ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

月光の白き林で木の根掘れば

2008-07-21 14:21:31 | Weblog
 早くも今年の梅雨明け宣言が出たそうですが、心なしか蝉の声も聞こえているようになっているのは、気の早い私だけでしょうか。
 子供の頃は、蝉の鳴く声が聞こえると、すぐに蝉取りに行ったりしたものですが、最近の子供は「クワガタ」以外はあまり興味がない、という話も聞こえてきますから寂しい限りです。
 虫を捕まえて観察する、というのは子供の特権ですから、「クワガタ」でなければ嫌だ、などと言わず、何の虫にも興味を持っていただきたいものです。
 「大人でも虫に興味がある人間はいる。」とお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、大人の場合、金銭的な事が絡むと違った方向に思考が働くわけですから「虫に興味がある」のか「虫に絡む金銭的なものに興味がある」のかで大分変わってくると思われます。
 そんな私も一時期、「オオクワガタ(オス)」を幼虫から育てていた事がありまして、その幼虫を8.5センチの成虫にまで育て上げた、というブリーダーとしての実績も持っているわけでございます。
 しかし、その後が悪かった。「オオクワガタ(オス)8.5センチ(名前はオオクワ君、以下そのように表記)」の子孫を残したい、という気持ちから、「オオクワガタ(メス)」3匹と同棲させたのでした。
 オオクワ君はちょっと「シャイなあんちくしょう」でしたので、1匹ではうまくいかないかもしれない、と余計な事を思ったのも後に後悔する事となったのですが、最初の頃は、

「よっ、オオクワ君、ハーレムだね。憎いよ、この、一夫多妻制男!」

 と、励ましとも何とも付かぬコールを掛けておりました。
 しばらくしてから、愛の巣を開けて見て見たところ、オオクワ君が居ません。あれっ、シャイだから隠れているのか?とも思っていたのですが、よく探してみたら、バラバラに食いちぎられているではないですか!

「オオクワ君!オオクワくーん!何て事すんだよ!このアマゾネスども!」

 そんな事を「オオクワガタ(メス)」に言ったところでどうなるものでもないのですが、メスたちは知らない振りしてプラスティックの容器に入った樹液をすすっておりました。何てヤツらだ。
 それから虫を飼う事からは足を洗ったのです。星になったオオクワ君、成仏してください。君の事は忘れません。

 さて、とんでもない話から始まりましたが、山形では伝統的な食べ物として「イナゴ」という虫を炒り付けて、醤油と砂糖でカラメリゼしたものがあります。
 私も幼い頃から食べておりましたので、私の中の「ヤマガタン・ソウルフード」として認定しておりますが、この事を県外の人に言うと、

「えー?!山形の人って虫なんか食べんの??」

 と、一様に驚きを隠せないようです。
 
 ダメですか?私は好きですよ、「イナゴ」。しかも「甘露煮」は。
 甘辛い中にシャリシャリとした独特の食感があり、時々、口の中の上顎の方に足なんかが突き刺さった時の微妙な痛み、あのガン黒のバッタを思わせる風貌、そして意外にビールに合うほろ苦さ。
 「175R」なるミュージシャンを知った時、本気で山形の人がやっているのか、と思ってしまったくらいです。

 是非、県外の方も味わってみてください。

 価値観が変わるかもしれません。

 変わらないかもしれないけど。その前に食べれるのか、というところをクリアしなければならないか。



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怒涛の一日

2008-07-20 23:38:17 | Weblog
 今日のランチは、団体様が法事のご予約(夜のメニュー)、他にランチのお客様のご予約もあり、怒涛のような一日でした。
 ですから、今日のブログは短めに感想だけ書きます。



「いやー、疲れた。」



 明日はお休みをいただいておりますので、体を休めたいと思います。(休める事が出来れば、の話ですが)




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レストランはいろんな人が集まるところだけど

2008-07-19 15:59:19 | Weblog
 皆様、突然ですが、清水健太郎が歌う「失恋レストラン」という曲をご存知でしょうか?ご存じない方は気にせずそのままお読みください。
 私が子供の頃大ヒットした曲ではありますが、歌っていた本人がその後、覚醒剤で捕まるなどしてしまったために封印された曲のように感じます。
 しかし、曲自体は切ないメロディーが耳に残り、歌詞は哀愁を帯び、「ねぇマスター、ねぇマスター、ねぇマスター早く」という最後の絶叫とも言える部分では、「何だか判んないけど、マスター、早くしてやってくれよ。」と、こちらも感情移入してしまうくらいの勢いはあります。
 「つのだひろ」が作詞作曲したというのは最近知った事ですが、私は、これは歴史に残る名曲なのではないだろうか、と勝手に思っております。
 若干、歌詞に疑問な点が多いのもこの曲に興味を持ってしまう理由でもあるわけでして、その疑問のために歌詞を思い出す、のようになっている事からもこの曲の心の残留指数は高い、と考えられます。
 では、改めて考えてみますと

 「悲しけりゃここでお泣きよ、涙拭くハンカチもあるし、愛が壊した君の心を優しく包む椅子もある」

 ここまでは何の疑問もありません。というか、良いレストランではないですか。失恋し、落ち込んだ人にこんな言葉をかけてあげれるなんて。ひとつだけ疑問に感じる事があると言えば、この言葉を投げかけた人は従業員なのか、それとも、隣のお客さんなのか、といったことろでしょうか?

