松実ブログ

松実の教員が書き込んでいます。面白い先生がたくさんいますよ☆

遠視

2011年02月28日 19時29分00秒 | Weblog

私ごとですが、おととい引っ越しをしました。

家族というものから離れて生活する覚悟は出来ていたけれど、

どこかさびしさのようなものを感じました。

同時に、自分の部屋が出来たということで、

何もかも自分の好きなように出来る楽しみもあります。

 

そんな気持ちを抱えながらの昨夜、実家から貰ったお米で炊いたご飯を食べたときに、

“家のかおり”がしました。

その時改めて「あぁ、自分は家を出たんだなぁ。」と実感しました。

それと同時に、お米から“家のかおり”がしていたことにビックリしました。

実家から持ってきたものは他にもたくさんあったけれど、

実家というものを食べ物から感じ取ったわけです。

家の味ってこういうことなのかなぁ…。

今なら何種類かのご飯を出されても、実家のお米を当てられる気がします♪

 

 

 

初めての一人暮らしには小さなことだけれども発見だらけです。

これまでは帰る家があったから、気付かなかった様々な感覚。

(まぁ、実家に帰れないわけではありませんが)

常に傍にいてもらえたからわからなかった感覚。

近すぎて見えなかった沢山のもの。

少し離れてみると見えてくるものが沢山ある。

 

 

皆さんも、近すぎて見えていないものはありませんか?

 

あつみ


仲間

2011年02月25日 22時30分38秒 | Weblog

今日卒業制作が完成した

携わってくれた卒業生

家庭研修期間なのにもかかわらず、毎日のように登校してくれた生徒達

多用な中、出来る範囲で協力してくれた仲間達

本当に感謝しています

君達のおかげで卒業までに完成させることができた


一人一人木片を削り、インクを入れ、実行委員と有志が力を合わせて組み合わせた言葉のかけら

本当に迫力のある作品が完成しました

制作に携わった時間の分だけ、その苦労が実感できると思う

 

「初めに言葉ありき 言葉は心である」から始まる「言葉と心」の詩


詩の持っている厳しいけれども柔らかな温もりのある言葉
木の優しい雰囲気に包まれた言葉

それを君達の後輩達がずっと見ていくことになる

彼らがこの言葉のメッセージを心の中に宿してくれたら嬉しいな

 

君達と共に過ごしたこの2年間で、私は様々なものをもらいました

様々なことに気づかされました

 

真面目で堅実そうだけど実はおちゃめな一面がある

ふざけてばかりだけど、誰もが認める優しさを持っている

いつも笑顔が素敵で友人思い

困っている人がいたらほっとけない

悩みを抱えていても、明るくふるまってしまう

自分に厳しいけれど、、、甘いところもある

夢を持って明るい未来へ歩いていこうとする

不器用過ぎていつも苦しんでいるけれど、笑顔は忘れない

だらしない言動が目立つけれど、大切なことは何かわかっている

小生意気で素直ではないけれど、本当は誰よりも優しくて信頼できる

 


本当に個性豊か

共に過ごした時間の中で君達が残してくれたもの

その一つ一つをこれから出逢う生徒達に語り伝え続けていきます


あなた達が卒業しても、あなた達の影響力はずっと松実にあり続ける

それが自信となって私たちを支えてくれ、勇気となって励ましてくれるのです


卒業してからのあなた達の活躍がとても楽しみだ

あなたがこれから歩いていく道が、明るく輝く未来でありますように

 

 

 


たき


片手

2011年02月24日 18時58分47秒 | Weblog

再来週がコワイです。私は、どうなっているのでしょう。

再来週の木曜日は、卒業式の翌日。

担任している自分のクラスが卒業した翌日。

今と違い、みんなが登校してくるのを待つ状態ではなくなる、初めての日。

顔を見ることができ、声を聴くことができて『当たり前』なのが、そうではなくなる初めての日。

教室の掲示物も、下駄箱の名前も、みんなの教科書ボックスも、カラッポになる日。

再来週の自分の心境を考えることが、まったくもって出来ないのです。

 

 

高等部は自宅学習であるため、登校日はあと2回。卒業旅行を含めるとあと4日。

卒業式の日を含めても、とうとう片手の指の日数となりました。

親指が折れたら、次は卒業旅行。

小指と薬指が折れたら、卒業旅行も終了。

午後の時間を教室で過ごすラストのLHRが終わると、中指まで隠れ、

人差し指だけが立つ日が、3月9日、卒業式です。

 

3月9日はその指をほどき、笑顔のあなたと握手して、笑顔で送り出したい。

 

卒業を無事にしてもらうため、笑顔で卒業してもらうため、時間を費やしてきたけれど、

それでも時間は足りない!もっと話したい!もっと笑ってほしい!もっと一緒に過ごしたい!

