松実ブログ

松実の教員が書き込んでいます。面白い先生がたくさんいますよ☆

荒れる秋

2015年10月30日 21時52分01秒 | Weblog

皆さんこんばんは。

日に日に寒くなってきましたね。

 

寒くなってきな・・・って、思っていたら今日で10月が終わりましたね。

土日が明けたら11月です。

毎日があっという間に過ぎていく今日この頃です。

 

 

 

さて、前回のブログ「克己心」の続きの話です。

先週の日曜日、かつて通っていた場所にスポーツをやりに行きました。

2回目です。

一歩足を踏み入れると、懐かしさと新鮮さが同時に感じられる瞬間でした。

 

相変わらず気持ちだけが先走り、体がついていかずの状態で臨みました。

大先輩方と手合わせをしていただいたものの、やはり全く歯が立たず…

 

練習後、大先輩方にご指導をしていただくために伺うと、

「良い技もってるよ。でも、なまってるんじゃないか?遠慮してはダメだ。久しぶりにやるのは楽しいだろ?今の気持ちを大切にしなさい。そして継続しなさい。」と言われました。

 

10分ぐらいで見抜かれていました。

ただただ、「はい」と答えるのみでした。

 

自分の弱さに打ち勝ち、続けてみることに何か新たな発見があるのではないか。

指導していただいた方ともう一度やりたいと思います。

 

また今週参加する予定です。

 

 

 

またとりとめのない話をしてすみません。

 

 

では。

 

 

 

 

 

バッキバキ小僧より。


不思議シリーズ第2弾 イギリスの不思議 (1)

2015年10月29日 09時00分00秒 | Weblog

今年も後半となりましたが、嬉しい誤算が日本に飛び込んできましたね。ラグビー界の王者南アフリカを日本がすばらしい試合運びで撃破してしまったのです。その後もサモア、アメリカを打ち負かすなど、日本でもちょっとしたラグビーブームが巻き起こりつつあります。

日本ではラグビーはサッカーの試合で、ある青年がボールを手に持って走ったのがその発祥とする話を聞くことあります。しかし、どうやらこれは、FootballをSoccerのことと勘違いしたことから始まっているようです。Soccerという名称を使っているのは、アメリカ、日本とイギリスの一部です。その他の国では単にFootballと呼んでいます。

19世紀のイギリスでは、Footballと呼びながら多種多様な「足でボールを蹴る」文字通りの"Foot Ball"が、ルール無用な村祭りの景気付けとして各地で行われていたようです。それが、学校教育に段々と取り入れられてくると、各校独自のルールによるFootballが実施されるようになりました。ただ、その中でも、最低限の共通ルールはあったようで、それは現在のアメフトに似ていて、「ボールを取ったら、そのまま後ろに下がる。取ったボールをその場で蹴る。ボールを地上に置いて、味方の誰かに蹴ってもらう。」のどれか最低1つは守ることだけで、ボールを手で持ってはいけないというルールはありませんでした。

そんな1823年の秋のある日、ラグビー発祥のきっかけを作ったと呼ばれているウィリアム・ウェッブ・エリス(William Webb Ellis)というイングランドのラグビー校に在籍していた青年が、当時のFootballの試合中にボールを受け取ったまま「後」ではなく「前」に進んで、ゴールに走り込んで(Running-in)しまったのです。なので、「ボールを手に持って走った」のがルール違反なのではなく、「ボールを持って前のゴールに走りこんでしまった」のがルール違反なのでした。

しかし、これが、直ちにラグビーというスポーツに繋がったのではなく、ラグビー校がこのゴールに走り込む(ランニング・イン)を正式に容認したのは1845年のことでした。それは、エリス青年が同校を卒業した20年後でした。では、何故、これがラクビー発祥のきっかけと呼ばれているのかと言うと、これ以外に公式の記録がないと言うのがその真相のようです。

つまり、ラグビー(Rugby football)とサッカー(Soccer: Football)はそれぞれ独自に発達したフットボールなのです。


イギリスの正式名称はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国となります(略称はThe UK:United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)。イギリスは、元々それぞれの王や大公を戴いた独立国家であったイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド(現在は北アイルランド地域のみ)の4つの王国で構成されています。

