松実ブログ

松実の教員が書き込んでいます。面白い先生がたくさんいますよ☆

プレゼント

2011年07月29日 15時42分41秒 | Weblog

プレゼントと聞いて、思い浮かべるのは「贈り物」だと思います。

クリスマスや誕生日でプレゼントをもらう人もいるでしょう。

しかし、もらったことがない人もいるかもしれません。

「私はプレゼントを貰ったことがない!!!」 という人もいるかもしれません。

 

しかし、実は全員の人が、かならず、しかも年に1回とか2回という次元ではなく

「プレゼント」をもらっているのです。いや、もらい続けています。

 

なぜか。生きている限り、あなたは「今」を過ごしているからです。

日本語でいう 「今」 を、英語では「プレゼント」と言うそうです。

英語の辞書では「present」の意味として贈り物より先に明記されています。

 

この夏休み、私は高校3年生の進路指導のために様々な大学や専門学校の

パンフレットや資料に目を通しています。

そこで、ある大学のパンフレットにステキな文章があったので紹介します。

 

「今」というこの時間を、英語では、プレゼントという。

「今」をめいっぱい感じること。

「今」をめいっぱい楽しむこと。

そういう心をたいせつにしたぼくたちには、机の上の学びだけじゃ、物足りないんだ。

自分がまだ見たことがないこと、触れたことがないこと、

感じたことがないこと、そういうことが、ぼくたちには、必要なんだ。

だから、

ぼくたちは「動く」。大学から外へ出て、家から外へ出て、まだ見ぬ出来事に、会いに行く。

「今」をめいっぱい感じるために。

「今」をめいっぱい楽しむために。

つまりそれが「実学」というものなんだ。

「社会の今を学ぶ」ということなんだ。

実感や経験で学んだことを、人は、忘れない。

「今」をめいっぱい感じながら、「今」をめいっぱい楽しみながら、

実感や経験をしながら学んだことは、かならず、自分のちからになっている。

未来の自分につながっている。

そう。自分自身への「プレゼント」になっている。

この大学で学ぶ4年間を、1日1日を、自分への最高のプレゼントにしよう。

そしていつの日か、どういう形でもいい、人に、社会に、何かを贈れる人になろう。

 

 

「未来」につながる「今」を、自分への「贈り物」にする「今」にしてほしいです。

自分の「今」を最高の、格別の、とびっきりのものに出来るのは、自分しかいないから。

学校がお休みで、いろんな「今」を過ごすあなたへ。

良いプレゼントを、自分で受け取ってくださいね。

 

マリオ


「何か一つ」の夏休みに

2011年07月28日 16時53分14秒 | Weblog

夏休みに入って1週間近くになりました。みなさんはどのような休日を過ごしていますか?

 

4月から少しずつ、でも着実に成長を続けていたみんなが全員そろわないのは非常にさみしく思います。

 

今年は中学生に向けて夏休み中に補習授業を行っています。目的としては大きく二つ。

規則的な時間に登園をして、夏休みの生活リズムを崩さないようにすること。

そして学習への不安を解消し、自信を持つことである。

 

自主的に参加し、いつもの授業とは少し違った雰囲気の中で多くの生徒が一生懸命に取り組んでいます。

 

先生達もみんなに自信を持ってもらいたい気持ちがいっぱいで全力で取り組んでいます。

夏休み中は「なんとなく」ではなく「何か一つ」でも思い出や経験・自信が築けるようなことにチャレンジして過ごして下さい。大切なのは継続です。

 

風邪をひかないように、体を大切に過ごしてね。

 

サマーキャンプ、全校登校日にパワーアップしたみんなを待ってますよ。

 

みち

 


トレーニングとクリーニング

2011年07月27日 18時57分05秒 | Weblog

オイラは、様々な諸問題や現象を分析する時に、
「文化力」と「阻害要因」に区別して考えるようにしている。

この考え方は、以前に福岡県立太宰府高校の教師、
占部賢志先生から教えていただいたことをヒントにしている。

いきなり、「文化力」とか「阻害要因」とか難しい言葉がでました。
読むことをやめてしまわないで、読んでみてください。

「文化力」は、健全で心地よい風紀(空気)が保たれるように、
それなりの努力や工夫がなされており、その成果が良い方に出ていることを仮にそう呼ぶ。

「阻害要因」とは、文化力とは逆の意味を持つ。
健全で心地よい風紀(空気)を作る努力も工夫もなく、
不健全、不健康であり不快であり、そのマイナス要素やマイナスの影響力を仮にそう呼ぶ。

