ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

人は必ず聞き違いをしてしまう。時としてそれは想像を超えてしまう

2015-05-13 22:19:50 | Weblog
 春らしからぬ暑い日が続いたと思えば、一転、肌寒い日がやって来て、実はそれが台風だった事を気づかされるのです。それほど雨に悩まされる日がなかった為、台風の実感は皆無でありましたが昼過ぎからの抜けるような晴れ具合を見て「いつの間にか行ってしまったのね、台風ちゃん・・・」と呟きたくなる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 台風が過ぎ去り、空が晴れる事、転じて、物事の争いが収まり晴々する事を「台風一過」と言いますが、それを言葉だけで考えて「台風一家」と勘違いしていた方は多数いらっしゃると思われます。
 「台風一過」と漢字で見て見ると「台風が過ぎ去った事なんだろうな・・・」と何となくイメージが付きますが、「たいふういっか」と音で聴くと「台風」のインパクトよりも「いっか」という言葉に耳が反応し「家族」的イメージを浮かべてしまうものです。
 私だけだとは思いますが、「いっか」と聞くと「一家」という漢字を思い浮かべ、「一家」という漢字を思い浮かべると、どうしても「バカボン一家」を思い出してしまうのです。
 そして、「バカボン一家」を思い出すと「聞き違い」という「リスニング勘違い」を思い浮かべずにはいられないのです。(もう一度念を押しますが、完全に私だけです)
 以前、東京で働いていた頃、その店のスタッフで飲みに行く事がありましたが、その席上、たまたま、「聞き違い」の話で盛り上がった事がありました。
 「ルパン三世」のCM前の「ルパン・ザ・サード!」を「ルパンルパン~!」だと聞き違いしていた話はお約束ですが、その中で出て来たのが「天才バカボン」のオープニング曲での「天才一家だ、バ~カボンボン」という部分でした。
 どう考えても「天才一家だ」にしか聞こえませんが、当時のアルバイトの女の子は「天才以下だ、バ~カボンボン」という衝撃の提案をしてきて我々を驚かせたのです。
 「天才以下だ、バ~カボンボン」は「天才以下は皆バカ」とも取れる危険な歌詞になりますから、聞き違い、というよりはそのバイトの子(当時大学生)の考えも反映しているのではないか、とその場で追及される羽目になったのです。
 しかし、「聞き違い」の話はそれだけでは収まらず、「そう言えば・・・オレもあるなぁ・・・」と自己申告してきた当時の同僚(私より2つ年上)の「聞き違い」は清水健太郎の「失恋レストラン」でした。
 「悲しけりゃ、ここでお泣きよ・・・」で始まるオールドヒットソングに「聞き違える」箇所があるのか?と疑問に思いながらも聞いてみると、こちらも衝撃的でありました。
 「失恋レストラン」の歌詞の最後、「ねぇマスター、作ってやってよ、涙忘れるカクテル・・・」の「ねぇマスター」の部分を「見えますか」と聞き違えていた事を告白してきたのです。
 「ねぇマスター」「見えますか」・・・判らなくはないですが、仮に聞き違えたとしても前後の歌詞と合わせた時の違和感を彼は感じなかったのでしょうか?彼が聞き違えた歌詞を当てはめて考えると全く意味不明になります。

「悲しけりゃここでお泣きよ、涙拭くハンカチもあるし、愛が壊した君の心を、優しく包む椅子もある、ぽっかり空いた胸の奥に、詰め込む飯を食べさせる、そんな失恋レストラン、色んな人がやって来る。(略)“見えますか”作ってやってよ、涙忘れるカクテル・・・」

 「見えますか」に変えて歌ってみたところ、不覚にも大爆笑して五分ほど身動きが取れなくなってしまいましたが、この歌詞だと「失恋レストラン」のマスターに「涙を忘れるカクテル」を作ってやってほしい、という第3者の願いは完全に吹き飛んでおります。
 しかも「見えますか」は疑問形なのでしょうか?まぁ、どっちにしても歌詞が合致しないわけですからどうでもいいのですが、「聞き違い」は恐ろしいな、と思えた瞬間でありました。
 時として、当店の「マチルダベイ」も間違われる事があるのですが、それは決まって領収書のあて名をお願いする時であります。
 私の滑舌の悪さもあるのかもしれませんが、「マチルデイ」や「マチルダゼリー」などのあて名を見てしまうと怒りよりも「わざとなのではないか?」という疑問すら湧き上がってきます。
 