第一回目はその国家成立の歴史から見ていきましょう。と言っても、長く、複雑な歴史なので、かなりザックリとした説明になってしまう事をご容赦ください。まず、イングランドの歴史から始めていきましょう。史実として推定できるのは、グレートブリテン島にケルト人が入植した紀元前5世紀頃からです。それ以降も色々な民族の興亡がありましたが、紀元前55年にローマのユリウス・カエサルが入植を開始し、43年にはクラウディウスによってグレートブリテン島の大部分が占領されました。この頃のケルト人は現在のスコットランド地域に追いやられていましたが、度々南部のローマ支配地域に侵入していました。そこで、中国の万里の長城と同じように、現在のイングランドとスコットランドの境界付近にハドリアヌスが長城を建設したのです。

ローマの支配地域はブリタニアと呼ばれ、これがブリテンという名称の元となりました。またブリタニア支配の拠点としてロンディニウムが建設され、これが現在のロンドンの起源となっています。そして、ローマ人は現地のケルト人をブリトン人と呼びました。ローマ衰退に伴い、ゲルマン人の侵入もあって、ローマ帝国分裂後の西ローマ帝国の皇帝ホノリウスは、410年にブリタニアへの入植継続を断念しました。その後、449年からゲルマン系のアングロ・サクソン人がグレートブリテン島を攻略し始め、土着のケルト人はアングロ・サクソン人に征服されて同化していきました。

グレートブリテン島に定着したアングロ・サクソン人は、イングランドの地域にノーサンブリア、マーシア、イーストアングリア、エセックス、ウェセックス、ケント、サセックスなど7つの王国を建設しました。この7つの王国が並立した829年までの380年間は、七王国時代と呼ばれています。七王国時代に、デンマークからバイキングとも呼ばれたデーン人の侵入が活発になっていきました。1016年に、デンマークのクヌート大王によってアングロ・サクソン系の王がイングランドから追い出され、デーン朝(北海帝国:イングランド・デンマーク・ノルウェーの3国の王を兼ね、スウェーデン南部も支配する国家連合)が成立しました。しかし、1035年にクヌート大王が亡くなると、数年してからイングランドにアングロ・サクソン系王朝が復位し、北海帝国は崩壊しました。

アングロ・サクソン系王朝を復興したエドワード懺悔王は王と言うより修道士であり、名目上の妻であったエディスとの間に子供を残しませんでした。エドワード王が1066年に死亡し、嗣子がいなかったのでエディスの兄のハロルド・ゴドウィンソンがハロルド2世として王位に就きました。しかし、同年、ノルマンディー公ギョームとノルウェー王ハーラル3世が異議を申し立て、ノルウェー軍がイングランドに侵入しました。ハロルド王はこれを撃退しましたが、ノルマンディー軍に敗北してハロルド王は戦死しました。ロンドンを占領したノルマンディー公ギョームはエドワード懺悔王が建設したウェストミンスター寺院においてイングランド王に即位し、ウィリアム1世を名乗りました。これによりアングロ・サクソン人による王朝は途絶え、ノルマン朝が成立しました。ノルマン朝は征服王朝でしたから、国王に権限が集中し、これがイングランドに他に先駆けて絶対王政が確立した原因と考えられています。

しかし、イングランド王ウィリアム1世としてはフランス王と対等であっても、ノルマンディー大公ギヨームとしてはフランス王の臣下という奇妙な立場になってしまいました。そして、これ以降、イングランド王朝はフランス王家の影響を強く受けるようになったのです。


こんなときは英語でなんて言うの

"We should give it a try."「やってみようよ」

"We should try it"でも似た意味になりますが、"We should give it a try."の方が「頑張ってみる」という意味合いが強くなります。

1.できるわけないかな?

A.They're holding a big audition this Sunday.
(今度の日曜日、大きなオーディションが開催されるんだ。 )

B.And? What are you thinking?
(それで?何を考えているんだい?)

