村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

第39号 村上和隆の人生塾「一言」     大半の人は偽者の幸福を追い求める

2008-06-26 02:56:49 | 人生
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:東京出身-大阪赴任-京都事務所-滋賀田舎暮し (東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)

※お知らせ:今後4~11月は事務所が滋賀の山中になるため毎日掲載できなくなります、やや日があきますが了解下さい

39.幸福に本物と偽者があるが、大半の人は偽者の幸福を追い求めるから悩みが増えるのです

こんな便利で豊かな社会になったというのに
 「私は幸福ではない」
 「もっと幸福になりたい」
なんて言う人が多いのは一体なんということでしょう?
何かおかしいのです。十分幸せなはずなんです、それどころか過剰に幸せなんです。

それなのにもっと幸せになんて考えること自体何か異常なことがあるのです。

私なりに考えることは「今日本の現代人の多くが手にしている幸福は偽者だということです」偽者の幸福は、幸福を実感できない・幸福に限りがないというのが特徴です。
幸福なんてのが周囲に具体的にころがっているのではないのです。
一見不幸なことも含めて、どんなことであれ、本人がそれを幸福と感じるかどうかなんです。
すなわち幸福というものは存在しないが、幸福感は存在するんです。不幸というものがあるのではなく、不幸感が存在するのです。

例えば病気になって長い療養を強いられたとします、不幸というものがあるとすればそれは不幸なんでしょう、しかしそれを不幸と感じなければ不幸ではないのです。
幸福や不幸なんて勝手に自分で決め付け思い込んでいるだけなんです。
長い療養も、これは神から与えられた賜物や導きと思えば、又は病気したんだから療養するのが当たり前と考えれば確かに辛いかもしれませんが、不幸ではないのです。

またすごい貧乏でも今日一日病気せず、ご飯を食べ、寝るところもあれば、幸福だと思う人には、それでも幸福なんです。

さて本物の幸福とはいかなるものか?

私なりに言わして戴くと、自然に擦り寄る・自然の摂理に従う・自然の意志にまかす・自然の恩愛に感謝する・自然の状態に近い暮らしをする・自然に振舞う・・・そして「何が起きても、それは自然の意志である、自然からの啓示」であると明るく元気で生きることだと思うのです。

小賢しい人間のエゴや人間の欲や猿知恵や愚行を反省し、根本的に是正することです。都会の人間は、いかにも不自然です。
頭でっかちの知識人なんてものを、安易に受け入れてはいけないのです。

いくら頑張ったところで、不自然さからは偽者の幸福追求しか生まれてきません。
自然の生き方をし、嫌なこと・苦しいことでも、何事にも『幸福感』を抱いて暮らすことなんです。

まあそう言ったところでわからない人は、いつまでも幸福というものがどこかにあると信じ込み、あれやこれや偽者の宝探しのような幸福追求を止めようとはしないのです。

このたび村上和隆人生塾を開校しました。
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