植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

槍は抜くもの 通すもの

2021年08月26日 | 篆刻
 NHKの番組をぼんやり見ていたら、再放送のドキュメンタリーをやっていました。くるくるCHを変えて途中で見始めたものなので、全く内容の展開は分かりませんが、戦前か戦後間もない頃、良縁に恵まれ結婚相手の候補になった女性(八百屋さんの娘)が、相手の実家(山形県でしたか)に挨拶に行くのに難儀したという話でした。裕福で金融関係の男性と比べて家の釣り合いが取れないので、結婚は難しいのでは、と考えていたようです。

 大阪から汽車に乗って北陸の手前で大雪に遭い逆戻りを余儀なくされて「やりきれない」と嘆いていた時、列車に乗り合わせた年配の男性に「槍は切るものではなく、通すものだ。」と励まされたというのです。思い込んだら、「やり通しなさい」と。

 件の若き女性は、米原まで引き返した後大阪には戻らず、東海道線に乗り換え東京経由で何度も汽車を乗り継いで三日がかりで目当ての家にたどり着いたそうです。お相手の親も、その一途な娘さんを大層気に入って幸せな結婚が成就したのだとか。NHKも以前はこうした心に残る番組を作っていたのですね。

 この方に限らず、「人生を変えた一言」や救われた言葉は誰しも経験するのではなかろうかと思います。そしてそれは、自分のことを心配してくれる肉親に限らず、まったく赤の他人で見ず知らずの方の言葉かもしれないと思いますね。

 ワタシの人生を最初に変えたのは母親の「物書きにだけはならないで」と言う言葉でした。まだ高校生だったワタシは、純文学に興味を持ち美術部と新聞部に在籍したりと、記者やジャーナリスト、小説家になりたいと思っていました。それを母がこの子には才能が無いとか、それでは食えないだろうとか考えたのでしょう。

 今になって思えば、自分が何かに傾注し信念をもってやり抜く気持ちを持ててさえいれば、自ら人生の方向を変えられたに違いないので親を怨むつもりは全くありません。この歳に至るまで反省や自省、後悔の連続でした。わが人生に悔いなしというのは、偽善者であり自分の都合がいいように記憶を上書きしているだけだと思います。無数にあった選択肢や決断がすべて正しかったはずもありません。失敗し後で悔いてやり直し、また間違える、そんなことの繰り返しでありました。

 それで、篆刻の話であります。ヤフオクで篆刻に関係するものの安物買いをしているうち、芸術新聞社発行の「篆刻入門」という冊子を落札しました。1993年発行で定価2,600円のもの、たしか千円位でした。篆刻の歴史から印材、篆刻家、印の彫り方まであらゆるジャンルを網羅し、参考になる印の数だけでも数百種掲載され、随分「摸刻」いたしました。

 これを隅々まで読み、押されている印の姿を彫って再現すると言う作業を半年近く続けましたが、篆刻家に師事することを考えたら、コスパの良さは比類なかったと言えましょう。技術の向上だけでなく、篆刻を学ぶのに最低必要な知識はすべてこの本1冊で間に合ったのです。ワタシが人生で使った千円では、もっとも有用な買い物だったと思えます。
 ヤフオクで検索すると、この本は篆刻の入門書としては群を抜く出品があり、それだけ、名本で沢山売れた証左でありましょう。

 この本と出合ったおかげで格段に篆刻の造詣が深まりました。勿論技術も確かなものになっていると思います。ワタシにとって、人生を変える一冊だったと言えるかもしれません。
 そして、そのワタシの背中を押してその気にさせている一言があります。中学校時代の友人とのLINEで「生まれ変わるなら篆刻家になる」と伝えたら「生まれ変わらなくてもなれる」と返信してきました。彼女にとって何気ないメッセージだったかもしれないけれど、その時、そうか、そうだ、今からでも遅くはないのだ、と思ったのです。

 65歳から始めて、独学で篆刻家を目指すという気持ちがそこから芽生えたのです。やり通せるかどうかは、ワタシの健康状態と少しの運不運次第であろう、と思いながら、せっせと楽しくひたすら彫ってやり通すしかありません。

 

 
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やくざが怖くて裁判官は務まるか

2021年08月25日 | 時事
テレビもコロナでうんざりしているのでしょう。コロナ以外の話題を報道することが多いように感じます。

 全国で唯一特定危険指定暴力団 に指定された工藤会の組長の死刑判決が出ました。近代的な裁判制度になって、長い歴史の中で「暴力団トップ」の死刑判決は初めてなんだそうです。やくざ映画を観ても、直接トップが出かけて行って、抗争相手やらターゲットにドスを向けるとか、ピストルを撃つシーンはざらにありません。組長が凶器を持つのは、健さんが殴り込みにきて一対一になったときぐらいでしょうね。