「ポッカリ空いた胸の奥に、詰め込む飯を食べさせる、そんな失恋レストラン、色んな人がやって来る」

 「詰め込む飯を食べさせる」という表現が結構、乱暴のように感じますが、心の隙間を埋めてあげるよ、という事と解釈すれば問題はないように思います。しかし、「そんな失恋レストラン」って、どんなレストランだよ、とツッコミたくはなりますな。

「好きな女に裏切られて、笑いを忘れた道化師が、すがる失恋レストラン、もう、おどける事もない、今は」

 ここからは、疑問全開でしょう。おどけて笑いを取っていた道化師のような男を、女の人は信用しない、と、この歌詞からは取れるような気がします。しかし、道化師のようにおどけて気を引こうとしている人間を人は簡単に裏切る、とは思えません。本人にも何か問題があったのではないか、と推測されます。
 「笑いを忘れた道化師」というのも怖いものがあります。笑っていない道化師、という事になりますからね。そして、そんな人たちが「すがる」「失恋レストラン」、怖いです。

「ねぇ、マスター、作ってやってよ、涙忘れるカクテル」

 ここはサビの部分ですが、この後、「ねぇ、マスター、歌ってやってよ、痛みを癒すラプソディー」「ねぇ、マスター、ラストオーダーは、失恋までのフルコース」とサビは続きます。
 余談ですが、私の友人は「ねぇ、マスター」の部分を「見えますか」に聞き間違えておりました。そんなわけないでしょう。意味不明です、それじゃ。「見えますか?作ってやってよ・・・」そんな日本語ありません。

 話を戻しますが、段階的に考えていくと、「涙忘れるカクテル」を注文できる、という事はこのレストランにはバーカウンターが設置されている、という事になります。現在の店舗ネーミングの括りでいえば「ダイニングバー」となるのではないでしょうか。
 ここまではいい。しかしその後の「歌ってやってよ」という表現の辺りから疑問がフルスロットルです。
 このマスターは、「作ってやってよ」と言われれば、「涙忘れるカクテル」を作らなければなりませんし、「歌ってやってよ」と言われれば、「痛みを癒すラプソディー」を歌わなければなりません。しかも、「笑いを忘れた道化師」たちの相手もしながらですよ、「ラストオーダーは、失恋までのフルコース」に至っては意味が分かりません。
 「失恋までのフルコース」というコース料理を「食べさせてやってくれ」、もしくは「食べたい」、なのか、彼氏、または彼女と付き合うようになった経緯から、別れる、もしくは失恋するまでの話を「聞かせてやってくれ」、もしくは「聞きたい」、なのか、今ひとつハッキリしないところであります。どっちにしても大変なことになっているのには変わりないですけどね。
 しかもよくよく歌詩を思い出してみると、第3者的に傍観していたと思われる歌の中心人物(「作ってやってよ」などと発言していた人)も実は失恋していた、というオチがあり、やはりこの曲は侮れないな、という事が分かります。

 当店でも、カウンターがありますし、マネージャー(マスター)に言えば、涙を忘れるかどうか分かりませんが、簡単なカクテルくらいはお出しします。

 しかし、「失恋までのフルコース」と言われると・・・

 頑張って作る努力はします。




 

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好きなだけどうぞ、と言われて何を思うか

2008-07-18 22:25:38 | Weblog
 今日はご予約様が何組かあり、しかもケーキのご予約まで頂きましたので仕込みの鬼と化して、一人で黙々と仕事をしておりました。
 一人で黙って仕事をしていると、ちょっとした事に気が付いたりして、何か得したような気になってしまうのは私だけでしょうか。
 例えば、パンを丸めていて

「今日は湿度が高いから雨降りの日は給水率(パン生地に入れる水のパーセンテージ)を0.5%減らすか。」

 や、キッシュロレーヌの生地をフォンサージュ(延ばして型に敷く事)していて

「厨房が暑くて生地がダレてしまうから、フォンサージュする時は涼しい午前中に終わらせてしまった方が良いな。」

 また、それを受けて

「生地がダレるほど厨房が暑い、という事は、冷蔵庫にも負担が掛かるという事だから、食材を取り過ぎて冷蔵庫の中を一杯にしてはいけないな。という事は、注文を厳選して食材を回転させなければ。」

 などという考えに行き着いたりするわけです。 

 とあるシェフは、

「冷蔵庫は冷やすためにあるもので、その為に大金を使ったのだ。冷蔵庫に入れれる物は何でも入れて、冷やし、元を取らなければ。」

 という、独自の「冷蔵庫論」を展開しておりましたが、詰め過ぎて冷蔵庫がブッ壊れたら、それこそ元も子もない、と思うのですが如何でしょう?

