施設。
「回収費用はどこが?」
「ガリシア州の州政府です。」
州政府の補助金で1泊日本円の1000円以下で快適に過ごせる環境が整備されていた。
さらに監視員が巡礼路を頻繁にまわり道路状況をチェックしている。
法律で手厚く保護され歩きやすいよう整備されていることがわかった。
こうした道の保全や宿の整備は州政府の機関シャコベオ(巡礼支援組織)が一手に担っている。
シャコベオは世界遺産登録に向けて作られ
巡礼路の環境整備に年間約7億円の予算を使っている。
(ガリシア州観光局局長)
「シャコベオの役割は巡礼の道が世界遺産であり続けること。
 訪れる人が安心して過ごせるように努力しています。」
この努力の結果
巡礼に訪れる人は世界遺産登録前の6倍近くの年間20万人に増えた。
(香川県文化振興課 北山健一郎さん)
「周辺の環境保全などにガリシアがどのように力を入れているのかがよくわかりましたので
 世界遺産国内候補再提案書の提出に向けて生かしていきたい。」 


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「原爆の子の像」物語 米国でミュージカル上演

2015-10-04 15:43:01 | 報道/ニュース

9月27日 おはよう日本


広島市の平和公園にある「原爆の子の像」。
像のモデルとなった佐々木貞子さんの生涯を描いたミュージカルが
9月 アメリカで上演された。
演じたのはアメリカの子どもたちである。
広島の原爆で2歳のとき被爆し
昭和30年 12歳のときに白血病を発症して亡くなった禎子さん。
回復を願って病床で鶴を折り続けた禎子さんの生涯をアメリカの子どもたちはどう伝えたのか。

アメリカ ロサンゼルスで上演されたミュージカル。
12歳の佐々木貞子さんが幼いころ被爆し
その後白血病になって亡くなってしまう悲劇を描いた。
病に倒れた禎子さんを支える兄 雅弘さん役のカーソン・デービスさんは
これまで原爆のことを深くは知らなかったと言う。
(カーソン・デービスさん)
「原爆について以前は最低限の知識しかなかった。
 学校で学ぶだけで済ませていた。
 禎子さんの話は聞いたこともなかった。」
ハワイでの舞台でのリハーサル中に雅弘さん本人が見学に訪れた。
このとき禎子さんが残したメッセージを聞くことができた。
(佐々木正弘さん)
「憎しみや恨みの心は決して自分の新しい歴史の中に残してはなりません。
 思いやりの心は禎子が自分の命を使って教えてくれた一番大切な心がけです。」
(カーソン・デービスさん)
「原爆でどれほどの人が影響を受けたか
 その結果どれほど多くのことが起きたか
 何が起きたか忘れないという気持ちを伝えたい。」
病に倒れた禎子さん。
自らの回復を願った鶴を折る場面。
デービスさんは死期が迫っても希望を失わない妹を思う気持ちを歌に込めた。
衰弱しながら弱々しく
鶴を折り続ける妹を見るのはつらい
でも僕は彼女の力強い魂に 
希望を失わない
My wissy (私の望み)
is for no more pain for any of us (それはこれ以上だれも苦しまないこと)
ミュージカルの最後
原爆の子の像を前に子どもたち全員で禎子さんの折り鶴に託した思いを歌い上げる。
禎子さん
そして命を落とした人たちの思いを大切にしよう
これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和を築くための
(観客)
「幼い子どもたちがこんなに苦しんだことに新たに気づかされた。」
「平和について考えないといけない。
 二度とこんなことが起きてはいけない。」
(カーソン・デービスさん)
「アメリカ本土や
 できれば日本もまわって
 できる限り広くメッセージを伝えたい。」
原爆投下から70年。
平和を願う禎子さんのメッセージは海を超えて次の世代に引き継がれている。
禎子の光のもとで すべてかなうよ

 

 

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丸の内3丁目 黒豚劇場ひびき 東京国際フォーラム店

2015-10-03 16:33:22 | グルメ

  (食べログ)

 

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