ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

フラワー・アンブレラ・フェスティバルがやって来る

2008-07-31 16:18:57 | Weblog
 7月も残すところ、今日のみ、となってしまいましたが、皆様におかれましては悔いの無い1ヶ月だったのではないか、と思われます。
 「月日の流れを早く感じるのは年を取ったからである」と言われれば返す言葉もありませんが、最近、1ヶ月経つのが早く感じるのか、1週間過ぎるのが早く感じるから1ヶ月経つのも早く感じてしまうのか判りませんが、いつも気が付くと月末です。
 月の初めの記憶が無いわけではないので病院に行くほど記憶障害な脳みそではないと思われますが、仮に行って「若年性ホニャララです。」などと診断されてしまったら、その記憶ごと封印するために「サイゼリア」に直行し、ガンガン、ワインを飲むしかないでしょう。しかし、それが元で「若年性ホニャララ」ではなく、「アルコールによる肝機能ホニャララ」になってしまったらどうするのか?その時はその時になってから考えるしかないでしょう。(予め書きますが、「結局答えになってない!」「なぜサイゼリアなのか?」「ホニャララ、とは何か?」などの質問は受け付けかねますので、ご理解ください。)

 さて、話は変わりますが、この季節になると山形では「花笠祭り」の話で持ちきりになります。
 お祭り自体は勿論、それに付随する屋台の事などに話は及ぶわけですが、当店も昨年、商店街主催の屋台に関与した事から「今年はやらないのか?」というお言葉を掛けていただく事があります。
 前にこのブログでその件に触れた事がありましたが、答えを最初に言ってしまえば「不参加」とさせていただきます。
 理由を簡単に説明いたしますと、商店街の総会が押し押しになってしまい、商店街年間行事を決める事ができませんでした。よって、花笠祭り期間中の屋台話は消滅、という事になります。
 「今年も行こう」と思ってくださった方には申し訳ありませんが、来年、何とか屋台で頑張る方向に持っていくよう努力しますので、今年は他所の屋台で楽しんでください!(えらそう)
 
 因みに、「花笠祭り、とはどんな祭りなの?」と思われる県外の方(見ていたら、の話ですが)のために軽くご説明しますが(県内の方は絶対知っている、というのを前提に)、

 花笠祭りとは「花の付いた笠を音楽(花笠音頭)に合わせてブルンブルン振り回しながら、大通りを踊りながら練り歩く」ものです。(おいおい、言い切ったよ)

 これで結構、イメージが湧くかと思われますが(湧かない場合、もう一度イメージしてください)、「イメージ、薄っすらなんですけど・・・」と申される方は、実際、御来県いただき、その目に焼き付けていただきたいものです。

 「飛び入りコーナー」なるものも企画されている、という事ですから、山形の思い出に花笠パレードに参加して、踊り狂ってみるのも悪くないでしょう。

 因みに、花笠祭りの時、私は・・・当店で皆様のお越しをお待ちいたしております。

 当日、「焼き鳥」は出来ないけど、「牛スジ煮込み」くらいは作っておこうかと思います。

 合言葉は「お金はいくらでも払う、牛スジ煮込みをくれないか。」です。

 沢山の方、お待ちいたしております。


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じゃがいもの価値観を問う

2008-07-30 18:02:26 | Weblog
 「じゃがいも」というのは、ヨーロッパの人間にとってどれほど重要な食料源になるのか、米が主食の我々日本人には計り知れないものがあると思われます。
 ドイツへ旅行で行った方に話を聞いたところ、

「付け合せのじゃがいもが別皿に山のように盛られ、メインより多く、大変な思いをした。」

 という話を聞き、どれだけじゃがいもを敬愛しているかが分かりました。
 それはドイツだけの話ではなく、フランスでもその通りで、フランスで私が食べた「ステックフリッツ(フライドポテトの付いたステーキ)」には、無造作に積まれた積み木のようなフライドポテトが山のように付いておりました。
 因みに、それにはヴィネガーを「これでもか!」くらいに掛けて食べると美味しいのです。

 じゃがいもには人それぞれの思い、と言いますか、イメージするものがあるようで、飲み会の時のネタとして「これは何の料理でしょう」という話になった時、

「じゃがいも、牛肉、・・・」

「はい!」

「はい、どうぞ。」

「カレー。」

 という答えをされた方がいて、周りの人から

「ちょっと待てよ、じゃがいも、牛肉、までであれば、肉じゃがでもいいわけでしょ。」

 と、物言いが付けられていました。
 しかし、彼女は(女性の方でした)、

「じゃがいも、牛肉って言ったらカレーしかないじゃないですか。」

 と一歩も引く姿勢を見せず、やり直しとなりました。しかし、これがややこしい事となるのです。
 次に、

「じゃがいも、豚肉・・・」

「はい!」(同じ女性)

