松実ブログ

松実の教員が書き込んでいます。面白い先生がたくさんいますよ☆

テニス部合宿

2007年08月31日 17時21分18秒 | Weblog

学園に8時集合、天気にも恵まれ学園車にメンバーは乗り込みいよいよ出発です。

途中Yちゃんのご家庭で不幸がありマクドナルド前で降車をしていきました。

お昼には河口湖のほとりのベンチで昼食を。湖を眺めながら、富士山をバックに食べたご飯は、とびきり美味しかったです。

河口湖では鯉のエサをあげました。するとKくんは素手でエサを白鳥のくちばしに直接あげます!

Kくんの、手の半分が、白鳥のくちばしの中にすごい勢いで入っていたのでみんなでとても驚きました!

Kくんに続けとばかりに、他のみんなも素手でエサをあげるなか、あきらかに躊躇する教員S先生の姿も

見受けらましたが、普段の生活では出来ない大自然の中で色々な体験ができたことだと思います。

予定どうりの時刻で、宿泊する「グローバル富士」に無事到着、かわいいワンちゃんがわれわれを

お出迎えしてくれました。

コートも2面を借りられてテニスの練習開始です。

H先生は右手首を痛めているのをおして、球出しをしてくれたので、たっぷり4時間

みんなも本気になって一生懸命練習に励んだと思います。

近くの温泉までいきました、Mちゃんと教員Hだけの貸し切り状態の露天風呂に入り、

「いい湯だねーー気持いねーー」とゆっくり入ることが出来て二人ともにこにこ顔でした

バーベキューではみんなおなかいっぱい食べて、散歩をかねてきもだめしへ出かけました。

行きの道は・・・・続く・・・・

 

 


夏の終わりと秋の始まり

2007年08月30日 20時42分37秒 | Weblog

季節は夏から秋へ。

田んぼにはよく実った稲穂が。そろそろ稲刈りの時期。

「あぁ・・・稲刈りの季節か」

このブログは、「稲刈り」に悲しい思い出がある少年(当時中3)の話。

 

彼が当時所属していた野球部はやんちゃ坊主の集まりだった。

とにかく遊ぶことが好きで、仲がよかった。

野球の実力もそこそこで、小学校の頃には市内を制覇するほど強いチームでレギュラーを張っていた奴ばかりだった。

 

だが、中学校の野球部の顧問は全く野球には興味がなく、部活の指導などまったく行なわない教員だった。そのせいにするわけではないが、彼らは野球の練習を片手間におこない、とにかく放課後は遊びまくった。

 

だが、「本気で野球がやりたいな~。」と本心では誰もが思っていた。

 

そんな日々が続き、珍しく校庭に出てきた顧問がニコニコしていたので、何かあるのかと思っていたら、

 

「おう、お前ら、あそこの空いている花壇を自由に使っていいって言われたから、野球部で稲を植えるぞ!!秋には米が実るからみんなでカレーパーティーだぞ!!」

 

「野球じゃなくて、田植えかよ。」と正直に思ったが、暇だったので、

「すっげーうまい米を作ってカレー食いまくろうぜ!!サッカー部の奴らにも食べさせてやろうぜ。」

と少年たちは一気に盛り上がった。そこからジャージを捲り上げて、花壇を田んぼに変える作業が始まった。

 

田んぼは水を張った状態を維持できなければいけないので、土を全部掘り起こし、その下に強力なビニールシートを敷き詰め、またその上に土をかぶせた。

その作業はかなりの時間を費やし、体力的にもかなり厳しかった。

1日では作業は終わらないほどだった。

だが、みんな黙々と作業を続けがんばった。

 

少年は、作業する仲間の姿を目に、久しぶりに皆が充実しているのだと思い嬉しかった。

田んぼは完成し、水を張った。サイズは小さいが立派な田んぼに仕上がった。

 

さて、田植えだ。ヒンヤリとした水の中に裸足で入り、ちゃんと列を作って苗を植えた。土の感覚と水の感覚、そして苗が「スっ」と土に埋まる感覚がたまらなく気持ちよかった。普段は馬鹿な遊びばかりをしている仲間も弾けんばかりの笑顔だ。

 