 意外と人というのは「使い放題」「食べ放題」など、「放題」という名詞が付くと、すぐに「元を取らなければ」という考えが浮かんでくるようです。
 機械などの「使い放題(この場合、機械を購入し、自分でいつでも使える状態になった時の事を指す)」の場合、「使えるだけ使ってやるぜ!」という考えより、「長く使うには無理してはいけないな。」や「これから長く付き合う物だから大事にしなければ。」と考える方が得策のように感じますし、そちらの方が元を取るだけ取れるでしょう。
 「食べ放題」というのもそうです。「ギャル曽根」などの大食いバトラーは別として、普通の人の食べれる量なんていうのはある程度決まっています。
 ですから、最初の皿から前菜もメインもサラダもパスタもコロッケも和物も洋物も渾然一体となって盛り付けて、「元を取るために食ってやる!」と意気込んでいる人を見ると、「大丈夫なのか?」と心配になってしまいます。

 確かに「食べ放題」というのは、「いくら食べていただいてもいいですよ。」という事なのですが、その中には、「前菜からメインまで揃えていますから、時間までゆっくり楽しみながら、好きなだけ召し上がっていってくださいね。」という店側の意図が感じられるはずです。
 ですから、1時間しかないからといって、皿の上に何でも乗せ、大量に食べる事しか考えない、というのは、食べる楽しみではなく、腹に食べれる物をブチ込む、という行為にしか映りません。
 本来、「食べ放題」で食べるのであれば、最初、前菜を何品かチョイスし、食べ終わってからメインをチョイスし食べればよいのです。
 「メインを魚にしてしまったが、肉も魅力的だった。」となった場合、魚を食べてから肉を食べ、「さっきの前菜美味しかったな。」と思えば、全て食べてから、また前菜に戻り、無理のない様「少量」取ってきて食べれば良いだけの話だと単純に思ってしまいます。

 私もたまにホテルのブッフェなどに行きますが、目的は「サラダ」です。

 だって、普通に暮らしていて、野菜を大量に摂取できる機会って意識しない限り、そんなにないですよね。

 でも、野菜を散々食べてから肉も食べるんですけど。

 それじゃあ、「プラスマイナスゼロ」ってところでしょうか?

 いや、どう考えても「プラス」ですよね。



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10名以上は大人数というのですよね

2008-07-17 03:30:46 | Weblog
 先日、商店街の総会が当店で行われました。その時、中堅クラスの役員の方が

「商店街の活性化のために若い人にも理事として頑張ってもらう、というのはどうか?」

 という案を出したのですが、消去法で私が商店街の理事になる事となりました。
 若輩者ですが、私なりに頑張りたいと思います。

 「頑張りたい」と言う前に総会の食事を準備しなければなりませんから、ソッチの方も頑張らなければならない状況でした。
 日曜日の夜、という事で商店街の会員になっている飲食店は、当店以外休みですので、必然的に当店になってしまうのですが、会員の方の中には「老舗料亭」や「老舗茶舗」、「貴金属商」など一筋縄ではいかないような方々もいらっしゃるので気が抜けないところではあります。
 毎回、コースでメニューを組んでいたのですが、今回は私達も入る事ができるよう取り分けでメニューを組んで欲しい、との事でしたが、正直に申し上げますと、コースになろうが取り分けになろうが、大変なものは大変なものであります。人数的にも16名ですし。
 普段は余程の事でもない限り「取り分け」で「料理」をお出ししていないのですが、大人数の取り分け料理というのはどういうものが出てくるのか、をメニューを振り返りながら説明させていただきます。
 因みに、当店では取り分け希望、というご予約、又はアラカルト注文でなければ必然的にコースになります。
 私が考えるアラカルトは、取り分けの意味ではなく、食べたい物を前菜、メインと注文し、自分でコースを組み立てる、というのを前提にメニュー組みしております。
 では、いつものように解説と共に行きたいと思います。

・ヴィシソワーズ(当日は暑い日でしたから、冷たいじゃがいものスープで喉を潤していただこうと最初に持ってきたヴィシソワーズ。年配の方が多いので味も若干薄めにしました。因みに、私のやり方ですと、じゃがいもの味を際立たせる事を目的としておりますから生クリームはほとんど入れません。)

・キッシュロレーヌ(定番中の定番です。これを目当てに来る人もいらっしゃいますから外せません。作り方の概容は、過去のブログに載せておりますから割愛させていただきます)

・豆鯵のエスカベーシュ(豆鯵が安いから買ってきました、という先輩想いの後輩が持ってきてくれました。(昨日のブログに載せた後輩)豆鯵は頭から食べられるようしっかり揚げ、マリナージュ(マリネ液)でマリネしたもの)

