松実ブログ

松実の教員が書き込んでいます。面白い先生がたくさんいますよ☆

覚悟

2015年09月29日 14時57分59秒 | Weblog

こんにちは。

 

今日は9月29日。今年度が始まってから半年の月日が過ぎようとしています。そして前期も無事終了しました。

振り返ると、本当に様々なことがありました。

それは、学園全体にとっても、各学年にとっても、各クラスにとっても。

そしてもちろん、各生徒にとっても、私自身にとってもそうだったことでしょう。

おそらく、嬉しいことも・楽しいことも・悲しいことも・苦しいことも。

でも、その全てに「意味がある」ことだと思えるように、捉えられるようになりたいですね。

 

私自身、この前期を振り返ってみると、

なかなか時間の使い方が上手くできなかったかなと思います。

人間には皆平等に一日24時間という時が与えられています。

そして、お仕事をしている人であれば、仕事以外の時間。学校に通っている生徒や学生であれば、学校以外の時間。これらの自分自身で使い道を決められる時間をどのように有効に使っていくのか、ということがとても大切になってくると思います。

遊ぶ、テレビを見る、ゲームをする。もちろん、そういった時間も必要でしょう。

ただ、そのなかでどれだけの時間を、勉強や自分の将来の夢のために費やせるかどうか、ということが自分の成長、そして夢に近づく方法ではないでしょうか。

 

あなたは、どれだけ時間を費やせますか?

「あなたの覚悟はどれほどですか?」

 

自分自身にも常に問うていきたいです。

 

 

 

でっかいひとより


ダイアローグ

2015年09月25日 22時14分06秒 | Weblog

 

みなさん、こんばんは。

 

 

今日、高等部では前期が終わりました。

1年生は入学式を含めて89日、2・3年生は88日の登校日数です。

 

前期を振り返ってみて…どうでしたか?

自分自身に問いかけてみてください。

 

 

毎日が楽しいという人もいれば、

苦しい時がたくさんあったという人もいるのではないでしょうか。

 

 

秋休みは短いですが、体を休めて万全の状態で後期を迎えられると良いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

バッキバキ小僧より


量子力学の不思議(2)

2015年09月24日 09時00分00秒 | Weblog

宇宙の根本原理を説き明かそうと世界中の科学者が色々な理論を発表していますが、決定的なものはありません。その中で一番有力な説は「超ひも理論」です。この理論を理解することは一筋縄ではいきませんが、乱暴な説明をすれば、根源的にはすべての物質は極小のひも(大きさは10-35m といわれ、原子の大きさの10-10mと比べてもとてつもなく小さい)で出来ていて、物質の違いはそのひもの振動の変化(弦楽器で例えれば、バイオリンを弓で弾いて音色を変えるようなもの)だというのです。

つまり、超ひも理論ではアインシュタインが証明したように、物質とエネルギー(ひもの振動)に区別がないのです。ここまでは、なんとなく理解できそうな気がしますが、この超ひも理論が成立するためには、次元が10次元ないしそれ以上必要とされるとなると、混乱してきます。

私達が住んでいるこの世界は3次元から成り立っていますから、縦、横、高さで位置が決まります。ただし、同じ場所であっても、時間が違っていれば、待ち合わせをしていたとすると、出会うことは出来ませんので、逆戻りはできませんが、時間も次元と捉えれば、4次元となります。

もし、2次元の世界に住人がいたとすれば、3次元の世界は想像できないでしょう。それと同じように、3次元(4次元)の世界の住人である私達には5次元の世界は思いもつきません。ですから、10次元以上の世界が必要な超ひも理論を理解できる人は、野生のパンダの生息数より少ないと言われています。

