みなさん、こんにちは。
今日は、夏期休業前集会でしたね。
来週はサマーキャンプがあるので、夏休みの始まりという感覚が薄いかもしれませんが、
ひとつの区切りを迎えました。4月から今日まで、ひとまずはお疲れ様でした。
さて、題名の『愛⇔無関心』ということについて。
よく、好きの対義語は嫌い、と考えられがちですね。
好きな食べ物、嫌いな食べ物、という形で、考えることができるからです。
では、愛の対義語は??
愛憎という熟語もあるので、愛するの反対は憎む、ともいえるかもしれません。
でもどちらも、愛する(憎む)対象に強い関心を抱いてこその感情ですね。
であれば、関心を抱かないということ、つまり『無関心』が愛の対義語だといえそうです。
なぜ、こんな話をしたのかというと、今日の夏期休業前集会のHRで私は、以下のような問いをしたからです。
①すでに18歳、まもなく18歳のみなさん。
今週末の選挙、自身をもって投票できますか?投票できそうですか?
②終戦記念日はいつですか?広島に原爆が落とされたのはいつですか?
①と②は、それぞれに挙手をしてもらったり具体的な日付を答えてもらったりしたのですが、
どちらも自信をもって手を上げたり、明確に日付を答えたりする生徒はごくわずかでした。
実は、1・2年生の夏休み前の最後の国語の授業でもお伝えしたのですが、
選挙や戦争のことを、知らないのは生徒のみなさん(若者)のせいにばかりが出来ない、と言いました。
生徒のみなさん(若者)が何かに興味や関心を抱くのは、周りの大人たちが
ちょっと考えるきっかけを作ったり、話題に触れたりしているかどうかだと思うのです。
だから夏休みを前に、社会や歴史にちょっとでも興味関心を抱いてほしいと思って、話題にしました。
少し前にG先生が、つながりについてブログを書いていましたね。
自分がいて、家族がいて、地域があって、帰属する場所(学校や塾、習い事)があって、
社会があって、世界がある。場所軸にとらわれず、時間軸でいえば、歴史があって、未来もある。
自分を軸に、半径2メートル程度の距離にある『こちらの』人や物、
それに加えて、携帯から検索できる自身の興味あるキーワードが作る世界、
そこに関心を持つばかりではなく、半径2メートル以上の『あちら』『そちら』の人や世界にも
愛をもってして、眺めたり関心を寄せたりしてみる、そんな夏にしてほしいと思います。
愛は、関心があるということ、関心はつながりを生むということ、つながりは豊かさを作ると思います。
(G先生、ちょっとずれていますが、私なりの見解です)
良い夏をお過ごしください。
(ペルーの気候変動、アルパカたちが心配な)マリオより