ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

山形の味と言い切ってもいい「芋煮」を考えてみる。  後編

2013-09-25 03:50:42 | Weblog
 昔、横浜に住んでいる時、出身地を聞かれて「山形です」と答えたら山形県がどこにあるのか知らない人が結構いたのが印象的でした。それは20年以上も前の話ですが、もしかすると今でもそうなのではないでしょうか。
 確かに、東北の中でも印象が薄い、と言いますか、話題性に乏しい、というのは否めないところでしょう。
 青森は「ねぶた」、秋田は「秋田美人」、岩手は「あまちゃん」、宮城は「楽天イーグルス」、福島は「半分北関東」、と他の県は何らかの全国的話題がある中で、山形は「さくらんぼ」と果物系で勝負するしかありません。
 「さくらんぼ」もそうですが、他にも「ラ・フランス」「温泉」「牛肉」「米」「伴淳三郎」「あき竹城」「渡辺えりこ改め渡辺えり」「ウド鈴木」「浜田省吾の奥さん」「雨宮良の奥さん」と各界で活躍しているであろう産物や人物が存在しているのですが、それがあまり浸透していない背景には山形県の宣伝下手、というのがあるのではないでしょうか。(大げさに書いていることをご理解ください。でも一部は本当)
 その中でもっと県外に売り出してもいいのではないか、と思うのは「芋煮」であります。「日本一の芋煮会」というイベントも大盛況でありますからそれも含めて「芋煮」だろう、と思い書いているのは、昨日のブログからの流れであり、ネタ不足を少し解消されているためちょっと余裕のある書き出しで行こうかな、と思ったからです。
 さて、昨日に引き続き「芋煮」の話になりますが、昨日の「芋煮」は一般的な芋煮の作り方を紹介しました。その後、「舞茸を入れてますけど・・・」や「豆腐を入れる所があった」などのコメントをFB上で頂きました。
 一口に「山形の芋煮」と言っても庄内、最上、村山、置賜、の4地区に大別され、その作り方や材料も全く違います。例えば、庄内地方は豚肉とジャガイモで「芋煮」を作ります。
 材料的に言えば「豚汁」になると思われるのですが、庄内地方ではあまり牛肉を食べないためこの材料になったのではないか、と思われます。そこに平田牧場が絡んでいるのかは未確認ですが・・・
 しかし、それは風土や土地柄の志向でありますからそれは「アリ」なんです。川原ではなく、浜辺で豚肉、ジャガイモのそれを食べると「庄内の芋煮」となるのです。
 昨日も宣言したように今回は「高級な芋煮」を考えてみる内容ですが、何をもってして「高級な芋煮」なのか、というのが重要なポイントとなります。「高級」だけでは漠然としているのではないか、と思われる方もいらっしゃるでしょうからその辺も踏まえて考えてみましょう。
 まず、一般の「芋煮会」と違う点は、川原で行うのではなく「屋内」で、しかも、招かれた方は勿論、芋煮作りに参加する、という事もなく、出来上がりを待ち、且つ、サーブされる、という点で「高級」なのです。
 しかも、一般のお店で供されるような「小鍋仕立て」ではなく、鍋仕立てではあるがそれをお給仕してくれる人がいて、腹具合を見計らって少しづつ、しかも的確なタイミングで、的確な温度と火の通り方で出される、という至れり尽くせり型の「芋煮」が「高級」と位置付けられるのではないでしょうか。
 それには「個室」が必要です。ですから、これを実現するには「高級芋煮専門店」を立ち上げる必要があります。
 まず入口を通るとエントランスにはウェイティングスペースがあり、そこで食前酒として地物の青梅で作った「梅酒」が小さいグラスに出されます。因みに、グラスは江戸切子でお願いしたいものです。
 予約人数が集まったところで個室へ案内されますが、入口に近い席が下座でありますから、年上の方や接待ゲストの方は入口から一番遠い席、つまり、上座へ通してください。
 着席すると飲み物を聞かれ、ほどなくそれらが用意されます。乾杯の声の後、すぐに出されたのは一口サイズの「ほんのり味噌風味の庄内豚とジャガイモのコロッケ」でありました。
 「初っ端から揚げ物かよ」少し面喰いますが、それは初めにビールを飲まれる方が多い、というのを想定して。しかも、豚肉とジャガイモの組み合わせは庄内芋煮へのオマージュではありませんか。
 次に出てきたのは「舞茸と胡桃の白和え」であります。これも今回入れられる事はない置賜地方芋煮の材料である「舞茸」と「豆腐」を使用しての小鉢であります。
 それらを食べ終える頃には日本酒に移行していると思われますが、ワインもご用意しておりますから何なりとスタッフへお申し付けください。
 そして、ようやく芋煮鍋が運ばれてきました。芋煮用の鍋は特別に山形鋳物で作っていただいたもので予算が許されるのであれば鍋の周りに金の龍の模様が欲しいものですな。
 鍋の中には汁が入っていますが、これは昆布と牛スネ肉と長葱で4時間かけて取ったものに追い鰹(仕上げに鰹節を入れる事)をして濾して、味醂、酒、醤油、塩で味付けしたものです。
 そこに仲居さんが里芋とこんにゃくをゆっくりと入れます。これも勿論、事前にだし汁で煮含ませ、薄く味が染みてある「里芋」と「こんにゃく」で、煮含めてから冷まし、冷蔵庫で寝かせてあるためお客様の前で温め、そして、サーブするのです。
 汁の表面がユラユラと揺らぐ程度の火力で温めていると次にやってきたのは米沢牛ロースのスライスでありました。すると仲居さんがその牛肉を箸で持ち上げ、芋煮の汁の中で温めるではありませんか。そうです、牛肉、しかも米沢牛を堪能するには火を通しすぎてはいけません、故に、仲居さんがすべて管理するのです。
 皆さんの器に牛肉が盛られました、さあ、食べてください。次に芋煮の汁の中でたなびかせたのは松茸のスライスであります。松茸も火を通しすぎては香りが逃げてしまいます、ちょうど火が通った頃合を見計らって給仕するのですからすぐに食べてください。
 その後、仲居さんは里芋とこんにゃくを盛りつけ、これまた軽く火を通した白髪葱を上に山盛りにしてくれました、この葱だけでも十分美味しいはずです。鴨鍋とも違った美味しさがあるでしょう。
 最後は「きしめん」です。食べてみるとほんのりカレーの香りがします。そうです、仲居さんがほんのちょっとだけカレー粉を入れてくれたのでした。
 〆に出てきたのは「季節の果物」。これで終了です。