でも、次元を理解する手がかりはあります。例えば、私達にとって縄は1本の線ですから、1次元と認識できます。しかし、その縄に留まっている昆虫にとっては、縦も横も高さもある3次元の世界です。つまり、超ひも理論で表現されている多次元はミクロの世界、すなわち原子や分子やそれを構成している素粒子などの世界では成り立っているかもしれません。ですから、ミクロの世界を解明する理論である量子力学の助けがないと、超ひも理論を理解することはできないのです。

音楽と数学とは全く関係なく発達してきたにもかかわらず、似ている部分が多いと言われています。ですから、一部の音楽家は音楽を理解するために数学を使用することがあるそうです。何故なら、音楽の音の配列が数的性質を表しており、数学は「音の基礎」と言えるからなのです。古代中国人、エジプト人、メソポタミア人も音の数学的原理を研究していたことで知られています。自然は音で溢れています。つまり、音楽を研究することは、自然を研究することと言っても過言ではないのです。

さらに、数学と物理は切っても切れない関係ですから、「超ひも理論」が音楽と何らかの関係があるのは、全くの偶然ではないのかもしれません。超ひも理論の研究が進むにつれて、研究者の間では様々なバリエーションが考え出されており、まとまりがつかなくなっています。でも、これを打開する天才が優秀なバイオリニストであったとしても不思議ではありません。一見何の関係もない学問がお互いに影響しあって美しいハーモニーを奏で、思いもかけない大発見に繋がるかもしれないのです。


量子力学の理解を難しくしているのは、存在は確率でしかないと捉えているところだ。つまり、固定された実体がない。アインシュタインも人の意識と物理現象は無関係と捉えていたから、量子力学の根本概念である「観察するから現象が確立する」という「人の介在」を評価する量子力学が理解できなかった。例えば、月は月として人とは無関係に存在している絶対的なものだと主張した。

量子物理学者と激しい論争を繰り返していた頃、アインシュタインはインドの高名な詩人であり、思想家であり、そしてアジアで初めてノーベル文学賞を受賞したタゴールと対談し、この月の話を話題にした。タゴールは、アインシュタインの主張に対して、「月は無数の原子からできていることを科学者は証明した。しかし、そこに光と闇の神秘を感じるか、ただの原子の塊と捉えるかは見る人に委ねられている。もし、人が月を月として認識しなくなれば、月は存在しなくなるのだ」と恬静に語りかけた。

アインシュタインは虚を衝かれ「長い時間をかけて、読み解こうとした自然の物語は、完結することはない。重要な進歩は、いつも新しい問題を引き起こす。そして、古い見方と新しい見方との劇的な闘争の中に、私たちは、理解に対する永遠の憧れと世界の調和への信念を固めるのだ。」とその対談を締めくくった。

量子力学の基礎を固めたシュレディンガーが最後に辿り着いたのが東洋の教理(インド哲学)であったように、学問とは、現象を人間とは無関係なものとして考えるのではなく、人間の尊厳を考えられる科学であり、人間を無視しない科学でなければならないのかもしれない。

次回は量子力学の理解を助けるために別の角度から説明していきたい。


こんなときは英語でなんて言うの

"day in and day out."  「明けても暮れても(来る日も来る日も)」
何かあまり面白くないこと退屈なことがしばらく続いたときの(「嫌になるよ」という)気持ちを表します。

1.家族写真

A.This is my big brother, Jake. He's a doctor.
(これは兄のジェイク。お医者さんだよ。)

B.He must be very smart.
(お兄さんてとても頭いいんだろうね。)

A.When he was young, he used to study day in and day out.
(小さい頃は、明けても暮れても勉強ばかりしてたね。)

2.夏休み

A.How was the trip?
(旅行はどうだった?)

