松実ブログ

松実の教員が書き込んでいます。面白い先生がたくさんいますよ☆

2009年12月11日 23時53分18秒 | Weblog

埼玉に越し、この場所で過ごし始めて数年。
松実では、人との出会いは多いけれどもそれ以外ではどうか。

始めの頃は家と職場との往復だけで、知り合いなんて殆どいなかった。
大学の友人が近くに住んでおり、時折会うくらいだった。
しかし、部活の発足や地元の柔道の団体に所属したことで松実外での出会いが多くあった。
この数年の間に職場内外にて多くの人と知り合うことができた。


先日柔道部の部員が昇級審査に参加しました。
残念ながら昇級はできませんでしたが、彼らにとってとても大きな経験になったと確信しています。
今後の糧にして、ここからがスタートです。


会場を見渡せば、そこかしこに見知った顔がある。皆柔道関係者。
指導者、団体のメンバー、子ども達、etc

畳の上では名前を知らなくとも柔道着を着ていれば、皆同じ柔道仲間。
それまで名前や顔すら知らずにいたが、一度でも一緒に練習や試合をしてしまえばもう仲間なのだ。

以前道場に出稽古に来た人が、松実のある先生の後輩だった。
その先生と親しげに話している姿を見たら、自分も親しい関係になったように話が弾んでしまった。
ろくに自己紹介もしないで、以前に一回だけ一緒に稽古しただけなのに・・・。

また、その後審査を受けに来ていた中学生達に、柔道の形(かた)を教えることになったが、初めて会ったはずなのに柔道を通じて以前からの知り合いのように会話することができた。(気がする)

試合に参加した部員は、道場の先生やメンバーといつの間にか、楽しそうに会話してるし・・・。


柔道を通じて得た「和」と「輪」の力なんだとも思う。


ちなみに今怪我のため通っている整骨院の院長も昔柔道をやっていたらしく、この辺りの柔道関係者と繋がりがある。
そこでも出稽古に来た人たちと遭遇したり、情報交換をしたりしています。

 

これらの繋がりは全て「柔道」というものを通じて得たものである。
当たり前のように日々新しい出会いをしてきたが、審査会はそれら全てが1つになり、形を成したように感じた。

気付きは非常に小さいものかも知れないけれど、この「縁」はとても大切なものだと思いました。

 


もう一つ。

最近あるスポーツ関係者の講演を聞き、そこで考えたこと。


我々は親に生まれさせられ今を「生きている」、しかしただ毎日を「生きる」だけなのか。
いやそうではない。
せっかく生きているんだから、精一杯活きなくてどうするのだ。


人は目標を立て、挑戦することを忘れなければ、生きる活力が沸いてくる。
それは過去の偉大なる先人を始め、今の私の持論でもあります。
その結果、人は「活きる」

「活きる」ことは心身を刺激し、いつまでも健康でいられる。
そして充実した人生を歩んでいけるのだと思う。

寿命が来て、この自分の命が終わってこの世を去るときに。
後悔ばかりの人生か、それとも楽しかったといって目をつむるか。


私は後者でありたい。


だから私は「活きたい」と強く願い、それを実践する。

 

先月柔道の昇段審査を受けてきました。
高校以来の挑戦。
参段の受験をしましたが、結果は惜敗どころか惨敗。


一勝三敗一分け、受験者の中でも一番小さく体重も軽かったと自負しております。
それでもこの結果を元にして、自分自身に課題を見つけ今後の糧としていきます。
ただでさえ、体格において不利なのに受験者の中には厳しい稽古を積んでいる人もいるよう。
参段合格は夢のまた夢かもしれない。

しかし、今の目標のひとつは参段に合格することです。
これがなかなか今の生活に刺激を与えてくれます。

仕事のこと、プライベートなこと、苦しい事も沢山あるけれども、それぞれで目標を定めて挑戦しています。

その中には、やはり自分自身の努力以外にも他者や社会に対しての働きかけが必要なときもあるのだと思う。

 

柔道は元々やっていたけれども、今の地域の団体の存在を知ってから見学、所属するまで2年かかっていますから。
様々な理由をつけて行動に移さないでいたのは自分。

社会に参加していなかった、世の中に自分から働きかけていなかったのです。
そんな余裕がなかった、なんてのは今からしてみればただの言い訳な気がします。
今ではもっと早くから参加していれば良かったのにと思う。


人が本気になれば、案外行動は早いのです。

 

自分自身が「活きる」ために行動に移す、その結果、人の「輪」が繋がっていく。
まだ見ぬ「縁」を引き寄せることができる。
自分は独りじゃないんだと実感する。
自分が世の中と繋がっているのだと実感する。
今をより良く生きているのだと実感する。


最近、それらを強く感じております。


私は今、人生を生きています。そして自分が「活きています」


そう思えるのがこの上なく、嬉しいのです。

 

 

 

 

 

たき