プラスとマイナス、正義と悪、光と闇、右と左など、世の中全てがセットになっているように、
「文化力」と「阻害要因」もセットである。


例えば、A君とB君という生徒がいた場合。

A君にとって学校は、楽しい、友だちがいる、授業にも意欲的に臨める、部活も頑張っている。
このような場合、A君にとって学校は、圧倒的に「文化力」の高い場所と言える。
そのA君が「学校に行きたくない」と思うような「阻害要因」が見当たらないからだ。

逆に、B君にとって学校は、つまらない、いじめられる、授業にもついていけない、部活は苦痛。
このような場合、B君にとって学校は、圧倒的に「阻害要因」の多い場所と言える。


A君とB君は全く同じ学校に通っているのに、置かれた立場は全く異なる。

「文化力」が「阻害要因」に優れば、学校に行ける。
「阻害要因」が「文化力」に優れば、学校には行けない。
もちろんそんな単純なことばかりではいが、様々な諸問題や現象を、
「文化力」と「阻害要因」に分けて考えてみると、意外とすっきりと物事が見えてくる。

過ごしている家庭ではどうか?
家族がいつもニコニコしていて、あたたかい空気に包まれている。
掃除・洗濯が行き届き、家じゅうが清潔できれい。
食事は家族みんなで食卓を囲み、会話が途切れない。
この家庭の場合、「文化力」と「阻害要因」はどちらに比重がよっているでしょうか。
「文化力」でしょう。まるで「サザエさん」みたいな家庭です。
「サザエさん」は「文化力」の高い家庭のモデルケースですね。

だから、「サザエさん」の視聴者は、「こんな家庭だったらいいな。」という憧れと願望をもつ。
しかし一方では、「あんなキレイごとだけで済まされることばかりじゃないわ。」
という気持ちも抱かせる。

そうです。あらゆる家庭も「サザエさん」のようにはいかないのです。
夫婦の問題あり、子供の問題あり、金銭面の問題あり、両親の介護の問題あり・・・。
幸せを求めて、「文化力」を高める努力はしていても、どうすることも出来ないような問題が生じて、
それが「阻害要因」へと変わる。

家庭は「文化力」と「阻害要因」が共存する場所なのだ。
家庭だけではない、個人も、地域も、学校も、職場も、関東地方も、日本も、世界も、
「文化力」と「阻害要因」が同居しているのです。

一人ひとり(個人)も、「文化力」と「阻害要因」の同居だ。
国語が得意で、スポーツも出来るという「文化力」と、
だけど、数学が苦手だし、女の子にもてないという「阻害要因」。
できる・できない、得意・不得意、長所・短所、もてる・もてないなどの集合体が、
個人を作り上げているわけで、まさに「文化力」と「阻害要因」は同居しているのだ。

それを前提にして、個人も、家庭も、地域も、学校も、
持っている「文化力」を伸ばそうと前向きでポジティブに考えるのか、
持っている「阻害要因」に悩み苦しみ、後ろ向きでネガティブになるのか。

持っている「文化力」を伸ばすことで、「阻害要因」を飲み込んでしまうくらいに、
スケールを大きく、前向きに考えても良いのではないでしょうか。


松実の「文化力」とは何でしょうか。
それは生徒が素直で、優しくて、頑張り屋さんが多いこと、
絵が好きで上手な子が多いこと、笑顔がたくさんあること。
自分を変えようと努力できる生徒が多いこと。
先生は一生懸命で、優しくて、努力家が多いこと。
学園長先生、校長先生、相談役の先生のように、
器が大きく、厚みのある指導者がいること。
それ以外にも色々ありますが、
オイラは、それが松実の主な「文化力」だと思います。

でも、先程にも述べたとおり、
「文化力」と「阻害要因」はセットである以上、
松実も「文化力」とセットで「阻害要因」を抱えているでしょう。

「文化力」という学園の筋力を鍛えるトレーニングと、
「阻害要因」という学園の負のオーラをお掃除するクリーニング。

トレーニングに重点を置き、しかし両方ともしっかりやっていきたいと考えている。


 G



P・S  タキ、おめでとう。末永く幸せに。北海道のラベンダー畑の真ん中で愛を叫べ!


