松実ブログ

松実の教員が書き込んでいます。面白い先生がたくさんいますよ☆

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2009年01月30日 22時58分14秒 | Weblog

中等部3年生のみんなは、卒業まであと少し。
今日は1月30日(金)です。
来週からはもう2月が始まります。
そして、2月の半ばには他学年のみんなも頑張っている漢字検定の試験があります。
それを過ぎてしまえば、それこそ卒業まで残り僅かです。

卒業式が過ぎたら、みんなと過ごした教室はがらんとして、校舎からも人気がなくなってしまう。
学園にも、心にも、なんだかぽっかりと穴が空いたようになるのかな。

最近、HRでも授業でも休み時間でも放課後も、この残された日数について話す機会が増えてきました。
卒業生だけでなく、在校生も同様です。

一つの学年が終わる。
その時期が確実に近づいています。

今の環境、今の先生、今の仲間、今のクラス、そして今の自分。

それらとは異なる世界になるのでしょう。
新しい世界は様々なことが待っている。
未来に期待をするのは素晴らしいこと。
けれども、今まで過ごしてきた時間に得たものはたくさんあるはずです。
だから尚更「今」を大事にして欲しい。

今まで築きあげてきたものを心にも記憶にも残すため。
この瞬間、一瞬一瞬を充実した時間として欲しい。

 

3年生のクラスで残された日数を使って出来ることを考えていたら、今まで過ごしてきた思い出と
「その時」はもう目の前に迫っているのだと強く感じてしまいました。


最近、涙もろくなっている自分がいる気がします。

卒業式まで、あと26日。

笑いながら、残された日々を過ごしたいと思う。

 

 

 

 

たき


継続は力なり

2009年01月29日 23時29分07秒 | Weblog
卒業に向けて、今三年生は文集のために作文を書いている。

文章を書くのが苦手な子も、
何度も何度も書き直す子も、
やり直しをさせられても、
家で二晩も三晩もかけて書いてきてくれる子も、
それぞれが一生懸命になって作文を書いている。

内容は主に松実での思い出や、感謝の気持ち、3年間を振り返って、将来のことなどが多い。
一人ひとりが書いてきてくれる言葉に、出会ったときの姿を重ねて、成長した今の姿をしみじみと想ってしまう。

その中に一枚、自分の夢について書かれものがあった。
絶対に夢を叶えると、どんなに苦難や試練があっても自分は夢を叶えると書いてくれた。
彼のひたむきさ、努力を重ねる姿勢に、文章を読んでいて心を打たれた。


最近読んだ本に、こんな言葉が書いてあった。

  諦めないという奥義は、
  時間、他人を介在させないで
  ただひたすら続けること。
  それを守れば、必ず達成する。
  
諦めないこと、ひたすら続けることは難しいが、これほど力になることはない。
これを読んで思い出したのは、次のような言葉だ。

  継続は、力なり。

これは自分が中学生の頃、当時の担任の先生が、自分の社会のノートに赤ペンで書いてくれた言葉だ。

今でも、続けていること、続けるべきことをふと止めそうになったとき、頭にこの言葉が浮かんでくる。
継続は、力なり。

十年後、二十年後、みんなはどんな大人になっているのだろう。
この先なにかを諦めそうになったとき、躓いて道を見失いそうになったとき。
諦めない、ということは、ひとつの奥義であり、
継続する、ということは、力になる、
このことを思い出してくれれば、と思う。



            あや

模範解答のない試験

2009年01月28日 20時23分04秒 | Weblog

「自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しさを味わわなくてはならないでしょう。」
夏目漱石の作品『こころ』の一節である。

「心」とは何か。
高校3年生の課題研究の論述試験で、それを説明せよという問題を出した。

これを読んでいる皆さんは、「心」をどのように説明するだろうか。
辞書に載っているその言葉の意味ではなく、あなたの解釈はどうだろうか。

豊かな生活を追い求め経済や情報という分野の開拓に躍起になってきたが、これからは哲学(倫理・道徳など)が絶対的に人々の心をつかむだろうと感じている。
「え?哲学?そんな古くさいこと興味ないよ」という言葉が聞こえそうだが、文明の利器(例えば携帯電話やパソコンなど)はそろそろ出揃って頭打ち感があるし、それに熱中する時間はもう終わった気がする。これからはそれらをどんどん追い求めて振り回されるよりも、道具として使うだけになっていく気がするのだ。