B.Well...it rained day in and day out for the most part.
(そうだなあ…来る日も来る日もほとんど雨だったよ。)

A.That was too bad.
(それは残念だったね。)




夢の理由

2015年09月18日 18時48分06秒 | Weblog
みなさん、こんばんは。
高等部のみなさん、前期試験ご苦労様でした。
中等部のみなさんも自然体験学習の準備本当にご苦労様です。
9月は台風がやってきたことで、予定が大きく変更されてしまいましたね。
みなさんはそのズレをもう克服できましたか?
大きな影響が出ているため、修正することは簡単ではありません。
それでも時間は流れ続けています。このようなときにこそ、
前を向く力が身につくもの。大変だとは思いますが、一緒に乗り切っていきましょう。

さて、みなさんは何故「自立と共生」が大切だと思っていますか?
様々な場面でその理由を先生たちから聞かされている人もいるかと思います。

では、何故「夢」を持とうとするのですか?
「夢」を持つことと「自立と共生」は密接に関係をしていますが

夢を持つことのメリットとは一体何でしょうか?

実際には、夢は持っていなくても生きていくことは不可能ではありません。
なのに、学園では夢を持つこと、夢の実現のために必要なことをしっかりと考えさせています。
夢を実現するために必要なものとして「進路」というものがありますが、これはあくまでも夢を達成するための
手段。
「どんな学校に進学したいのか。」
「そこでどのようなスキルを身につけたいのか。」
「そしてどんな会社に就職をし、どんな仕事をしたいのか。」
これらを一生懸命考えることはとても大切なこと。

でも、もっと大切なことがあるのではないでしょうか。
それが最初のみなさんへの問いかけ。

「なぜ、夢を持つのか」

「夢を持ちなさい」とよく言われるのはどうしてなのでしょうか?

中等部も高等部も3年生はいよいよ進路について本格的に始動しています。
すでに進路が決まったみなさんも、これからだというみなさんも
まだ夢を描けていないというみなさんも、一度考えてみてはいかがでしょうか。

考えてみた!という方は、まだまとまっていなくても構いませんので、
是非教えてくださいね。

朝晩の冷え込みが大きくなってきました。くれぐれも体調管理には
気をつけてください。それでは、良い連休を♪

taks

竹のように

2015年09月17日 21時12分33秒 | Weblog
みなさん、こんばんは。


いよいよ前期の終わりが近づいてきました。



節目をつける。

1年生の最初の課題研究で話をしました。

定期的にそれまでの自分を振り返り、それからの自分を思い描くこと。

それを積み重ねることで、少しずつ丈夫でしなやかな心を育ててほしい。



1年、半年、1ヶ月、1週、1日。

時間の単位はたくさんありますが、松実での生活に当てはめると、今の学年、クラスで過ごせる時間の半分が終わろうとしています。

1年の中でも大きな節目の1つです。

この機会に、しっかりと自分の中にも節目をつけ、丈夫でしなやかな自分の芯を培っていってください。



まだ半年もあるのか、もう半年しかないのか、人によって感じ方は様々だと思いますが、確実に時間は流れています。

これからの自分のために、あるいは一緒に過ごす誰かのために。

今の自分にできることを積み重ねていきましょう。



最近はまた季節の変わり目で体調を崩しやすい時期です。

また前期試験が終わった安心感でどっと疲れが出るということもあるでしょう。

何事も身体が資本。

忙しいとき、大変なときこそ体調管理をしっかりと意識しておこない、しっかりと前期の終わりの節目を迎えられるようにしたいですね。



それではまた明日、学園で待っています。


こーへい

歴史的な瞬間に立ち会うということ

2015年09月16日 16時09分33秒 | Weblog

歴史を学んでいると、「あの時代に生まれていたらなぁ~」と痛烈に感じる瞬間が誰しもあると思う。
多くの人が戦国時代や幕末といった激動の時代を好んでいるような気がする。
私も例にもれず、ぞのような時代に強いあこがれを持っている。
そんな中でも今までの人生を振り返って、「歴史的瞬間に立ち会った」と列挙できる事象がある。