「はい、どうぞ。」

「肉じゃが!」

 ここで意見が分かれてしまい、「肉じゃがに豚肉は入れない!」「うちでは挽肉を入れていた」「これこそカレーだろ!」などの主張が飛び交い、酒宴の場をエキサイティングにさせるのでした。これはこれで面白いのですけどね。

 当店でもじゃがいもは使う頻度の高い食材であります。使う時で月に2ケースほど使いますから、逆に言えば無いと困る食材でもあるわけです。
 大きめに切ってゆっくりオーブンで火を入れていくロースト、ポンヌフ(拍子木)に切り、低温の油でゆっくりと揚げ、最後に高温にし表面をカリッとさせるフリット、皮つきで茹で、裏漉して牛乳と生クリームで延ばし、バターでモンテ(混ぜ込む)するピュレ、茹でて荒く潰し、塩コショウで味を調えたデュシェス、変化球では摩り下ろし、牛乳、小麦粉、卵と混ぜ一口大に焼いていくパンケーキなど、用途は様々あります。

 昔、田舎者の男を「イモ兄ちゃん」と呼んだものですが、私は言いたい、世の中の価値観が変わった今、「イモ兄ちゃん」という言葉は「大いなるバイプレーヤーの男」という意味を持つのだと。

 ちょっと言いすぎ?



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言葉の真意を理解する事とは何か

2008-07-29 17:14:24 | Weblog
 ここ連日の更新に驚かれ、そして、「こんなにたくさん読めねーよ。」と思われているであろう皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 「お前のブログは一回読むだけでも疲れるのに、連日更新は目を通すだけでもツライ!」と言われてしまった私ですが、言われれば言われるほど燃え上がり、心の中のマルキ・ド・サド「ソドムの120日あるいは淫蕩学校」や「悪徳の栄え」などのサディズム原理主義が顔を覗かせ、「もっと文章漬けにしてやろうではないか!」とキーボードに向かうのでした。(大げさ)
 そんな事はいいとして、これだけ毎日更新していると更新せずにはいられない状況、いや、毎日更新したくなる心境、ん~、いや、毎日更新したい衝動、と言いますか、毎日更新するのが生活の一部になっている、という感じなのです。(かなり大げさ)
 
「よくネタが出てくるね。」

 とも言われますが、もうそういう次元ではありません。思いつく事を何でも書いていく「なりふり構わぬ文章」になっているのは自分でも気が付いております。
 こう連日長い文章を載せているから食傷気味になられるのでしょうか?脱落者が結構おられまして、先月の閲覧数の半分くらいの方は数字から消えております。
 しかし、それでも毎日100人前後の方は毎日目を通すだけなのか、読んでおられるのか、いらっしゃいますので頑張りたいと思います。いや、頑張らせてくださいね。

 さて、話は変わりますが、何週間か前に当ブログ記事に「母が長期入院を余儀なくされた為、毎週実家へ帰り、父の食事を用意している」というのを載せた事があったのですが、周りの人たちから「まだ実家へ帰っているのか?」「休みにならなくて大丈夫なのか?」「実家の親父さんに料理を作ってくれる親戚などはいないのか?」「そんな状況でも酒を飲んでいるのか?」などといった心配(?)をしていただきまして、大変恐縮している限りなのです。
 この場をお借りして説明させていただきますと、母はやっと退院まで漕ぎ着けました、しかし、食事を作れるような状態ではない、と判断しましたので、昨日もまた食事を作りに行って来た訳ですが、会って話をしたところでは「もう大丈夫だな」と思い、胸を撫で下ろした次第です。
 
 毎週実家に帰っていて思ったのですが、実家にいるよりも、実家を出てからの方が長い時間を過ごしているので、何か他人の家にいるような、そんな感覚に陥る事がありました。
 実家を出たのは15歳の頃。当時親からは

「人間好きなように生きる、というのはどれだけ大変な事なのか、お前には分かっていない。」

 などと言われたものですが、そんな事言われても15年しか生きていない者には判る筈がありません。「大変な事なんか、何とかなるものだ。」と言って反論するのが関の山です。
 そして仕事に就いたわけですが、大変でした。世の中が厳しいのではなく、自分の考えが甘いのだ、という事をすぐに気が付きました。気が付いたところで後戻りできないからやり通すしかないのですけどね。