人々はいかに生きるかを問うことを始め、心豊かにシンプルに生きることを望み、その方向へと歩いていくのではないでしょうか。
これは全く個人的な見解だし、いきなりガラッと変わることもないだろうが、少しずつ時間をかけて、人間らしい生活へと戻っていくんじゃないかと。

課題研究ではこれからも、真剣に「心」だとか「夢」だとか「豊かであること」だとか「自立」だとかを、生徒ともに考え悩み一緒に歩いていけるような授業にしたいと考えている。

試験監督をしながら、一生懸命に書いてくれている一人ひとりの顔を見ていた。松実に入ってきた頃の顔や表情を思い出しながら。
高等部3年生の皆さん、素敵な時間と作文をありがとう。俺は感動した。


 G 




どきどき、わくわく

2009年01月27日 18時36分26秒 | Weblog
高等部のある生徒にとても英語が好きで、海外留学を目指している生徒がいます。


彼女は今、春の短期留学に向けて準備をしています。



私も数年前にはその生徒と同じように、海外留学のパンフレットを見て、そこにいる自分を想像してはにやにやと楽しんだものです。



だから今の彼女の気持ちがとてもよくわかります。



憧れの外国へ一人で行き、かわいい街をただ歩いているだけでわくわくする気持ち。

日本では味わえない経験をたくさんする前のドキドキ感。


それと同時に、本当に海外でやっていけるのかという不安。



まさにその生徒は数年前の私と同じことを感じているようでした。



でも大丈夫!私だって大丈夫だったんだ!



私がその生徒と出会ってから約半年経ちました。


その生徒の英語力はみるみるあがってきています。


きっと今の彼女ならたくさんの楽しい経験をして、今までよりもずっと強くなって帰ってくるでしょう。



春休みまであと1か月半。
行く前のドキドキ感と少しの不安。

その生徒と一緒に感じたいと思います




かなえ





最後の・・・

2009年01月26日 20時32分00秒 | Weblog
 高等部3年生は明日から後期試験です。松実で受ける最後の試験。

 みんな勉強はしっかりしているだろうか。

 ちゃんと遅刻せずに学校に来れるだろうか。


 言ってみればこの最後の試験は卒業試験。きちんとみんな受験に臨んでくれるだろうか。今からちょっと不安です・・・。


 でも、みんな信じてるからな。これは乗り越えなくてはいけない大きな山ですが、絶対にやりとげてくれるでしょう。


 なので今日で高校3年生の通常授業は最後でした。みんなは普段と変わらずに生活していましたが、担任としてはちょっとした達成感を感じた一日でした。


 おそらく卒業に向けての最初の一歩なんだろうなと。


 そして、3月までこれからまたいくつかの山を越えていくんだろうなと思いました。


 一歩一歩の歩みと積み重ね。これからの人生でもみんな同じことの繰り返し。ゆっくりでもいいから確かな歩みを進めていってほしいです。


 これからは社会に出る為の準備。


 もうすぐみんなと過ごすことができなくなると思うとさみしくてなりません。でもそれよりみんなに強く松実を羽ばたいてもらいたいという思いのほうが大きいです。


 これからの時間はそのために使ってください。そして将来の自分のことを考え、自分に向き合ってくださいね。卒業生を送り出す人間として強く思います。


 とりあえずは、明日からの試験!


 みんな頑張れ!!


けんた

今年もよろしく!!

2009年01月23日 21時36分14秒 | Weblog
昨日、「近くに寄ったから」という理由で、卒業生たちが学園に遊びにきてくれた。
突然の来園だったが、意外と久しぶりとは思わなかった。
彼らも私と同じ感覚でいたのか、学園にいた当時とまったく変わらない様子で私に語りかける。

「来年の成人式にむけて振り袖をレンタルするため、バイトを掛け持ちしているよ。朝も夜も大変だけど、なんとか自分でお金稼がなきゃ!」
「歯科助手のアルバイト、最近やっと正社員になったんだ。初めてボーナスもらったよ。」