 通常は、周りの若頭とか舎弟頭などに「黙らせろ」とか「あとは任せる」とか言うのです。(あくまでテレビ・映画の中ですが。)すると、今度は若くて無鉄砲なチンピラとか、薬中毒や病気で長くない組員にお金とピストルを渡すのです。実行犯になって出頭すれば、10年くらいで出所します。組長は、知らなかった、若い者が勝手にやったで済ませます。共同正犯として起訴するには証拠もなく、後の祟りが怖いので、過去の判例に倣って、殺人でも「緩い」判決となってきたのです。

 今回の北九州の一連の事件は、暴力団同士の抗争ではないこと、利権・金銭目的で、堅気の市民を殺めたこと、しかも4件もの殺人事件を連続的に工藤会の組員が起こしたことが極刑になった最大の理由であります。工藤会は何十年もの間市民を巻き込んだ抗争・傷害事件を起こしてきたのです。裁判員裁判の対象から外し、裁判官が有罪判定で死刑の判決を下した、というのは今後に大きな影響を及ぼします。

 直接証拠が無くても、やくざの組長が命じたと断じる相当な事情・犯意・状況証拠で「殺人罪」として死刑にできる、となると全国の広域暴力団もうっかりヒットマンを送り出せなくなります。組長は、これまで何年かムショ暮らしをすれば済んだのが、死刑になるのですから。

 もう一つ心しなければならないのが「報復」であります。死刑判決で、司法・警察・裁判所が「一罰百戒」で、抑止力となることを狙うなら、やくざは、組長を「とられ」、メンツをつぶされたままおめおめと引き下がらないかもしれません。これから同様な判決を下した裁判官がどういう目に合うかを、世間に示して「脅かす」必要があるのです。

 閉廷時、被告人はあんた生涯後悔するぞ」と怒声を浴びせたそうです。それが負け犬の遠吠えにならぬのが「反社会的勢力」やくざの怖いところです。若い者が黙っちゃいない。裁判は裁判長一人のせいでなくても、象徴として狙われるでしょう。所管の警察幹部もしかりです。特に、本人でなくその家族や関係人を狙うのが卑劣なところなのです。いや、実際に何もしなくても大声で脅かされて事だけで、十分効果があることも知っているのです。人を脅かして金品をせしめるプロ集団ですから。

 かつて、ワタシも自分の仕事などで、そういう類の組長・組員と対峙したことが数回あります。その時に怒鳴られた思い出は、心のどこかに沁みこんで一生忘れないでしょう。

 今回の地裁の裁判官たち、あるいは捜査や起訴に携わった人たちの、勇気や英断、正義感は讃えられるべきでしょう。そしてその指揮官たちは、反社からのいわれなき報復に、数年は厳重な警戒が必要だろうと思います。
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菅さん、鈍感さだけは誰にも負けない

2021年08月24日 | 時事
 横浜市長選が終わりました。予想通り菅さんの推す小此木さんは、野党推薦の山中さんに大差の二位に甘んじました。お父さんの小此木彦三郎さんは、国務大臣を歴任した自民党の重鎮で、横浜では圧倒的な支持者と知名度を誇ります。それが、与党自民党で固めた市議と菅さんの応援にもかかわらず落選。4選を目指し、IR(カジノ誘致)による地元経済の浮揚を訴えた現職の林さんは3位に甘んじました。

 下馬評、事前の動向調査通りであったのです。横浜市民は馬鹿じゃない、コロナ対策のこともあって、投票率は前回を12%もうわまわる49%でした。これが、単なる市長選挙ではなく、政府自民党・菅政権への答えであり、オリンピックを強行したこと、コロナ対策の不満の表れ、そして公営ギャンブルという安直な経済対策・あぶく銭回収システム(隠れた増税)への拒否、などを示したのです。

  自民党が関係する選挙の顔なのに、就任後ずっと負け続けていても「結果を謙虚に受け止める」と言うだけで、自分のせいだと思っていないようです。

 衆愚政治という言葉があります。教養の無い貧民が政治を支配すると失政を繰り返すとして、長く近代政治の戒めとされてきました。また大衆迎合政治も人気取りの政策を優先して、本質的な政策をおろそかにすることを指し、いずれもポピュリズムとも呼ばれます。

 菅さんの姿勢は、就任早々携帯電話の料金引き下げという大衆に受ける政策を打ち出し、「ガースー」ですと自己紹介したり、パンケーキを好む宰相として、大衆受けを狙っていました。まさにポピュリズムを地で言ったのです。一方で、コロナ対策は、万事が後手に回り中途半端で有効な手立てを講じられずにいました。なんでも国民からの質問や疑問にまともに答えようとせず、口では出来もしないことをさも手柄のように喧伝し、空虚な表情と内容が伴わない会見内容が延々と続いたのです。