好敵手

2011年07月26日 09時28分04秒 | Weblog
淳五郎「のぼさんはなんで東大予備門を受けるんぞな?」
 
 升 「うーん…」

淳五郎「なにをしたいんぞな?やりたいことがあるんか?」
 
 升 「……あしは誰にも負けとうないんじゃ」

淳五郎「負けとうない。それだけか?もっとちゃんとした夢はないんか?」
 
 升 「ない…今は。淳さんはあるんか?はっきりしたモンが?」

淳五郎「…いや。」
 
 升 「あしは今それを探しよるんじゃがな。今は…。なにをしたらあしは日本一になれるんか。
    それがまだ分からん。ほじゃけん出会うたヤツとは必ず勝負するんじゃ。淳さん。はじめて
    会ったときから、今でもあしは淳さんと勝負しとるんぞな。」


 若き日の正岡子規(幼名:升(のぼる))は後に日露戦争で活躍する秋山真之(幼名:淳五郎(じゅんごろう))とこんな会話をしていた。

 
 好敵手の存在は自分を高める。

 
 相手に厳しくするということはそれ以上に自分に対して厳しくなくてはいけないからだ。


 相手との勝負の仕方は人それぞれ。自分が信じてきたやり方、積み上げてきたやり方で相手と向き合い勝負するべきだ。成功・失敗ではなくそこに自分がどれだけ信念を持てるかが大切だと思う。

 もちろん相手には相手の信念が存在する訳だから時にはぶつかり合うこともあるだろう。


 正岡子規は短命ではあったが、秋山真之という好敵手の存在があったからこそ、世にあれだけの足跡を残せたのだと思う。

 
 競い合う相手の存在は尊い

 
 不器用な自分は、相手が簡単そうにやっていることができなかった。

 
 だから、必死に考えて相手にはできないやり方を探して勝負してきた。そして、その中で成長してきた(成長させてもらった)。感謝の気持ちでいっぱいである。

 
 しかし、負けたくないという気持ちは今でも変わってない。自分のやり方も考え方も変わってない。そして今後もその中で成功・失敗・喜び・挫折を積み重ねて自分なりのやり方に磨きをかけていくのだろう。


 最近、自分の中に勝負しているという感覚が薄れてきている。いつも大変そうだからかな。こんな時だからこそお互いのためにもう一勝負しませんか。


 

 けんた


学生だからできなかったこと

2011年07月25日 19時19分46秒 | Weblog
 学生のみなさんと話をしているとついポジティブな話題ばかり選んでしまい、「学生にしかできないこと」を語り、「今ならなんでもできるんだよ!」という声がけをしてきました。
 でも最近『コクリコ坂から』という映画を観て、私が学生のときにはできなかったことを思い出したのです。



このお話は横浜のとある高校生たちが主人公。
翌年に東京オリンピックを控え、世の中の価値観が古いものから新しいものへと一新された時代。
そんな時代の波を受けて、文化部部室塔、カルチェラタンが取り壊されることに。歴史と思い出のつまった場所を守るために、高校生たちが立ちあがり・・・。



 私が大学2年生のとき、カルチェラタンと同じように部室塔が老朽化のため取り壊されることが決定しました。その当時複雑な事情(クジで当たった)で生徒会役員を任されていたので、部室塔取り壊し反対者を集めた集会や署名活動、恐れ多くも学長先生に直接話をうかがうなどなどの活動に自然と巻き込まれていました。動きが大きくなっていくにも関わらず、どこか遠くから眺めているような感覚でした。
 結局は耐震の面を考慮し学生の意見が通されることはなく、部室塔は取り壊されてしまいました。学生だった私は、ことの重大さに気づけていなかったと思います。友人と暇があれば語り合い、何十年前からあるかわからないアルバムがうずたかく積み上げられていて、ふと立ち寄ってドアを開けると寝袋にくるまった先輩が床で寝ていて、合宿の前に買っておいたお米の袋がネズミに食いちぎられていたりして・・・・。数えきれないほどの思い出が詰まった場所。ただ純粋にあの場所が好きだ、大切だ、守りたい!そう高らかに宣言できていたならば、未来は変わっていたのかもしれません。あの古くて赴き深い部室塔を守れなかったことは、学生時代の苦い思い出です。

 この映画が思い出させてくれた、学生時代にができなかったことをこの場を借りて振り返ってみました。

 『コクリコ坂から』を観た人!是非感想を聞かせてくださいね

             すづ

高校時代の夏休みといえば…

2011年07月22日 20時36分01秒 | Weblog
今日から夏休み!
みなさんはこの休みにどんなことをするのでしょう?
また、どんな目標を立てたでしょう?

