ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

文章にキレがないのは湿度のせいではないか。いつもキレがないわけではないはずだ

2013-07-25 19:50:10 | Weblog
 雨が降ったり暑くなったりで湿度が上昇するには非常によろしい気候でありますが、とりあえず肌にまとわりつく薄い汗を何とかして欲しいものですな、と「カラッとした夏希望」を思う今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 この「モヤモヤ」とも「ダラダラ」ともつかぬボーっとしてしまうような気温は何なんでしょうか?どう考えても湿度が高いからだと推測されますが「カラッとしろ!カラッと!」と天に向かって叫びたくなる衝動を抑えるのが大変であります。(結局、叫んでないのね)
 そんな「モヤ・ダラ」な気温が支配する中、またしても、あの、山形のローカリー料理ショー的位置づけにあります(回りくどい)料理番組であります(早く言えよ)「酒の肴 つくってみーよプラス」の当店版の収録が行われました。
 番組名の後ろに「プラス」と付いているように、街場の料理人がお酒に合う料理を作りながらレシピを紹介する通常の「酒の肴 つくってみーよ」に今年の4月から新たに、料理人に突然、食材のお題を出されてそのテーマ食材を駆使して料理を作る、という「むちゃぶりオーダー」という回がプラスされたのです。(何気に詳しく宣伝している)
 今回の当店版は「むちゃぶりオーダー」でしたが、なかなか大変だった、と言いましょうか、それはそれで楽しかった、と言いましょうか、まぁ、汗だくでしたな。
 いつもの事ですが、放映前なので詳しくは書けませんが、普段の仕事の延長に徹した感が強い作業の内容になったと思われます。
 「普段の仕事の延長」と言えば、当店で開催している「料理教室」でありますが、こちらもある意味、普段の仕事の延長でありますから気が抜けない催事ですな。
 なぜ料理教室で「気が抜けない」のか?その答えは簡単です。それは、料理教室で教える料理の内容を当日まで詰めて考えていないからであります。(何だとぉ!と言われるのでしょうか)
 しかし、それには理由があるのです。決まっている料理を、決まっている分量で作る、それでいいのですか!まぁ、普通、それですけどね。
 仮に不測の事態があってもそれに対応できるような、臨機応変チックな感覚で料理に挑める事こそが、今、家庭でも求められているのではないか、と私は思うのです!(かなり強引)
 ですから、私は事前にルセット(レシピ)などを書いた教材的なものは用意しません。勿論、それは「分量を量る(はかる)のがどうも苦手で・・・」や「ルセットを書いていると目がチカチカしてくるんですよね」、はたまた、「膝が痛くて階段の上り下りが大変なんです・・・」「高い木の枝を切るのが大変で・・・」といったものでは決してありません。(最後の2つは関係ありません)本当ですよ!本当なんですから!(そこまで言うと疑われる)
 やはり、身を持って覚えるには自分で、自分なりのメモ、そして、自分なりの言葉で記載して覚えるのが近道ではないか、という私の親心と言いましょうか、母心と言いましょうか、押せば命の泉湧く、と言いましょうか、そういうものです。(本当かよ)
 ですから料理教室中の会話の中にもそういったものが散りばめられています。

「それって・・・どれくらい入れればいいんでしょうか・・・」

「これくらいです、適量でお願いします。」

 や

「それって・・・どのくらい焼けばいいんですか?」

「あんまり焼きすぎると火が入り過ぎますから、焼きすぎない程度のイイ感じでお願いします。」

 のような会話は常です。そして、参加訓練生(当店ではこう呼びます)が苦笑いしている事も判っているのですが、それはスルーします、それも必要な事です。(何でだよ)
  
 男性の料理教室(正式名称は「オヤジ料理スペッナズ養成機関」です。意味は長くなるので割愛します)、女性の料理教室、共に作る工程よりも、その後の会食(男性の場合はこれにワインの追加オーダーが入ります。女性もワインオーダーが入る場合があります)が一番盛り上がっているのではないか、との疑念も浮上しますが、盛り上がってますよ、そっちの方が。

 これから本格的な夏に突入して「モヤモヤ」「ダラダラ」感が無くなると、次回の「つくってみーよプラス」(勝手に出演決定)のメニューや「料理教室」の指導もスキッといきそうなんですがね。