 この方は、おそらく官房長官の時代に大きく勘違いしたのです。(張子の)虎(安倍前総理)の威を借りて、自分が権力を掌握したのだと。恫喝と情報隠ぺいでどうにでもなると思ったんでしょう。

 この市長選の結果は、横浜市民は馬鹿でないことを証明したと同時に、菅政権は実質的な終焉を意味します。このままでは自民党は選挙に勝てないということが与党に身に沁みてきたのです。国民をこ馬鹿にし、嘘と情報操作で政権を維持できるとみくびったつけが回ってこようとしています。

 それでも、目の曇った菅さんにはなんで選挙に負けてきたかが理解できていないように見えます。「謙虚に受け止める」というのは、決まり文句でなんの意味もありません。コロナ対策などで山中さんに軍配が上がったと述べていますが、そうではありません。山中さんは感染症の専門家であるのは確かですが行政手腕は未知数なのです。あの自民党のスポークスマン田崎さんは「落ち込んではいない、結構逆境に強い」と評しました。ある評論家は菅さんを「分析が浅い」と言いました。要は鈍いのではないかと思いますね。

 自分の配下の小此木さんが選ばれなかった理由は、菅さん(国)が進めたIR政策(誘致)への反対と、菅総理自身に対する反発の表れで、すでに抜き差しならぬ政治不信に陥っていると考えるべきなのです。菅さんは続投が当然として総裁選に出るようです。まだ、官僚を忖度させ、学術会議の一部委員の就任を拒んで人事を握るというような威嚇する政治の威光が通じると思っているんですね。

 仮に、危機感をもった自民党が総選挙前に菅さんをおろして、新たな総裁を選んだとすると、主流派安倍さんや麻生さんの息がかかった人になるでしょう。
 それは、自民党政治が何も変わらない、選挙対策で首をすげ替えて支持率の回復を図ると意味であります。取りざたされている下村さん、岸田さん、我らがタローさん、誰も大差ないと思います。

 横浜市民は馬鹿でなかった、それでは、全国の有権者はどうなのでしょう。コロナで壊滅的ともいえるダメージを負った経済と財政、失われた健康と多くの命、終息の見えない感染拡大防止など、今の自民党に立て直す力と打開する政策が出て来るとは到底思えません。都市部を除いて、ほとんどが自公連立で盤石な選挙地盤であります。地方の選挙民が、「痴呆」でなければいいのですが。
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自治会は誰の為?? 勲章でももらわなきゃ割に合わない(後編)の2

2021年08月23日 | 雑感
さて、1週間ほど自治会を考えてきましたが、きりがありません。そろそろ終わらせようと思います。自治会長になって、ようやく5か月、あと1年7か月のお勤めを果たせば、無事放免となります。なんでも始まりがあれば終わりもあります。

 自治会長などの役員は、大きく分けて交代制と、「気が済むまで」または余人をもって代えがたい長期制になります。交代制は持ち回りやくじ引きで定期的に替わっていくので、常に人が入れ替わることにより私物化や不透明な会計などが防げます。新たな取り組みや活動の見直しもありうる反面、本人の資質(当たり外れ)、やる気などでその任期の自治会活動が停滞したり、慣れない為の不手際、など住民の期待に応えられないといったマイナス面もあります。そうした執行部を混乱させ思い通りに動かそうとする古参のいじわるな役員もいます。

 長期政権ならば、過去の経緯から住民の顔まで知り尽くしている正副会長がいるので、自治会のことはは任せとけばいい、自分にお鉢が回ってこないので好都合と考える人も多いのです。会長側も、他の町民は文句を言わず、すきなだけ居座ることが出来ます。

 それで、交代制でない終身自治会長みたいな人が、当地区にもかなり大勢いらっしゃるのです。その多くはまさに地元の名士、会長として適材で地元町内活動に欠かせない人材なのでしょう。余禄や個人的な利益が無い、タダ働きの面倒な役職を買って出て長年勤めている方には頭が下がります。

 そういう人は、あくまで地元に貢献したいと言う献身的な気持ちなのか、あるいは「名誉欲・権力欲」にかられているのかのどちらかでしょうか。または、他になすことなく、自治会長職に自分の存在意義を見つけているような人、一定年数、会長職を全うしたら、自治体からの推薦で「褒章・叙勲」を受けられるのを期待している人もいると聞きます。

