植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

すべてはこれから(後編) 頭までどっぷり書道に浸かる

2020年07月24日 | 書道
 もう長らく遠ざかっていますが、学生の頃囲碁を少し齧りました。
 その頃「中国流」という布石で、4隅の星(点)を外して低く構えるが流行りました。囲碁は元々中国が起源で、4千年位前に誕生し、日本には飛鳥時代に伝来したそうです。今は世界的に広まって国際大会も行われていますが、やはり本家中国が強く、最近ではこれの韓国勢が追随しています。

 日本へ漢字の伝来というのも4世紀頃と言われますが、書道においても、「中国流」が存在します。中国式では、書体・字の大きさ・字間などがきちんと統一され、各行での漢字の位置が横並びになるように書かれます。王羲之の書が永らく書の王道となっていますから、この字に倣って、今でも行儀よく律儀に字の大きさ線の太さも揃えて書かれるわけです。
 ただし、戦後中国では識字率の向上の為に漢字の簡素化・省力化を行いました。簡略化した中国文字(簡体字)は、いかにも味わいが無く、元字の意味も損なわれてて醜くなりました。一方で漢字文化の影響が強かった昔の朝鮮王朝は独自の文字「ハングル文字」を考案出して、どんどん漢字文化が薄れました。40年前からは漢字の使用を原則廃止としたので、今では漢字を読めない人が大勢となったようです。

 つまり、今や中国と日本しか漢字は使われなくなり、従って書道も両国のみの独自文化となっているのですね。

 日本でも長い歳月を経て、仮名という独特の文字文化を発展させました。漢字は徐々に簡素化をしていますが、あくまでオリジナルの文字を若干簡略化するにとどめています。そういう意味では、漢字・書道の世界ではいまやわが国が最高峰と言えるのかもしれません。前述の中国流に比べると、日本の書ははるかに芸術性を追求し、自由で奔放・融通無碍の書法になっています。
イメージとしてはこれが中国流。ちっとも揃ってない(笑)

こっちが日本流であります

 文字の太さも極端に変化させ、滲みとカスレを駆使、空間の取り方にも様々な創意が織り込まれるようになりました。文字列をわざとずらし、各字の縦横の広さを様々に変えることで書の流れやリズムを生み出すようにしたのです。
 更に、漢字から昇華させた仮名文字の美しさ、漢字とかなを組み合わせた「調和体」の自由さも素晴らしいのです。
 「禅」や「仏教」などに重ね合わせ、幽玄さや書の持つ精神性も重要な要素とされております。

 ワタシの師「藤原先生」も空間・字間・余白の取り方に非常に神経を使われるようです。

 頭の悪い(失礼)創造性・芸術性に劣る(これまた失礼)中国人が、創意工夫もなしで、決まった形の中に字をはめ込む職人的な書であるのに比べて、ち密な計算・構想に基づいて書技を駆使する日本の書道は、もはや世界唯一の独自の芸術だと思います。浅薄で利己主義拝金主義に染まった中国人にはもはやなんの敬意を持ち得なくなりました。

 書を学ぶ身になると、先人の書を模して文字を美しく正確に並べて書くという、中国流の単純な作業を離れて、精神性芸術性にまで踏み込んでいかなけらばならない、という非常に険しい道、厳しい世界がはるか遠くながら見えております。

 書道にどっぷりとつかり、頭のてっぺんまで墨に体を沈める、くらいの覚悟で参ろう、と思う日々であります。
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