 いやいや、今の仕事も含めてスキッと行ってないわけじゃないんですが、この文章を見てもダラダラ、モヤモヤでしょ。

 やっぱり、湿度のせいか・・・(結局、何かのせい)















 
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このブログが沢山の方に読まれている事は有難い。だから私も他のブログを読むのだ

2013-07-24 22:47:35 | Weblog
 梅雨明けを待っていたら大雨に見舞われてしまい、東北はこのまま梅雨明けせずに8月に突入してしまうのではないか、と囁かれている今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 山形市のお隣で将棋の里としても有名な「天童市」では大雨洪水によって「断水」となっておりました・・・恐ろしいですぜ、自然災害。
 しかし、よく考えると「大雨」なのに「断水」とはちょっと不思議に思ってしまいます、溢れるほどの降水、雨量なのに「断水」ですよ。例えれば「お金を持っているのに買い物できない」的な感じでしょうか。(あくまでも「例え」です)
 なぜに「大雨」で「断水」なのか?川の水が濁り過ぎてしまい浄水できないんだそうですね、水が作れないと供給できませんからね・・・
 普通に生活していて「水が出ない」というのはあまり想定していないでしょうから大変だったと思われます。飲み水はペットボトルの物を買ってくればいいのでしょうが、こういう時ですから買い占める人なんかが出てより大変だったでしょう・・・そして、更に大変だったのではないか、と思われるのは「飲食業」の方々ではないでしょうか。
 天童市の飲食店が断水によって店を閉めている、という情報も漏れ聞こえてきましたから、まさに「ライフライン」と呼ぶに相応しい「水」が「出ない」のは生活にモロに影響を与えてしまう、と考えさせられました。少しでも早い復旧を願うばかりです。
 
 話は変わりますが、最近またブログ更新が落ちてきてしまいまして、自分で自分の肩に警策打ち(座禅を組んで集中できない時に長い板で肩を叩かれる事)をしているのですが(ウソ)、何かと忙しくPCを開けれない、と言いますか、本業に集中している、と言いますか、早い話が時間がないんです!(回りくどい)
 勿論、文章を短くすれば済む事なんですが、その試みは6月28日にアップした記事「文章を短くしてみると見えなかったものが見えてくる。しかし同時に失うものもある」で論じましたから割愛させていただきますが、当ブログをお読みくださっている方の中には、回りくどく、長ったらしい文章を好まれている方もいらっしゃると思うんですよ、いや、思ってちょうだい!
 という事で、文章の長さ、回りくどさに妥協することなく(という表現でいいんですかね)、いつものように書いていきたいと思うのですが、最近、少し発見した事があります。
 当ブログは同業の方にも読まれているのですが、私も同業の方のブログを読む事もあります。その同業の方のブログの中で「この表現は・・・」と思える文章が出てくると「読んでるな・・・」と思うわけです。
 「そんなのたまたまだろ!自分のブログが他人に影響与えている、とでも言いたいのか!」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、文章的にどう考えても脈絡のない所で「~今日この頃」という言葉が出てくると「読んでるな・・・」と思ってしまうではないですか。
 もしかするとこれも読まれている可能性がありますが、仮に反論する内容が、

「藤原のブログの影響など受けるか!と思ってしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか」

 となると「モロだろ!」とこちらも反論したくなります。(いや、まぁ、大げさですがね)
 「使おうと思って使った言葉ではない!何となく使ってしまっただけじゃないか!」そのように思われる方(この場合、ブログをなさっている同業の方)もいらっしゃると思われますが、よく考えてください、「使おうと思って使った」のではなく「使おうとは思っていなかったが、つい、使ってしまった」というのであれば、当ブログがサブリミナル効果的な「潜在意識」レベルで浸透している、という事ではないですか!(お分かりかと思いますが、大げさです)
 特に意味はなく、長年使っているので書き出しに使ってしまう「~という今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか」や、突っ込まれる前に代弁しておこうか、という「~と思われる方もいらっしゃるでしょうが、」、ひとりボケ、一人ツッコミ的な「(大げさ)」などは、長文作成上、どうしても必要な文章アイテムであります。
 
