昨日、通夜で小田原まで行ってきました。現役時代に勤務していた会社の先輩が亡くなったのです。享年69歳で、病名は末期の肝臓がんだった由。余命2年と宣告されたのにあっという間に悪化して半年で鬼籍に入りました。ふと振り返ると、過去1年間で弔問した親戚や知り合いの方の葬儀は3回、その享年は70歳、74歳、そして69歳と、今の日本人の中では随分若くして亡くなっています。いずれも病死です。
これは、なかなかにつらい気落ちになります。自分の身になればあと4~9年であの世に行くという計算になります。あっという間に寿命が尽きるのだと思うと終活も考えねば、身の回りを整理し断捨離も必要だと気ぜわしくなります。
そして、昨夜の通夜ですが、やはりコロナのために様々なことが一変しました。先輩は小田原の在で親御さんも名士、ご本人も地元有名校出身という方です。しかし、親族席には10人足らず、参列者も30人前後とお見受けしました。まだ、社会の一線で働いていた大黒柱が亡くなったにしては、寂しい式でした。
コロナの時代、家族葬で済ますという家が増えたと聞きます。長引く経済の低迷や可処分所得減少で、地味な冠婚葬祭に傾斜しました。今では、葬儀社の方で、親族を10名程度まで減らすとか、参列者の制限をするということもあるらしいです。がっしりとした体躯の導師の、朗々とした読経が救いでありました。
さらに、焼香を終えての「通夜振舞い」もありませんでした。多人数の会食に該当するからでしょう。昨夜は遺族の配慮で「ちらし寿司」が会葬お礼と一緒に配られました。最後の別れをするのが憚られるのはどう考えてもおかしな話、にぎやかなお酒が好きだった故人も浮かばれませんね。
参列者の中には5,6人顔見知りがいました。従来なら、故人を偲んでそこらで軽く一杯というところですが、あのにぎやかな小田原の夜も、「飲食店の自粛要請」で軒並み20時に閉店、19時がオーダーストップですと書いてあります。通夜が終ったのが19時ちょっと前、急いで駅のそばのレストランに飛び込みました。あと10分でオーダーストップと言われました。
遅れてきた仲間と合流したのがそれから40分後で、もうどこにも飲み食いできる店は見当たらず、心なしか駅周辺の人波も途切れて閑散としていました。やむなく閉店20分を残したDOUTORに滑り込みわずかな時間でしたが、かの人の思い出や病気の話題を惜しむように語り合いました。かつて部下で使えた女子は、マスクを着けたままで、さめざめと泣いていました
小田原の駅前はまだ20時すぎというのに、明かりが消え、薄暗くなっておりました。これでは、世の中冷え込みますね。ワクチン接種が免罪符かのように言われていますが、国産ワクチンは遠い夢、欧州からもEU加盟国優先、品薄で全く見通しが立ちません。何が間違っていたのか、日本に何が欠けているのか、じっくり検討してみてください。このままでは国民全体が浮かばれません。