それからは、その顧問の言うとおり田んぼの世話を交代制で行って、苗の成長具合を皆で見守った。

部活や体育の授業でボールが田んぼに入ったりした時は大変で、

「ふざけんな!!誰の田んぼだと思ってんだ!!二度とボール入れるなよ!」と怒鳴ったりもした。

 

春から夏、夏から秋・・・時は流れ稲穂が日に日に実っていく。

その少年は食べ物で一番カレーライスが好きなため、収穫の日が楽しみで仕方なかった。

 

しかし・・・日々の学校生活では、野球部連中やその仲間たちが学校内で問題ばかりを起こして荒れた日々だった。

あの当時は、先生たちもホトホト疲れ果てていたと思う。毎日のようにどこかで問題が起きていた。

 

そして・・・

あれは、夏休みがあけて、数日後の涼しい日だった。

1時間目の授業が終わった休み時間。ベランダからボーっとグラウンドを眺めていた時には、確かに田んぼには収穫待ちの稲穂が所狭しと立っていた。

しかし、昼休み。さっきと同じようにベランダからボーっと下を眺めていた。一緒に眺めていた友人と少年は同時に声を上げた。

 

「稲がないじゃん!!!」

そこからは速かった。

急いで教室を飛び出し、上履きのまま田んぼに走った。

確かに稲が刈り取られている・・・。

 

「さっき2年生がジャージ着て外に出ていたのは稲刈りのためだったのか!」

友人が叫んだ。

「(顧問のところへ)行こう!!」

二人は走って職員室へ向かった。

 

気のせいか。階段を駆け上がる先が、どんどんカレーの匂いがしてくる。

「まさか・・・」

 

「これが、野球部の連中が作った米ですか。なかなか、うまいですね~。これで大人しくなるなんら、先生、もう一回連中に田植えをやらせましょうよ。」

「はっはっは~そうですね~。」

 

「・・・・・。」

職員室の前まで走ってきた二人の少年に聞こえてきた会話だった。

 

「ちょっと待ってくれ先生。俺たち野球部のみんなで収穫して、カレーパーティーやるんじゃなかったのかよ。」

友人は叫んだ。

「おぉ~。お前らぁ~。美味かったぞ~。

2年生の子どもたちもみんな美味いって言ってたぞ~。良かったな~」

 

その言葉を聞くか聞かないかのうちに

「ふざけるんじゃねー!!」

友人は飛び掛った。しかし、少年はそんな友人の行動を先読みして体を前に入れて、笑いながらこう言った。

 

「Y、いいじゃねーか!!2年の奴らがうまいって言ってくれたなら。」

 

その教師に背を向け友人の動きを制していた少年の目には涙が溢れ、それでも必死にYをなだめた。Yはその様子にすぐに気がつき、やがて大人しくなった。

 

「こんなことがあっていいのかよぉぉ~。おまえは何で笑っていられんだよぉ~。」

 

Yはさっきの鬼のような形相から一変し、悔しさと悲しみを混ぜ合わせた少年の顔に戻っていた。そして二人は力なくその場を離れ、体育館裏で泣いた。

 

話を聞いた仲間も集まってきて、みんなも泣いた。余計なことは何も話さず、しくしくと泣いた。

 

少年らは今でも、稲刈りの季節になると、このことを思い出すらしい。

 

「夏の終わりと秋の始まりが、切ない季節だと感じるのは、このせいだろうか。」

彼らはそう言って悲しそうに笑った。

 

 G 

 

 

 

 


視点を変えてみよう

2007年08月29日 17時24分49秒 | Weblog

はい、松実高等学園で理科を担当させていただいているものです

昨日、8月28日は皆既月食を観察するチャンスでしたね

しかし、残念ながら関東地方ではほとんど観測することはできませんでした

次に日本で皆既月食が観察できるのは2010年12月21日だそうです。

しばらく先ですね

今回よりも条件は厳しいそうですが、曇り空でなければ可能性はあります。

次こそしっかりと観察したいものです。

さて、それでは続けて理科的なお話を。。。

 

 

普段皆さんの食事でよく見かける卵。

普通、卵は割ったらとろとろの生の状態ですよね。

しかし、卵を割らずに沸騰したお湯の中でしばらく茹で続けると白身も黄身も固まります。

そう、卵は茹でると固くなる。

これはみんな知っていますね。

ではどうして固くなるのでしょうか?

