植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

使わないと衰える ワタシの頭

2024年01月26日 | 健康
ワタシが信じて疑わない摂理の一つが
「人間の機能や器官は使わなければ退化する」であります。
以前ちょっとした喉の病気で、医者から発声・会話を禁じられた時、2週間ほど経った後、しゃべろうとしたら、声が掠れまともに話せなくなった経験があります。入院したり寝たきりになれば足の筋肉が衰え歩くのがしんどくなります。

先日「坂本龍一擬き」を目指して眼鏡屋さんに駆け込み、新しい眼鏡の調製をいたしました。中近両用メガネを作るために、当然視力検査を入念に行いましたが、69歳になったワタシが、いまだに両目の視力が1.5であることに担当の方が驚いていました。もともと遠視気味で子供の頃から視力は1.5でしたが、60年経っても視力が衰えず、乱視もほとんどないのは、それなりに目を衰えさせない行動が続いたからだと思います。

一つは漫画や雑誌を目を極端に近づけて読む習慣が無かったこと、そして60歳になる前から続いているスマホゲーム「ツムツム」、5年間継続しているこのブログや篆刻の細かい作業のおかげで、目の筋肉や機能がずっと酷使されているからだろうと思います。

ツムツムも最初はみんなに勧められて始めましたが生来の「入れ込む」性格といったん始めると飽きない性質でずっと継続しています。細かな指先の作業・瞬間的な目による認知・適度な興奮が面白く、視力の維持に役立つだけでなく、「認知症対策」になるのでは、と思い始めたのはだいぶ後の事ですが。

ここ数年の中で頭から離れなくなったことが「認知症」の人たちがすごく身の回りに居るということ、そして自分もその予備軍であるという事です。お寺の世話人になったのが昨年4月でありますが、その2年前に大住職から世話人14名の半数近くが高齢化し「ボケてきた」ので、世話人になって、と頼まれたのです。その時断りましたが、2年の歳月の間に二人の方が他界し、ボケて引退された人が数人いて断り切れなくなったのです。またそのご住職も時を経ずして「老人性の認知症」になってしまいました。

ご近所で奥さんに先立たれた旦那さんは、時を置かずボケ始め、今では一日中自転車で町内をぐるぐる回るようになりました。
ゴルフ仲間のTさんは、3年ほど前にワタシに悲しそうな顔で「若年性認知症と診断されてもうゴルフはやめる」と伝えてきました。その時何十回と操作しているはずの「貴重品預かりロッカー」の使い方がわからなくなってるのを見て、本当に胸がつぶれるような気持になりました。

ご近所さんで幾人も加齢相当の認知症の人がいます。施設に入っている人も多いと聞きます。かく言うワタシも、ここ2,3年の記憶のかなりの部分が欠落していることに気づいています。どうやら1,2度は「突発性記憶喪失」を発症し、全くその前の数時間から半日ほどの記憶が無く家人が驚いたと話しておりました。

ワタシは、自分の記憶が無くなっていくだけではなく、普段の生活が介助なしで過ごせなくなることを極端に恐れているのです、自分が自分でなくなる、そしておむつをはかされ最後は廃人同様になって家族に迷惑をかける、そんな自分が怖くてならないのです。

10年前に高血糖と診断され、以来1種類の薬を飲み、普段極力糖分・炭水化物の摂取を抑えています。食後数時間経つと、逆に「低血糖」の症状が出たりして厄介な病であります。糖分が血液の中に無くなっていけば脳内へ入っていく栄養も乏しくなり結果として頭がぼーっとしたり、記憶力が落ちたりするようです。ワタシはある意味諸刃(両刃)の剣で、記憶を失う様な食生活と、記憶力を保つための努力を並行して続けているのです。

ツムツムだけでなく、篆刻も熱心に取り組むようになっています。そしてこのブログ、かれこれ5年ほどほとんど毎日更新しております。好きでやっているわけでもなく、書いていて楽しんでもおりません。むしろ嫌々ながら「ボケ対策」に有効だろう、認知症になっても進行を遅らせることができるのではと思うのです。

キーボードを指で押してインプットする、そして頭を使い記憶を呼び起こし、わからない事を調べ勉強しながらこの文章をとりあえず形にし、誤字脱字をチェックするという頭の体操を通じて、老人性認知症が発症し進行するのをいくらかでも予防できればと思うのです。