 そんな事があったな、と思いながら日本酒に手を出していた私ですが、「好きなように生きる事の大変さ」というのも理解できるようになりました。
 
 そして、こんな言葉が頭の中をよぎるのです。

「親の言う事と冷酒は・・・」

 後から効いてくるんですよね。


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街再生を唱えるならば、ここまで考えよ

2008-07-28 18:54:42 | Weblog
 最近、近所の洋服屋さんやラーメン店が同時に閉店してしてしまい、比較的大きい通りなのにも関わらず閑散とした雰囲気を漂わせております。
 結構、派手な洋服屋さんでしたので、無くなってしまうとそのスペースは「もの寂しい雰囲気」を演出する事となり、周りの閑散とした空気に拍車をかけています。
 ラーメン店に至っては、「九州とんこつラーメン」を売りにしていたところで、替え玉もあり、辛し高菜、紅生姜が取り放題(と言っても限度はありますよ、いや、ありました。過去形)という本格的なラーメン店でしたが、残念ながら今、その店舗はガランとしています。

 山形市の中心街は、ここ最近、来客数が減ってきているようでして、休日は若者やご家族が買い物などに来ますが、平日などは七日町の大通りに出て見ると、人がほとんどいなくて、痛々しい光景を目にする事さえあります。
 そんな中での空き店舗の増加は、「櫛の歯が抜ける」ような感じさえ抱かせ、何か自分だけ置いてきぼりになる、そんな悲しい気分にさせるのでした。(結構大げさ)
 そんな空き店舗を見てしまうと、「その空き店舗を借りて、何か店をやりたい。」という気持ちが湧いてきまして、その案をマネージャーに進言してみるのですが、「どこにそんなお金あんの?」などの現実的な一言で会話を終了させられるのでした。
 今までどんな事をマネージャーに進言してきたか、会話形式で振り返ってみましょう。

「あそこの空き店舗なんですけどね、マネージャー。」

「はいはい。」

「スパゲッテリア(スパゲッティ専門店)にしたらどうかと。」

「どんな?」

「ソースは当然ですが、全て手作りにして、お客さんが入ってきた時点でスパゲッティをお湯の中に入れるんですよ。スパゲッテリアですからオーダーはスパゲッティしか来ないはずです、だからなるべく提供時間を短くするためにスパゲッティの茹で時間約7分くらいを節約するために来店と同時に入れるわけですよ。そうした方が回転率も上がるでしょ。あっ、ランチは「ワンコイン(500円」出来るものを考えてですね、夜はサングリアなんかを出すようなカジュアルな雰囲気にしまして・・・」

「で、それ、誰がやるの?自分でやったらこの店回せないでしょ。」

「ですよね・・・」

 という事で「スパゲッテリア」案は頓挫。

「マネージャー、あそこ、空き店舗になったじゃないですか。」

「はいはい。」

「そこで小さいブーランジェリー(パン屋、ベーカリー)をやったらどうかと。」

「どんな?」

「ハード形を中心にして、ヨーロッパの日常的なパンの提案、というのをコンセプトに、フランスパン、ライ麦パン、全粒粉を使った小さなパン、パン・ド・ミ、などを揃えます。フランスパンも、バケット、パリジャン、バタール、ブールと形のバリエーションを豊富にし、それらを使ったオープンサンドなんかも販売するのです。変化球で、フランスパンの生地を使って作る「あんぱん」などの日仏友好パンのようなものも取り入れてですね、奥様方も取り込む、というわけですよ。そして、毎日店で使うパンも焼いてもらって・・・あっ、店で使うやつには「エシャロット」を練りこんだヤツなんかも焼いてもらって、お客様がチョイスできるような、ね。」

「人手と初期投資が相当掛かりそうですね。しかも誰がやるの?」

「ですよね。」

 という事で、「ブーランジェリー」案も頓挫。

「そういえばマネージャー。あそこの店舗空きましたね。」

「あぁ、そういえば空きましたね。」

「いや、そこで「ワインバー」なんかしたら面白いかな、と思いましてね。」

「どんな?」

「炭火焼っていうのはみんなやってるし、ワインに合うとは思えないんですよ、あの薫香が。そこで、ロティスリー(ローストチキンなど、回しながら肉を焼く機械が設置してあるお店)と肉や内臓系の煮込み料理をメインに据えたワインバーにしてですね、カジュアルではないワインバーを目指すのです。どちらかと言うと正統派ビストロを目指す、と言った感じでしょうか。パスティス(アニス風味のお酒)やリキュールなんかも充実させてね。あっ、アニョー・ロティ(子羊のロースト)なんかは、骨1本からOKなんてね、いいでしょ。」