2009年、アメリカ合州国の大統領にバラク・オバマ氏が選ばれた瞬間だ。

詳細は覚えていないが、テレビの前に座り込み選挙の行方を固唾を飲んで見守った。
「オバマ、大統領に当選!」
その結果をこの目で確認したとき、世界史が塗り替えられたことを肌で感じた。
胸が熱くなった。


今現在の日本もとても重要なターニングポイントに立っている。
画面越しではあるが、時間を見つけては議論の行方を見守っている。


いつもは忘れているけど、私たちも歴史「上」の人物なんだと、こんなときは感じたりする。



すづ

長月。

2015年09月14日 08時42分53秒 | Weblog
長月、旧暦の九月の呼び名です

日の落ちるのが早くなり、夜が長くなるころ
その夜長月(よながづき)の略で「長月」となったという説

秋の長雨「長雨月(ながめづき)」
稲穂が身の丈を伸ばす「穂長月(ほながづき)」の略であるという説

など諸説あるのだそうです

また「長月」と聞いて思い出すのは
百人一首にも選ばれているこの歌です

今来むと 言ひしばかりに 長月の
    有明の月を 待ち出でつるかな

作者の素性法師さんが女性のふりをして作った
センスと遊び心のある一首です
「今、行くよ」と言った男
待つうちに「有明の月」が出てきてしまった女
ちょっと切ないような、でもどこかのんびりした雰囲気もあります


高等部の皆さん、前期試験おつかれさまでした
お天気の影響もあり
スムーズとは言い難いものでしたが
ひとまず全ての試験科目が終了しましたね

あとは結果を待つのみ…
ひとりひとりの努力の成果が実りますように


とり

台風一過

2015年09月11日 17時17分31秒 | Weblog

みなさん、こんにちは。

台風18号が通り過ぎ、久々の青空が見える今日この頃ですが、いかがお過ごしですか??

 

中等部では予定されていた自然体験学習を中止せざるをえず、

高等部でも、前期試験2日目・3日目が休校となってしまいました。

 

先週の今頃、このことを予期していた人はどれぐらいいるでしょうか。

まさか、自然体験学習がなくなるなんて。

まさか、テストが延期になるなんて。

台風情報はテレビやラジオで知っていても、果たしてどんな被害がもたらされ、

それがどんな風に日常に影響するかは、誰もが想像できなかったように思います。

 

予想以上の大雨、想定外の川の氾濫、テレビの報道で映し出される町の情景は非常に心苦しいものでした。

 

さて。

大小問わず、様々なものが「自分の想定外だった」「思ったより○○だった」「こんなこと思いもしなかった」

というものがあるかと思います。

自分が考えうることを考えきっていても、簡単に予想を超えることが起きるのですね。

 

そうならないように、どれだけ幅広く、深く、考えることができるか。可能性を多く見出す必要性もあります。

しかし、起こってしまう事象に限りはありません。

今度は、それを受け止めつつ、さらにどうするか。

動揺し、戸惑い、困惑したあと、自分がそれに対してどんな手を打つか。

災いも幸いも、降って湧くようなものだと思うので、それらに柔軟にしなやかに応じられるようになりたいです。

 

「しなやかであれば、折れず、くじけることはない」と、恩師から教わったことがあります。

頑なに執着し、「こうあるべきだったのに」「こんなはずじゃなかった」と嘆くより、

どうにか少しでもいいから、少しずつでいいから、前を向けますように。

 

 

最後に、あらかじめ避難した方々がご無事であったこと、さらに飼い犬も共に避難できていたことを喜びつつ、

濁流に流されてしまった方や未だに行方不明な方の無事を祈りつつ。

 

 

 

(過去、新品の洗濯機の排水ホースがはずれ、部屋中に汚水が浸水した)マリオより。

 


夏の終わり

2015年09月09日 11時33分16秒 | Weblog

こんにちは。

本日、9月9日(水)は台風18号が接近している影響から、休校となりました。

急なお休みですが、こういったアクシデントにもうまく対応し、時間の使い方を考えてくださいね。

 

ただ、最近は太陽を見ない日が本当に続きますね。

今年は全体的にこんな日が多いような気がしますが。

気のせいでしょうか?