 どうですか、これが今回考えてみた「高級な芋煮」であります。

 店造りから始まりますから相当な資金力がなければ実現できませんが、山形県で都内に一軒くらいオープンしてみると話題となり山形に興味を持ってくれる方が増えるのではないでしょうか。

 ただ、問題点は夏にどのような営業をするか、というところでしょうか。

 その時は、「冷やし芋煮」という事で何とかなりませんかねぇ。



















  
 
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山形の味と言い切ってもいい「芋煮」を考えてみる。 前篇

2013-09-24 22:06:53 | Weblog
 9月も後半を迎え、山形は本格的に「芋煮」シーズンに突入したのだな、と思ってしまうのは川原に集まる集団の数が増えているからかもしれません。ただ芋を煮て食べるだけなのに、それだけなのに、なぜ、そこまでしてしまうのか山形県民は!と心で叫んでしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 先日、小学生になる息子のクラス(学年1クラスしかないんです)主催の「芋煮会」に参加してきました。今までこの手の行事に参加する事はあまりなかったのですが、常日頃、自分の子供が他の親御さんや先生にお世話になっておりますからそのお礼と、そして、参加してお手伝いしたい、と考えたのです。
 しかし、蓋を開けてみると「子供たちが主導でやる芋煮会」で「親は見守ってください」という事でありました。しかも、当然と言えば当然なのですが、その間、親はアルクホール(アルコールです)的な飲料を口にできず、純粋に「見守る」事しかできなかったのです。
 芋煮を作る事も出来ず、ちょっぴりハイになるドリンクも飲めない、両翼を失った、いや、蝋(ろう)で出来た翼で太陽に近づいていったイカロスの如く、「芋煮調理」と「ドリンキン」という思惑が溶けてしまい大海原に墜落したかのようにうなだれた私は、こう口ずさんだのです、勇気ひとつを友にして・・・両手の羽根をはばたかせ~、太陽めざし飛んでいく~、勇気ひとつを友にして~♪(ウソ)
 まぁ、何もしない、というのは勿論ありませんから、火の起こし方や薪のくべ方、アクの取り方、など基本的な事を教えながら見守りつつ、結局、子供たちに砂糖と醤油を取りに行かせて自分が味付けする、というお約束的な暴挙にも出た次第でした。
 では、その時どうやって作ったのか、そして、川原での芋煮は基本的にどうやって作るのか、を山形県外の方にもお分かり頂けますように説明してみたい、と思います。
 まずは芋、これは「里芋」です。大抵、皮が剥いてあり水に晒した状態の1次加工品がありますからそれを使用します。芋煮は芋が柔らかくなければ美味しくありませんから、芋を水と一緒に鍋に入れ(芋が大きい場合は半分に切る)、そして、点火します。
 ここで火守りの人が頑張り過ぎて超強火にしてしまう傾向がありますが、すぐに沸騰しますと泡だけが出て肝心の芋に火が入らない、という事態を引き起こす場合がありますので、出来れば中火、頑張り過ぎずに中火、を心掛けていただきたいものです。
 鍋の沸騰を待ちながら「こんにゃく」に着手しましょう。「こんにゃく」は「山形だから」と気を使って「玉こんにゃく」にしてはいけません。「板こんにゃく」でお願いします。それを手でちぎって鍋に入れていきます。なぜ手でちぎるか?それは、こんにゃくの切断面の表面積を大きくして味を染み込みやすくするためです。もっと染み込みやすくしたい人はこんにゃくにフォークで穴をあけてから手でちぎってください。
 この時点で鍋の中は「里芋」「こんにゃく」「水」ですが、火力担当のお蔭で沸騰した事にしておきましょう。この時、芋のヌメリの泡とこんにゃくのアクが出てきますからすくって捨ててください。しかし、芋のヌメリの泡は延々出てきますからほどほどに。
 しばらく煮て芋が柔らかくなったかどうか確かめるのに竹串をわざわざ持ってくる人がいますが、あればいいでしょう、それでも。しかし、時々見かけるのは、竹串を指しても柔らかくなったかどうか見極められない人がいる事です。
 「竹串がスッと通ったら柔らかくなっています」という料理本の言葉通り「スッと」と竹串は通ったのだが柔らかいのだろうか?そのような不安感に駆られた人は結構いらっしゃるでしょう。
 そんな時には芋の熱さを我慢して指で押してみる事をおすすめします。「あっち~だろ~が!」そのように思われる方は竹串にしてください、そんな事も我慢できない人は真の「イモニスト」になる資格はありません!(大げさ)
 まぁ、それはいいとして(いいのかよ)、芋が柔らかくなったら牛肉を入れます。牛肉を入れたら火力を強めてください、火力担当者よ。牛肉(バラ肉のスライスが好ましい)を鍋に投入したら一枚一枚丁寧にほぐし、お湯にたなびかせます。たなびかせる事が出来なくてもそんなイメージでお願いしたいものです、スライスされた牛肉がくっついてまごまごしている姿を見たくないんです!
 牛肉をほぐしたら火力が上がって来るでしょうから(火力担当者、お願いしますよ!)、そのままジッと待ってください、調子に乗ってかき混ぜてはいけません、牛肉をほぐし、火力が上がってくると牛肉のアクが出てきます。それをそのまま沸騰寸前まで待っているとアク同士が固まって芋煮の汁が澄んできます、これをフランス料理的に言うと「クラリフィエ」と言うのです、どうですか?みなさん、芋煮を作りながらこんなうんちくを語れるではないですか!芋煮、最高!(大げさ)
 ただ、あまり言い過ぎるとイヤな奴になってしまいますから、使い方と使い加減が難しいでしょう。寡黙でもつまらない、言い過ぎるとイヤな奴、芋煮、難しい・・・
 牛肉のアクを取ったらすぐに砂糖と酒を入れてください。砂糖は上白糖が基本となっていますからイイ所を見せようと「三温糖」などを持ち込んでも人気に繋がらない、と考えられます、日本酒も同じ、普通酒でいいんです。芋煮、余計な事ダメ・・・
 それを一度沸騰させ、日本酒のアルコール臭を飛ばしたら醤油を入れて最終的な味付けに入ります。この時、山形では「だし入り醤油」を使用するのが基本となっていますが、私は普通の醤油が好きです。わざわざ「だし入り醤油」を使うんだったら最初からだしを取れ!という話になるではないですか。そこまで風味にこだわりたいんだったら昆布とかつお節を持参してその風味を際立たせたいもの。やるなら徹底的に、の方が良くないですか?