自分自身は、毎日今日は何を食べたか、昨日は何をしたかなど一人でできる「認知症チェック」をしております。今やってることがボケ対策に有効化もわかりませんが、何もしないで「死」を待つのは嫌なのです。乏しい効果でも、無駄な抵抗で、わずかでもその努力が報われれば本望であります。
もしこのブログが、これ以上支離滅裂になったり、更新が止まったりしたら、恐らく認知症のお仲間に入った、と思ってください。 
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両面看板が出来たけど、さすがにそう無理は出来ません 

2024年01月24日 | 雑感
3日前は、東京上野へ出向き、書道界の新年会で上野精養軒に3時間ほど居りました。
1昨日は妙齢の女性お二人がワタシの仕事場を訪れ、部屋の内外の片づけ・清掃の現状と依頼をするため、4時間ほど熱弁(笑)を振るいました。
昨日は、午前中マッサージさんが家に来て指圧施術、昼から木彫りの看板作りという仕事にかかりきりでした。

暮れからずっと風邪が治らず微熱が続き、うつ病の症状も一進一退で、体に力が入らず動きが緩慢となり、何もやる気が起きず周期的に気持ちが悪いという日々でありました。テレビを眺めているだけで気分が悪くなってしまうのです。

ところが先週金曜日、家内からの強い要請があってかかりつけのクリニックに赴き、「様子がおかしい、軽いうつ病が本格的になった」ことを訴えて、二段階上の治療薬3種が追加されたのです。これでもう立派な鬱病患者ですね(笑)。この病気に使われる代表的な特効薬が「ワイパックス」この後継品(ジェネリック)などを処方されて、飲み始めた途端苦しさや辛さが9割がた改善されました。心と体が急に軽くなったような気がしました。

んもー。先生初めからこの薬を出してくれたらよかったのに、が今の正直な感想であります。おかげで、家内が心配して子供に付き添わせようとした上野にもひとりで行きましたし、整理整頓の打ち合わせのやり取りも普通にできたのです。

4,5日がかりで両面看板も出来上がりました。
これが中学時代の同級生お茶屋のケンちゃんが、今回「クラシックな喫茶店」を開業すると聞いて、頼まれもしないのに制作した「営業中・閉店」を示す、入り口に置く両面看板であります。
お店の名前が「十徳庵」だそうですのでまずその名前を隷書で彫りました。
更に、表の「オープン」の面には、甘露を彫りました。
甘露というのは、そもそも天から降ってくる甘い露のことです。 中国の古い伝説では、天子が善政を行う前兆としてこれが降ると言われているそうです。インドや仏教の世界でも、天上の人が飲むもので霊薬ともいえる有難い飲み物であります。
これが転じて、現在では美味しいお酒(甘露酒)・甘い飲み物、そして上等な煎茶の呼び名ともなっております。どうです、お茶屋さんが経営する喫茶店ですから「甘露」の看板はピッタリでしょう?

これがひと段落して、今度は2月に出品する予定の「篆刻」作品作りにかかりました。・・・・が、ここまできてさすがにワタシのゼンマイのねじが切れたのです。1週間前までヘロヘロだったのに、金曜日からいろいろ予定や作業をこなし、健常であった時と同じように動こうとした5日間でした。急にがっくりと反動が来たのでしょう。夕方からまた体が動かなくなりました。気持ち悪さ・不快感も蘇ってきたのです。7時半には布団に入りました。

いい薬に出会って体との相性も良かったのでしょうが「半病人」であることには変わり有りません。このブログが書き終わったら、本日一日は「完全静養日」としたいと思います。やりたいこと・やるべきことはいくつもありますが、今日だけは体を休め、午前午後に仮眠をとって、ゆったりと過ごすのが良かろうと思います。なにしろ、明日は友人とのゴルフもあるので今日しかゆっくりできないのですよ。 
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掃除や片づけ・整理を「外注」に回すことにした

2024年01月23日 | 雑感
ワタシの弱点は数えきれないほど一杯ありますが、中でも整理整頓・掃除というのが苦手で好きになれません。綺麗好きであれば、どこかが汚れる、とか乱雑になっているとすぐに片づけようという気になるのでしょうが、ワタシはお育ちに問題があるのか、汚くしててもへっちゃらなんです。テーブルの上が書類でいっぱいでも、床に洋服やタオルが落ちていても別に気にならないのであります。

また、やみくもに品物を集める困った趣味もあります。収集癖の一種であろうと思いますが、とにかく、書道・篆刻関連の「実用品」で機能美・骨董価値・換金性・・・など価値があるものと認めると、その先の事を考えないでヤフオクに入札し、とにかく片端から集めてしまいます。勿論お金持ちでもなければ投資で金儲けをしている訳も無いので、元値が数千円、張り込んでも1万円やそこらのものしか使いません。世に言う安物買いの銭失いの典型的なパターンかもしれませんね。