 

さて話は変わりますが、みなさんは日本三大阿波踊りというものをご存知でしょうか?

本家の「徳島市阿波踊り」の他に日本では2つの地域で阿波踊りのお祭りが行われています。

1つが「南越谷阿波踊り」、もう1つは「高円寺阿波おどり」です。

 

実は私は数年前、旅行の際に徳島に寄り、阿波踊りを見に行ったことがありますが、今年は南越谷と高円寺の阿波踊りに初めて参加してきました。

これで三大阿波踊り、全制覇です。

 

それぞれのお祭りごとに特色や盛り上がり方に特徴があって、非常に楽しむことができました。

そして、自分の街にも、こういった地域の取り組みがあればいいなあと素直に思いました。

 

お祭りの数日間だけは、本当に街の姿が変わります。

わあーーーっっ!!と盛り上がって、お祭りが終わるといつもの静けさ?に戻っていく。

なにか寂しいような気もしますが、また1年後、この感動や訪れる人の輝きを目にできるかと思うと、楽しみだなあ。と感じます。

 

もう9月も半ばにさしかかりました。

寒い日も増えました。

夏の終わりですね。

季節の変わり目は体調を崩しがちです。

いつも以上に、体調管理に気をつけてください。

 

でっかいひとより


バカモン

2015年09月07日 07時07分33秒 | Weblog

「あれ?マスクしてないね!治ったの?」
今日の朝、何人もの生徒から投げかけられた言葉だ。
オイラは先週、咳が止まらずにずっとマスク姿で過ごしていた。

マスクをしている時には、
「センセーどうしたの?大丈夫?」という声をかけてくれて、
いざ治ってマスクを外すと、途端にそれに気が付いて、
冒頭のような言葉をサラッとくれる。
生徒の「観察眼の鋭さ」と「優しさ」。
13年前から変わることのない学園の自慢であり誇りだ。


オイラは、小さい頃から喘息を持っていた
季節の変わり目や、風邪を引いたあとに、
呼吸にゼイゼイとかヒューヒューというおかしな音が交ざり、

咳が止まらなくなるという症状を引き起こしてきた。
思い返せば、花火の煙を吸い込んだ時や、
林間学校の夜に枕投げをして部屋のホコリを吸い込んだ時も、
発作を起こした。
楽しい花火や枕投げの時間も、あっという間に苦しく悲しい時間へと変わってしまうのだ。

幼い頃は、そのまま肺炎を引き起こし、入院をすることが度々あった。
母親が運転する自転車の後ろに乗せられて病院まで行き、
診察を終えたお医者さんから、
「入院だね~」って言われてしまうのだ。

人は普段の生活で、「呼吸をしている」という感覚をあまり持たないだろう。
ほぼ無意識に「息を吐いてそして吸って」を繰り返している。
しかし、いざ喘息の発作を起こすと、その繰り返しがイチイチ苦しい。
だから、「人間は本当に呼吸をして生きているんだな~」
「無意識に呼吸できるって素晴らしいことなんだな~」
とつくづく感じさせられるのだ。

そんなオイラも、体の成長とともにスイミングや野球で鍛えたことが影響して、
中学校、高校生の頃にはほとんどと言って良い程、喘息とは無縁になっていた。

「喘息は、子どものうちに完治することがあり、
 完治すれば大人になっても発作はでない。」
そのようなことを聞いていたので、オイラは「もう治ったんだな。」と思い込んでいた。

そのまま時は過ぎ、20歳を越えて大学も卒業し、
仕事を始め、ついでに一人暮らしも始めた。
一日中がむしゃらに働いて、身も心もヘトヘトになる日々を過ごした。
仕事にのめり込めばのめり込むほど、生活(食事・睡眠など)は不規則になり、
オイラの活力であるアルコールの摂取量も増えていった・・・。