・ヴァプールした穴子とトマトのサラダ(穴子は大きめで骨が気になるので「ハモ」のように骨切りし、白ワインを振り掛けてキュイ・ア・ラ・ヴァプール(蒸す調理法)しました。トマトは、トマトをシェリーヴィネガーと塩、グラニュー糖、ニンニク、でマリネしたものをミキサーに掛けたものでトマト自体をマリネした、フレッシュとマリネしたもの2つのトマトの味を堪能できるサラダです)

・鶏肉の味噌漬けのロースト(毎回、日本酒や焼酎といったジャパンな飲み物をオーダーされる方が多いものですから、それに合う肴も作るか、という事になりましてこれを作った次第です。味噌に砂糖、焼酎、酒粕、味醂、ニンニク、生姜、オリーブオイルを混ぜ、鶏もも肉をマリネします。それを3日ほど漬けてからローストします。因みに、グリルだと焦げ過ぎてしまいますから気をつけたいところでしょう)

・子羊のロースト(ロースト続きですが、上記のものは前菜に位置するため、早めにお出ししました。メインは子羊、その中でもジゴと呼ばれるもも肉を使用。ラードとニンニクでリソレ(表面を焼く作業)し、タイムを乗せてオーブンで1時間、アロゼ(肉が乾かないよう、脂を掛け回す事)しながら焼いていきます。その後、肉を1時間休ませ、お出しします。焼くのが早すぎれば冷めてしまいますし、焼くのが遅いと間に合いません。逆算をしながらの仕事を要求される肉焼きです)

・キノコのピラフ(所謂、炊き込みご飯の類ですが、仕事をちゃんとしようと思うと難しいものです。バターの香りをつけつつ、米に火を入れすぎないアルデンテを目指すと米の甘さが判るように出来上がります。玉葱、人参、セロリをみじん切りにしバターで炒めます。この時、中途半端な炒め方ですと野菜の甘さが出ませんからしっかり炒めます。ここに米を入れ、更にしっかりと炒め、米自体に火を入れていきます。フォン・ド・ヴォライユに塩、コショウで味付けしたものを加え、キノコを入れて鍋に蓋をしてオーブンに入れて24分、オーブンから出して12分、中身を混ぜてから蓋をして12分、と計48分火を入れ、休ませる、という作業を繰り返します。〆ですから、やんわりとした味に仕上げたつもりです)

 と、このようなラインナップになりました。

 もしパーティーを企画している、という方がいらっしゃいましたら、御一報いただければこのようなメニューもお作りいたします。

 少人数の場合は・・・コースにした方がよろしいかと思います。




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焼かれて昇華する者、汝の名は魚

2008-07-16 04:40:36 | Weblog
 夏に一歩づつ近づいているような暑さが滲む今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 この時期は日の光を浴びた野菜などにも艶が出てきて、ある意味、「美味しい時期」なのではないか、と思われますが、今年は雨があまり降らないため、農家の方は頭を悩ませているそうです。
 そして、漁業の方もガソリン高騰の煽りを受け、一斉に休業する、と宣言しているそうですが、それだけはやめて頂きたい、家庭も大変になるでしょうが、我々飲食店もモロに影響が出ます。
 かといって、冷凍の魚を使うなどという事は出来ませんから、何卒、穏便且つ、平和的な解決方法をとって頂きたいものです。(魚市場では「セリ」という値付け方式をとっていますので、買い叩かれる可能性もあるため漁業者の方々は困窮しているのだそうです)  

 さて、話は魚続きで行きますが、当店では2つの魚屋さんから魚を仕入れております。
 まず1つは、以前仕事をしていた時から付き合いがある魚屋さんで、もうひとつは、後輩の実家である魚屋さんです。
 2つの違いは何か、という話になると思うのですが、前者は高級魚を仕入れたりする時に注文する魚屋さん。後者はリーズナブルな魚を仕入れする時に注文する魚屋さんです。
 勿論、明確に分けているわけではないのですが、後者の後輩の実家魚屋は気を使ってくれるのか、割とリーズナブルな魚を持ってきてくれます。
 これは、ランチ用といいますか、価格的にギリギリのラインで仕事しなければならない時のための魚でございまして、当然ですが、質的に悪いものではありません。いや、「この値段でやってけるのか?S?(後輩の名前)」と思ってしまうような良い物も中にはあります。
 私の基本的な考えは、ランチは格好をつけないで食材を大きめにし、「ドーン」というような盛りをしたいのです。
 ですから、魚も1匹の半身くらいは付けたいではないですか。「ホウボウ」という長細い魚の場合、半身使うと皿からはみ出してしまう勢いはありますから、盛り付けしてスタッフを呼ぶと、「ウワッ」だの「スゴイね、こりゃ」だのコメントが来てしまう始末です。
 出す本人ですら「おっ、いいね、いいね。ビストロっぽくて。」と思ってしまうくらいですから結構です。
 
 小さな魚が来た場合前菜に回したり、白身の魚であれば尻尾の方はムースにして魚のテリーヌにしたり、クネル(魚のムースリーヌをフットボール形に成型しポシェしたもの。本来は川カマスという魚で作り、ソースアメリケーヌをかける)にしたりと活用方法を考えなければならないのも魚料理の面白いところです。
 