 最終的な味付けが終わったら思い残しが無いようにキノコ(シメジくらいにしてください。マイタケを入れると色が黒くなり風味もマイタケが強くなるのでNG)と斜めにスライスした長ネギを鍋に投入して蓋をし、蒸らしながらそれらに火を通します。

 長ネギは甘さが出すぎるのを防ぐ為、キノコは歯ごたえを残す為、その理由で最後に入れるのです。

 芋煮を作る流れはこのような感じですが、要所要所で気を付けなければならない調理ポイントがあるのです。

 これが普通の「芋煮」ですが、許されるなら、許されて金額的にも余裕があるのなら「高級芋煮」を作ってみたい、と思うのは料理人として、いや、山形の料理人として当然でしょう。

 という事で、次回のネタは「もしも、高級芋煮を作るなら」というお題でお届けしたい、と思います。

 ドリフの「もしものコーナー」っぽいノリですが、2回連続で芋煮の話・・・

 ネタ不足解消にはもってこいですな。

















 
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写実的より抽象的な方が好きだ。その関係は画像と文章に似ている

2013-09-18 21:39:34 | Weblog
 夜になると急に寒さが増し、秋に突入した証拠としての寒暖の差を思い知らされながらも「秋の夜は、こうでなくっちゃね」と心のどこかでそんな事を思ってしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 「秋の夜長」という言葉を聞きますが、夜の仕事がメインである私たちの商売では「夜長を楽しむ」というより「帰宅してから寝るまでの時間をどう楽しむか」という事が重要になってきます。
 以前、休日の前夜に「子供たちの話に入っていけるように」とアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を1話観てしまったら止まらなくなってしまい、そのままノンストップで次の日の昼くらいまで見続けてしまった、という苦い経験がありますから、気を付けたいものです。
 因みに、「エヴァンゲリオン」は「エヴァ」と呼ばれていたので「アダムとエヴァ」からきているのかと思いましたが、イエス・キリストの言行録である「福音書」のラテン語「エヴァンゲリオン(良いを意味する「エウ」と知らせを意味する「アンゲリオン」を組み合わせた言葉)」なんですね、意外と深い。
 深夜に帰宅して床に就くまで約2時間くらいしかありませんから「映画を観る」「本を読む」「酒を飲む」くらいしかできないのが現実です。
 先日、以前に5ページくらいしか読めなくて挫折した哲学書「カント 純粋理性批判」を再読する、と宣言しましたが、まだ手を付けていなかったりするわけですが、それは、「大事な2時間、カントでいいのか?」という反対勢力思考が脳内で働くからで、それに対する「大事な2時間だからこそカントだろう」の革新派思考の呼び掛けが弱くなるんですな。(結局、言い訳)
 「だったら、その2時間でブログ更新したら?」と冷静に、且つ、沈着にそのような言葉を投げ掛ける方もいらっしゃるのではないか、と容易に推測されますが、いや、あの、何て言いますかね、アレですよ、アレ・・・そうそう、家に仕事を持ち込まない主義、って言いますかね、でも、たまには開けるんですよ、PC。でも、何て言うかな・・・PC起動させたらさせたで「YOUTUBE」でマイケル・シェンカーのライブ観てしまう、っていうか・・・まぁ、そんな感じですよ。(言い訳にもなってない)
 確かに、最近の当ブログ更新頻度が極端に落ちているのは重々承知いたしておるのですが、どうしても後回しになってしまう傾向が強いのです。
 その背景には当ブログならではの「ブログ長文原理主義」的な考えがキーボードに向かうと頭を擡げてしまうからでして、そうなると「もうちょっと気分がノッてからかな・・・」となるわけですな。
 しかし、「フェイスブック(以下FB)」では簡単に投稿できますからそっちの方は頻繁にアップしてるんです。
 「だったら、このブログもFBのように気軽系にしたらいいだろう!」そのようにおっしゃる方もいらっしゃるのではないか、と思われますが、確かにその通り、その通りなんですが、長い文章だって書きたいじゃないですか!人間だもの みつを。
 という事で、今回は長い文章も書きつつ、FBではどのような記事をアップしているのか、という一石二鳥型記事にしてみましょうかね。
 まずは、FBで私の記事をご覧の方はお分かりかと思いますが、「ご相伴シリーズ」という当店にワインを持ち込まれたお客様からワインを飲ませていただくこのシリーズ、オイシイ企画であります。