一生懸命、元担任の私に語りかける彼女たちの表情は一生懸命に生きている。
そう私に言っているようだった。
その顔を見ただけで幸せな気持ちになれる。


お正月に、「新年明けましてあめでとう」というメールや年賀状がくる。
卒業した生徒からの「今年もよろしくお願いします」という内容だ。

卒業した生徒からの嬉しいプレゼント。
昨日来園した彼女たちも元旦に電話をくれた。
着信履歴があったのに、コールバックしなかった私は、

「元旦に電話くれたろ?なんかあったか?進路変更か?それとも彼氏と別れたとか・・?」

 そんなお馬鹿な質問を彼女たちにしてしまった。

「違うよ、新年明けたからさ。今年もよろしくって、電話しようと思ったんだよ!」



今年もよろしく。


昨年、3月。卒業式で「これからもよろしく」という言葉を贈った。
卒業しても私と彼らの関係は続いていく。
新年明けましておめでとう。今年もよろしく。

S

ベジータ

2009年01月22日 18時19分27秒 | Weblog
先日、TVで紹介されていた通販で、
普段あまりお目にかからない果物(ドラゴンフルーツ、キワノ)や
野菜(縦長のトマト)を取り寄せて色々食べてみたのですが、
中でも一番美味かったのが大根でした。


文章にするとなんだか陳腐な表現になってしまいますが、
とても甘くてカブとかリンゴを食べているような、
いつもの大根とは全くの別物に感じました。



もともと高級品や有機栽培でいわれる“本物”の味覚に慣れていない私の舌は、
比較的に味付けの濃いものや加工品の方がうまいなと判断してしまうわけですが、
(ハムやソーセージで言うところの贈答用の高級品より縁が赤い方を好む)
その辺を差し引いてもダントツにうまかったです。



やはり、食べ物には旬があるんですね。
普段は肉食の私も、すっかり野菜にはまり
野菜レストランへ2時間かけていく程になりました。



店内に入ると野菜畑が・・・。

大根がまだ土に植わっている状態。

抜いて洗って食す。

「すげぇ」「うめぇ」「甘ぇ」ずっとこんな感じでした。




いまは、科学肥料や安定しない気候にさらされている農業ですが、
大昔の肥よくな土地では、当たり前のようにまるまる太って甘いニンジンを
かじってたんですかねぇ。




全部が全部ではないですが、旬の野菜果物を食べておくと、
季節が過ぎても体内に蓄えた栄養素が残っていて、
体を丈夫に保ってくれるそうです。



おいしく食べて、風邪の流行るこの時期を乗り切りましょう。

   コ 

「笑う」

2009年01月21日 23時35分24秒 | Weblog
昔から日本人は、中国から伝わった漢字を自分たちの言葉に当てはめてきました。
今でも、文学作品には、当て字がよく使われています。

たとえば、一口に「わらう」と言っても、「破顔う、嬌笑う、嘲笑う、哄笑う、微笑う」など、作家によって、さまざまに工夫され表現されてきました。

ふり仮名があってこそかも知れませんが、ビジュアル的にも楽しめる日本語は、本当に素敵だと思います。

「破顔う」は、顔をほころばせて笑うことの意味として、「嬌笑う」は、なまめかしい笑いの意味として、「嘲笑う」は、あざわらうことの意味として、「哄笑う」は、大口をあけて笑う意味として、「微笑う」は、ほほえむことの意味として…。

笑う門には福がきます。
今、みなさんは、きちんと笑えていますか。




 H 

ずきずき。しくしく。

2009年01月20日 19時52分59秒 | Weblog
寒いです。
歯が痛いです。
牛乳飲みたいです。

土曜日と日曜日は風邪をひき、ずっと寝込んでいました。
人間こんなに同じ体制で過ごせるんだ。と関心するくらい、うつ伏せで、朝から晩までずーっと寝ていました。
39度まで熱が出ると、人間座っていられなくなります。
次に、聞こえてはいけないものが聞こえてきて、見えてはいけないものが見えてきます。
私、妖精のようなものを見ました。

病院でインフルエンザではないという検査結果を見て一安心。

日曜の夕方には熱も下がり、割と元気になったのですが、油断は禁物と思い遊びにいくのを我慢してやっぱりうつ伏せで寝ていました。

金曜日お休みさせていただいたので、丸三日間寝込んだので、もう完全復活をとげました。
それはもう元気で、ここ最近の中では一番元気です。
元気になって走り回っていたら、今度は右の奥歯がずきずき。
歯が痛いです。
今日大嫌いな歯医者さんにいって、痛い治療に耐えてきました。
でもやっぱり歯が痛いです。
泣きそうです。

当分大好きなチョコレートも我慢します。

みなさん、風邪と虫歯にはじゅうぶんご注意を。
手洗い、うがい、歯磨き。
これ、大事です。




                 もえ

特別授業

2009年01月19日 20時15分14秒 | Weblog

今日は毎月1回予定されている特別授業の日でした。

中等部3年生A・Bクラス合同での授業。

 