 その魚によって調理法を考えなければならないのも、魚料理の楽しさと言えるのではないでしょうか。
 例えば、「カサゴ」という岩礁魚の場合、1匹丸ごと香草と一緒にロティ(ロースト)し、お客様の目の前で取り分けしサーブ(サービス)する、や(この時、マネージャーが取り分けます。取り分けサーブを見たい方は是非、ご予約を)、カレイや小さめなヒラメの場合、筒切りにしムニエルにする、タイの場合、皮下脂肪を落とすため皮を徹底的に焼き、クロッカン(クリスピーの意。カリカリした食感の事)にする、「糸より鯛」という魚の場合、魚の香りを重視したいので皮をしっとり目に焼く、骨付きの魚はしっかり焼くが、魚がフィレの切り身の場合、ギリギリの火入れを意識する、など考えればキリがありません。
 その調理法を選ぶ、という事は、調理器具もそれに合わせて選ぶ、という事にも繋がりますので楽しみは尽きません。(鉄のフライパンにするか、テフロン加工のフライパンにするか、大きさはどうする?など)

 魚を処理する時、ジックリ観察すると面白いものです。空腹時に釣られたのか、ある程度満腹時に釣られたのか、は胆のうを見ると分かるものです。

 その時、私は空腹時だったりするんですけどね。

 稀に、二日酔い時だったりする時もある事はあまり書かないようにしなければ。


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連日更新を可能にするには何が必要か

2008-07-15 20:35:38 | Weblog
 
 「最近、ますます長くなっているよね。ブログ。」

 そんな言葉を掛けられるようになってきました当ブログではありますが、確かに読み返してみると「長いな。」と素直に思ってしまいます。
 あるシェフのブログにコメントしたら

「そちらのブログは更新頻度が高くなく、しかも、文章が長い為、最近は3回に分けて読んでおります。」

 との事を返されてしまいました。
 「3回に分けて読んでいる」というのは「携帯で読んでいるから辛いのだろう。」と思いましたが、このブログを携帯で読んでいるのがスゴイ!
 長いから大変でしょう、何回も「次へ」の繰り返しになっているのではないか?と、こちらとしましても心配になってしまいます。
 そこで、文章も3分割して投稿しようか、などの案も浮かんだのですが、ますますややこしい事になってしまうのは必至ですから、3回に1回くらいは短めの文章にして更新頻度を上げようではないか、と思った次第です。
 このブログを自分なりに分析してみますと、更新頻度が弱いのは「金、土、日、月、時々火」の4日(プラス1日)でして、曜日ごとに更新しない理由を書きますと

「金」→仕込が忙しく、予約のお客様の事など考えるとそれどころではない。

「土」→仕込が忙しく、次の日のランチの事など考えるとそれどころではない。

「日」→ランチで忙しく、片付けを終わらせるとディナーの始まる時間になってしまう事があり、それどころではない。

「月」→休みの日は実家に帰り父の食事を作るかたわら、ビールなどを飲んでしまうのでそれどころではない。(公共交通機関を利用しますので車は乗りません。)

時々「火」→休みの日も料理をするため疲れが残り、休み明けの仕込みも重なりそれどころではない。

 と、言い訳させていただきます。

 ですから、この更新頻度の弱い日を、短めの文章ブログにすればカバーできるのではないか?という考えが出てくるわけです。(今頃遅いよ)
 文章を短くする、と言ってもやり方は色々あるとは思うのですが、写真を載せて文章を短くする、というのが現実的かもしれません。
 しかしながら、どうしても私的に写真を撮る、という行動は自分の生活の中にインプットされておりませんので、撮れない、というのが正直なところでございまして、しかも携帯も古いもの(いまだにボーダフォンを使用)を使用しておりますので画像が悪いと思われます。(ただいま携帯購入を検討中。しかし、携帯もあまり使わない、というアナログな人間ですので携帯機種変更に前向きではない)
 よって、文章だけを簡素化するよう努力するしかないのですが、書いているとノッてくる、とでも言いましょうか、ナチュラルハイになって来る、とでも言いましょうか、「よーし、このまま一気に長文へGO!」的なノリになってくるんですなー、これが。
 それが悪い、というのは重々承知しているつもりなのですが、どうしてもそういう人間ですのでご容赦ください。