「すみません・・・領収書のあて名なんですけど・・・ちょっと間違ってるみたいなんですけど・・・」

 少し遠慮がちに訂正を申し入れてみると、

「あぁ!すみません!書き直します!お宛名は・・・」

「あの、マチルダベイ、でお願いします。」

 念を押すようにそうお願いして出て来た領収書のあて名は、

「マチルダベイデ」

 もうその日は「話にならないな」と判断し、そのまま持ち帰って、次の日、違う店員に領収書のあて名の変更を申し出てみると、

「すみませんでした、只今、書き直します。お宛名は・・・」

「えぇっと・・・、マチルダベイ、とお願いしたいのですが。」

「かしこまりました。少々お待ちください。」

 今回こそは間違われないように、そして、滑舌も気にしながら前回よりも責任ウエイトが重いような店員さんに伝え、出て来た領収書には、

「マチルダベイト」

 と、しっかり書き込まれておりました。

 ここまで来ると店ぐるみの犯行にしか思えない連係プレイです。
 
 どう考えても事前に打ち合わせしていたようなナイスプレイ。(良い意味ではありません)

 思わず「そうきますか・・・」と呟かせてしまうほどの間違いの完成度。(良い意味ではありません)

 最後に余計なひと言を付けなければ何事もなく終了するのに頑な(かたくな)にそれを拒むかの姿勢には脱帽しますが、普通に考えて店の名前で遊んでます・・・遊んでる事になるんですよ!エイト文字屋さん!(ちょっとだけ公表)

 その日はその話でマネージャーとだいぶ笑いましたが、その次の週、灯油を注文している燃料屋さんの配達の老年男性が置いて行った領収書のあて名にはこう書かれていました。

「マキルダイ」

 判らなくはないんだけど・・・判らなくはないんだけど・・・全然違うだろ!


 

(注意)この領収書ネタはだいぶ前の話です。そして、以前もブログネタにしています。話の流れで思い出して書いただけであります。




















 
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ゴールデンウィーク中の外食癖を質素な食事で直す事が出来れば・・・