「だから、自分のブログを真似するな、という事か!」

 そのように恫喝されると下を向いて力なく小石を蹴るしかなくなるのですが、いやね、読んでるなら「読んでるよ」って言って欲しいかなぁ、と思っただけなんですけどね。
 
「だったら自分は同業者のブログを読んでいる事、伝えているのか!」

 そのように凄まれてしまうと後ろで手を組み、スケートをするフリをして逃げてしまいますが、じゃあ、ここで伝えましょう、読んでいる事を。

 山形の同業者でブログをされている方!ワタクシ、藤原は読んでいますよ、あなた方のブログを!

 こんな感じでよろしいでしょうか?

 えっ?誰のを読んでるかって?

 そりゃあ、多数おりますよ、いや、多数っていっても3~4人くらいですけどね。










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梅雨に食べたいもの。猛暑に食べたいもの。それらは同じではない

2013-07-13 13:40:16 | Weblog
 まだ今の時点では梅雨明けしていないので他の地域のように猛暑がやって来ていない山形でありますが、梅雨はジメジメしてイヤだ、しかし、梅雨明けされてすぐに猛暑は困る、という岐路に立たされている今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 「“梅雨”と“猛暑”、どっちがいい?」などと悩ましい質問をされてしまったら、「どっちでもいいけど、ほどほどで・・・」と中途半端な答え方しかできませんが、「梅雨」と「猛暑」では微妙に食べたい物が変わってきます。(と言って強引に料理の話にスライド)
 シトシト雨が降る梅雨の時期には、アルジェリア戦争によって引き裂かれた恋人たちの話を描いた、カトリーヌ・ドヌーブ主演の「シェルブールの雨傘」を思い浮かべながら「魚料理」を食べてみる、というのはどうでしょう。(劇中に強烈に魚料理が出てきたわけではありませんが、何となく、ですよ、そんな気分なんです)
 そういう時の「魚料理」はフィレ(三枚に下ろしてある身)のポワレやソテーではなく、骨付きの魚、出来れば1匹丸ごとの「オンブル(フランスの“いわな”)」をローストしたものなんかがベストでありますが、ここはひとつ、手に入りやすい「鰈(かれい)」を骨付きでムニエルにしてみるのもいいものです。
 よく「ソテーとムニエルの違いって何ですか?」というご質問を頂きますが、「ソテー」は短時間での過熱を念頭に置いた調理法でありまして、魚料理に限って言えば、身の薄い魚をサッと焼いて調理する事であります。
 一方、ムニエルは違います。よく「小麦粉をつけて焼けばムニエル」と単純に考えてらっしゃる方がいますが、確かに「ムニエール(粉屋風)」ですからそれでも間違いはありません。しかし、それから先の調理法が問題なわけでして、粉を付けた魚(この場合、骨付きのカレイ)をたっぷりのバターでゆっくりと焼き始め、プチプチ音を感じながら細かいバターのムスー(泡)をカレイに何度も回し掛け(この作業を「アロゼ」と言います)て、バターの香りを移しながらカレイの生臭さを排除し、と同時にバターの保湿性を利用しながらカレイの身をふっくら焼き上げます。
 しかし、だからと言って、調子に乗ってバターを掛け回しているだけではダメです。カレイの皮が香ばしさを醸し出し、皮と身の間の皮下脂肪ともいえる部分がグツグツしてきたら骨まで火が入っているかもしれない証拠です。熱々のカレイを触手で確認しながら再度アロゼ(バターを回しかける事)し、過熱を調節します。骨まで完全に火が入ってはいけません、骨には火が入っているがパサつきがなくしっとりと余熱で火が入るような、骨の周りがピンクに輝いているような、そんな見えない内部を思い描きながら調理していくのです。