 

 

少し化学的に考えてみると・・・。

卵は大きく卵白(白身)と卵黄(黄身)に分けられ、どちらにもタンパク質が含まれています。

そして、タンパク質というのは加熱すると構造や性質が変化します。

このことをタンパク質の熱変性といいます。

つまり、ゆで卵というのは生卵を加熱することで、中に含まれているタンパク質を熱変性させて固めたものである、と言えますね。

 

料理ではこのタンパク質の性質を利用しているものも多くみられ、研究・実験などではタンパク質を変性させないように細心の注意を払っています。

このように生活の中にも、化学というのはとても多く潜んでいます。

 

 

 

日常の世界をほんの少し見方を変えてみるだけで、とても多くの疑問が生まれてきます。

「なぜだろう・・・。」

「どうしてこうなっているの?」

という気持ちを持つことができたら、その次は沢山調べてその疑問を解明してみましょう。

そのような謎を一つ一つ解き明かしていくと、必ず新しい発見が待ってるはずですよ。

 

 


視点を変えてみること、物事に対して不思議だと思う気持ち、知らないことやわからないことに対する探究心を忘れずに。

 

 


ちなみに、皆既月食中は月に光が当たらないために、いつものようには見えなくなってしまいます。

大気中の状態や光の具合で変わるのですが、実際には真っ黒な月や赤黒い月、ときにはオレンジ色っぽい月として観察できるようです


次回、僕らはどのような皆既月食が見れるのでしょうか。

今から楽しみです

 

ね、K村先生

 

 

 

 

たき

 


皆既月食

2007年08月28日 15時26分02秒 | Weblog
今晩は、皆既月食だそうです。
皆既月食とは、太陽と月の間に地球が入ることで、月に当たる太陽の光が遮られて、 月が完全に見えなくなってしまう現象だそうです。…で、いいんですよね?T澤先生

人間は大昔から、真っ暗な空にぽっかりと浮かぶ月を見て、色々な事を考えていました

誰しも国語の授業で必ず唱えさせられたと思いますが「今は昔、竹取の翁というものありけり。野山にまじりて竹をとりつつ…」で始まる『竹取物語』、俗にいう『かぐや姫』は、月からきた月世界人のお話です。
なぜかぐや姫は地球に来たのか?ということに関してはいろいろ説がありますが、月で罪を犯したために、罰として地球に落とされた、という説が一番有力。いったいどんな罪を犯したのでしょうか…??
日本で一番古い物語ですが、誰が書いたかわからないので、本当のところはわかりません。不思議に輝く月をみて、千年以上昔の人がこのお話を考えたのでしょうね

月にはうさぎが見える、ともよく言いますが、古代インドの仏教のお話から来ています
貧しい人に施しをするために、自らの肉を食べてもらおうと火に飛び込んだうさぎを見た神様が、その心を受け止めて、後の世に伝える為にうさぎを月に描いたので、月にはうさぎ模様浮かんでが見えるのだ…というお話です。
そこから、タイや中国などの仏教国では、月にはうさぎ、と言われるようになりました。日本でも、うさぎが月で餅つきをしているようだ、と言われていますね。

西洋では、太陽が男性を示しているのに対して、月は女性を示していると言われています。よく聞く寓話では、満月を見ると狼になってしまう男の話。それから、魔女は満月の夜に黒ミサを開くとか…

現代では科学技術が進歩して月の誕生についてかなり信憑性のある説が立てられているそうです。
それどころか、実際に人類は月にたどりつくことが出来るようにまでなりました。でも、アメリカの打ち上げた宇宙船アポロの月面着陸は、でっち上げだったとかいう話も…(米ソの冷戦の歴史が絡んできますね) 逆にアポロの宇宙飛行士が、月で宇宙人に遭遇していた、というアポロ計画陰謀論もあるとか・・・本当かなぁ

音楽でも絵画、小説でも、月を描いたものは数多くあります。海外の精神科医では、月と人間の精神構造を結びつけて研究している人もいるそうです
月にまつわる面白い、不思議な話は上げれば本当にきりがありません。

それだけ人の心をとらえて離さない、神秘的なものがある月。
そんな月が欠けていく様子を、今晩はじっくり見てみませんか?