A.I think we should give it a try, shouldn't we?
(挑戦してみるべきだと思うんだ、だろ?)

2.当たって砕けろ

A. You need to get in contact with her somehow.
(何とか彼女に連絡つけたほうがいいよ。)

B. I know she won't pick up my phone.
(電話に出てくれないに決まってる。)

A. You should at least give it a try.
(やるだけ、やってみなよ。)


読書の秋2

2015年10月28日 20時09分59秒 | Weblog

みなさん、こんばんは。
今日はとても暑く、埼玉でも25℃を超える夏日になりました。
そして朝と昼の気温差も10℃を超えていますので
上着を使って上手に調整をお願いします。

気温差がこれだけ激しいと、紅葉もいよいよ本格化しそうです。
気温差に苦しめられた分、しっかりと秋を感じたいですね!

さて、昨日のこーへい先生のブログにあったように
今は 読書週間 です!

みなさん、読書はしていますか?

私は毎日本を読んで通勤しています。

と、言うとなんだか立派なようですが、元々は
私も読書嫌いの一員。

中・高生の頃は学校からの課題もあって年に1~2冊も読めば◎
恐らく1冊も読んでいない年もあったかと思います。

そんな私がすっかり「ハマって」しまったのは
歴史小説!

ただ、実は散々歴史小説を読んでいる割に年号などはあまり覚えていません。
いつもうる覚えです!

それよりも、例えば戦国時代という生きるか死ぬかの厳しい時代にあって
それでも大切にし続けてきたもの、或いは涙を飲んで捨て去ってしまったもの

またはピンチに立たされた時の心の持ち様、心構えなど

そうしたことを意識しています。

現在私が読んでいる「徳川家康」という本はこのような
切り口で読んでいくと非常に面白いんです!
これまでのごくわずかな知識からは想像できないほど
徳川家康という人の人生は、実に様々な色を持っていることを知りました。

幼少期に人質として他国へ送られる際、途中で誘拐されてしまった話や
織田信長と過ごした日々、最初の奥さんとの出会いなど新しい驚きがたくさんあります。

また、彼を支える家臣たちも魅力に溢れています。
彼らが主君(お殿様)である家康を守るために命を楯に働く様子など
圧巻です。


こうして本から学んだこと、得たこと、考えさせられたことというのは
ほぼ毎日、学園で活かされています。

というよりも実際は
学園で活かすために本を読み続けているのかもしれません。

私も人間である以上悩み続けています。壁にぶつかった時に
前へ進むヒントであったり後押しをしてくれるのは案外 本 であったりもします。

私の場合はたまたま 歴史小説 がピッタリでした。
みなさんの場合はどのような本が みなさんをハッピーに導いてくれるでしょうか?

きっと書物との出会いは、人との出会いと同じように掛け替えのないものです。
ゆっくりと自分のペースで探し始めてみる、そんな 読書週間 にしてみませんか?

運命のようにビビッときた本と出会ったら是非是非、教えて下さい!

 

受験を終えた3年生たち、

「勝って兜の緒を締めよ」by家康

taks


読書の秋

2015年10月27日 23時44分39秒 | Weblog

みなさん、こんばんは。

 

 

朝と夜は肌寒くなってきましたね。

服装が難しい今日この頃ですが、こまめに体温調節をして、体調を崩さないようにしてください。

 

 

気候が変わるということは、夏が過ぎ秋がやってきたということですね。

というかもはや冬の訪れを感じる季節ではありますが。

 

 

秋。

 

 

実りの秋。

読書の秋。

スポーツの秋

食欲の秋。

 

 

色々な秋がありますが、今私は読書の秋を目指しています。

本を読むのは好きなのですが、最近は時間がないなーなどと理由をつけては本を読まないということが続いています。

これ読みたい、と思って買った本を読まずに積み上げていく。

そんな経験がある人もいるのではないかと思います。

 

 

今日から11月9日までは読書週間だそうです。

この期間に本を読んだから特別に得るものがある、というわけではありませんが、きっかけという意味ではとても良い機会だと思います。

 

この機会に1冊でも、2冊でも、普段の自分の生活から離れた書物の中の世界に飛び込めたらと思います。

 

 

そして、思うだけで行動しないのでは意味がない。

 

 

絶対に1冊、本を読みます。

 

 

という宣言をして、今日のブログを締めくくります。

 

 

ちゃんと本を読んだのかな、と思う人はしばらくしたら、何か本読んだ?と聞いてみてください。

 

 

みなさんは、どんな秋を過ごしているでしょう?