ここ9年というもの誰にも見られず邪魔されない「アンタッチャブル」のワタシの隠れ家(仕事場)に品物が届き好きなだけ集めてそこらに突っ込んでいるうち、だんだん自分の生活・活動スペースが雑多な品物・ゴミや段ボール・鉢植えなどが侵食し、狭くなって来たのです。加えて鬱病で、体が動きづらくなり何もする気が起きなくなりました。それまでは、定期的に掃除機をかけていたのも億劫になり、そこらにおいて散らかっているものも1センチも動かさない、といった状況なのです。

ワタシの領分(管理しているエリア)は、農用地・園芸用地・緑地合わせると約70坪の更地があります。これに自分の仕事場にしている「小家族向け戸建て」ほどの住宅スペースが3部屋20坪、倉庫代わりにしている空きテナントの事務所が二室あります。事務室はここ10年で一度もテナント募集していないのでずっと空き部屋なのであります。ここにがらくたや冬越し用の鉢植え、蕎麦打ち台、ハオルチアの集団栽培机などがあって、床は土や砂、植物の枯葉や枝がたくさん積もっています(勿論だいたいはブルーシートの上ですが)。

このままではゴミ屋敷になるし、ワタシに何かがあった時、モノであふれた仕事場を片づけるのが難事業となり、好き勝手に汚していたオヤジ(ワタシ)が、家族間で死後の語り草になる心配が出てきたのであります。
ふと我に返ると、ざっと上げれば①石印材5000個 ②書道筆100本以上 ③書道紙(半紙・半切など)数十種類数千枚 ④硯20個 ⑤内外にある植物約千種類 ⑥屋上のメダカ4千匹くらい ⑦書籍200冊・・・・
通常の家財(寝具や調理用品。食器・家具・衣料品など)も含まれるのです。

そこで、ついに決断したのが「断捨離」「終活」用に人手を頼む、ことでありました。もはや70歳近い自分ではどうにもなりそうにない、と悟ったのであります。偶然書道関連で「なんなら片づけを手伝いましょうか?」と仰ってくれた親切な人がいました。書道チャットで数年來の知り合いでしたが、勿論本名も知らなければ年齢も知らず、会ったこともありませんでしたが、書道に通暁している人でないとワタシの仕事場は手が付けられない、と思いました。

で、LINEで「じゃ、ご相談しましょう」となって、個人情報を出し合ったら、なんとお相手は年齢不詳の女性であったのです。何歳であろうが女は女、ワタシだけの仕事場に、家政婦とか片づけ仕事とはいえ女性が一人で出入りするとなると、種々のトラブルのもとになりかねません。聞けば既婚者で子供さんはいない、新たに起業する職種として清掃・整理収納から余剰品のネット販売(処分)を手掛ける仕事をお仲間二人でやりたい、というのです。

ワタシのケースはそれにぴったりはまるのです。起業するためのノウハウを蓄積し、ガーデニング、草むしりから、書道・篆刻、メダカの世話まで幅広く手掛けているワタシの余業のどこまでが手伝えて、どこからは出来ないかを見定めるのに格好の材料となります。

そして、女性お二方が昨日ご挨拶がてらお見えになりました。年のころなら50歳前後というところ、健康で快活そうな方たちでした。ワタシがこれまで手掛けてきたことやっていることをざっと説明すると、おそらくワタシを定年後の楽隠居さんと思ってきたのでしょう、やっていることのギャップに何度も驚いていたようです。ワタシは趣味を楽しんでいるのではなく、それぞれを究め、自分の(お金にはならない)仕事としてある意味苦しみながら取り組んでいるのですから。土曜も日曜もなく、朝4時5時には仕事場に入り、ブログや草むしりからお昼までずっと数種類の作業を続ける日々なのです。

何か月ぶりかで4時間の会話をいたしました。病気の身には考えられなかったことであります。
とりあえず、あちこち写真に収め、ワタシの希望や現状の考え方などを熱心にノートに書き留めていました。実際の作業をやってみない事にはわからないので、3月のどこかの月曜日に試しにやりましょう、ということになりました。料金は先方は、まだ正式なノウハウを備えて働くのではなく、勉強しに来るようなものなので、交通費程度で・・・とか言ってましたが、大の大人が1,2時間かけて電車に乗ってやってきて丸一日働く(肉体労働)のですよ。そこらのパートさんの倍位の日当は払う様でしょうね。
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生まれて初めて入った上野精養軒