そんな生活を続けていたある日。(今から10年前位かな。)
風邪の治りかけに、あの恐ろしい「ゼイゼイ、ヒューヒュー」という音が、
オイラの喉の奥あたりから聞こえてきた。

朝晩を中心に咳がどんどんと出る。呼吸も苦しい。
「大人になって発作が出た場合は、喘息と一生付き合うことになる。」
そのことも聞いていたので、オイラは少し動揺した。

いわゆる「風邪の咳」と「喘息の咳」とでは、
全く性質が異なるのは分かっているのに、
気休めに市販の「咳止め薬」を飲み続けてみたりもしたが全く効かない。
それでも「忙しい。面倒くさい。」を理由にして、病院に行かずじまいだったから、
呼吸音と咳は悪化し、最悪の状況を迎えてしまった。

「もっと早く病院に来ないとダメでしょう。
 自分の体でしょう。喘息を軽く見ているととんでもない目に遭うんだぞ。」
病院に行って、お医者さんからガツンと叱られた。。

大人になってから、人から叱られるとは!・・・。
オイラはとてもビックリしたし、
心の中では、「結局ちゃんと病院に来たのだから良いじゃないか。」
とも思って、ただ「はい、すいません」とだけ返事をしていた。
しかし、少しずつ反省する気持ちが出てきた。
それは、お医者さんの迫力に負けたからというわけではない。

幼い頃からオイラの喘息をすごく心配し、
「小児喘息」を完治させることに本気になっていた母親のことを、
ふと思い出したからだった。
車の免許を持っていない母親は、
寒い冬の早朝でも、診察時間を終えた夕方でも、
幼いオイラを自転車の後ろに乗せて、病院へと走った。
少しでもオイラの体を強くしようとスイミングや野球をやらせてくれた。
その他にも、思い返せばオイラの喘息を根絶しようと、色々なことをやってくれた。

それなのに、社会人になって、ちょっと忙しくなったからと言って、
「大切に育てられた自分の体なのだ」という感謝の気持ちを持つことなく過ごした挙句の果てに・・・
喘息を再発させてしまったのだ。


その時からだった。
「自分を大切にする」ということは一体どういうことなのだろうと考えたのは。

若い頃のオイラは「他人を大切にできるほうが大切だ。」って思っていた。
この学園が持つ性質的にも、
オイラ(自分)が幸せになることよりも、
生徒(他人)を幸せにすることのほうが、
はるかに「やりがいがある」と思えることが多々あった。
そう思って過ごしていた日々から、たくさんのかけがえの無い体験をさせてもらった。
「生徒と向き合う」とか「生徒に寄り添う」ことって、
オイラが今やっていることそのものだろ!って本気で思っていたこともある。
それはそれで良かった。

しかしそんな日々の中で、
「これで良いのかな?」と思うことに出会うことも多くなった。
自分がしていることに違和感みたいなものが付きまとうことが、ある時あたりから増えた。
「一生懸命やってはいるのだが・・・何かおかしいな。」
という迷いの気持ち。

結論的に言えば、
オイラのモノの考え方、根本的な価値観のベース部分にあった、
「まずは他人を大切にする(自分のことは後回し)」ということが、
間違っていたのだった。
そこが、良い時もそうで無い時も、
オイラのパフォーマンスに直結していたのだと気が付いたのだ。


大人になってからの喘息の再発に関しては、
母親にとても申し訳ないことをしたと感じている。
でも、そのことで、自分の根本的なモノの考え方を見直すキッカケを与えてもらったことも事実。

人を傷つけたり、悲しませないと大切なことに気が付けない。
そんな馬鹿なオイラに今でも嫌気がさす時が多くあるけれど、
気が付くことの出来た「大切なこと」を胸に、感謝の気持ちを忘れずに今後も生きてゆきたい。


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