時間は午後6時52分から、ピークは7時37分。晴れますように。

   あや 
    

悪と正義は

2007年08月27日 20時28分26秒 | Weblog

人は誰しも失敗をする。

二度と思い出したくないような失敗から、今では笑い話になってしまうような失敗がある。

 

「人は失敗から多くを学ぶ」「失敗は成功のもと」そう言われている。

失敗をして、恥ずかしい思いや悔しい気持ちを覚え、その気持ちを糧に、失敗を見直し反省する。そして次に同じことをしないようにしていこうと思う。

 

以下、フィクションです。

 

思えば中学生の頃くらいから失敗ばかりだった。

俺と周りの気の合う友人は失敗を繰り返し、その度に周りの大人に怒られ、親を泣かせたこともあった。

だいたい、何が正しくて、何が正義なのかも分からないのに、「お前らは間違っている」と言われても分からなかったし、不満だらけだった。

 

世の中の大半は敵で、付き合っている彼女と気の合う友人だけが味方だと思っていた。今思い返してみても、自分たちの態度、言動、行動の多くは間違っていたし、失敗をしていた。でも、その中には、どう思い返しても理不尽で大人の都合を押し付けられたとしか思えないケースもあったように思う。

 

大人になってから回想すると、やはりあの時のあの事は自分たちの間違い・失敗ではなかったと言える。

 

それは、中学校2年の時のある授業での話だ。

女性教師が席の一番前に座っている生徒たちに、

「このプリントを一人一枚取ったら後ろの人へ回して下さい。」

と言いながらプリントを渡した。友人のNは一番前の席だったので、自分のプリント以外を後ろの席に回し自分の机に1枚のプリント置いた。そこまでは普通だったが、Nは何を思ったのか、その教員の目の前でプリントをクシャクシャにして丸めた。

 

みんなあっけに取られたが、その教員は顔を真っ赤にして、そのNを立たせて怒鳴りつけた。あまりの突然の出来事にひどく驚いたがその様子をみんな見つめていた。

「なんであんたは、プリントを丸めたの!!ふざけんじゃないわよ。あんたの性格の悪さは職員室でも有名だよ!!あんたの顔に性格の悪さが出ている!!先生たちの間では噂になっているからね!!」

 

一気にまくし立て、鬼の様な形相でNをにらみつけている。

Nは黙っていた。だけど俺たちはその教師の発言に噛み付いた。

 

「ちょっと先生、そんな言い方ねーじゃん。プリントを丸めたのはNが悪いよ。だから、Nはちゃんとプリントを広げて謝れよ。でも、先生の今の言い方はプリントを丸められたことと全く結びついてねーよ。」

 

「うるさいわよぉぉぉ~!!あんたたちも同じよぉぉ!!あんたたちの根性の悪さは一流品だわ!!みんな迷惑している。先生たちも、地域の皆さんも、ちゃんとやっている子たちも迷惑だって言っているわよ!」

 

あんたたち・・・?あんたたちっていうのは俺も含まれているのか?誰のことを言っているんだ。

 

「先生、あんたたちって誰ですか?一人一人名前を言ってくださいよ。」

「そんなの自分たちが一番よく分かっているんじゃないの。」

そう言うと彼女は、教室中を見渡した。その時のことを今でも覚えているが、俺を含めた5、6人がその教師に目を合わせられた。つまり、その目を合わせられた者たちが該当者なんだとすぐに分かった。

 

俺は怒りに震え、気が付いたらその教員の目の前に詰め寄っていた。

自分だけだと思ったら、目を合わせられたみんなが同じだった。

もちろん暴力を振るおうだなんて考えていなかったし、ただ、真意を聞きたかった。

俺(たち)は、そんなにも周りの人に厄介者だと思われているのか・・・。

 

そこで何を思ったのかその教員は、

「きゃー!!!」と、叫び声を上げ、隣りの教室で授業をしていた男性教員たちが走りこんできた。

まるで、SATのように・・・。隊長の突撃合図を待っていたかのような速さで、飛び込んできた。

 

「てめーら、何してる!!!おい、こらぁ~!!」と言って、友人の腕をひねり上げようとした。

「ちょっと待ってくれ、俺たちは何も・・・!!!」

「ふざけるな、全員覚悟しろよ!!」

そう言って内線で職員室に電話をし多くの教員が集まってきた。

 