 それはまさに魚へのオマージュとその料理への想い、そして、イマジネーションが支配する料理人だけが判りうる格闘とも呼べる作業なのです。(お分かりだと思いますが、大げさです)
 それが・・・梅雨の時期に食べたい「魚料理」なのではないでしょうか。
 では、猛暑の時に食べたい「肉料理」とは何か?私ならば、猛暑の時に食べたい肉料理のキーワードは「赤身」「アポワン」「噛み応え」であります。
 それらを総合すると「牛」ではない、さりとて「鴨」でもない、「羊」にロックオンされる、と半ば断言しても構わないでしょう。勿論、この場合の「羊」は「子羊」を意味するわけですが、部位としては「ジゴ」、つまり「もも肉」がよろしいかと思われます。
 所謂(いわゆる)、「骨付きラム」ではなく、「ジゴ(もも肉)」は筋なども入り組んだ赤身の肉質で厚みもあり噛み応えは十分です。この時点で猛暑の時に食べたい肉料理のキーワードは2つクリアされることになりますから、残りは「焼き方」だけになるわけです。
 しかし、この焼き方が一番難しいわけで「料理人にはなれるが肉焼き職人にはなかなかなれない」という格言がフランスに存在するくらいであります。
 その昔、当ブログで私なりの肉焼きの理論を載せたところ、「料理本で読んだのだろう」というコメントを頂きましたが、仮に料理本を読んでその理論を載せたところで実際の調理が伴わなかったら意味がないわけです。
 料理本を読まないわけではありませんし、他の方より読んでいるかもしれません。しかし、それら(この場合、読んだ料理本)がすべて私にとって有効か、というとそれはまた違う話でありまして、実際に肉を焼いて自分なりの調理法の利点と欠点を自分で把握しながら微調整していくのが肉を調理するうえで大事な事なのではないでしょうか。
 以前は、塊の肉を表面だけ焼き休ませて、200℃のオーブンで4分、取り出して10分休ませて、再度オーブンで4分、というように短時間を何回にも分けて焼いていたのです。これは「オーブンで肉を焼く時間」を小分けにする事で肉自体に負担が掛からないようにする、というのが目的で、実際このやり方で焼くと焼いた後のジュ(肉汁の事)がほとんど出ませんし、肉がしっとりと柔らかく仕上がります。
 しかし、「この焼き方が最上だ」と思っていたのは今年の初めまでで、今は少し違う焼き方に変わりました。理由は何か?「この焼き方が最上だ」と思う時、同時に「本当にこの焼き方が最上なのか?」という疑問も付きまとうわけでして、それを考えると、地下鉄の電車はどうやって入れたのか、というオールドな漫才師くらいに夜も眠れなくなるのです。(かなり大げさ)
 仏教には「諸行無常」という言葉があるように、「世の中のすべての事は変化し続け、とどまらない」わけでして、古代ギリシャの哲学者「ヘラクレイトス」の言葉を借りれば「万物は流転する」「同じ川には二度入れない」となるわけです。(本題から思いっきり脱線してます)
 つまり「肉焼き」も前日と同じ焼き方をするのではなく「昨日よりも上手に」という思いでほんのちょっとだけ、本当にほんのちょっとだけ考え方を変えて、いや、ちょっとだけ深く考えて焼きながら苦悩するのが我々の仕事でありまして、それが肉に対する愛情であり、同時にお客様への愛情だと私は思います。
 子羊の焼き加減はあくまでも「アポワン(ミディアム)」。それ以上でも、それ以下でもいけません。そこを狙って焼くのですから。