「だ・か・ら、誰がやるの!明日予約入ってるからお願いしますよ!」

「はーい。」

 という事で、「ビストロ風ワインバー」案も頓挫。

 でも、夢くらい見たっていいじゃないですか、ね。



 
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日曜のランチを乗り越えて

2008-07-27 20:23:35 | Weblog
 今日のランチも蒸し暑い中、沢山のお客様にご来店いただきまして有難さを噛み締めると共に、感謝したいと思います。ありがとうございました。
 昼の天気の良さが嘘のように、今、雨が降っておりますが、蒸し暑さに拍車を掛けるのではないか、と心配になってしまいます。
 こんな日には「ビール」、といったところでしょうが、私的には冷えた白ワイン、しかも、かなりリーズナブルなヤツをギンギンに冷やして、というのが好みです。
 最近、ギンギンに冷やしたリーズナブルな白ワインに「モロきゅう」という組み合わせが好きです。味噌の代わりに「アンチョビ」というのもイカス組み合わせだとは思いますが、プライベート、しかも仕事後の自宅にアンチョビを置いているようなお洒落なライフスタイルを持っておりませんから、味噌でいいんです。いや、味噌が良かったりなんかして。

 さて、話は変わりますが、日曜恒例となりました、ランチメニューを載せながら説明、検証していく「ランチメニューブログ(仮題)」を今回も行ないたいと思います。では早速。

    前菜

「穴子と白身魚のムースリーヌ テリーヌ仕立て スイカのソース」

(最近、このテリーヌばかり作っているような気がします。穴子は臭みを抜くために、白ワイン、セロリのスライス、玉葱のスライス、ローリエ、パセリの軸、に一晩漬けて置きます。鯛の尻尾の方の身をベースに白身魚のムースリーヌを作り、型に水分を切った穴子と交互に詰めていきます。弱火でゆっくり蒸し、重石で形を整え、冷やし固めます。スイカのソースは、スイカの身を塩、グラニュー糖、シェリーヴィネガー、でマリネし、ミキサーに掛けたもの。最後にバージンオリーブオイルを掛けます。因みに、このスイカは「ラトリエ・ドゥ・シャルロット」の斉藤シェフに頂きました。すみませんね、斉藤シェフ、営業で使ってしまって。でも美味しいですよ。スイカ」

「子羊もも肉のローストのサラダ 自家製ピクルス添え」

(子羊もも肉は前日にローストし、〆ておきます。それをスライスし、サラダと粒マスタードを添えます。自家製ピクルスは、契約農家さんからの見た目からして力強そうな胡瓜、小さいパプリカ、をマリネ液に漬けます。ピクルスのマリネ液は、ヴィネガー70%、水30%、グラニュー糖10%、塩2%に合わせた物に、八角、コリアンダーシード、ローリエを加え沸騰させた物)

    スープ

「ヴィシソワーズ(冷たいじゃがいものスープ)」

(今日は暑いので冷たいスープにしました。じゃがいもはスライスにし、水に晒してでんぷん質を抜きます。玉葱をスライスし(本来はポワロー葱)、バターでソテーしたものにじゃがいもを加え、バターを吸わせる様に更にソテーします。フォン・ド・ヴォライユを入れ(本来はコンソメ)じゃがいもが煮崩れるまで火を入れます。ミキサーに掛け、牛乳、と生クリームで延ばします。生クリームを入れすぎるとじゃがいもの風味が損なわれるので注意)


    メイン

「本日のお魚のポワレ トマト、アンチョビ、バジルの3色のソース」

(野菜をグリルしたものを付け合せにしましたので、夏らしいソースにしようと思いました。トマトソースは、ニンニク、エシャロット、セロリ、をオリーブオイルで炒め、ホールトマト、パセリの軸、ローリエを加え煮込み裏ごししたものに塩、カイエンヌペッパー、バターで整えたソース。アンチョビのソースは、ニンニクを牛乳で煮こぼし、柔らかくし、アンチョビと共にミキサーに掛けたもの。バジルのソースはバジルに少しだけヒュメ・ド・ポワソン(魚のだし汁)を入れ、オリーブオイルと共にミキサーに掛けたもの)

「豚バラ肉のロースト キャベツのブレゼ添え」

(本当はこの肉、スペアリブです。結構大きめですので塊のまま時間を掛けてローストし、骨を抜きました。噛み応えと脂の旨さを食べれば分かるはずです。キャベツは一度茹でてからバターでソテーし、フォン・ド・ヴォライユを加え蓋をして蒸し煮にしたもの。かなり柔らかくなるまで煮込み、キャベツ自体の甘さを強調しました。ソースは、鴨、子羊のガラをオーブンで焼き、水、フォン・ド・ヴォーで煮出したものを更に煮詰めた「ジュ・ド・ヴィアンド」。野性味溢れるソースです。)

    デセール

「ガトーショコラとフランボワーズのソルベ」

(もうお馴染みですね、ランチでは。ですから説明は割愛させていただきます。食べた事のない方は、是非、ランチにいらしてください。勿論、ディナーでも大歓迎)