  


 なかなか自腹で飲めるようなクラスのワインではありませんが、いつかは・・・そうなりたいものです。
 それから当然ながら料理の画像。今は蝦夷鹿が人気であります。

  

 続いて、ネタ的な画像。「マチルダベー」って・・・どこの方言なんですか・・・。そして、人気ネタの「マネージャー佐藤の日曜まかない報告」。この量のスパゲティ食べるんですよ、あのお方。

  

 そして、休日の過ごし方的な記事。毎休日行動的に過ごしているわけではありませんが、これはその一部を切り取った画像、といったところでしょうか。

  

 
 このような感じでFBをしているのですが、勿論、こちらのブログがフラッグシップ的な位置づけであります。

 今回の記事の後半を見ていただければお分かりになるかと思いますが、画像を載せると文章を書く必要がなくなるんです、もう見ただけで何となく判るじゃないですか、内容が。
 このブログでは画像に頼るのではなく、それすらも文章で説明しようではないか、というほとんど意地になってるような文章ブログでありたいのです。

 今回はネタが無かったものですから画像に頼ってしまいましたが(さっきの話と違うだろ)、たまにはそれもいいのかな、と。

 もう画像に頼るようなことはしません。(意地になってる)そして、プライベートな事には触れないのか、と時々言われるのですが、私ごときのプライベートなんて大したことありませんよ。 
  と言いつつ、最後にこんな画像を・・・



 娘です・・・いや~、今回は話を覆してばかりになってしまいましたな。(バカ)



 
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これからの7年は長いのか短いのか、それを考える時、過去を振り返ろうか

2013-09-15 19:23:38 | Weblog
 シトシトと雨が降る日は訳もなく憂鬱になったりしますが、憂鬱になった時はこの先にある楽しい事を考えると忘れる事が出来る、と誰かが言っていました。という事は、こんな雨の日は7年後の東京オリンピックについて考えればいいんすね、と思ってしまった今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 ちょいと汚れて染み出た水の関係上、日本でのオリンピックは無理だな、と思っていたのですが、先日のオリンピック都市を選考する「国際オリンピック委員会(IOC)総会」で東京オリンピックが決定しました。
 その他の都市、スペイン・マドリード、トルコ・イスタンブールと共に微妙な問題を抱えた中で、消去法が成り立たない感じの選考でしたから東京に決定した時、国民はもちろん、招致委員会の関係者は大喜びでありましたな。
 「2020年」に開催、という事はあと7年も猶予期間があるわけでして、その「7年」という年数を「長い」と考えるか「短い」と考えるかは人それぞれですが、確実に言えるのは7年後、私は「50歳」であります・・・重いですな、その響き、「50歳」は・・・
 「7年、長いですね」と言ったら、当店マネージャー佐藤(御年、52歳)から「7年なんて短いですよ」と遠い目をして言われてしまいました。
 確かに言われてみれば年々、1年が短く感じるようになりましたから、それに7を掛けるだけ、と考えると7年は短いのかもしれません。しかし、そんなに単純なものなんですかね、とりあえず今までの7年を振り返ると長かったのか短かったのか判るかもしれません。
 7年前、という事は、当店が開店して2年経ったくらいで、それから山あり谷あり、東日本大震災もありましたしねぇ、7年は決して短くはなかったですよ。
 しかも、7年前の9月は当店にとって歴史的な出来事が開始された時でもありました。その歴史的な出来事とは、その出来事とは!・・・いやぁ、引っ張りますよね、その出来事とは!!7年前の9月19日から当ブログ「マチルダベイ シェフのブログ(現マチルダベイ シェフのブログ~言葉の錬金術~)」が開始されたのです!(判ってますよ、歴史的な出来事、っていうのが大げさだっていうのをね)
 当時はPCに触った事もなかったため操作が判らず、当時バイトしていた「ノッチさん(現・某企業に就職し上海勤務)」に聞きながらPCをいじっていた記憶があります。
 キーボードも打った事がなかったので短い文章でも2時間近くかかっていたと記憶しております、そんな時代もあったんすねぇ。
 そんな当ブログですが、管理画面を見たら「このブログの人気ランキング」という勝手なランキングが表示してある事に気が付きました。
 そんな事でランキングと説明してみましょうかね。

第1位「ポワレという調理法を考えてみる」(2007・9・14)

・意外と、と自分で言ったらなんですが、真面目に料理の話を書いているのにビックリしました。調理理論武装、という言葉を使用しているのが「若いな」という感じでしょうか。

第2位「歌に秘められた料理を分析せよ」(2007・4・30)

・「これくらいの、おべんとばこに・・・」という歌の歌詞の意味に迫りながら、いつもの新解釈を提唱している記事であります。その後、「にんじんさん、しいたけさん、ごぼうさん・・・」というメンツが地方によて違う、というのを読者の方に教えられたりした気がしますね。

第3位「ブルー、セニャン、ア・ポワン、ジュスト・キュイ、ヴィアン・キュイ、みんな違ってみんな良い」(2010・9・10)

・エゾ鹿のローストの話からロティール(ロースト)の調理法について触れている記事であります。この時のローストのやり方と、今のやり方では全く違っています。勿論、肉に対するイメージも当時とは違っていますから読み返すと面白かったりします。

第4位「調理理論は料理への責任である」(2009・9・26)

・この記事は思い出深い記事であります。この記事が、というより、この記事に対するコメントが思い出深いのかもしれません。この記事に対する、というより、私に対する批判的なコメントが目立っています。記事も含めて読まれると面白いかもしれません。因みに、当時のコメントは全て残してあります。


第5位「長い、そして長い説明が始まる」(2009・4・7)

