宇宙の根本原理を説き明かそうと世界中の科学者が色々な理論を発表していますが、決定的なものはありません。その中で一番有力な説は「超ひも理論」です。この理論を理解することは一筋縄ではいきませんが、乱暴な説明をすれば、根源的にはすべての物質は極小のひも(大きさは10-35m といわれ、原子の大きさの10-10mと比べてもとてつもなく小さい)で出来ていて、物質の違いはそのひもの振動の変化(弦楽器で例えれば、バイオリンを弓で弾いて音色を変えるようなもの)だというのです。
つまり、超ひも理論ではアインシュタインが証明したように、物質とエネルギー(ひもの振動)に区別がないのです。ここまでは、なんとなく理解できそうな気がしますが、この超ひも理論が成立するためには、次元が10次元ないしそれ以上必要とされるとなると、混乱してきます。
私達が住んでいるこの世界は3次元から成り立っていますから、縦、横、高さで位置が決まります。ただし、同じ場所であっても、時間が違っていれば、待ち合わせをしていたとすると、出会うことは出来ませんので、逆戻りはできませんが、時間も次元と捉えれば、4次元となります。
もし、2次元の世界に住人がいたとすれば、3次元の世界は想像できないでしょう。それと同じように、3次元(4次元)の世界の住人である私達には5次元の世界は思いもつきません。ですから、10次元以上の世界が必要な超ひも理論を理解できる人は、野生のパンダの生息数より少ないと言われています。
でも、次元を理解する手がかりはあります。例えば、私達にとって縄は1本の線ですから、1次元と認識できます。しかし、その縄に留まっている昆虫にとっては、縦も横も高さもある3次元の世界です。つまり、超ひも理論で表現されている多次元はミクロの世界、すなわち原子や分子やそれを構成している素粒子などの世界では成り立っているかもしれません。ですから、ミクロの世界を解明する理論である量子力学の助けがないと、超ひも理論を理解することはできないのです。
音楽と数学とは全く関係なく発達してきたにもかかわらず、似ている部分が多いと言われています。ですから、一部の音楽家は音楽を理解するために数学を使用することがあるそうです。何故なら、音楽の音の配列が数的性質を表しており、数学は「音の基礎」と言えるからなのです。古代中国人、エジプト人、メソポタミア人も音の数学的原理を研究していたことで知られています。自然は音で溢れています。つまり、音楽を研究することは、自然を研究することと言っても過言ではないのです。
さらに、数学と物理は切っても切れない関係ですから、「超ひも理論」が音楽と何らかの関係があるのは、全くの偶然ではないのかもしれません。超ひも理論の研究が進むにつれて、研究者の間では様々なバリエーションが考え出されており、まとまりがつかなくなっています。でも、これを打開する天才が優秀なバイオリニストであったとしても不思議ではありません。一見何の関係もない学問がお互いに影響しあって美しいハーモニーを奏で、思いもかけない大発見に繋がるかもしれないのです。
量子力学の理解を難しくしているのは、存在は確率でしかないと捉えているところだ。つまり、固定された実体がない。アインシュタインも人の意識と物理現象は無関係と捉えていたから、量子力学の根本概念である「観察するから現象が確立する」という「人の介在」を評価する量子力学が理解できなかった。例えば、月は月として人とは無関係に存在している絶対的なものだと主張した。
量子物理学者と激しい論争を繰り返していた頃、アインシュタインはインドの高名な詩人であり、思想家であり、そしてアジアで初めてノーベル文学賞を受賞したタゴールと対談し、この月の話を話題にした。タゴールは、アインシュタインの主張に対して、「月は無数の原子からできていることを科学者は証明した。しかし、そこに光と闇の神秘を感じるか、ただの原子の塊と捉えるかは見る人に委ねられている。もし、人が月を月として認識しなくなれば、月は存在しなくなるのだ」と恬静に語りかけた。
アインシュタインは虚を衝かれ「長い時間をかけて、読み解こうとした自然の物語は、完結することはない。重要な進歩は、いつも新しい問題を引き起こす。そして、古い見方と新しい見方との劇的な闘争の中に、私たちは、理解に対する永遠の憧れと世界の調和への信念を固めるのだ。」とその対談を締めくくった。
量子力学の基礎を固めたシュレディンガーが最後に辿り着いたのが東洋の教理(インド哲学)であったように、学問とは、現象を人間とは無関係なものとして考えるのではなく、人間の尊厳を考えられる科学であり、人間を無視しない科学でなければならないのかもしれない。
次回は量子力学の理解を助けるために別の角度から説明していきたい。
こんなときは英語でなんて言うの
"day in and day out." 「明けても暮れても(来る日も来る日も)」
何かあまり面白くないこと退屈なことがしばらく続いたときの(「嫌になるよ」という)気持ちを表します。
1.家族写真
A.This is my big brother, Jake. He's a doctor.
(これは兄のジェイク。お医者さんだよ。)
B.He must be very smart.
(お兄さんてとても頭いいんだろうね。)
A.When he was young, he used to study day in and day out.
(小さい頃は、明けても暮れても勉強ばかりしてたね。)
2.夏休み
A.How was the trip?
(旅行はどうだった?)
B.Well...it rained day in and day out for the most part.
(そうだなあ…来る日も来る日もほとんど雨だったよ。)
A.That was too bad.
(それは残念だったね。)