 猛暑で体がだるい夜、肉々しい目の覚めるような真っ赤な肉にナイフを入れると肉汁が流れ出さず、それを蓄えてデップリとした子羊肉が食べられるのを待っています。

 噛みしめると繊維を感じながらも柔らかく、そして、子羊特有の臭みは感じられません。

 それを流し込むのは赤ワイン。私は「サンテステフの赤ワイン」をおすすめします。

「食べた感想はいいから、どうやって焼いたんだよ!」

 お~、そうでした。そこを書くのを忘れておりました。

 しかし、今から書いてしまうと長文になってしまいますから、それはこの次に回しましょう、ネタとして。

「十分長いだろ!今回の記事も!」

 まぁ、そうですな・・・

 ちょっと、キーボードタッチが乗りすぎでしたな。



















 
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新聞は読み方によって色々な楽しみ方ができる読み物である

2013-07-12 21:33:25 | Weblog
 選挙よりも気温の事が話題に上る事が多いようですが、それではイカン、国の一員として参院選にも興味を持たなければ、と心では思いながらもフェイスブックに出てくる選挙、政治ネタに「いいね!」を押せないでいる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 「そんな事を思ってるんだったら“いいね!”押せ!」そのように思われた方がいらっしゃったのではないか、と思われますが、フェイスブックでは店名、いや、店を背負っての参戦ですので(大げさ)なるべく中立な立場でいたい、と言いますか、お客様でもいろんな考えの方がいらっしゃいますからどちらかに偏れない、と言いますか、表面だけでもニュートラルでいたいわけです。
 「表面だけだけでも、って、お前腹黒い奴だな!」そのように思われる方もいらっしゃるのではないか、と思われますが、いいじゃないですか!腹黒くたって!(逆ギレ)
 「表面だけでもニュートラル」な立場でいたい私でありますが、内心、政治や選挙には興味があるわけでして、自宅と店で新聞を取って読んでいるわけです。
 自宅で読むのは地元「地方新聞」で、店では「モーニング・サン新聞」とでも言えばいいのでしょうか、そちらの新聞を読んでいるわけです。
 地元の新聞は、勿論、地元ネタに強く、知り合いの方が新聞に載っていた際に知っていた方が良い情報でありますし、「おくやみコーナー」でも目を通しておいて損はない、という位置づけであります。
 一方、「モーニング・サン新聞」は関係者の方がお客様でありまして、お付き合いで取っているのですが、読んでみるとそのサウスポーぶりにビックリいたします。(かなりお茶を濁した表現ですがご容赦ください)
 その「サウスポーぶり」を具体的に書けないのが残念ですが、「ジャイアンツ新聞」と比べてしまうと真逆、くらいの記事内容で読んでいてある意味、楽しい新聞であります。(特に他意ございません)
 「モーニング・サン新聞」のもう一つの楽しみは紙面下部にある「雑誌広告」であります。勿論、お堅い本もあるのですが、何と言いますか、タイトル的に「笑わせようとしているのだろうか?」と思わせるものがありますので、本記事を読んだ後、お楽しみ的にそれらを探してみると笑えたりするものです。
 因みに、今日の雑誌タイトルベストは「サヨナラ 私の池田大作 ~女たちの決別~」でありました・・・読んだ瞬間、「007かよ!」と心の中で叫んでしまったほどです。
 更に因みに、昨日の雑誌タイトルベストは「大笑い!精神医学」でありました・・・「笑えるか!しかも、大笑いかよ!」そのように言いたくはなりますな。
 まぁ、それはともかく、新聞は毎日読めますし、日本や世界の政治経済情勢が判るので読む事をおすすめしますが、意外と飲食店同業者で読んでいる方が少ないようですから特に同業者の方におすすめします。
 過去に「政治には興味がない」「今まで選挙に行ったことがない」といった声を同業の方から聞いた事がありますが、それは全く自慢になりません。積極的に興味を持て!とは言いませんが、気にする事くらいはできるはずです。
 「今まで選挙に行ったことがない」に至っては「せっかく持っている国民の権利を捨ててしまうのか!」と説教したくなるくらいであります。(大げさ、でも、マジ)
 
 別に「ディベートできるくらいまで読み込め」と言っているわけではないので、同業者の方、新聞を読んで参院選に興味を持ってくださいね。

 その暁には・・・それをネタにして飲もうではないですか!

 結局、そうなるわけね・・・














 
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「汝、全てを受け入れよ」これを呟くとすべてが解決できるのではないか