私自身、中学・高校時代の夏休みといえば、部活やガールスカウトのキャンプが思い浮かんできます。
特に部活(吹奏楽)は、家族もあきれるほど打ち込んでいました。
家の手伝いなどほとんどしなかったので、今では非常に申し訳なく思っています…

社会人になっても吹奏楽を続けているのですが、中学・高校の時とは感覚が違う気がします。
日々の生活の中で練習できる時間がとても少ないため、練習中は頑張っていても「全力で」取り組めている感じがしません。

分かっていたことですが、今年社会人になって実感しました。
本当の意味で好きなことに全力投球できるのは、学生までだと。
学生でいられる時間は、人生の中でほんの一部。
実感はないと思うけれど、みなさんはいま貴重な時間を過ごしています!


いつか振り返った時に、「高校時代の夏休みといえば○○」って思い浮かぶものができたらいいな。



のりこ

いよいよ夏休み

2011年07月21日 23時40分30秒 | Weblog
みなさんこんばんは!

今日は、夏期休業前集会でしたね。
そのあとには、台風の影響でできるか心配だった
野球大会もできて、よかったですね!
青空はこれまでがんばったみんなへ、神様からのプレゼント
だったのかも知れませんね☆

今日は4月から今までの歩みを振り返りをしましたが、
みなさんにとってこの数ヶ月間はどうでしたか?
今はなんとなく過ぎた日々だったと感じているとしても
将来みなさんが高校生活を振り返ったとき、
きっと思い出すことでしょう…
毎日毎日、一瞬一瞬が自分の歴史を作っていくのです☆

私にとって、この4ヶ月間は一言でいえば、
「充実」した4ヶ月間でした。
新しいクラスでみんなと同じように私も期待と緊張の中にいましたが、
時間を共有すればするほど、一人一人の魅力が分かって、
毎日発見の連続でした。

昨年度まで登校が少なかったが、これまで一度も休まず
登校できた人。
昨年度よりも、登校日数が増えた人。
進路について、ずっと悩んできたけど、方向性が見えてきた人。
昨年度以上に趣味に没頭できた人。
委員会活動を最後まで責任をもって全うした人。
検定にチャレンジした人。
バイトを始めた人。
自然体験学習に初めて参加できた人。

こうやってあげていくときりがありません。
誰一人として欠けることなく、着実に前進しましたね‼
担任としてそれを見届けることができたことは、
この上ない喜びです。
それだけでなく、クラスのみんなの思いやりに幾度となく助けられました。
ありがとう!
これからもよろしくね!

どうぞ有意義な夏休みを過ごしてくださいね!
また元気な顔で会いましょう!

Gunji










*楽しみなこと*

2011年07月19日 18時48分28秒 | Weblog

夏休み前の三連休、みなさんはどう過ごしましたか

 

 

私は、毎年楽しみにしていることがありました。

 

 

それは、「ハリーポッター」シリーズを観ること

 

高校生の頃から、毎年1回は必ずみてきて、それが楽しみでもありました。

 

 

ただ、今回で最後ということで、日曜日に映画館で見終わった後は心が満たされると同時に寂しさでいっぱいでした。

 

毎年楽しみにしていたものが、1つなくなってしまったから。

 

 

みんなには、楽しみにしているものってありますか?

 

何か1つ見つけると、日々頑張れる気がします

 

 

これからは、また「楽しみにしているもの」をみつけようと思います

 

 

夏休みの予定はまだたっていませんが、充実した夏休みを送りたいと思います。

 

 

みんなも計画的に楽しい夏休みにしてください。

 

 

もう、みんな気分は夏休みかな

 

 

 

 

楽しみですね

 

             うっちー


meaningful days

2011年07月15日 23時35分11秒 | Weblog

みなさん!こんばんは!

 

もう少しで待ちに待った夏休みですね★

予定はもうきまっていますか?

有意義な夏休みにできるように計画を立てましょう。

 

私が高校生だった時の夏休みは毎日のように部活にあけくれてました・・

 

暑い中たくさん汗を流して

真っ黒になってグランドを駆け回ってました!!