・コメントでパテ・ド・カンパーニュの調理に対する疑問をいただきまして、その疑問にお答えするべく書いた記事であります。また、意外と、というとなんですが、真面目に答えている内容で、読んでいると「今のブログ記事って何なんだよ・・・」と自己嫌悪に陥ったりしますな。


 と、こんなランキングになっておりました。

 上位が全て2010年以前の記事、というのもビミョーな感じでありますが、振り返ると、やはり文章は短いですね。いや、今が長すぎなんですか。

 丸7年、これから8年目に突入する当ブログでありますが、これからも書き続ける所存でありますので、何気にお読みいただけますと幸いであります。

 最近は、忙しさや業務上の関係で更新できない日が続いておりますが、週一は必ずアップするよう努力いたします。

 そして、体制が整いましたら毎日更新して!・・・いや、逆に迷惑ですよね・・・判ってます。

 じゃあ、とりあえず、週3くらいを目標に。















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夏と冬の間の季節には行動を促す「何か」が潜んでいる

2013-09-14 21:28:12 | Weblog
 青の色合いが夏とはちょっと違う秋の青空は、残暑よりも爽やかさが目立ち、何かを始めたくなる、いや、何かを読みたくなる、いや、何かを食べたくなる、そんな衝動に駆られてしまう秋マジックにやられている今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 あなたは「秋」と言えば何をしたくなるでしょうか?芸術系ですか?読書系ですか?それとも、食欲系ですか?選択肢があり過ぎて迷い道くねくね(渡辺真知子)な人もいらっしゃるでしょう。
 「別に!(沢尻エリカ)・・・何もするつもりはありません!」そのように突き放すご発言をなさる方もいらっしゃるとは思いますが、コラッ!何かしろ!話が進まないだろが!おっと、失礼いたしました。そうですよ、「秋だから」を建前にして何かをしてみる、又は、途中で諦めた何かを再開してみる、というのも楽しいのではないでしょうか。
 「人と同じ、秋の何か、じゃイヤなんです!」そのような事をお考えの方もいらっしゃるのではないか、と勝手に推測いたしますが、確かに・・・人と同じではなく、自分オリジナルな秋の楽しみ方、というのも自分しか判らない楽しみで、それはそれで楽しいでしょう。
 しかし、秋を楽しむ分野は大きく分けて3つ、「芸術」「読書」「食」となっておりますから(強引)この中から選んでいただきたいものです。(再度書きますが、展開や話の持ってき方が強引なのは当ブログならでは、であります。予めご了承ください)
 
「じゃあ、芸術の40で・・・」

 その3つを提示されたら「あなた(この場合の「あなた」は、これを読まれている「あなた」だと仮定してください)」はこう答えるのではないでしょうか。(「そんな事言うか!」と怒ってはいけません。あくまでも仮定なんですから)
 
「芸術の40ですね(クイズ・グランプリ)。では一緒に考えてみましょう。」

 「あなた」の頭の中ではこんな声が聞こえてきました。(「聞こえるか!」と怒ってはいけませんよ)
 「芸術の40」ですから結構、難しい「芸術の秋」を選んでしまいましたが、人と違う「芸術の秋」にしなければいけませんから、それくらいの覚悟は必要でしょう。
 「人と違う芸術の秋」。いうのは簡単ですが何をもってして「人と違う」のか、というのが課題になってきます。という事は、人が好きなものの裏側を考えてみる芸術、というのはどうでしょう。
 例えば「絵画」。人(一般の人)が好きな絵画は・・・最近の傾向を見ますと「フェルメール」になっているのではないか、と思われますが、「フェルメール」、確かにいいですな。
 まだあどけさが残る面影に、凛としていながらもどこかエキゾチックな雰囲気が印象的な美少女画の傑作「青いターバンの少女(今は「真珠の首飾りの少女」かも)」や、「良い知らせなのか?それとも、悪い知らなのか?」と思わず声を掛けたくなる「窓辺で手紙を読む女」など、見るだけで心が洗われる作品が多い「フェルメール(ヨハネス・フェルメール)」はオランダ絵画の巨匠であります。
 「カメラ・オブスキュラ(ピンホールカメラ)」を使用していたのではないか、と言われるほど遠近感や輪郭のぼやけ具合が絶妙な「フェルメール」は一説によると、居酒屋のオヤジだった、と伝えられていますが、そこを知っただけでフェルメールに親近感を覚えたのは私だけではないでしょう、よっ!フェルちゃん!
 ここまでは「人が好きな絵画(芸術)」でありますから、「人と違う芸術の秋」にしたい人はここからが勝負であります。
 この「人が好きな芸術8この場合、フェルメール)」と違う「芸術の秋」にしたいのならば「裏フェルメール」を調べてみるのはどうでしょうか。
 「裏フェルメール」。つまり、「フェルメール」の贋作を造り、そして、人々を騙してきた男「ハン・ファン・メーヘレン」について調べてみる「芸術の秋」こそ、人とは違う、いや、人が目を背けてきた事に視点を当てるいい機会(この場合の「いい」は「グッド」という意味ではありません)かもしれません。
 「贋作者を調べろ、ってどういう事ですか!」そのように憤慨なさる方もいらっしゃるでしょう、「真作の作者以外、調べる必要はないね」そのように一蹴する人もいらっしゃるでしょう、しかし、贋作者の贋作に賭けた想いや贋作に走ってしまった経緯を調べてみるのは決して無駄な事ではないはずです。
 「贋作なんて」「贋作なんか」そう思う時、周りを見渡してください、世の中、贋作だらけじゃないッスか・・・ケヘヘ、この世の中は!贋作天国なんでさぁ~!、ハ~ハッハッハッ!(バカ)

「確かに・・・言われてみれば、メーヘレンとやらの事、調べたくなってきたな・・・」

 ねっ、そうでがんしょ。そんな秋に、そんなダークな秋にしてみるのもいいと思いますぜ、ダンナ。

「そこまで言うんだったら、お前はよっぽど調べたんだな。」

 いや、上記の事くらいしか知らないんですけどね・・・ボクは真作主義なんで・・・(コラコラ!)