俺は、ただ呆然と・・・一連の流れをまるでスローモーションのように見ていた。

なぜか、熱くなるわけでもなく、ひどく客観的に・・・。自分たちの意志とは全く関係なく進んでいく事態を・・・。

 

集まってきた教員は、俺たちから善良な市民(他の生徒と授業担当の先生)を引き離すことに成功し、悪党どもを教室の端に押しやる・・・

その一つ一つの仕草を、俺は記憶しようと思った。そして忘れてはならない、決して忘れてはならないと頭の中で唱えた。

 

もちろんその後は、俺たちが犯した「失敗」あるいは「間違い」を執拗に追求され、口先でも「反省」の言葉を出すように促された。

 

大人によって捻じ曲げられた少年たちの「失敗」

友人を守ろうとした、純粋なあの時の俺たちの気持ちは間違っていない。

今となってはどうでもいい問題だが、しかし、その授業を担当していた先生は、自分の失敗に気が付き、愚を恥じただろうか。

 

この文章には異論反論あるでしょう。

この話は、フィクションです。

 

 G 

 

 


ガリガリ大王

2007年08月25日 09時11分50秒 | Weblog

水は低きへ流れるが至極 逆流する力を今求める・・・

 

こんにちは! 「から揚げは鳥だよー!」が口癖のおばちゃんを知っている者です。

 

いっやー、あつくて泣けてくる毎日にもなりますが、たまにはいいお知らせもあります。

 

イトヨに買い物に行った本日のこと・・・いつも道り、地下で買い物をし終わり

 

日曜品コーナーに行きました、そこで見たのがこれっ、ガリガリ君!

 

なぜに日用品にこんなものがと思いながらガリガリユーザーの僕はすかさず手に・・。

 

 

ビビッタゼ、ガリガリ君コーラ味入浴剤・・・。

 

 

即効、買い。

 

家に帰って早速試したが、お風呂が泥遊びして帰宅し、入った風呂の色しただけでした◎

 

それにつけても、マイカーのエアコンが故障し、この猛暑の中、ゲキアツ生活。

 

車から降りてきてメガネ曇ってる人うらやましいですっ・・・!

 

そんな感じで毎日アツくて焦げるぜっ☆

 

焦げ付くのはアメリカの住宅ローンだけで十分だぜ。 あ、今、うまいこと言ったなーっ◎

 

PS、結局車を修理にだして、代車で帰ってくるときに、道を譲ってくれた人に

ハザードを出すわけですが、エアコンのスイッチ2回押してましたっ◎

気をつけて 

YUT


命について考える

2007年08月24日 19時02分34秒 | Weblog

先日、夏期休暇より復帰しました。

お盆休みも合わせると意外と長かったお休み。

先日出勤した時は先生方も生徒のみんなも本当に久しぶりに感じました。

生徒の中には朝から顔色悪そうにしている人もいたのでとても心配です。

やはり、夏の暑さの影響か、はたまた受験勉強の影響でしょうか。

とにかく体調管理に気を付けてください。

9月3日の始業式にはみんなの元気な姿を見せてくださいね。

みんなに会える日が待ち遠しいです。

 

 


ところで本日は学園に意外な来訪者が現れました。

それはハチ。

そう、昆虫のハチの仲間が突然現れたのです。

その子はみんなが語らう生徒ロビーに居座り続け…、

「あ~、近づいて刺されたらどうしよう」

「突然襲ってくるかも」

そんな不安を与えてくれました。

 

・・・。

さて、この危機をどう乗り切ろうか。

 


殺虫剤をかけて、ハチを退治するのは簡単です。

ですか、罪のない命を絶つのはものすごく抵抗がある。


僕達人間は生きていく為に沢山の命を犠牲にしています。

今日食べたものを思い出してください。

米、パン、野菜、果物、豚肉、牛肉、魚…、その他にもまだまだあると思います。

米・パン・野菜は植物から、豚・牛・魚は動物から得ているもの。

そこには彼らの命を絶ち、僕らが生存しているという一つの事実があります。


このことを考えると、どんな小さな命であれ、大切にしていきたいと思ってしまいます。

そのため普段から、植物や動物、生きているもの、命を持つものを尊重するように心がけています。

 