 さて、話は変わりますが、おっと、これがまた文章を長くさせる要因なのですね。

 今の時点で1300字ちょい。

 今日はこの辺にしておこう、という気持ちも大切なのではないか、という事ですね。




   
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なぜ、それが支持されるのか?私は知りたい

2008-07-11 19:39:12 | Weblog
 子供の頃、ニュースなどでその話に触れているのを見ると「なぜ?」と不思議に思っていた事がありました。
 それは、ソ連(現ロシア)の代表が「書記長」(当時)だった事です。今では、その当時の仕組みが理解できますから良いのですが、子供の私は、「国の中で偉い人は、大統領か首相ではないのか?」と考えておりましたので、「書記長」が一番偉い、というのは納得できませんでした。(その当時のソ連書記長はブレジネフでした)
 そんな事を思っているうちに、今度はシリアの「カダフィー大佐」というのを、またもやニュースで発見し、「だから何でなの?今度の人は大佐でしょ。」と、頭の中が「???」で埋め尽くされた事がありました。
 当時、チャンネル使用権は親が持っておりましたから、仕方なくニュースを見ておりましたが、そういう人たちが割と頻繁にニュースに登場していたので疑問に駆られておりました。

「なぜ、将軍よりも下の大佐が一国を動かせるのか?」

「書記長といったら、メモを取る人ではないか?」

「ホメイニ師ってよく考えたらお師匠さんだろ。」(ホメイニ師。イランの指導者だった人)

「大平総理(当時)は、顔が蛙に似ている。」(これは関係ありません)

 そんな事を思われた方、いらっしゃいませんか?

 話は変わりますが、「なぜ、これがそんなに支持されているのか?」といった食べ物が世の中には存在する、と考えられます。
 例えば、「蟹、食べ放題」。聞こえはリッチですが、あの、食べるのが面倒くさい「蟹」を「好きなだけ食べてください。」と言われても困ってしまいます。しかも、手がベトベトになるし、口の周りがかゆくなってしまうではないですか。
 「蟹」は足1本で十分、と判断できます。勿論、デートの時に「蟹、食べ放題」などもってのほかです。(仮に、そこに連れて行く男性が彼氏でしたら、考え直す事をお勧めします)
 それから、「ミラクルフルーツ」。これは小さな赤い種のような果物ですが、これ自体は「ミラクル」な味ではありません。
 これを口に入れ(当然か)舐めるように食べていくと、レモンだろうが梅干だろうが酸味のあるものは全て甘く感じます。酢だったらコップ1杯一気できるでしょう。(事実)
 私も食べた事がありますが、最初驚いたものの、冷静になって考えれば「只の味覚障害を引き起こす危険な果物なのではないか?」という非常に現実的な答えに到達しました。
 というのも、これを食べたのは以前勤めていた店ででしたが、それを持ち込んだのは他店のシェフでした。
 
「藤原君、これ食べた事ある?」

「いや、ないッスね。」

「これ、食べてみたら。10分くらいで効いてくるから。」

「じゃあ、遠慮なくいただきます。」

 という事で頂戴したのですが、食べる時間の事は計算に入れておりませんでした。
 当時、それを持ち込まれ、食べた時間が夕方の5時過ぎ。店の開店時間は5時半。ご予約が入っていたのが6時。
 ミラクルフルーツは食べると1時間は効果がありますから、最初は「レモンがこんなに甘く感じるなんて・・・」と、驚いておりましたが、いざ、営業が始まったときに思い知る事となりました。
 ドレッシングが甘い。トマトソースも甘い。ヴィネガーを使った酸味のあるソースも甘く感じてしまい、味見どころではありません。正に、急性味覚障害。

「これって・・・、計画的に食わされたのか?」

 と良からぬ事まで考えてしまう始末でした。

 たまに、雑誌でこの「ミラクルフルーツ」を見かけるたびに

「騙されてはいけないよ、みんな!」

 と心の中で叫ぶのでした。




 
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野菜に火を入れて旨さを引き出す

2008-07-10 17:45:38 | Weblog
 昨年の今頃は「山形花笠祭り」に絡む、商店街で出す屋台での焼き鳥の話などをしていたように記憶しておりますが、今年は商店街自体が乗り気ではないらしく、中止の方向で進むようです。
 昨年の売り上げから計算するにまったくの赤字ではなく、初年度ながら屋台を手伝った人たちの飲み代も出たくらいですから、ちょっとだけ黒字、という事になります。
 それなのに「中止」、というのは腑に落ちません。しかも、それは、総会が開かれて決定したわけではなく、商店街長老の方たちの総会延期によるヤンワリとしたボイコットとも取れる行動でその方向に向かおうとしているわけです。
 商店街長老の方の「山形花笠祭り屋台」への反対意見とは何なのか?疑問に思いまして、中堅クラスの方に詰問しましたところ、「焼き鳥がタダで食べれない」だの「自分たちだけ楽しんで」だの、子供のような意見ばかりで呆れてしまいました。それとも、子供に戻りたい(いや、戻っている)という「二度童子(にどわらし。再び子供のようになる事。深い意味は割愛します)」的な何かなのでしょうか?
 しかし、こういった状況というのは商店街ばかりの事だけではなく、今の日本の政治の世界にも通じるものがあるのではないか、と考えさせられるわけですが、洞爺湖サミットが開催されている今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 初っ端から愚痴にも取れる話から入ってしまったため、これを読まれた方は、