 

 

それではまた明日、学園で待っています。

 

 

こーへい


ライフ

2015年10月26日 07時17分17秒 | Weblog

「ワークライフバランス」なんていうカッコイイ言葉があります。
ワークは「仕事」、ライフは「生活」、バランスは「調和」。
つまり「仕事と生活の調和をうまく取りましょう。」という意味でしょうか。

しかし、オイラはこの言葉の意味がよく分かりません。
なぜならオイラにとって、「ワーク」は「ライフ」の大部分、
つまり「ライフ内のワーク」であり、
上記のように、双方を別個の存在としてとらえることなど無理なのです。
だから当然、その「バランスを取る」という感覚がよく理解できないのです
仕事をしている時間を含めて生活、そう呼ぶのであって、
それを切り離して考えて両立させるということが全く馴染まないのです。
(これ、分かってもらえるでしょうか)


おそらく本来は、
「勤務時間(ワーク)と、プライベートタイム(ライフ)、
 そのどちらの時間もバランスよく大切にしましょうね!」という、
爽やかな意味合いなのでしょう。
あまり難しく考えることなど、しなくても良いのでしょう。
そのバランスを上手くとって悠々自適に過ごしていらっしゃる方も多くいるのでしょうから、
オイラはただただ偏屈な考え方の持ち主であり不器用なだけなのでしょう。


最近オイラは「仕事」という言葉について、今まで以上によく考えるようになりました。
それはいったい何なのか?
それはいったいどうあるべきなのか?についてです。


こんなことをブログで言うのもなんですが・・・
20歳代のオイラ、
地元の友人や同じ大学出身の友人と比較しても、
誰よりも「仕事」をしていたという自信(自負)がありました。
まさに「ガムシャラ」そんな言葉がピッタリでした。
「時間的」にも「量的」にもおそらく一番働いていたでしょう(笑)
(オイラの友人が一様にだらしない人間ばかりだったこともあるかもしれませんし、
 こんなことを自分で言ってしまうあたり、もしかしたら勘違いかもしれませんが笑)


オイラはちょうど30歳で結婚しましたが、
その結婚式の友人からのお祝いスピーチ内でも、
「結婚したんだからお前は早く家に帰るように。
 職場の方々も彼を早く家に帰らせてください。」
という話をされたことからも、そのことが少しだけうかがえるかもしれません。

「すごく仕事をしていたんだ。どうだ、すごいだろ!」
そんなことをこの場で言いたいのではありません。
その仕事をしていた時間の中には、今思い返せば無駄な動きもあったし、
やたらと時間と労力をかけたわりには、何の役にも立たなかったことも沢山あります。
その時は必死でしたが・・・。
でも、得たものはそれ以上に大きかったのです。
カタチとして得たものとうより、カタチは無いが確かに自分の中にあるもの。
文章では書けないものばかりです。

でもそれらは、
大人の責任として、教師の責任として、親の責任として、
生徒や我が子から「仕事って何?」と質問された時に、
「オイラが考える仕事とは・・・・・だよ。」と信念と自信を持って答えられる、
その話の中身と情熱なのかなと思います。
そして、ウソ偽りなく語っている自分に対して、
少しだけ「納得と満足」を感じることなのかなって思うのです。

オイラ現在34歳。
20代の頃とは様々な面で状況が異なるわけですが、
仕事において、今の自分にかけるべき負荷は何なのか?
そしてその負荷の重さはどれほどが適切なのか?について考えました。
すると「30代のガムシャラ」にエンジンがかかりました。
まずは自分が変わることが大事です。
20代のガムシャラを土台にして、
30代のガムシャラで、変わった自分に納得と満足ができるようになれば、
次の勝負に打って出ます。

最近モヤモヤしていました。
しかし、背中を押してくれた今日の課題研究(Byマリオ先生)に感謝しています。


  G  


体の不調が教えてくれた大切なこと

2015年10月23日 17時53分43秒 | Weblog

季節の変わり目を迎え、日に日に気温が低くなっていく今日この頃ですが、みなさんは体調はいかがですか?