それが叶うのは今だから、今しかないから、あなたの登校を待っています。

とりあえずは、月曜日。3年生、集まれ!!!!!!!!!

 

マリオ

 

 


思いやり

2011年02月23日 19時11分05秒 | Weblog

松実では毎日朝礼、終礼をしており、日々の連絡や生徒の報告、相談などをする時間をとっています。この朝礼ではいつも職場の教養というものを読み、教養を深めていますが、今日の内容の一部を要約して紹介したいと思います。

 

人間関係を豊かにし、円滑にするためのポイントは目配り、気配り、心配りである。

目配りは観察力

気配りは察知力

心配りは行動力

それらが重なると相手の立場での思考、言動がとれるようになるとの事。この思いやりの心が人間関係の基となることを心しましょう。

 

人は一人では生きていけません。目には見えないところでも物理的・精神的に誰かに支えられて生きています。だからこそ自分以外の他との関係を築くことが共生に繋がるのだと思います。松実に通ってくる生徒の中にもここで失敗した経験を持つ子も少なくないと思います。優しい心を持ち、目配り気配り心配りをし過ぎてしまい自分が疲れきってしまったり、逆に自分本位な言動をしてしまって周りの誰かを傷つけてしまうなどの経験はありませんか?

大切なのはバランスですが、相手を思いやる気持ちを持つことが人と人とを繋ぐ糸になるのだと再確認しました。

だからこそ私自身目配り、気配り、心配りが誰よりもできるようになりたいと考えた朝礼でありました。

 

みち


口1 目2 耳2

2011年02月22日 22時22分22秒 | Weblog

「神様は、私たち人間に口を一つ、目を二つ、耳を二つをくださった。
 教師や親はついそれを忘れて、生徒や子供に話しすぎたり、
 言いすぎたり、口が二つにも三つにもなりがちです。
 二つずつある目と耳で、子供や生徒をよく見て、
 子供や生徒の話をよく聞いてあげる。それを大事にしてください。」

今日の朝礼でK先生がそう話してくださった。

子育てや教育の原点ではないでしょうか。
松実の教師にもそれが強く求められていると日々感じます。

オイラも毎日の学園生活の中では、生徒に対して、
「ああしろ、こうしろ。」とドンドンと言いたくなることがあります。
だらしない、遅刻する、提出物を期限までに出さないなど、
日々の教育活動では、頭にくることが山ほどあります(笑)

おそらく家庭でも同様でしょう。
朝起きない、ふてくされる、携帯ばかりいじっているなど、
親子の毎日の生活では、頭にくることが山ほどあるでしょう。

もちろん、学園でも家庭でも、叱るべき時は叱り、注意するべき時は注意する。
それは絶対に必要です。
だらしないことも、遅刻することも、提出物が遅れることも、
朝起きないことも、ふてくされることも、携帯ばかりいじることも、
毅然とした態度で、教師や親が叱り、注意しなければならない。

しかし、それらの行動の裏にある原因や要因を知ろうとしているでしょうか。
なぜそのような行動を取るのか、そこをしっかり見ているか、聞いているでしょうか。

ついつい、教師や親は自分の口を使って「言う」「叱る」「注意する」ことが先にきて、
後にも先にも「聞いてみる」「見つめる」ということが抜けることがあります。


例えば、車がビュンビュン走る道路を、赤信号なのに渡ろうとしている子供や生徒に対して、
「なぜ赤信号なのに渡るんだい?
 渡ってしまいたくなるような、苦しく悲しい気持ちでもあるのかい?」
そんなことは聞かなくていいのです。問答無用で頭ごなしに叱りつけるべきでしょう。
「危ないだろう、二度と同じような真似はするなよ!」と。