 他方、持ち回りや任期交代制の理事・役員は、迷惑千万でいやいやながら引き受けている人が圧倒的だろうと思います。会長職なども、運が悪かった、くじ引きだった、人が良くて断り切れない、などといった事情でその任に当たる破目になるのです。人望があり経験や知識豊富で地元のことに精通している、といった人が会長になっているなどというのは大きな勘違いなのです。

 現にこのワタシは、ごく最近まで回覧板など目を通したことも無く、お隣に回したこともありません。数十年というもの自治会の行事にも一切顔を出したことも無く、数年前までは、わずか4,5軒を除いて隣近所の方の名前も顔も知らなかったのです。そんな人間が自治会長をやってるのだから苦労するのも当たり前、町内の人も「大丈夫か?」と考えてるに相違ありません。

 行きがかり上、仕方なく会長を受けたものの、わからないことだらけ、頼りはワタシに代わって、町内とお付き合いをしてきた家内だけでした。以前会長をやったことがある親戚は「いろんな人と知り合い、新しい付き合いが出来て有用だよ。」とアドバイスをくれましたが、人付き合いなど真っ平ごめん、この歳では、好きな書道や園芸を愉しみ、周囲から隔絶された穏やな日々を送りたいのです。

 年間わずか数万円という交際費代わりの前渡金を頂戴しました。自治会に要する時間や苦労、対人関係やら責任を考えた時、少々お金を貰っても割に合わない、と感じます。長期間会長をやってる方々の裁量で、自治会費(運営費)の一部を飲み食いなど自由に使っても罰は当たらんだろう、というのが正直なところなんです。

 これで完結というわけにいきません、続きはまた。<m(__)m>
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自治会は誰の為?? 市役所に下僕として仕える(後編の1)

2021年08月22日 | 雑感
 ご近所のTさんが、先日引っ越ししていかれました。奥様が病気がちになり、すでに購入してあった老人ホームに転居したのです。その前にも一人暮らししていた90歳越えのおばあちゃんも、借地に建てた自宅を底地を買い取ってくれと言われて、施設に入居してしまいました。若い人は他の都市に出ていき、取り残された老人が少しずつ死に絶えるというのが日本のあちこちで起きている現象です。

 自治会長になると、毎月のように高齢者が亡くなるのを知らされるようになりました。自治会は町内で起きていることをなんでも把握できないとならないのです。その一つが、災害時の避難要支援者の存在であります。独居老人で、身体的な障害があって一人ではやっと生活できるかどうかという人が、町内に20人以上住んでいます。

 このリストが、民生委員と自治会長に渡されているのですが、「個人情報保護法」のせいで、他の町民や理事には公開できません。すると、万一大災害が生じて避難することになったら、要支援者の安全や非難の面倒を誰が見るのか、という話になります。

 市役所では、災害時の当町内担当が4名選任されています。しかし、この方たちは普段は防災に関係ない市の職員で、被災時には避難所である「競輪場」に詰める仕組みとなっていて、個別の避難には手を貸しようもないのです。人は、それは自治会長の仕事だ、名簿を持っているのは自治会長しかいないのだからと言います。大きな台風や洪水が迫って緊急事態になったとき20名の障がい者の老人をワタシ一人がどうやって安否確認し、避難誘導が出来ると言うの?

 先に書いたように、コロナの渦に「地区レクレーション」を是非とも実施しろと言ってきたのも市の教育委員会でした。地域の大清掃、子供の育成関連イベント、老人福祉の行事、赤い羽根などの募金活動、どれをとってももとをただせば自治体(平塚市)の施策であり、行政本来の役割なんです。これを、自治会に丸投げしてタダ働きさせ、手柄は市役所が挙げる、という風に見えてしまうのです。

 平塚市は、大きく豪華な市庁舎を建てた以外に、市民が感じ取れる目新しい事業がありません。コロナ対策ですらワクチン接種券以外なんの手立ても取られていないように感じます。地方都市ではトップクラスの職員給料を払っている割に、駅前はさびれ、国道沿いの七夕通りはシャッター商店街になりました。コロナの為に盛況を誇った有数の飲み屋街「紅谷町」はどんどん飲食店が撤退し、数えきれないほど「テナント募集」の看板がかかっております。
 こうした現状に市役所は見て見ぬふりをし、全国的に衰退している競輪事業にはしがみついているのです。


 自治会は、市役所の奴隷?下請けなんでしょうか?。先日は自治会運営の調査の為とアンケートを渡されました。その前は、わずか2万円ちょっとの補助金交付の為に災害物資交付要請書類を出せと言ってきました。来月は競輪場周辺対策会議に出ろとのお達しも来ています。
雑事に振り回されている自治会役員は、そういう疑問を抱えているのです。
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