 と、このような内容でした。

 ネタ不足の時には、こんなブログ記事になってしまうんですよね。長々とすみません。


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続ける事の難しさを感じて

2008-07-26 13:59:24 | Weblog
 昔、「読書感想文」というものが理解できませんでした。
 なぜ、自分が好きで「読書」したものを「感想文」という形で先生に提出し、しかも、評価を受けなければならないのか、まだ若い私には納得できませんでした。
 一度、「走れメロス」の感想文提出を迫られた時、

「メロス、友達を救えてよかったね。」

 とだけ原稿用紙に書いて提出したところ、職員室に呼び出され、長々と説教を受けた事がありましたが、その後、書き直しを命じられ、「必ず、原稿用紙4枚書いて来い!」と最後に付け加えられてしまいました。
 心に火がついた私は、原稿用紙8枚に渡って「走れ!メロス、というタイトルだが、メロスは走りたくて走っているのではなく、走らざろう得ない状況なのだ。」だの「メロスが走っている途中、水を飲んだような文がないが、脱水症状対策は大丈夫なのか?」など、どうでもいい事を書き、最後に「メロス、友達を救えてよかったね。」とまた書いた作文を先生に提出しました。
 当然、また呼び出しを食らったのですが、その経験がブログに役立つとは思いもよりませんでした。

 「読書感想文」の話はいいとして(自分が勝手に始めたのに)、「食後感想文」とも言える「料理関係のブログ」を見るのが、私、結構好きでして、色んな方のブログを見せていただいたりしてるのです。
 「料理関係」と言うと幅広いのかもしれませんが、それこそ「ラーメン」だったり、「フランス料理」だったり、色々あるわけです。
 日頃、ラーメンを食べに出かけたりする時間がありませんから、他の方のブログを読ませていただいて食べたような感じに浸るのが面白いところではないか、と思っております。
 しかし、表現的に

「トリガラの香りと魚介系の香りがして期待できそうです。」

 というところまではいいのですが、その後の

「一口飲んでみると、ウマーーーイ!僕好みの味です。」

 という表記が稀にあり、「???」と感じてしまいます。

 「僕好みの味」はなかなか他人に伝わるものではないでしょう。
 
 「トリガラの風味と魚介系の香りが醤油の味に絡みつき、素直に「ウマイ!」という言葉を引き出します。この味は「僕好みの味」と言えるでしょう。」

 という表現の方が伝わりやすいのではないでしょうか?

 そんな事を書いている当ブログも、かなり伝わり難かったりするのではないか、と予想させますが、閲覧人数から察するに、結構な数の人が読破を挫折している事が分かります。

 やはり、写真なしブログは敬遠されがちなんでしょうか?それとも、私の文章が長すぎて、読むに耐えないような状態になっているのでしょうか?

 しかし、このスタイルを辞めるわけにはいきませんし、ブログを休止するような真似は出来ません。

 書き続けるしかないでしょう、呆れられても。

 メロスの気持ちがよく分かりましたよ、今になって。

 今なら「読書感想文」を書けるような気がします。




  
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フレンチの食事は恥のかき捨て、ですよね

2008-07-25 13:05:34 | Weblog
 いまだに覚えている事なのですが、初めてナイフとフォークを使って食事したのは小学校3年生で、場所は超高層ビルのはしりであろう「サンシャイン60」ででした。
 母が観光会社に勤めていた関係もあって、格安チケットを取れたのだと思いますが、「はとバス」もセットになっていて皇居なども回ったのを記憶しております。
 事前に、

「『サンシャイン60』でフランス料理を食べる事になっているから、恥かかないように今日からナイフとフォークを使って食事する事とします!」

 と、母が勝手に宣言してしまいましたので、夕飯の時、煮物だろうが焼き魚だろうが、容赦なく箸以外のものが出てくる事に幼い私は戸惑いを隠せないのでした。

「ご飯はフォークの背に乗せて食べるらしい。」(当時、これがスタンダードでしたが、今、これをしたら逆に笑われてしまうでしょう)

「魚は身だけで来るから、骨の心配はないらしい。」

「ナイフとフォークを皿の中に置くと食べないとみなし、強制撤去されるらしい。」

 と、未確認情報だけが飛び交い、この世に生を受けて10年にも満たない人間にはこの上ないプレッシャーとなるのでした。
 
 当日、耳の三半規管がおかしくなるような、今まで乗った事のない高速エレベーターで最上階に着くと、メートル(ホールのサービスの人のこと)が待ち構えていたかのようにやって来ました。
 なぜか薄ら笑いを浮かべていたのが気になったのですが、今考えると、はとバスにそこの食事のオプションが組み込まれていたためなのですかね。