2015-05-07 23:09:18 | Weblog
 陽の温かさと匂いを感じるようになると「春」も中程を過ぎ、遠くに「初夏」という文字さえも見えてくるようであります。否応なしにも目に焼き付く新緑、乾いて舞い散る道路わきの埃、空気と太陽の日を浴び喜んでいる木皮、それらを感じながら買い出しに出かけ、ゴールデンウィークが過ぎ去ってしまった今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 皆様方におかれましては素敵なゴールデンウィークをお過ごしになられた事と存じますが、今年のゴールデンウィークは最大で16日連休という方もいらっしゃったと漏れ聞きき、月の半分も「休んでいい」と宣告されたら嬉しさよりも不安感の方が大きくなるのではないか、と勝手ながら思ってしまいました。
 4月最後から昨日までは快晴が続きまして、ゴールデンウィークらしいゴールデンウィークだった事でしょう。(文字稼ぎ)ゴールデンウィーク中にゴールデンウィークの事を(文字稼ぎ)「GW(ジーダブリュー)」と呼んでいた方がいらっしゃいましたが、それは略しすぎです。それを言われて何も返さないのも失礼というもの。一応、お約束かな?と思い、「G・W・ニコル」とボケてみましたが思いっきりスルーされてしまいました。それとも「C・W・ニコル」を知らなかったのでしょうか。(何だっていいよ)
 まぁ、そんな事はどうでもいいとして(投げやり)、連休が終わると学生さん(小中高大問わず)や新入社員さんが憂鬱な気持ちで仕事しているのではないか、とお察しいたしますが、長く休み、それに慣れてしまった身体をリセットするにはどうすればいいのでしょうか。
 答えは簡単です。食事を出来るだけ質素にして、連休中の楽しかった思い出を封印するのです。連休中はその解放感から安易にかっぱのマークのローリング寿司屋さんへ行ったり、バイキング形式のイタリアンへ行ったり、焼肉とビールに走ったり、遊園地などに併設されているフードコートでそれなりのカレーやラーメンを摂取したり、はたまた旅先でのご当地グルメなどに舌鼓を打ったり、と外食が過多だったのではないでしょうか。(そうじゃなかった人は連休中も仕事をしていた人とみなします)
 そんな「外食慣れしてしまった身体」をリセットするには質素な食事を摂り、疲れた身体と疲弊した財布の為に「質素な食事」を実践してみてはいかがでしょうか。
 「そんな、そんな貧乏ったらしい事、イヤだね!」そのように思われる方もいらっしゃるのではないか、と思われますが、その考えこそが「連休に於ける栄養過剰摂取障害」という事を自覚するべきです。(ウソ)
 「質素」を調べると「簡素でつつましいようす(デイリーコンサイス国語辞典より引用)」とありますが、「質素」の対義語は「贅沢」でありますから、贅沢でなければ質素、という考えが成立するではないですか。因みに、贅沢がしたくなったらフランス料理店を予約する事をおすすめします。その際、当店なんか、いいんじゃないんスかね、いや、当店の方がいいッスよ、いや、当店にしましょうぜ。(宣伝)
 「ローリング寿司屋は贅沢じゃないですよ!」そのように突っ込んでくる方がいらっしゃるかもしれませんが、まぁまぁ、落ち着いてください。まずは「贅沢」の定義を考えてみれば「質素」の本質が見えてくるのではないでしょうか。
 まず「贅沢」の第一義は「美味しくて身体に良くない」というのがあると思われます。勘違いしていただきたくないのは「身体に良くない」とは「身体に悪い」のではなく、「長く摂取し続けると身体に影響があるのではないか」と考えられるものです。
 その代表格(長く摂取し続けると体に影響があるのではないか代表格)を3つ挙げるとすれば「糖分」「炭水化物」そして「脂質」であります。(炭水化物も脂質も糖質に変わるのでがね)
 しかし、料理における「美味しさ」を形成しているのもこの3つであり、この3つをうまく操る事も料理人に求められる「味の技」と言えるのではないでしょうか。
 逆の事を考えればわかると思いますが、「ほとんど甘味がないデザート」「パスタ、パン、ご飯の出ない料理店」「全く脂身のない焼き肉」、これらにお金を払って行きたいとは思わないでしょう。
 だからと言って金の続く限り毎日外食をすると身体を壊します、確実に。
 長く料理の仕事に携わるとこの矛盾にぶち当たるのですが、だからこそ平素の食事に気を配るべきなのです。美味しいものを食べ続けるために質素な食事と向き合う、という事ですな。
 「質素な料理」は「実質的」でそして「無駄のない料理」であります。例えば、大根1本あったら頭の方は「大根おろし」に、尻尾に近い方は「煮物」に、大根の皮は「味噌汁」に、というようにその部位に合った調理法があるはずです。しかも、味付けも「煮物は少し味付けを濃くして味噌汁は薄味にする」というようにトータルで味のバランスを考えれるようになると楽しみが増えるはずです。
 洋食的アプローチなら、大根の頭の方は太めの千切りにしてサラダに、尻尾の方はコンソメで煮て、皮はマリネにしてピクルス風に、と調理する事が出来ます。
 中華的アプローチなら、頭の方は焼き色を付けてから醤油で煮込んで「紅焼(ホンシャオ)風」に、尻尾の方は角切りにして炒め物に、皮は唐辛子と花椒を利かせて中華風ピクルスに、もできますな。
 
 勿論、これらを自宅で作り楽しむには知識と技が必要です。

「そんなのプロじゃないから出来ません!」

 まぁ、そうです、よね。

 じゃあ、どうしたらいいですかねぇ・・・例えば、料理人に教えてもらう、とか。でも、知り合いの料理人ってあまり居ませんよね。

 そうですねぇ、どうしたらいいものか・・・

 話は変わりますが、当店主催で料理教室を開催しておりますが・・・

 それはいいとして、どうしたらいいものですかねぇ・・・

 日曜日の夜は男だけの料理教室、水曜日の午前中からは女性の料理教室です。4人以上人数が揃うと他の曜日にそのグループだけの料理教室としても開催できます。

 それはいいとして、どうしたらいいものですからぇ、素人さんの自炊が上達するようになるには・・・・



 ワザとらしい終わり方ですか?

 スミマセン!!!
























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