植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

生まれて初めて入った上野精養軒

2024年01月22日 | 篆刻
体調不良ながらも、なんとか毎日の雑事や行事・仕事をこなしております。

昨日は、①旧友の喫茶店開業へのお祝い作成 ②人が訪ねてくるので一応の掃除 ③昼寝 ④夜は書道会派の懇親会という、ワタシにとってはなかなか厳しいスケジュールでありました。本来なら節分の豆まきという役目もあって、先代はこの日はかみしもみたいな服を羽織って、豆やらおひねりなどを壇上からまいていました。ワタシは多忙を理由に、その役目はお向かいさんに代行してもらうことにしたのです。

喫茶店の主は、まだワタシ達が中学の同級生であった50年以上前の友人で、親代々のお茶畑を守り「お茶屋さん」であったのです。高校からこの歳になるまでその間口をきいたのはおそらく3,4回でありましょう。しかし、幼馴染というか旧友であるので、ずーーっと長い間ブランクがあっても70歳目前になっても友達なのですね。
何かお祝いをしたい、お金では味気ない、ならば何か作って差し上げようと思ったので、開店閉店の木札・両面看板を制作しております。お店の名前は十徳庵だそうで、お茶屋さんなので「甘露」を入れたいと思います。色は赤でなくてやはりお茶の葉の緑に変えましょう。

そして、夜の宴会に備え、1時間たっぷり昼寝をし上野まで電車で出かけました。今月初旬、上野の都美術館で、「日書展」を見に行きました。始めて応募したら運よく入選したので写真を撮りに行ったのです。上野なんぞはおそらく30年以上言ったことが無いのですが、不思議なもので行くとなると2週間で2回。

名前は聞いたことがあるのですが「上野精養軒」ここで、昨秋加入した書道会派「墨渚会」の新春懇親会が催されました。前述の様に一応入選したのでその会の中で「表彰される対象」になっていましたから、やはり知らん顔も出来ないと出かけて行ったのです。出席者約50名で、知り合いはただ一人、越谷で書道塾を開くP先生、まだ20代の若手ですがすでに日展に2度の入選歴があり、ワタシが日展にチャレンジする、とオープンチャットに大ぶろしきを広げた時「アシストしましょうか」と声をかけてくれたのです。そのご縁で「墨渚会」に加入いたしましたが、会長はじめほとんどの先生方が埼玉県在住、活動の本拠地も埼玉なので、交流する機会もありませんでした。

さて、その上野精養軒はちょっと見つけにくい場所にあり、ワタシのような田舎のネズミにとって「迷子」になりかねないような奥まったところンおにある立派な建物でありました。


知らない人ばかり、しかもその8割以上が女性でありました。恐らくその半分は師範・師匠と呼ばれるような書道の先人と見えました。ワタシなどは本格的に書道教室に通うようになってまだ9年足らず、しかも会派に入って数毛月の新米でいささか肩身が狭かったのです。運のいいことに、隣に座った妙齢の美人の女性が、やはり入会して数か月ということで大変心強かったのです。とはいえ初対面でお互い既婚者、携帯電話の番号を聞くとか意気投合するなどといった「はしたない」ことはいたしません。

会の半分は、偉い人たちのご挨拶と、過去数年の昇格者・各種公募展の上位賞の入賞者さんなどの「表彰式・花束贈呈」が延々と続き小一時間お酒は口に入りません。ワタシがしんがりで入選・花束贈呈でようやく「開宴」となったのです。これが会費1万円の食事?、後ろのテーブルに大皿が並びめいめいが取り分けていくという立食形式です。
正直質量ともに「期待外れ」でありました。場所代が高いのでしょう。また花束や、その後に催された抽選による商品贈呈がかなりの数でしたから食事にお金を掛けられなかったのかもしれませんね。ワタシは取り皿に一回だけ幾つかの料理をまとめてとり、その後お寿司3貫、コーヒーで終わり、これなら普通ならば千円でお釣りが来ます。

このまま帰ることになったら1万円の会費はいささか取られすぎだな、と憮然としておったのです。そして商品の抽選会もいつまでたってもワタシの番号は呼ばれず、とうとう最後の一品、会のクライマックスまで来てしまいました。するとあろうことか最後の品が当たったのです。
ん?灰皿か?と思ったら、やはりそこは書道会新年会の商品です。墨汁をたっぷり入れる「墨池」兼「筆洗」の作家物の陶磁器でありました。あぁ。これなら納得、値段は知りませんが少なくとも5千円位はするでしょう。

くじで決まった会場のテーブルは最も入り口に近い丸テーブルのドアのそば。表彰式も一番最後に呼ばれ、景品の最後がワタシのものになるという皆さんの一番後ろ尽くし、でありましたが、どうやらこの参加者の中では最も新しい新参者のようなので、一番下っ端・後回しになるのが当たり前という者でしょう。

そんなわけで、家に帰りついたのが夜9時半を回っていました。お腹が空いたので少しパンなどでお腹を満たして就寝、いやいや、長い一日でありました。偉い方数名と名刺交換も出来たし、次の謙慎会の出品作も決めて貰いました。何より、美しい妙齢の女性と何十年ぶりかでゆっくり話が出来たのが最大の収穫でありました。

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