これは生命の危険にかかわることだからです。

しかし、我々教師や親は細かいことまでいちいち、グチグチと言いませんか。
しかも怒りにまかせて、行為の否定だけでなく人格の否定までもしていませんか。


行動の裏には心があります。

トゲトゲしい言葉遣いをする子供や生徒がいるならば、
その子の心はトゲトゲしい状態であるということです。
昔はそんな言葉遣いではなかったのに、
今は「死ね」だの「うぜーんだよ」と口癖のように言うのなら、
最近心を曇らせるような何かが起きているのです。


その「死ね」だの「うぜーんだよ」という言葉を、
頭ごなしに否定することも、とても重要です。
なぜならその言葉を聞いて悲しんだり傷つく人間が発生するからです。

しかし、なぜそんな言葉を口走るのか、なぜその言葉を出さざるを得なかったのか、
そこを考えてやらないと、一時的な言葉遣いの指導に終始してしまうと思うのです。

「なんでそんな言葉遣うんや?」というフォローをしてやらないといけないと思うのです。
「だって腹が立つことばかりなんだもん。・・・・・。」
「何にそんなに腹を立てとるんや?何かあったんかいな?」

そのように聞いていくだけで、子供や生徒は結構話してくれるものです。

しかも、その話を聞いていくと、大人でも厳しいようなことに耐えていたり、
我慢していたりすることが多くあったりするものです。
または、聞いているうちに、
「自分も中学生や高校生の頃は、そんなことに腹を立てていたな~。」と、
懐かしくなったりすることもあります。
「今、この子はこんなことに悩んでいるんだ」って、分かることがあります。

子供や生徒は、自分が悩んでいたり苦しんでいることを「大人に話せた」ということで、
大きな安心感と喜びを得ます。
その子と教師の間には、目には見えない心の中の糸と糸で繋がります。
「何かあったらこの先生に話そう。」「また相談してみよう。」という気持ちを持てた生徒は、
学園での生活も見違えるように安定するし、落ち着くものです。
それが教師が生徒に「寄り添う」ことの一つだと考えています。
最近は、自分も含めて、「忙しい」を理由に、
「見る」「聞く」「寄り添う」を怠ってはいないでしょうか。


今日、卒業式の式場の下見をしてきました。
日が迫っているのに、今までなぜか実感がわいてこなかったのですが、
今日その式場を見たら、やっと実感がわいてきました。

卒業していく生徒たちにどれだけ寄り添えただろう。
どれだけ彼ら彼女らの声に、悩みに、苦しみに耳を傾けただろう。
元気のない様子に「何か心配ごとでもあるのかな」と、どれだけ目をかけられただろう。
どれだけ、耳と目と心を配れたのだろうか。どれだけ寄り添えたのだろうか。


そんなことを感じながら式場の下見は終了しました。


 G 


親友

2011年02月21日 21時23分59秒 | Weblog
私には親友が2人います。

1人は、小学校へ上がる前からの付き合いの幼馴染。
もう1人は、大学の部活で活動してきた同期。


前者の幼馴染はとてもパワフルで前向きで寛大な人柄で、
私から「カンボジアへ旅行に行きたい」と提案したところ、
2つ返事で承諾してくれました。

後者の同期の友人は、慎重で思慮深く自分の理想を貫く勇気があり、
3年前から抱いていた「モンゴルで馬に乗る」という夢を実現するために、
今週末単身で現地へ向かうそうです。


20年とちょっと生きてきて、たくさんの人と知り合ってきましたが、
お互いを親友と呼べる友はこの2人だけでした。


隠すことなくお互いの意見を言い合い、また時には誤りを指摘し、
長い時間を経てもお互いにリスペクトし合っている関係。


そんな関係を築ける友人と出会えたことに感謝しています。


みなさんも是非親友と呼べる友を持って充実した日々を送ってください



すづ

与えられた才能

2011年02月18日 22時00分09秒 | Weblog
みなさんこんばんは!

私は先日、とある勉強会で興味深い話を聞きました。
それは、

「人には才能が二つある。一つは、神さまから与えられた才能。もう一つは、自分で努力して得た才能。」

というものです。

昨日のyuma先生のブログには、好きな事に全力で取り組むことについて書かれていましたが、
これによって得られる能力は、おそらく二つ目の才能のことなのでしょう。
(もちろん、もって生まれた才能をさらに伸ばすという事もあると考えられますが。)


私が特に取り上げたいのは、一つ目の才能です。

「神さまがあなたに与えた才能」

これって、自分にとってはなんだろうか…。みなさんはどう思いますか?