2013-07-03 22:46:25 | Weblog
 「雨のせい」で仕事に行くのがイヤだ、「雨のせい」で憂鬱だ、「雨のせい」で傘を持ち歩かなければならない、「雨のせい」で洗濯物を外に干せない、雨のせいで、雨のせいで、雨のせいで・・・不都合な事は全て「雨のせい」にしてしまえばこの陰鬱とした気分が少しでも軽減されるのではないか、と考えがちですが、それよりも「雨」を全て受け入れて「ずぶ濡れになる」という手もあるよな、と考えてしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 暑くなった、とはしゃいでおりましたら、忘れかけていた「梅雨」がやって来た、という感じでありますが、雨は仕方ない、雨は仕方ないです。しかし、灰色に曇った雨空は精神衛生上よろしくないような気がします。
 あの「ドヨ~ン」とした黒とも白ともつかぬあの中途半端な色の雨空は全身が濡れてしまう事以上に不快であります。出来れば、そう、「スカッ!」と抜けるような青空で、大笑いしながらずぶ濡れになりたいではないですか。
 同じ「雨に濡れる」でもそれほど感情が変わってくるのは、当然「空の色」に起因しているからでありますが、「色」というのは視覚と共に人の心に訴えかけてくるものらしく「カラーセラピスト」という職業もあるくらいですからその通りでありましょう。
 因みに、私の知っている「色」に関するエピソードはお客様の話でありますが、結婚して奥さんの両親と同居していたお客様(仮に、Aさん(男性)としておきましょう)は、なかなか子供に恵まれずにいました。
 その事に心を痛めた奥さんの両親は、自分たちの責任でもあるのではないか、と思うようになり、娘夫婦が気分転換できる部屋を借りてプレゼントしてくれたそうなのです。良い親御さんじゃないですか、ここまでは判る。しかし、この後です。
 早速、Aさんは奥さんと共にその部屋へ足を運んでみると、またまた親御さん、気を使ったのでしょう、ほんのちょっとだけリフォーム、と言いますか、内装に着手、と言いますか、部屋全体が「ピンク色」に変えられていたそうで、ご丁寧にベッドもピンクでその上にはたたんであるピンクのネグリジェが置いてあったそうです。
 気を使ったんです!親御さんなりに気を使ったんですよ!Aさんが家に帰ると親御さんが「あっちの部屋へ行って来たら」と毎日促すので「仕事が終わっても家に帰りたくない(本人談)」と言っておられました。気を使い過ぎたカラーセラピーはダメだ、という証左なんでしょうかね。
 まぁ、それはいいとして(だったらするなよ)、料理でも「色」は大事な要因でして、食欲を掻き立てられる色、というのが存在します。
 それは「赤」と「緑」と言われております。「赤」の食べ物(この場合、食材としての色、料理としての色、どちらも含みます)だとすると例えば「肉」。赤い肉を見ると「美味しそうだな」と思いませんか?人間の本能を呼び起こされているのですよ、多分。
 例えば「トマト」。瑞々しい真っ赤なトマトを見ると食べたいと思いませんか?(トマトが嫌いな人は含みません)例えば「苺」。真っ赤に熟した苺、食べたいではないですか。このように視覚的に食欲をそそられる事があるのです。
 「りんご」だってそうです。「青りんご」よりも「真っ赤なりんご」の方が「手に取ってカブリつきたい」と思うのではないでしょうか。
 「緑」もそうです。「緑」は野菜、特に葉物の野菜をイメージさせますから「緑=野菜=ヘルシー」という変化球イメージを持つ人も多いでしょう。
 「茶」もその仲間に入るそうですが、「茶」の場合、「赤」とタッグを組ませてもいいでしょう。ローストした肉の断面はまさに外側の「茶」と内側の「赤」のコントラストによって構成されています。
 因みに、肉の焼けている部分は「メイラード反応」と言って、肉に含まれるアミノ酸が加熱によって糖質と結合し褐色に変化する一種の化学反応で、褐色部分を「メラノイジン(だったかは失念しましたがそうだったように記憶しています。間違っていた場合、読まれた方の頭の中で修正してください)」と言います。(記憶が曖昧なんですがとりあえず言い切っときます)
 まぁ、それはいいとして、このように色ひとつで食べ物に対する気持ちが変わる、というのも覚えているといろんな場面で使えるかもしれませんな。(何に使えるはご自分でお考えくださいね)