 そんな・・・秋を過ごすのはどうでしょうか?

「あと2つ残ってるんですけど・・・」

 あっ、そうでしたな・・・、いい本と食材がありますぜ、ダンナ!(バカ)

 因みに、今年、私の秋の目標は、数年前5ページで断念した「カント 純粋理性批判」を完読する事です!

 完読します!多分・・・いや、きっと・・・頑張ります。













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感じるんだ、そして、考えろ!それが料理の勉強となる、はずだ

2013-09-06 21:53:59 | Weblog
 8月よりは確実に涼しくなったものの、秋らしさを感じさせる出来事やそのようなイベント、そして、それを大いに感じさせてくれる食材などが見当たらない為、小さい秋すらも見つけられない今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 まだ夏気分が抜け切れない9月、この時期に秋らしい食材を探すのは難しいものです。しかし、そんな事を言って手を拱いて(こまねいて)いるわけにもいきません。
 そこで、小さい秋を、小さすぎても構わないから小さい秋を探しに、今朝、山形卸売市場へ食材調査しに行ってまいりました。
 市場に入ってきている魚介や野菜を見て回ればこれからのメニュー作成の一助となり、そこから自分なりの秋を構築していけるのではないか、と画策しての卸売市場乗り込みでしたが、まぁ、秋っぽいのは「松茸」くらいでしたかねぇ、カナダ産でしたけど。
 気を取り直して、知り合いの魚屋さんに入荷状況を聞いてみたところ、「魚の入荷少ないかな・・・船がそんなに出てないんだよね。」という事でしたが、それってもしかして・・・「温泉水」に似たような言葉の汚れ系の水っぽい関係の、今、新聞の一面を騒がしているいる系の問題の・・・影響でしょうかなぇ・・・などと思ってしまいました。
 まぁ、それは置いといて(本当は重要な問題なんですが)、まだ食材的に「夏の名残り」といった感が強かったので、その辺の話を先述の魚屋さんと話しながら、セリの様子も見せてもらいながら場内を回らせていただいたのですが、ほとんど買わずに帰ってきてしまいました、またお邪魔します。
 因みに、場内を回っている時に「テレビ見たよ」と声を掛けてくれる仲卸の方が数人、いらっしゃったのでご挨拶させていただいたのですが、観てるものなんですな、つくってみーよ。
 料理を作る場合、まぁ、私に限定させていただければですが、食材を見て、それを選んで、から料理の内容を考える事が多いので、最初から料理名や料理内容を決めて食材調達、というのはあまりありません。
 仮にあったとしても予め仕込まなければならないような料理や何となく考えている食材を主役に据えた時にそれを支えるパーツ、例えば、ガルニチュール(付け合せ)やソースなどは作って置く事はありますが、それも暫定的なパーツですから途中で変更する場合があり、料理を事細かく決めて、というのはそれほどないのです。
 料理というのは理論的に考えて、それを構築していく作業の繰り返しなのですが、その作業の中で即興的にその料理をブラッシュアップさせるひらめきを散りばめる事が重要になります。
 稀に「どうやったら料理が上手になりますか?」というご質問を頂く事がありますが、私的な考えで言いますと「勉強するしかない」と思われます。
 料理に於いて「勉強する」というのは「技術を身に付ける」事も含みますが、どちらかと言うと「料理や食材を食べてどう思うか」という自問自答的な物の考えの方が大きいと私は考えます。
 それは別に「高級な物を食べろ」という事ではなく、普段食べている物、例えば「ご飯」や「パン」でもいいですし、「焼き魚」や「肉のソテー」みたいなものでもいいと思います。それこそ山形県民が好きな「ラーメン」でも構いません。
 それらものものを食べた時、「うまい」や「まずい」という両極で簡単な感想ではなく、もっと抽象的な、もっと掘り下げた、そんな感想を持つと料理の価値観は変わるはずです。
 「麺に絡むスープが最高」というラーメンのコメントより「麺に絡めてすすり上げるのを前提にしてスープを作っているとしたら、麺はスープを味わうための媒体なのだろうか」と思うと
その麺とスープの味のバランスを考えるきっかけになります。そうなると人は料理(この場合はラーメン)の全体の味のバランス、つまり、「うまい」と思える要素を考え、それを実践しようと試みます。(実践する人は職業料理人でも主婦の方、料理趣味の方でも一緒です)
 つまり「実践」しようと考える事自体が「勉強した結果」であり、それによって以前より少しだけでも料理が上手になるはずです、早い話が「料理に於ける自己啓発」であります。
 お分かりでしょうが、それは「ワイン」「日本酒」も同じで「どれだけ語れるか」ではなく「どう考えるか」という相対主義的な「物事を違う側面から見てみると新しい発見ができる」でありますから、出来るだけ安易に考えうる味から遠い感想が好ましいと思われます。
 「酸っぱいワインですね」そうではなく「この酸味には何か理由があるのではないだろうか」と考える方がより建設的でありますし、そこからワインを掘り下げて考える事になる、それこそが「勉強」にカテゴライズされるのではないでしょうか。

 しかし、それは自分の中だけにしておいてください。その言葉は自分の胸の中に閉じ込めておくのです。

 だって・・・イヤな奴じゃないですか、いちいちそんな事を言っていたら。

「じゃあ、その時は何て言うんですか?」

 そのように疑問に思われる方もいらっしゃるのではないか、と思われますが、そうですね、的確で判りやすい言葉で伝えますよ、私は。

 的確で判りやすい言葉、「うまい!」のひとことですな。(バカ)














 
 
 
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料理をする男性が「男子」か「漢」に分かれる時、料理自体も変わって来るだろう