私は、すべての人は何かしらの能力、つまり才能を与えられていると信じています。

それは、人目につきやすいカッコイイ能力かもしれない。
そうではなくて、人からは気づかれにくい能力かもしれない。

この能力には神さまの目には差はないのだろうと思います。
もちろん人間の目には、人目につきやすい能力の方が輝いて見えることが多くあります。
けれども、それはあくまでも人の目だから。


自分ではまだ気づいていない人も、あなたの才能が必ずある。
いや、すでに輝いているかもしれない。
まだ誰も気づかなくても、ちゃんと輝いているのだと思います。

だから大丈夫。ちゃんと見ていてくれている人もいるはず。


胸をはって、自分自身を好きになって、自分の人生を楽しみましょう

gunji

*優しい言葉*

2011年02月16日 20時16分28秒 | Weblog
今週に入って2日連続熱で寝込んでいました


せっかくのバレンタインを楽しむことなく、ベッドにもぐって唸っていました。
大人になり、体調管理が大切なのは重々承知ではいたのですが、日曜の夜から悪寒に襲われ、予想通り、朝にはめまいがし、顔が熱く、体中が痛かったです。
(インフルエンザではありませんでしたよ)



休みたくなかったです

だって、年に一度のバレンタイン

チョコレートをたくさん食べていいはずの1日なのに、

お粥と薬しか口にしていなかったから

やっと治ったと思って、学園に今日来てみたら

「大丈夫なんですか」

「あっ生きてたの!笑」


など、みんなの何気ない言葉が嬉しくて元気になって良かったとつくづく思いました


言葉ってとても大切で、大事にしたいものです


自分だって優しい言葉かけてほしいですもんね


言われて嬉しい言葉


恥ずかしいかもしれないけれど


少しずつ使ってみるといいかもしれませんね


必ず自分に返ってきます

        うっちー

進級

2011年02月15日 20時56分41秒 | Weblog

先ほど面談を終え、教務室に戻ってきました。

進級に関する話だったので気合を入れて、生徒に訴えました。

「絶対に進級するぞ!!!」

とはいえ、

2月は冬期補講、後期試験など単位認定に関わる重要な取り組みが待っています。

高校生として「やらねばならぬ課題」が立ちはだかっているのです。

大切なことはどのようにその課題と向き合うのかです。

一生懸命頑張るのも、力を抜くのも自分次第。

なんでもそうですが、どんな小さなことにも手を抜かない人はかっこいいです。

松実生、かっこいい人であれ!!


 S

The Missing Piece

2011年02月14日 19時36分54秒 | Weblog
     
  The Missing Piece

It was missing a piece.
And it was not happy.
So it set off in search of its missing piece.
And as it rolled
It sang this song ―
Oh I’m lookin’ for my missin’ piece
I’m lookin’ for my missin’ piece
Hi-dee-ho, here I go,
Lookin’ for my missin’ piece
The Missing Piece/ぼくを探しに
Shel Silverstein/シェル・シルヴァスタイン

何かが足りない
それでぼくは楽しくない
ころがりながらぼくは歌う
「ぼくはかけらを探してる、足りないかけらを探してる、
ラッタッタ さあ行くぞ、足りないかけらを……」
(訳:倉橋由美子)

 2年生の英語Ⅱの’The Missing Piece'だ。
 Itは欠けているものを探して旅に出るが、それが何かを見つけることができない。見つけたと思っても本当に
 それなのだろうか?いや、何か違う気がする。何か様子が違う。
 では、いったいそれはどこにあるのだろう?

 自分に以前欠けていたものはもはやどこにもないのか?もう元には戻ることはできないのか?
 Itは欠けているからつまずき、うまく走れない。しかし
 美しい風景がいつもそこにあって、Itにやさしく語りかける。

 16歳の頃だったか、冬のある日、机の上に文庫本が1冊置かれていた。父親が置いた本だった。 

     わがあしかよわく  けわしき山路(やまじ)
     のぼりがたくとも  ふもとにありて
     たのしきしらべに  たえずうたわば
     ききていさみたつ  ひとこそあらめ
                 さんびか第百五十九
                            太宰治「正義と微笑」より 

  いつかそんな人になれれば、と思った。

                                    Kiku