 50何階から見下ろす東京は絶景でしたが、その時の私は「スゴイ!」とか「キレイ!」などよりも「地震が起きた場合、どうする?」という不安が過ぎり、兄に話したら「そういう状況じゃないだろう!」と一喝されたのを覚えています。
 しかし、不安は「地震が起きた場合」などという、くだらない事に頭を回す場合ではなかった事に、メインの料理が来た時、思い知る事となるのです。

 記憶の糸を辿ると、前菜は、スモークサーモンのスライスにレタス(サニーレタスとのブレンド)と玉葱の輪切りのスライスを乗せたサラダ。スープはポタージュ系だったように記憶しております。
 そして、メインの肉は、完全に覚えております、忘れるはずがないでしょう、何故なら「鶏の手羽元のロースト」でした。
 いや、「ロースト」と呼べるような代物ではありません。(今考えてみると、ですよ)サッとソテーしたものを無理やりオーブンで火を入れました、みたいなもので、皮はクニャクニャしてるやら、予め火を入れておいたため身はパサいているやら、で疑問に感じたのは今でも覚えています。しかも、ナイフフォークの練習の想定外ですから、散々恥をかいた事は言うまでもないでしょう。
 しかし、テーブルマナーというものを垣間見たのは良い勉強になった、とその後、思う事になるのです。(テーブルマナーを覚えた、という意味ではなく、その場所に一度踏み入れた、という事が変に度胸をつけてしまった、ということで)

 時々、当店に来店なされた事のない方とお話しすると、

「敷居が高くて」

「マナーが判らない」

「恥ずかしい(これはマナーが判らないからか、シャイなのか不明)」

 という声を頂きますが、これは全て「マナー絡み」の事だと私は思っております。
 確かに、食事に行ってまで恥を掻きたくない、というのは判るのですが、恥を掻かなければ判らない事も世の中にはあるのではないでしょうか。
 「テーブルマナー」を知らなければ、今から覚えればいい、と私は単純に思ってしまうのですが、どうでしょう?

「テーブルマナーを知らなくても生きていける」

 その通りです。しかし、

「知っている方が、もっと楽しく生きていける」

 と、前向きに考える方が面白いのではないでしょうか。

 因みに、その時、私が掻いた恥とは、骨付き肉の場合出てくる「フィンガーボール(指を洗うための水が入っている)」を、知らずにクイッと飲み干した後、メートルの方にスッ飛んで来られた時でしょうか。(おいおい、頼むよ!的な感じが忘れられません。その後の飲み会ネタにしてますけど)

 まぁ、私も今まで散々恥、掻いてきましたからね、今では堂々としたモンですよ、他所に食事に行くと。

 「面の皮が厚い」なんて言わないで欲しいものですな。




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鰻を腹から裂いてはいけない、切腹を意味するから

2008-07-24 17:45:50 | Weblog
 今日は、「土用の丑の日」ですが皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 今、正に「鰻」を食べてらっしゃる方もいるかもしれませんが、「偽装」という言葉がチラつく嫌な世の中になりました。
 しかし、「どこどこ産(日本国内の産地)」と言われても結局は養殖なわけですから中国産以外の国産ならば、とりあえず大丈夫、と考えたいところですが、その国産でさえ偽装していた、という事実がありましたから、消費者としましては何を信じればいいのか、といったところでしょう。
 「偽装」の問題からは離れ、「鰻」の話になります。今の世の中、もはや「鰻丼」と「鰻重」の違いが判らない、などという御乱心な御仁はいらっしゃらないとは思いますが、一応、説明いたしますと「鰻」が「丼」に入っているか、「お重」に入っているかの違いです。
 見た目的には「鰻重」の方が高級感溢れる仕上がりになっている、と思われますが、私個人の意見を言わせていただきますと「丼」の方が食べやすい。
 「お重」は角のところのご飯が取り難いのですよ、「重箱の隅をつつく」という諺があるように。
 やはり「丼」で、ザッパザッパと口の中にかっ込みたいではないですか、あのタレまみれのご飯を。日本人ならではでしょう、こういう行為は。

 さて、話は変わりますが、「フランスでは鰻を食べないのか?」といったご質問を受ける事がたまにあります。
 この場をお借りいたしまして答えさせていただきますが、

「鰻を使ったフランス料理はありますよ。」

 当然、日本の鰻のように「裂いて」「蒸して」「焼く」という工程は踏みませんが、存在します。
 代表的な料理は「アンギーユ・アン・マトロート」という料理で、「ウナギの赤ワイン煮込みマトロート風」となります。
 その他にも10種類くらい存在しますが、何種類か挙げてみましょう。

・「アンギーユ・ア・ラ・ボーケール」(ウナギ煮込みボーケール風。詰め物をしてぶどう酒で煮る。付け合わせとしては小玉葱、シャンピニョンが付く)

・「アンギーユ・ベノイトン」(ウナギのフライ。赤ぶどう酒のソースが添えられ、パセリのフライが付く)