そのときは

「めんどくさい」とか「だるいから行きたくない」とか

いろいろな感情があったけれど、今思い返すと充実して笑っていた夏の記憶しかありません:)

 

なんだかおかしな話ですが、

ただ、大人になった時に「あの夏は充実してたなぁ・・」って思えるような

夏休みにしてほしいなぁって思っています♪

 

今日、先生たちは研修で『お互いの先生たちの長所を見つけあおう!』ということで

各先生たちが、ほかの先生を長所やイメージをあげていきました。

自分では気づかない自分、というものが見えるいいきっかけになりました。

みなさんも、自分が知らない自分のいいところを友達や家族と認め合えるといいと思いました。

 

さて

来週は野球大会もあるので少しずつ練習はじめようとおもいます。。。

 

お互い目標をもってがんばっていきましょぉ!

 

ゆか♪


私は自分の幸せのために生きる

2011年07月14日 19時54分02秒 | Weblog

先日、保育士を目指す卒業生と食事に行ってきた。

実習を終えたばかりの彼女。

疲労はあるものの、とてもイキイキとした表情だった。

2時間と少し、そんなに長い時間ではなかったが、

充実した生活を送っていることはわかった。

 

平成19年3月の卒業式。

私は19名の卒業生の担任だった。

場所はアクシス春日部だったかな。

彼ら彼女らを「松実の希望」と語り、別れた。

 

あの日から暫く時が流れ、

その希望たちが巣立ったあと、

しっかと自分の人生を生きていることに嬉しさを感じ、

誇らしくもなった。

 

その帰り道。

前から気になっていた、生徒(男)に電話をした。

卒業後一度の連絡もなく、友人とも疎遠になっているようだったのだが、

なかなか連絡ができずにいた。

 

携帯の番号はそのまま。

「プルル プルル・・」

「はい、もしもし●●です。」

 

つながった。

さっそく近況を聞いてみた。

 

「実は、なにもしていないんですよ・・・。

 

 アルバイトもしてないし、ずっと家にいて不登校だったときと同じ生活をしているんです。」

 

 

「そうか、3年間もか・・。それで、これからどうしようと思っているんだ?」

 

 おそるおそる聞いてみた。

 

 

「わかりません。でも、友だちは大学生になって楽しんでいるようだし、しっかりと働い

ている人もいて・・・皆えらいですよね。なんか自分は自分に甘えちゃって・・・・」

 

その言葉に私は頭にきた。

なぜか?彼と出会った当時のころに戻っていたからだ。

 

自分が学校を辞めたことや、クラスでの居場所を感じられないことなど、

どこかで自分の弱さと向き合わずにいた。

 

 

 

松実にくるまでは。

 

 

彼の担任として2年間、自分の弱さから逃げるなと言い続け、彼の漏らす嘆きや不安を拾ってきたはずだった。

 

小さな変化だったが、前を向き他の誰でもなく自分の足で歩んでいた。

 

卒業後は、しっかりと夢の実現に向けて歩んでいると信じていたのだが・・・・

 

どうやら現実は違ったみたいだ。

 

なんとも言えない気持ちになった。

 

 

 彼は言う。

 

「なんで自分はいつもこうなのだろう。誰かに言われなきゃ動けないのだろう。

 

 いつも楽な道を選んでしまうのだろう。親は自分を見捨てたのか何も言われないし・・。」

 

 

 

この続きはいつかブログに書きたいと思う。

 

私は一人の人間としてその生徒と関わっていこうと決めた。

 

とりあえず来月会う予定だ。

 

 

 

おそらく何も変わらず、松実にいた頃と同じように厳しい言葉を浴びせるだろう。

なんて思われようがいい。その生徒の幸せにつながれば・・・。

 

 

 

私も弱い存在だ。楽な方向を選択し、自分を何度も否定してきた。

時には不安や悲しみに打ちひしがれることもある。

 

しかし、今自分を奮い立たせられるのは、

紛れもなく目の前に生徒たちがいるからだと思う。

 

松実で働き始めてから9年目。

関わった生徒たちが自分の生きる意味につながっていること、

その全てが自分の幸せにつながることを自覚できるようになった。

 

私は私の幸せのために今を生きていこうと思う。

上記の生徒も自分の幸せのために生きてほしい。

 

 

 S