本日のテーマは『一期一会』

私たちの人生は、出会いと別れの繰り返しです。

人はもちろん、物質的なものや経験まで。

もしかしたら一生に一度しか機会のないことも世の中には沢山存在すると思います。

現在の日本の人口は約1億3000万人。

そのうちの一人一人がこの松実高等学園という場所で出会えたのは本当に奇跡なのですね。


授業の前半はそんな出会いを果たした私たちは、お互いの事をどれだけ知っているか確認する作業から入りました。

改めてインタビューをしてみると、今まで知っているようで知らないことが沢山あり、新発見と共感の連続でした。

せっかくの出会いを果たしたのだからお互いの事をもっと良く知ることで、より相手に思いやりと親しみを込めたコミュニケーションを図ることができるはずです。

そのような当たり前のことを再確認することができました。

きっと同じように感じた人もいるでしょう。

 


授業後半は、視聴覚教材を用いた学習です。

考え方や生き方の違う二人の若者がお互いの意見を交換するという映像を鑑賞しました。

詳しい内容は割愛しますが、一人は生きていく中で個性を強く尊重し、もう一人は個性を主張するよりも上手に周囲に合せながらの生き方を送っているというものです。

どちらもそのような生き方を選択したのには、背景となる経験が存在しているようなので、どちらが良いか悪いかとの答えは決められませんが、中学3年生の皆さんはどのように感じたのでしょうか?


何人かのみんなには感想を聞きましたが、私なりの感想を伝えたいと思います。


生き方に関しては人それぞれです。

人の数だけ出会いがあり、その経験がある。良いことばかりではないでしょう。

その中で、現在の生き方を主体的に選択しているのか、または知らず知らずのうちに選択してしまっているのではないかと思います。

「もっとこう生きれたら良いのにな」、「ほんとはこんな風にしたいのに」、「今の自分が嫌いだ」、そのような言葉を聞くことがあります。

自分自身に納得しながら生きていくのはなかなか難しいものですね。


映像を見ながら、自分自身の姿を重ねてみました。

中学生の頃の自分は、運動部に所属しながら、熱帯魚を中心に生き物が好きな生徒でした。

よく昼夜関係なく釣りにも出かけており、そのはまりっぷりといったら他に興味が見いだせないくらい熱中していました。

おかげでテレビ番組もほとんど見ることはなく、流行りの音楽や芸能人、お笑いなんかも全く分からず、クラスの中の話題についていけないこともありました。

その頃の僕はそんなことは一切気にせず、自分の興味のある事だけを追い続けていました。


でもある時、ある友人に当時大ブレイクしていた2人の女性歌手のうちどちらが好きか?という質問をされました。

すごい有名人なのに、当時の私は全く顔も浮かんで来なかったのです。

大勢で話していたにも関わらず、共通の話題が持てずになんだか気まずい空気が流れていったのを今でも覚えています。

 

自身の回想に走ってしまいましたが、要するにその時初めて周囲と合わせることも大事なのかも知れないと学んだ瞬間でした。

当時の私は、結構な変わり者だったと思います。(今でもそうですが)

おかげで、人付き合いも苦手だったのかも知れません。

それでもその時の友人たちは幼い頃からよく知っていた人たちなのであまり気付かなかったのでしょう。


人は周囲に合せることでいつの間にか人付き合いもうまくなると思います。

流行りの話題はもちろん、周囲の人たちの事をよく知る努力をする。

そしてそれを友人との話の中で展開することで、お互いをよりよく知ったり、話に花が咲くのだと思います。

共通の話題で盛り上がった方がお互いにとって気持良かったり、楽しかったりしませんか?

そうやっていくと自然とコミュニケーション能力が養われるのですね。


他者に合わせるのも大事ですが、自分の個性も忘れたくはありませんね。

一方では自分の趣味やこだわりはある程度曲げないように確かなものを保持する。

その自身の個性と周囲との協調性のバランスがとても大切なのではないでしょうか。

 

私もカエルや熱帯魚と言った水圏生物が大好きなんていう人です。

「私」という人間を特徴づける「個性」だと思いますが、社会不適応を起こさない程度にこれからも大事にしていきたいと思いました。


個性と協調性のバランスを大切に。

そんな事を思い出しながら考えていた特別授業でした。


皆さんはどのような感想を持ちましたか?

 

 


たき