2013-09-05 23:36:13 | Weblog
 8月から9月へと月は変わりましたが、毎月、月が変わり5日も過ぎると書店へ行って新しい料理雑誌が出てないか確認してしまうのがクセになってしまいました。
 だからと言って発売された料理雑誌を全て買う、という事は無いですし、興味がないと月に1冊も買わない時だってあるわけです。
 どうしても専門的な料理雑誌を選んでしまいますから「料理王国」や「専門料理」といった飲食店の人間に軸足を置いた内容の雑誌になるわけです。
 その手の(この場合、料理)の雑誌ですから勿論、他の料理雑誌も置いてあるですが、物凄く興味があり手にするのだが買うには躊躇してしまう料理雑誌もあります。
 ひとつは「Dantyu(ダンチュウ)」。男子厨房に入るべし、の略なのか?と思っているのですが、オヤジ専門料理雑誌でしょう。
 「お前も十分オヤジだろう!」そのように言われてしまうと遠くの山を見つめながら杉良太郎の「すきま風」を口ずさんでしまいますが、どうも、あの雑誌のディープ感と言いましょうか、妙な勢いと言いましょうか、それが強すぎて買うに至らない、といったところです。
 もうひとつは「料理男子」。決して「男子」とは呼ばれないであろう年齢と容姿を兼ね備えた私が手にするのも憚れる(はばかれる)あの雑誌は表紙以外、見た事がありません。「ダンチュウか男子厨房、どちらか二つに一つ選びなさい!」と言われたら悶え苦しみながら「ダンチュウ」を取るかもしれません・・・それくらい「料理男子」の壁は高いのです。(かなり大げさ)
 しかし「読むのも躊躇してしまう壁が高い雑誌」と言えど、表紙は見てしまいますから気にはなってるんですよ、気には。もしかすると、山形市内で一番気にしているかもしれません、料理男子を。(どっちなんだよ)
 数か月前の「料理男子」は「麻婆豆腐特集」でした。その次は「カレー特集」だったように記憶しています。流石・・・料理男子、「麻婆豆腐」も「カレー」も家庭で、いや、一人暮らしのアパートでこだわるにはもってこいのテーマであります。
 「麻婆豆腐はひき肉と一緒に豆板醤を炒めて香りを出さないと旨さが出ないんだよな。」や「カレーにはカルダモン、これは欠かせないね。」などのセリフを言いながら料理を作る傍らには彼女がいるんでげしょうな!旦那!いや、料理男子!
 「オレの事、もこみち、って呼んでいいぜ。」などと言って、彼女に鼻で笑われる料理男子もいるかもしれませんが、まぁ、それもご愛嬌でしょう。
 しかし、料理男子よ。(もう雑誌の事ではなく、そういう人物になっている)「麻婆豆腐」や「カレー」も良いかもしれないが、もっと基本的で、日本的な、そんな料理にチャレンジしてもいいじゃないのか?昭和生まれの私ですが料理漢(りょうりおとこ)として、そうアドバイスしたいものです。
 
「じゃあ、その料理って、何ですか?」

 料理男子はあまり聞きたくなかったのですが、聞かないと怒られる、と察知して恐る恐る料理漢に聞いてみました。

「基本的に、日本的なもの、それは、肉じゃが、だ・・・男子よ。」

「肉じゃが、ですか・・・。もっとカフェっぽいのがいいんですけど・・・」

 不用意にそんな発言をしてしまうと料理漢に怒鳴られてしまう可能性があるのですが、今日の料理漢は落ち着いていました。

「カフェ、か・・・。確かにその方がお洒落だよな、おっと!こういう場合、ナウい、って言った方が良いのかな?もろみそくん。」

「どうせなら、もこみち、でお願いします・・・。それと、ナウい、何て言葉、知りませんよ・・・」

「まぁ、それはいいだろう、なぜ今、肉じゃが、なのか、考えた事があるかな?」

「考えた事もありません。」

「だったら・・・考えてね、今、ちょっと、イラッとしたけど。肉じゃが、はな、元々、日本海軍の料理人が考案したんだよ。」

「へぇ~、戦争絡みなんスね。」

「貴様!茶化す気か!ハッ!いや、ゴメンゴメン、私としたことが。話を続けよう。肉じゃがは、日本海軍の東郷平八郎元帥がイギリスに留学していた時に食べたビーフシチューを日本海軍の料理人に艦上食として作らせたことが始まりなんだ。」

「へぇ、でも、それってビーフシチューじゃないですか。」

「そうだ。しかし、19世紀当時の日本の料理人がビーフシチューなど知る由もなく、しかも、ワインやソース・エスパニョール(デミグラスソースの原型)を使えるわけもない上に東郷平八郎も食べた感想を何となく言って作らせる、という情報が無く手探り状態で作った一品だったんだ。」

「なるほど・・・そうだったんですか・・・」

「そんな、ジャパニーズ・イマジネーションの集大成ともいえる、肉じゃが、どうだ、作りたくなってきただろう!8月15日に作ると隣国からクレームが来るくらいの日本魂食だ!」

「そうですね、肉とじゃがいもは自宅にありますから、あとは・・・」

「玉葱と醤油、砂糖だな。」

「いいえ、ビーフシチューのルーを買ってこなきゃ。」

「貴様~!オレの話を聞いてないのか!」


 こんな感じになるのではないか、と思われる料理男子、やっぱりどこか気になります。

 数年前にアルバイトしていた「ノッチさん(本名は伏せさせていただきます)」はモロ、料理男子でした。

 彼の得意料理はカレーやパスタで、日本食は得意じゃなかったと記憶しております。

 今、彼は大企業に就職して上海で仕事をしています。

 という事は、調味料事情も考えると「麻婆豆腐」も作ってるのか・・・

 肉じゃがにしとけ!肉じゃがに!