・「パテ・ショー・ダンギーユ」(ウナギパイ。ぶどう酒に漬けて焼き、パイ皮で包んで焼く)

・「アンギーユ・ポンパドール」(ウナギのポンパドール風。ウナギをぶどう酒で蒸し、冷ましてからソースをかけて固め、パン粉をつけて揚げる)

・「アンギーユ・ア・ラ・ルーアネーズ」(ウナギのルーアン風。赤ぶどう酒で煮、シャンピニョン、ワカサギを添える)

・「クーリビヤック・ダンギーユ」(ウナギのロシア料理。パンのような種で包んで焼くロシア料理)

(ル・プティ・ギッド・キュリネール 田中徳三郎著 より抜粋)

 ロシア料理が載っているのは、ロシア料理から影響を受けたフランス料理が結構あるからで、他にも「キエフ風」などが目に付く事があります。(キエフはウクライナの首都)

 先ほど、某デパート地価食品売り場に行きましたところ、国産鰻が一尾2500円以上の値が付いて売られておりました。
 また、別のスーパーでは堂々と「中国産」と表記した鰻の蒲焼が一尾330円で売られておりました。(大きさ的には国産鰻の方が中国産鰻の倍くらいあります)

 中国産鰻の約8倍の値がする国産鰻を食べるか、国産鰻の約8分の1の値で食べられる中国産ウナギにするか、迷うところではあるでしょうが、国産鰻の方が売れているようにお見受けしました。

 当店の今日の賄いは・・・カレーにしました。

 すみません!オチがなくて!



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真実は本の中にあらず

2008-07-23 13:17:18 | Weblog
 先日、カウンターにいらして食事なされたお客様は当ブログをよく読まれている方でありました。
 その方から

「シェフのブログをいったん休止して、小説にしたら面白いんじゃない?」

 と言われたのですが、言うほうは簡単でいいですよね、そんなの書けるわけないじゃないですか。仮に書くとしたらどんなものを書けというのか?
 しかし、それも面白いネタなので、もし、「書く」としたら、の案を挙げてみたいと思います。(鍵カッコ内はタイトル、カッコ内はツッコミとお考えください)

・最近、ブームになりつつある「太宰治」調で、インゲン豆の農家が農協(現JA)にインゲン豆を持ち込んだら、「品質が悪いから」といって引き取ってもらえなかった事を苦に死ぬ事を考える『インゲン失格』(太宰ファンに糾弾されるでしょう、このタイトルでは。その他「社用」などもご法度か)

・飲み屋の女に入れあげて借金を作り、嫁、子供にも逃げられてしまった男が最後に取った行動は、川に農薬を流し世間を混乱に陥れる事だった。その男の堕落するまでの経緯を追う『河』(これは実話です。しかも私の知っている人です。新聞にも大きく取り上げられたほどでしたから余程でしょう)

・流れ板をしていた男が、ひょんな事から居酒屋で仕事をすることとなる。半分バカにしながら料理を作っていたが、常に酔っ払っている主人の作る料理を食べた瞬間、只者ではない事を男は察する。その主人と仕事をすればするほど「これほどまで腕を持っているのに・・・」と疑問が湧き、男は主人の事を調べ始める。調べていくうちに主人の過去が明らかになり、衝撃の事実が判明する。『包丁の十字架』(これも半分事実です。先輩の実体験が半分、もう半分は今、大げさに書いた事です)

・戦没者の遺骨収集をライフワークに持つ老料理人の生き方とは何か?ドキュメンタリータッチで描く『老人と骨』(これも実在する方の話です。先日、この老料理人とお会いし、お話を聞かせていただきました)

・魚屋から一転、イタリア料理屋を立ち上げようとする男の行動力の源泉とは何か。修行時代に付けられた傷が、思い出すたびに疼いてしまうからなのか。『傷の稲妻』(これは後輩の話です。後輩の店がオープンした暁には、手伝おうと思います)

・会社合併に伴うリストラの危機が今、目前に来ようとしている。危機を回避する秘策はあるのか?周囲の心配を他所にカウントダウンは始まる。つぶしの利かない男のある意味、アドベンチャーロマン『バンクボーイの憂鬱』(残念ながらこれも実話です。そうならない事を祈るばかりです)

 と、なりましたが如何でしょう。
 ほとんど実話、又は実話を基にしている事にお気づきになられたと思いますが、やはり、小説より実話のほうが面白い、という事なのでしょうか。