2024年01月22日 | 篆刻
体調不良ながらも、なんとか毎日の雑事や行事・仕事をこなしております。

昨日は、①旧友の喫茶店開業へのお祝い作成 ②人が訪ねてくるので一応の掃除 ③昼寝 ④夜は書道会派の懇親会という、ワタシにとってはなかなか厳しいスケジュールでありました。本来なら節分の豆まきという役目もあって、先代はこの日はかみしもみたいな服を羽織って、豆やらおひねりなどを壇上からまいていました。ワタシは多忙を理由に、その役目はお向かいさんに代行してもらうことにしたのです。

喫茶店の主は、まだワタシ達が中学の同級生であった50年以上前の友人で、親代々のお茶畑を守り「お茶屋さん」であったのです。高校からこの歳になるまでその間口をきいたのはおそらく3,4回でありましょう。しかし、幼馴染というか旧友であるので、ずーーっと長い間ブランクがあっても70歳目前になっても友達なのですね。
何かお祝いをしたい、お金では味気ない、ならば何か作って差し上げようと思ったので、開店閉店の木札・両面看板を制作しております。お店の名前は十徳庵だそうで、お茶屋さんなので「甘露」を入れたいと思います。色は赤でなくてやはりお茶の葉の緑に変えましょう。

そして、夜の宴会に備え、1時間たっぷり昼寝をし上野まで電車で出かけました。今月初旬、上野の都美術館で、「日書展」を見に行きました。始めて応募したら運よく入選したので写真を撮りに行ったのです。上野なんぞはおそらく30年以上言ったことが無いのですが、不思議なもので行くとなると2週間で2回。

名前は聞いたことがあるのですが「上野精養軒」ここで、昨秋加入した書道会派「墨渚会」の新春懇親会が催されました。前述の様に一応入選したのでその会の中で「表彰される対象」になっていましたから、やはり知らん顔も出来ないと出かけて行ったのです。出席者約50名で、知り合いはただ一人、越谷で書道塾を開くP先生、まだ20代の若手ですがすでに日展に2度の入選歴があり、ワタシが日展にチャレンジする、とオープンチャットに大ぶろしきを広げた時「アシストしましょうか」と声をかけてくれたのです。そのご縁で「墨渚会」に加入いたしましたが、会長はじめほとんどの先生方が埼玉県在住、活動の本拠地も埼玉なので、交流する機会もありませんでした。

さて、その上野精養軒はちょっと見つけにくい場所にあり、ワタシのような田舎のネズミにとって「迷子」になりかねないような奥まったところンおにある立派な建物でありました。


知らない人ばかり、しかもその8割以上が女性でありました。恐らくその半分は師範・師匠と呼ばれるような書道の先人と見えました。ワタシなどは本格的に書道教室に通うようになってまだ9年足らず、しかも会派に入って数毛月の新米でいささか肩身が狭かったのです。運のいいことに、隣に座った妙齢の美人の女性が、やはり入会して数か月ということで大変心強かったのです。とはいえ初対面でお互い既婚者、携帯電話の番号を聞くとか意気投合するなどといった「はしたない」ことはいたしません。

会の半分は、偉い人たちのご挨拶と、過去数年の昇格者・各種公募展の上位賞の入賞者さんなどの「表彰式・花束贈呈」が延々と続き小一時間お酒は口に入りません。ワタシがしんがりで入選・花束贈呈でようやく「開宴」となったのです。これが会費1万円の食事?、後ろのテーブルに大皿が並びめいめいが取り分けていくという立食形式です。
正直質量ともに「期待外れ」でありました。場所代が高いのでしょう。また花束や、その後に催された抽選による商品贈呈がかなりの数でしたから食事にお金を掛けられなかったのかもしれませんね。ワタシは取り皿に一回だけ幾つかの料理をまとめてとり、その後お寿司3貫、コーヒーで終わり、これなら普通ならば千円でお釣りが来ます。

このまま帰ることになったら1万円の会費はいささか取られすぎだな、と憮然としておったのです。そして商品の抽選会もいつまでたってもワタシの番号は呼ばれず、とうとう最後の一品、会のクライマックスまで来てしまいました。するとあろうことか最後の品が当たったのです。
ん?灰皿か?と思ったら、やはりそこは書道会新年会の商品です。墨汁をたっぷり入れる「墨池」兼「筆洗」の作家物の陶磁器でありました。あぁ。これなら納得、値段は知りませんが少なくとも5千円位はするでしょう。

くじで決まった会場のテーブルは最も入り口に近い丸テーブルのドアのそば。表彰式も一番最後に呼ばれ、景品の最後がワタシのものになるという皆さんの一番後ろ尽くし、でありましたが、どうやらこの参加者の中では最も新しい新参者のようなので、一番下っ端・後回しになるのが当たり前という者でしょう。