恥ずかしながら私はこの秋に入ってからというもの、なかなか絶好調とはいえない日々が続いています。

そんな先週の前半、なんと、、、声がかれてしまい全く話すことができなくなってしまいました。

病院に相談すると、「声帯が腫れているから声を出さないようにね」と言われ、

「そんなばかなぁ~」と心の中で絶叫しました。

たくさんの方にご迷惑を掛けたことを、この場を借りてお詫びいたします。

 

ところで、そんな非常事態でも悪いことばかりではありませんでした。

クラスの生徒が、私の「声」となって様々な場面でサポートをしてくれたり、

大きな声で指示ができない分、一人ひとりのそばまで行ってささやきながら、

それぞれのつまずきや、努力する様が今までの何倍以上も観察出来たりと、

非常に貴重な機会を得ました。

 

今までいかに「声」に頼ってきたか。

また「声」に頼ることで、どれだけのことを見失っていたか気づくことができました。

今年度がスタートして半年、4月よりも「こうしなさい、ああしなさい」と大きい声で指示することが

減っているということは、その分生徒のみなさんが大人になっているということなんだなぁと気づきました。

感慨深いです。

 

今回サポートしてくれた生徒、又は中等部の先生方に心から感謝しております。

どうか皆さま健康には留意して、実りある秋をお過ごしください!

 

すづ

 

 


ついにこの日が…!!!

2015年10月21日 22時35分04秒 | Weblog
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』をご覧になったことはありますか?

舞台は、1985年のアメリカ・カリフォルニア州ヒルバレー。
主人公マーティが科学者ドクの発明したデロリアンに乗り
30年後の未来、2015年10月21日にタイムスリップするのです。

つまり、今日ですね!

映画で描かれていた今日という未来。
まあ現在に今日という日を迎えてみると
多少のギャップはご愛嬌ですね。

技術やファッションの予想もさることながら
興味深いのはスポーツの未来予想。
優勝とはとことん縁のなかったシカゴ・カブスが
ワールドシリーズを制するというのです。

これは当時、最も非現実的なシナリオとされ
映画を見た人たちは笑っていたそうです。

が、実際に今
カブスは1908年以来107年ぶりの世界一に向け
ナ・リーグ優勝決定シリーズ(ワールドシリーズ出場をかけた)
で戦っている真っ最中です。

さあ、この予想の結末やいかに…♪


とり


武器を持つ。

2015年10月20日 19時45分46秒 | Weblog

みなさん、こんばんは。

小さい秋が、いつの間にか大きな秋になりそこかしこに感じられる10月下旬、いかがお過ごしですか。

 

さて。

むかーし、むかし、桃太郎という勇敢な少年が、きびだんごにつられた『犬・サル、キジ』をお供に鬼退治に行きました。

鬼が島を自由に駆け回り、噛みつくことの出来る犬、

鬼をすばっしこく追い回し、ひっかいて攻撃できるサル、

空から追撃し、持ち前のくちばしで突きまくるキジ。

桃太郎には出来ぬ技を繰り広げ、見事鬼を退治したのです。

 

高等部では、課題研究という授業で、桃太郎の話を題材に、

『自分の持ち味・個性・特長が社会に役立つ武器になる』という授業をしました。

 

自分が人より少しでも得意なこと、好きなこと、大事にしていること、それが持ち味となって輝くことがあります。

 