「コラコラ、もっと明るい話から入れよ!」

 とお思いになられた方もいらっしゃるかもしれません。
 私も悩みました。こんな話を載せていいのか。しかし、洞爺湖サミットでの話し合いの事を書くよりは身近でいいかな、と、フッと思い馳せただけでございます。ご容赦ください。

 さて話は変わりますが、昨日、いつも今頃になると野菜を届けてくれる契約農家の方から「やっとお届けできるものが出ました。」と心なしか声も弾みがちに電話を頂いた次第です。
 普通なら5月後半から6月半ばくらいに持ってきていただけるのですが、電話も来ないので、実を言うと心配していたのでした。
 「雨があまり降らないから出来が悪く持ってこれないのか?」「東京に出荷してしまい、うちの分がないのか?」「疲れているのか?」「オヤジ、浮気しているのか?」など、考えてしまえばキリがないほどです。(最後のは冗談です。うちに夫婦仲良く食事に来られる姿を見ている限り、おしどり夫婦ですから、それはないでしょう)
 電話では「また、そちらへ食事に行きたいと思いますのでよろしくね。」との事でしたので、その時に野菜を持ってきてくれる、と踏みました。
 因みに、その野菜を作っている方は、自分の育てた野菜がどのように料理されているか、時々様子を見に来ます。まじめな方なんですよ。
 いつも食べ終わると、客席に私が挨拶に行き、他に当店の常連のお客様がいらっしゃるようでしたら紹介させていただいているのですが、当人たちは恥ずかしそうです。
 しかし、私としては、「いやー、この方、さっきの前菜や付け合せの野菜を作っている人ですから。」と自慢したいではありませんか。(他のお客様は呆気に取られている事もありますが、私は気にしません)

 その方たちが作る野菜を存分に発揮する料理なのではないか、と私が勝手に思っているのが「野菜のココット焼き」というものです。
 作り方は至って簡単で、「ストウブ」社製の「ココット鍋(小さいダッチオーブンのようなもの)」に野菜とベーコンを詰め込んでオーブンで蒸し焼きにする、というものです。
 お好みで「ゲランドの塩」を振りかけて召し上がって頂いてもいいのですが、ベーコンの塩気がありますから十分ではないか、と思います。
 この料理は、東京からいらっしゃるお客様がある日、

「最近、『マルディグラ(銀座にある有名フレンチ)』に行ってるんだけど、野菜のココット焼き、っていうのがあってさ。野菜をココットに入れて焼いただけの料理なんだけどうまいんだよ。ここでもやれよ。」

 と、仰いまして、「ああ、分かりました。」となってメニューにリストオンする事となった料理であります。
 そのお客様に「野菜って何入ってたんですか?」と聞くと「色々入ってたよ。」としか答えてくれず、(もしかして、これって試されているのか?)と思い、自分なりに作ったのが今の「野菜のココット焼き」となっています。
 鍋を買い、ブッツケ本番でその方にお出ししましたところ、

「うん、うまいよ。鍋と野菜が良いからな。でも、銀座のはもう少し小さい鍋で上品だったぞ。まぁ、お前さんはこれくらいでいいのか。ハハハハ。」

 と言われてしまいました。返す言葉もありません。
 しかし、数ヶ月前にいらした時、また「野菜のココット焼き」を召し上がっていかれたのですが、

「んー、やっぱり少し大きめの鍋の方が野菜が色々入っていいのかもしれないな。小さい鍋だと香りが立たないよ、ここまで。いいんじゃないの。」

 というお言葉を頂き、深々と頭を下げた次第でした。

 その後、バックヤードに行き、ガッツポーズをとり

 「イエス!イエス!」

 と叫んだのは言うまでもないでしょう。


 
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ルセットは計算機片手に

2008-07-09 18:45:48 | Weblog
 この時期にストーブ前(ガスレンジの事をストーブと呼ぶ)での仕事は、汗を掻きまくる事を意味します。
 この暑さと格闘をしながらの調理、というのは意外に心を燃え上がらせ、そして、体中の血がたぎるのを感じ、自分の中の未知な世界に足を踏み入れるようで私は嫌いではありません。(一部、表現が大げさ)
 しかし、最近、謎の腰痛に苛まれ、暑さと格闘しながら腰痛とも格闘しなければならない、というのは大リーグ養成ギブスをつけながら投球している「星飛雄馬」状態に似たようなものがある、と私は勝手に思っております。(かなり大げさ)
 なぜ「謎の腰痛」なのかと言いますと、数年前にもこの腰痛に襲われた事があります。この時も立っているのが辛いほどの激痛でした。
 1週間ほど我慢しましたが、あまりにも痛みが治まらないので整形外科に来院したところレントゲンを取ることとなりました。
 レントゲンを取ってしばらく待っていると名前を呼ばれましたので先生に話を聞いてみると、