 合わせるのはビールでね。












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野菜と女性に厚着をさせてはいけない、その魅力が半減するから

2013-09-04 20:34:27 | Weblog
 いつの間にか9月に突入してしまいましたが、皆様、夏疲れでお身体は大丈夫でしょうか?私はいたって元気でありますが、どうも最近忙しく、ブログに着手できずにいました。まぁ、それはそれで有難い事なんですが・・・
 今回のブログは、8月31日の夜10時過ぎに書き始めた記事なのですが、書き始めてしばらくしたところで新規のお客様が来られて、記事が途中になってしまったものをに先ほど加筆して完成させたものです。
 ですから、最初の表現などに「8月」という言葉が出てきますが「そゆことね」と思ってお読みいただければ幸いです。
 という事で、これが8月最後の記事でした、それではどうぞ。


 さようなら、グッバイ、オー・ルヴォワール、再見・・・いろんな国の言葉を使って見送りたい、今年はやけに短い間だったけど充実していたように思うから・・・そして、来年も必ず、必ず来てほしい、いや、絶対来るよね「8月」さんよ!そんなセンチメンタルな気分に苛まれてしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 8月と共に夏は去っていきます。そんな夏、いや、8月が私たちに与えてくれた重要なものとは一体、なんだったでしょうか。
 「日差し」?それに伴う「日焼け」か、「暑さ」それは四季の上で大切な思い出なのか、「ゲリラ豪雨」それはいらなかった・・・、「かき氷」それは8月がくれたものではないな・・・、「夏野菜」、そ、そうか!夏野菜じゃないですか!重要ですよ、重要!スゲー重要ッス!重要すぎて忘れてたッス!(忘れんなよ)
 夏野菜と言えば色々ありますが、代表的なものを挙げると色んなものが出てきます。「茄子(なす)」「オクラ」「トマト」「胡瓜(きゅうり)」「夕顔(ゆうがお)」「ししとう」「ズッキーニ」などなど、枚挙に遑(まいきょにいとま)がありません。
 夏野菜を使って作る料理の定番、とりわけフランス料理的な定番と言えば「ラタトゥイユ」ですが、似たような料理でイタリア料理的には「カポナータ」、フレッシュ感を大事にしたければスペイン料理的な「ガスパチョ」、と色々あるわけです。因みに、日本料理的には「煮浸し」なんていうのもいいもんですな。
 過熱した夏野菜もいいものですが、野菜を生で食べる、というのも原始的で人間の本能を呼び覚まさせる気がするのは私だけですか?大げさですか?そうですか・・・いやいや、ともかく、夏に生野菜を食べる、というのは体温を下げる効果があるためそれはそれでいいのですよ。
 しかし、夏野菜に限らず野菜を生で食べる時に必要なのはドレッシングですが、最近のドレッシングは「旨すぎる」のではないか、と思うようになってきました。
 「旨すぎたっていいじゃないか、ドレッシングだもの。みつお」などという筆字で書かれた文字を突き出されると下を向いて立ちすくんでいるしかないのですが、じゃあ、旨いのはいい、百歩譲ってドレッシングが旨すぎるのは良しとしましょう、しかし、問題はそれを掛け過ぎている、という点であります。
 しかも、「掛け過ぎている」というくらいですからそのサラダの状況としましては、皿に野菜、主に、レタスなどを中心とした葉物の野菜が盛られており、そこにドレッシングが上からどボドボトと掛けられている、というものです。しかし、本来「サラダ」とは、ドレッシングとは、そういうものなのでしょうか?
 ドレッシングを英語辞典で引いてみると、「dress-ing 着付け・手入れ・装飾・(サラダなどの)ドレッシング」とあります。(デイリーコンサイス英和辞典より引用)
 ドレッシングの言葉の元になっている「dress(ドレス)」を調べてみると、「着せる、正装させる」などの意味を持っておりますが、それは皆さんご存知でしょう。
 つまり、サラダのドレッシングには「野菜にソースを着せる、又は、ソースで野菜を着飾る」という意味があるとは考えられないでしょうか。
 もっと突き詰めて考えるに、野菜をドレッシングでコーティングしなければ「ドレッシング」の言葉の意味が失われてしまう、という事です。
 野菜をドレッシングでコーティングする、となると旨すぎるドレッシングは重く、そして、野菜の味をかき消してしまいます。猛烈に野菜が食べたい時、というのは野菜の青臭ささえ美味しく感じるものですからそれを邪魔するものは不要なのです。
 かといって「塩だけで」などという極端な食べ方は嫌です。軽く、ヴィネガーの酸味とオイルのコクなどがあればそれでいいはずです。
 「野菜と女性は厚着させてはいけない」という言葉があるように野菜も女性も薄着の方が映える、という事です・・・スミマセン!今考えた言葉です!いや、でもそれくらいでお願いしたいものです、という事ですよ。
 勿論、ビュッフェスタイルのところであればそれは無理ですが、普通のレストランだったらダップリ掛けたドレッシングが皿に残ってくることに疑問を持つはずです。
 
「じゃあ、マヨネーズはどうなるんだよ!」

 そのように詰め寄ってくる方もいらっしゃるのではないか、と思われますが、マヨネーズもサラダには旨すぎます。しかし、少量を野菜で合える程度ならばそれはそれでいいでしょう、つまり、マヨネーズやドレッシングは「使う量」が問題なだけです。

「でも私、マヨラーなんですけど・・・」

 そのような事をカミングアウトする方もいらっしゃるかもしれません。

 ならば仕方ないでしょう、思いっきり使ってください!マヨネーズを!私的には茹で卵にマヨネーズてんこ盛りでお願いしたいものです。

 フランス語で言うならば「ウフ・ア・ラ・マヨネーズ」通称「ウフマヨ」です。

 ただ・・・物凄いカロリーですけどね・・・












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