 因みに、「紫」は「ストレスを溜める色」と言われております。

 という事は・・・紫芋ってどうなるんでしょうかね?私的にはあまり「使いたい」と思えない食材なんですが・・・

「それは食材に対する偏見です!」

 そのように思われる方もいらっしゃるかと思いますが、いやね、「色」ですよ、「色」のせいなんですよ。

 いや、やはり「色のせい」にしてはいけない。全てを受け入れる覚悟で今度「紫芋」食べてみます。

 でもなぁ、あの色がなぁ・・・












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日本には昔から「住めば都」という良い言葉がある

2013-07-02 23:21:09 | Weblog
 先日、川原を散歩していたら山の木々の青さ、いや、その新緑の美しさに目を奪われ、そして、「この深々とした緑を・・・この緑を見つめていると低下した視力が回復するだろうか?」と思っている自分に気が付いた今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 山形県はその名の通り、山々が綺麗であります。山々に囲まれて生まれ育った山形県人は他県に移り住んで近くに山がないと愕然とし、そして、その違和感から故郷を思うのです・・・ふるさとは遠くにありておもふもの、そして悲しくうたふもの・・・「おしん」ですな。(大げさだし全く関係ない話です)
 そんな山形を大々的に売り込もう、というビッグなキャンペーンが来年6月から始まるようであります。その名も「山形デスティネーションキャンペーン(山形DC)」。
 それを詳しく知ったのは今日、店先に置いてあった、いや、配ってくださった「山形県広報誌 県民のあゆみ」ででしたが、それまでにもニュースで流れていたので漠然とは知っておりましたが、来年の6月からだったんですね、それは知りませんでした。
 「デスティネーションキャンペーン」は「デスティネーション(Destination 目的地、行き先)」と「キャンペーン(Campaign 宣伝)」の造語だそうですが、造語って・・・ただくっつけただけじゃないですか!
 まぁ、それはさておき、「デスティネーション」って「デスティニー(運命)」や「ディストロイヤー(デストロイヤー。破壊者)」「ディストラクション(破壊)」を連想させ、その言葉を繋げただけでへヴィーメタルを作る事が出来ますね。
 まぁ・・・それもさておき、「山形デスティネーションキャンペーン」(しつこい)は「日本人の心のふるさと 美しい山形」を基本コンセプトに、集中的な宣伝を行う事で誘客につなげていく(「県民のあゆみ」より引用)のだそうで、「キャッチコピー」は「山形日和(やまがたびより)」だそうです、なんかゆったりとした時間的なイメージがありますな。
 そんなキャンペーンにはお約束の「キャラクター」が必要なわけですが、やはり、と言いましょうか、それしかないですよね、と言いましょうか、今流行の「ゆるきゃら(ゆる~い感を出すために敢えて全てひらがなで表現しています)」でありまして、顔の形に似た山形県を模したキャラで名前は「きてけろくん」です。(「きてけろ」は「来てください」の意味です。「けろ」は広い意味で「ください」であります)
 20代の頃、山陰地方の女性と付き合った事があるのですが、ある時、山形の方言の話になり「これください、って山形弁で何て言うの?」との質問に「〝これけろ”だよ。」と答えたら笑われた事がありました。まぁ、それは良いでしょう、というか仕方ないでしょうな。しかし、その次の質問が来るとは思いませんでした。

「じゃあ、カエルください、って何て言うの?」

 既に笑う準備がオールレディ(意味が被ってます)な状態の彼女(山陰地方出身)にその言葉を発するのは屈辱に似たものを感じましたが、山形県を背負って生きなければならない、そう心に誓った私(かなり大げさ)としてはそこで恥じてしまうのは山形に対する背信行為。山形ユダ(山形の裏切り者)にはなりたくありません。胸を張って言ったのです。

「〝カエルけろ”だよ。」

 その言葉を待っていたかのように彼女は腹を抱えて大笑いし、「普通にカエルの鳴き声だ~!」と笑い転げられた事がありました・・・山陰地方にだって方言はあるだろうが!
 話を「山形デスティネーションキャンペーン」に戻しましょう。(話が飛び過ぎだよ)「山形DC(判りますよね)」はこのキャンペーンを通して山形の懐かしさや温かさ、そして、美味しさなどに出会う滞在型の旅を提案し、山形県の観光力を高め、「住んでよし」「訪れてよし」の地域づくりをするのだそうですよ、良い話じゃないですか。

 しかし、問題点はあります。

 それはですね・・・こんな事を言うと怒られそうですが・・・

 いや、あのですね・・・言っていいのかな・・・

 山形の観光プレゼン力はレベル的に・・・下ですな。

 これから高まる事を期待しつつ!












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