掃除が得意で好きな人が『片づけコンシェルジュ』となってメディアで引っ張りだこになっていたり、

ダイエットに失敗し続けた人がキレイになりたい一心で料理を研究し『野菜料理のプロフェッショナル』として有名になったり、

ディズニーランドのアルバイトを長年続けた人が『ホスピタリティとは何か』ということについて本を出版したり、

 

あげればキリがありませんが、世の中で活躍している人は、以下の条件を満たしている人だと思うのです。

①自分の大事にしていることがあり、

②それが世間の人のニーズに合っていて、

③しっかりと形にできて、継続できる人。

 

私は、松実高等学園を卒業したあとのみなさんが、どんな形であれ社会で活躍してほしいと願っています。

だから桃太郎の犬・サル・キジを例にあげ、活躍の源である『自分が大事にしていること』を見極める大切さを提示しました。

でも、いろんなことにチャレンジすると、いろんなことが影響して失敗することがありますよね。

ツイてなくてたまたま運悪くダメになることがあったり、

もとからチャレンジしようとしてたことが難しかったり。

でももし、失敗の要因が『自分がダメだったのか!!』と思うのだったら、自分のレベル(能力)を上げる努力をするしかありません。

それなら、自分にとっての武器の要素が、本当の武器として使いこなせるようにするための努力を、どうやってしていくか。

それを考える必要がでてきますね。

 

教科書がない課題研究。

出来る限り、みなさんに伝えたいことを、伝えられる授業をしたいと思います。

 

 

(着物を自力で着られるよう努力中な)マリオより


三者面談期間

2015年10月19日 08時44分20秒 | Weblog

現在、中3生は三者面談期間です。

 

3年生ということで自分の未来(進路)を見据え、悩んでいる姿が日々見られます。

全ての人に確認していることは以下の5つ。

1、進路希望先(方向性)

2、高校・将来の夢や希望、目標(目的の明確化)

3、自分が成長したこと、変わったこと(自己分析)

4、不安に思うこと(危機予測・管理)

5、卒業までの具体的な達成目標(決意表明)

義務教育かそうでないかの違いは自主性の必要性と責任の重さです。

埼玉県でも200校以上の高校がある中、「一番良い学校」というのは存在しません。自らの自己実現のために最も適し、成長できる場所をそれぞれが考えています。

何より、自分が行きたいと決めて、保護者が応援してくれるものに対して必要なことはどんなことがあっても続けられる事。

まずは自分を知り、認めること。そして目的が何かを考えること。あとは支援してくれる人に応えること。が必要だと思います。

「3者」で面談をする意味とは多方面から自分を見て、受け入れ、自分の答えや考えを発奮し、その言葉やこれからの行動に責任をもっていくためのきっかけを作ることかもしれません。

まだ経験していない未来の事象について不安に思うことは当たり前。

しかし、何をしても、何もしなくても時間は流れ、やがて卒業の時期がやってきます。

これからも沢山考え、チャレンジし、悩み、笑い、色々なことを経験していきましょう。

 

みち


克己心

2015年10月14日 20時10分24秒 | Weblog

 

みなさん、こんばんは。

 

日に日に寒くなってきましたね。

体調管理はできていますか。

 

さて、みなさんは昔から長く続けている事、

小さい時にやっていたことで現在も続けている事はありますか。

 

私には10年以上続けているスポーツがあります。

しかし、数カ月?…数年?はそれが途絶えていました。

 

久しぶりにやってみると、やっぱり楽しくてなぜか物凄い達成感を得られたのです。

 

昔を思い出しながら一つ一つの技を確認し、何度も何度も限界だ…と思いながら数時間を過ごしました。

 

翌日、体が軋むような感覚を朝から夜まで感じると同時に、その都度怠っていた自分を反省していました。

 

自分への甘えは容易いことで、自分自身に厳しくすることはとても困難であることを再確認しました。

 

甘えも厳しさもどちらも自分自身であり、乗り越えないと先が見えないのかと思いました。

 

 

来週の日曜日にまた自分自身と向き合ってきたいと思います。

 

 

とりとめのない話をしてすみません。

 

 

 

 

 

では。

 

 

 

 

 

バッキバキ小僧より。