そんなわけで、家に帰りついたのが夜9時半を回っていました。お腹が空いたので少しパンなどでお腹を満たして就寝、いやいや、長い一日でありました。偉い方数名と名刺交換も出来たし、次の謙慎会の出品作も決めて貰いました。何より、美しい妙齢の女性と何十年ぶりかでゆっくり話が出来たのが最大の収穫でありました。
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お呼びがかかるまでになんとか片づけねば

2024年01月21日 | 篆刻
朝5時であります。
外は冷たい雨、しかも日曜日。階下にある「コンビニ」には駐車場にも車はなくワタシだけがお客でありました。

この時間でも通常平日なら遠い現場へ向かう工事車両などで駐車場は半分くらい埋まります。車内は仮眠する人、朝ご飯替わりにあんパンや調理パンをほおばる人が多いのです。一方土日ならば、ツーリング仲間がコンビニを集合場所にするので、4,5台のバイクなどが早朝から集まってきます。

しかし雪交じりの雨、真っ暗な朝方しかも、現場仕事が休みになる日曜日ですから、誰もいないのも不思議はありません。土日も構わず早朝からただ働きしているのはこの界隈ではワタシだけだろうと思います。昨年来、鬱に多忙やらなんやらで体調不良が続き、とうとう毎日10種類以上の処方薬を飲むようになりました。ドクターからも友人からものんびり休み休み過ごすよう諭され、アルコールも甘いものも制限されております。

なのに毎日のようになにかしら用事が入り、やることが見つかるのです。今日は近所の神社で豆まきがあります。一定以上の寄付をしていると裃を着てお社の高いところから下に集まる衆生に向かって豆やらおひねりを撒く「節分」なのであります。世が世であれば、ワタシもそちらに加わる立場だったのですが、薬をたくさん飲んでいる半病人、しかも夜別に予定が入っているのです。

それでお向かいさんのご主人に代行を頼みました。高いところや目立つこと、名誉な仕事は苦手・嫌いなのであります。
で、今日の夕方は昨年ワタシが「篆刻」を全国レベルの主要公募展に出すために加入した会派「墨渚会」の、新年会に招かれております。すでに会費を支払っておりますので初参加ながら「客人」扱いとはならないでしょう。書道界では著名な大先生が数人集まり、そのお弟子さんなど50人以上が集まるらしいです。ワタシは当然新入りで末席ながら、昨年ワタシが応募した、当会が主催団体の中心になっている「日書展」へ入選したので顔を出さないとまずいようなのです。

集まってくる人たちの中で知り合いはただ一人、ただでさえ田舎のねずみのワタシでありますから、上野精養軒など上流階級さんが集まるような会場に行くのは気が咎めるのですが・・・・。

そして、明日は、ワタシの所に来客があります。今までお会いしたことのない妙齢(かどうか知りませんが)の女性が訪ねてきます。その用件は、ワタシの隠れ家(職場)の清掃や整理・片づけのための打ち合わせであります。ここ10年、やりたいように好きなように道具を集め、ヤフオクで落札したその金額だけで多分2千万円近いでしょう。書道篆刻関連の道具や材料・石材などがあふれるほど増えて手に負えなくなったのです。




石材だけで5,000個はゆうに超えるでしょう。1/3くらいは既に刻してあります。値段は10円位から10万円位まで。書道篆刻関連の書物・辞書字典だけでも200冊くらいはあるのです。しかし、整理整頓という文字がワタシの辞書にはありません。こうした状態のままもしもの事があったら困るのは残された家人であります。そうでなくても川の向こうからおいでおいでをする人が見えるような気分なのです。

そこで、整理・収納の専門家さんたちをお呼びして、実際に片づけてもらいいつ天からお呼びがかかってもいいようにしなけらばならないと思ったのです。これ以外に千種類もの植物を栽培しこないだまでは「蕎麦打ち」もやっていました。屋上には4千匹を超えるメダカも居ます。

ガーデニングを含め、彼女たちはどこまでやれて、どこからは無理なのかを見定めるためにご挨拶に来られるのです。もしだめならダスキンさんかな。最大の目的(焦点)は石印材の整理なのです。今は7,8か所に分散していてほとんど味噌もくそも一緒なんです。

いつまでもあると思うな親と金、といいます。
ワタシの場合は親は数十年前に亡くし、お金は最初から手元にありません(笑)。
「いつまでもあると思うな、体力気力と命」を実感しております。片づけの家政婦さんでも専門家でもなんでもいいので何とかしてほしいと願うばかりであります。

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