 ですから、小説は却下、という事になりますな。

 もし、書くのであれば別にブログ立ち上げますよ、こっそりね。



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負けたくない気持ちが背中を大きく見せる時もある

2008-07-22 21:46:16 | Weblog
 最近、記念日に当店をご利用くださる方が増えてきているように思われます。
 勿論、普通にお食事や接待、という方もいらっしゃるので記念日だけの方、というわけではありませんが、以前より増した、という意味です。
 当店にとっては有難い話であり、有意義な時間を過ごしていただくために、こちらとしましても精一杯頑張らせていただいている次第です。
 開店当初は「フランス料理を掲げて大丈夫なのか?」や「パスタを出さないでやっていけるのか?」「生ビールくらいは出した方がいい」などのご意見を頂いたものでしたが、最近は、意見に耳を貸すような人間ではない、と思われているのか、それとも、ああいう人間だから、と思われているのか、ご意見を頂いておりません。(少し寂しい)
 
私自身も当初よりは「肩の力が抜けてきた」というか、「柔軟になった」というか、「俺の料理、どうよ!」的な無意味な力が無くなったのかもしれません。
 それでも、料理の話などになると熱くなってしまう私ですから、同業の方には「あぁ、またあいつ熱くなってるな。」と思われていることでしょう。
 そう思われたところで性格的に冷静な人間ではないので、物事を突き詰めながらジタバタしたり、ギリギリのところで仕事をしているのが性に合っている、としか言いようがありません。毎度話を聞かされている方には申し訳ないと思っております。
 
 時間のあるときに、エスコフィエ先生の「ル・ギッド・キュリネール(1800年代初版で私が持っているのは訳された復刻版。かなり分厚い本)」を「フランスの血を少しでも分けてくれ!」という想いで読み返しているのですが、やはり、日本人である事は否定できませんから、その辺が難しいところでしょう。
 かといって、「和風フレンチ」などを肯定する気はまったくなく、日々「フランス料理とは歴史認識と料理理論の融合体プラス、フランス料理へのエスプリ(精神、心)なのではないか。」と自問自答しているわけです。

 私が理想にする料理(フランス料理は勿論、その他の料理も含め)とは「ギリギリの仕事」「簡単ではない仕事」という自分に負荷をかけ、仕事の意味を突き詰めるような料理です。
 「ギリギリ」というのは、食材への「火入れ」だったり「仕込みをし過ぎない」だったり、色んな意味で「ギリギリ」なのです。
 例えば、ディナーでご予約の方のコース料理の「ヴィアンド(肉料理)」の付け合わせを「じゃがいものソテー」にするとします。
 営業前にソテーしておき、冷ましておいたものを「いざ、その時」となった段階でオーブンで温めて盛り付ければいいのでしょうが、その仕込みを私はしません。
 「じゃがいものソテー」でも肉を焼く段階になってからじゃがいもの皮を剥き始めます。
 食材、特に野菜などは切ってしまえば切った瞬間から香りが抜けていく、と私は考えますから、じゃがいもなどの野菜を「切っておく」、ましてや「ソテーしておく」という事を仕込には加える事は、まず、ないでしょう。同時進行で仕事をすればいいだけの話だと思うのです。
 
「オーダーが立て込んでいる時は現実的に無理。」

 そう、仰る方もいるかも知れませんが、その時点で「出来ない」となるわけです。しかし、私は忙しさを盾に「お手上げ」するほど簡単な人間ではありません。
 「出来るかも」とか「出来ないかも」などの軟弱な思考ではなく、「ヤル」のか「ヤラナイ」のかが大事なのではないでしょうか。
 勿論、団体様の場合、スピードが要求されますからその作業は難しい、その場合は「じゃがいものピュレ」などに変更しますが、さすがにこれはその場ではできませんから予め作っておきます。それでも時間を逆算してお客様が来店なさる数分前に仕上げ、温かいうちに提供できるよう、考えているつもりです。

 「簡単ではない仕事」というのは、読んで字の如く、なわけですが、クラシックなフランス料理の仕事というのは、素材の下処理、工程など手のかかるものが多く、正に「簡単ではない仕事」という言葉が相応しいものです。これを簡単にするために既成品などに代替えしてしまえば、料理のバランスが崩れ、自分の作った一皿も自分のものでなくなってしまうのではないか、と考えます。
 私自身、本来「なまけものな人間」と思っておりますので、「簡単な仕事」をしてしまうと歯止めが利かなくなってしまいそうな気がするのです。ですから、自分を律するためにも一から仕事というものを見つめ直し、そちらの道に踏み込まないよう努力しなければなりません。一人で仕事してますしね。

 まぁ、そんな事を長々と書いても料理界全体から見れば、私なんてまだ「ハナタレ小僧」みたいなものなんですけどね。

 「ハナタレ小僧」だから、大御所の料理など食べた時に「負けたくねー!」と思うわけです。

 「ハナタレ」には「ハナタレ」の意地があるわけですよ。





 
 
 
コメント (3)
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