しかし学園という場所であり、生徒に危険が及ぶ可能性が考えられます。

そのため、そのハチを下手に刺激しないよう、かつ速やかな解決に迫られました。

 


非常に困難な選択の結果、僕は殺虫剤を片手にそのハチの命を断ちました。

そのハチの痛み、苦しみは僕にはわかりません。

ですが、とてももがき苦しんだことと思います。

 

小さな、小さな命。

命は簡単に断つことができます。

しかし、それは一度失われたらもう二度と戻らないもの。

 


今日もまた、罪のない命を犠牲にして生きています。

このことはこの先もずっと背負っていかなければいけません。

 

どんな小さな命であれ、生命というものは尊いもの。

自分以外の命を糧に生きている以上、それを忘れずに日々生きていこうと思っています。

       たき


おやすみなさい、パパ 

2007年08月23日 16時54分54秒 | Weblog

男は父親になれても、母親には絶対になれない。

女は母親になれても、父親には絶対になれない。

シングルファザーの友人がおり、様々な話を聞くことが多い。お盆休みだったこともあり、会ってはいろいろ話をした。彼の子どもの寝顔を見て、切に「幸せになってほしい」と願った。

 

「たくさんいるさ。片親で育っても立派に生きている人間など。むしろ今は、両親が揃っているほうが、いろいろと過保護にしてしまって、子どもがたくましくならないよ。」

シングルファザーの彼が言う。そりゃ~そうだ。彼が言うことには説得力がある。なぜなら彼自身が片親で育ち、今では立派な大人だ。まぁ、若いころはヤンチャ坊主だったけれどね。

 

でも加えて気になる一言を言った。

「どうしてか、俺の家系は結婚相手とうまくやっていけない。親もそうだったし、親戚もそうだ。この不幸の連鎖を俺の代で止めたかったのだけれど・・・止められなかった。どうすれば良いのか分らなかった。」と嘆いた。

 

そして・・・

「きっと、片親で育ったから、もう一方の親の気持ちを分かってあげられないんだ。俺は父親に育てられたから、母親の気持ちを分かってやれないんだ。つまり、妻でありこの子どもの母親である、元の女房の気持ちを分かってやれなかったんだ。きっと夫婦生活の根本的な部分が抜けていたんだよな。」

 

さびしそうに彼は言った。運命に逆らえずこの苦しみをどのように振り払えば良いのか・・・。苦悩の日々は近くで見ていたからよく分っていたつもりだった。だけど、考えていた以上に、彼は悩み苦しんでいた。

「でも、それは誰かのせいにしているんだよな。幸せになるもならぬも自分で切り開かなきゃいけないってことくらいは、分ってる。」

そこまで悟っている彼が、そしてすごく優しい心を持ったこの男が、なぜこんな苦しみを体験しているのか。

 

「離婚している人は多い。これは偶然かもしれないけど、離婚している奴らの話を聞くと、その親も離婚していることが多いんだよ。俺もそうだけど、やっぱり何か関係あるんじゃないかな。」

 

そう言った彼の横で、寝ていた1才の息子が泣き出した。夜泣きだ。

彼は息子を両手で抱きあげ、オムツを確認。慣れた手つきでオムツを換えて、再び背中のあたりをポンポンと軽く叩いてやると、息子は何事もなかったようにまたスヤスヤと眠りに入った。口をムニャムニャさせていたからきっと「おやすみなさい、パパ」とでも言っていたのだろうか。

 

「もしこの子が結婚する時が来たら、絶対に幸せになって欲しい。夫婦で子育てをしてほしい。俺にはできなかったけど、こいつだけはそうなって欲しいんだ。男は父親になれるけど、母親には絶対になれない。女は母親になれるけど、父親には絶対になれない。」

彼は静かに言ってこっちを見て笑った。

 

離婚原因を多くは語らないが、一言でいえば「価値観の相違」

「価値観の相違」…。

全く別々の場所で生まれ育った人間同士が出会い結婚するのだから、「価値観」に違いがあって当たり前じゃないか。結婚の経験がない者はそうやって簡単に言ってしまえるが、当人同士にはそれぞれの事情があるんでしょう。乗り越えられない何かがあったのだろう。

 