「藤原さん、このレントゲン写真見てください。」

「はい。で、どうなんでしょう?」

「きれいな背骨でしょ。」

「はい?」

「いやー、なかなか良い骨の並び具合ですよ。」

「ヘルニアとか、骨髄性ナントカとかいうのではないですか?」

「まさか!(爆笑)」

「・・・・・」

「とりあえず、シップ出しときますか。」

 と、このように診察が終わった経験があり、その後、「あの腰痛は何だったの?」くらいに直ってしまいました。
 ですから今回は病院に行くことはせず、自然治癒能力にお任せしているのですが、直るまでが辛い。早く直ってください、私の腰よ。
 今、私の口癖は「イタタタタ・・・」です。

 前置きが長くなってしまいましたが、本題に入りたいと思います。
 最近、バースデーケーキ(バースデーだけとは限りませんが、記念日のケーキ)付きのご予約をいただく事が多々ありまして、デセールとは別にケーキを焼き、デコレーションしてお出ししています。
 以前にもこのブログでバースデーケーキの事は載せたのですが、基本的な作り方は変わっておりません。
 ただ、変わったのは「ジェノワーズ(所謂、スポンジですね)」の配合と混ぜ方くらいなものでしょうか。
 前は「ジェノワーズ」ではなく「ビスキュイ・ダマンド」という生地でケーキを作っていましたが、「ビスキュイ・ダマンド」にはバニラビーンズの皮を洗って乾燥させ、粉砕したものを混ぜておりますので、ケーキの真ん中の部分の「ヴァニラのムース」とバッティングしてしまう、という考えで普通の「ジェノワーズ」に戻すことにしました。(いや、ヴァニラヴァニラしているほうが良い!と仰る方は事前にそのようにご要望いただければお作りいたします)
 「ジェノワーズ」というのは「卵」「小麦粉」「バター」「グラニュー糖」しか入らないものですから、簡単、と捉えるとそのようになってしまいますが、4つの材料しか入らないため厳密な仕事が要求される、と考えると難しいものになってきます。
 よく「スポンジは家庭でも出来ますか?」という質問を受ける事がありますが、その時は「簡単、簡単、大丈夫、大丈夫。」と一休さんのCM前のコメントにも似た答え方をし、暗に「やる気があればナントカなる」という根性論を押し付けます。
 しかし、これは家庭での話であり、我々料理人には「簡単、大丈夫」などの曖昧な部分は厳禁であります。なぜそうするか、こうすればこうなるのではないか、といった疑問などを抱えながら常に良い仕事をしなければならない、と私は考えるからです。
 まず、「ジェノワーズ」の基本工程から説明しますが、

「全卵とグラニュー糖を高速のホイッパーにかけボリュームを出す→溶かしバターを混ぜる→小麦粉を混ぜる→型に流し入れオーブンで焼く」

 と、難しい工程は入りません。
 しかし、これは同時に「どのくらいの高速でどのくらいのボリュームを出すのか」や「どういう風に小麦粉を混ぜていけばダマにならないのか」「溶かしバターの温度は何度が適当か」などの細かい事を考えながら作業をしていかなければなりません。
 最近の私のジェノワーズの作り方はこうです。(カッコ内は理由です)

①全卵6個と卵黄6個、グラニュー糖160gを湯煎にかけ50度まで熱をつける。(全卵6個と卵黄6個で約500gになる、グラニュー糖160gの理由は後で。温めるのはボリュームが出やすいように)

②①を高速のホイッパーにかけ、ボリュームが出たら低速にし、キメを整える。(キメが粗いままで粉を混ぜると断面が粗くなる)

③②に40度に温めた溶かしバター100gを少しずつ流し入れ乳化させる。(絶対40度!とは言いませんが、この辺の温度帯が乳化しやすい)

④③をホイッパーからはずし、振るった小麦粉(薄力粉)140gを入れ、手でダマにならないよう注意しながら混ぜる。(ゴムベラではなく手の方が感覚が分かるから)

⑤④をクッキングシートを敷いた型に流し込み160度のオーブンで30分焼く

 グラニュー糖や小麦粉の重さの理由ですが、卵、バター、グラニュー糖、小麦粉の重さを足していくと全体で900gになります。これは私の考えですが、デセールのルセット(レシピ)というのは、材料全ての重さを足すと2gや3gといった半端な数字が出ず、「何百g」ときっちり揃うのが良いのではないか、と考えます。
 ですから、私が自分でルセットを考え出すときは、必ず、計算機で計算し、材量全部足してどういう数字になるか、というのを重要視します。
 仮に半端な数字が出た場合、どこかを少し削り、どこかにそれを足し数字を均す、というよう作業をします。勿論、その数字のほかに糖度は何%なのか、などの計算もして、ということになりますが。

 「お前、計算しすぎ!」と言われるようなブログ内容になってしまいましたが、自分の拙い技術を補足するためにはどうしても理論や計算が必要となってくるのです。  

 「技術不足」と言われてしまえばどうしようもない事なのですが、「発展途上」と前向きに捉えていただければ幸いです。

 因みに、私の中学時代(3年通して)の通信簿での数学の評価は

 「2」でした。

 説得力ないですか?これを知った後での今回の話は。


コメント
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