今は情報があふれ、個人の楽しみや趣味を深められるようになった。それは個人の満足感を満たすという点においては、最高の環境だ。だけど、他人と一緒になって共通のものを追い求め、それを達成し得られる幸せ。そして困難ながらもそれを継続していく忍耐力。大切なことは個人の幸せがその周りにいる人々の幸せでもあるということなのではないだろうか。

 

健やかに眠る彼の息子の寝顔はまるで無防備で汚れがない。そしてその横で静かに見守る親父(まだ若いけど)。考えさせられるテーマをまた一つ、与えてもらったことに感謝すると同時に、彼らの幸せをいつまでも願おうと決めた夜だった。

 

 G 

 

 


残暑お見舞い。

2007年08月22日 17時12分42秒 | Weblog

残暑が続いておりますが、皆さんいいかがお過ごしですか
休み明けの出勤です、ようやく社会復帰を果たした教員Hが書かせて頂きます。

若年のみんなには、熱中症に注意して欲しいです。
予防策として、以下が挙げられます。
①のどが渇く前にこまめに水分を補給しましょう
②日差しが強い時間帯の外出はなるべく避けましょう

さらに、日本生気象学会が提案している「日常生活における熱中症予防指針」
によると、「仕事や運動に無理しすぎる人、頑張り過ぎる人は発症しやすい」
とされています。
やらねばならない事が山積みでしょうね、
それでも、暑い日にはえいっっと思い切って、
「頑張りすぎない」というチョイスも入れてみては

最後に、本日の様子を報告いたします。
中等部の学習では、タイトスケジュールをこなしている少し髪がのびたAちゃん、公民分野で(三種の神器、3C)など完璧に理解し髪を上手く結び直してくれたMちゃん、二人とも予定した範囲までしっかり出来ました
高等部では、Wくん、Sくん、Kくん、Yちゃん、Nくん、Yさん、Aくんの元気な顔が
見られました。

今週いっぱいは残暑がつづくということなので、みなさんも無理はせずに乗り切ってくださいね

      




千日回峰行

2007年08月21日 19時25分30秒 | Weblog
夏休みも残り2週間となりました
ここ数日間の異常な暑さで、体調を崩したりしていないでしょうか
まだまだ暑~い日が続きそうですが、この頃は夜、蝉の鳴き声の代わりに秋の虫の鳴き声がすこしずつ聴こえるようになって来ましたね。

この間、すごい本を読みました。
千日回峰行を成し遂げた塩沼亮潤さんというお坊さんのお話です。
千日回峰行とは、山道をひたすら歩き続ける修行です。中でも大峰山の千日回峰行を成し遂げたのは、過去に一人だけだという厳しさだそうです。
標高差1400メートル、絶壁があるような険しい48キロの山道を毎日毎日歩き続けるというこの修行、台風や大雨、落雷があっても休むことはありません。
もちろん怪我や病気でも、休むことは許されない。この行を途中で投げ出すということは死を意味しており、成し遂げられなかった場合は腹を切るために、腰に短刀を差しているといいます。食料は一日二つの握り飯と水のみ。
爪はぼろぼろになり、体中がうずき、あまりの歯痛に頭が割れそうになり、道にうずくまってしまうことも…
山道を歩ききった最後の九日間は、寺にこもってお経を唱え続けます。その間は断食・断水・不眠不休を貫くこととされています。食べられないこと、眠れないことより何より、水が飲めないことが最も辛かったといいます。水に手を浸すと、皮膚から水が体内に吸い込まれていくほどの苦しさ。
どうしてやるのか?と聞かれても、亮潤さんは答えることが出来ない、と言っています。
苦労して育ち、高校生になり進路を決めなければならないという時に、ただ自分がそれをしなければならないと思って出家し、誰かに言われたからでなく、誰かに見らいるからではなく、自分自身に問いてその道を決めたといいます。
「人生が行であり、行に終わりはない」と亮潤さんは言っていますが、自らを厳しく戒める道を選ぶという心の強さ。
どんなに辛いことでも、自分を育ててくれるものだと思って受け入れることは大切なことだ、と痛感させられました。
もちろん私は毎日山道を登り続けることも、断食断水・不眠不休をし続けることもできませんが、日々の生活の中で、自分自身に甘んじている部分にもっと喝をいれ、戒めていかなければならないな~と思いました。
誰かに言われたからでなく、誰かに見られているからではなく、自分自身の心に問いて。

     あや