ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

主の有り難き血を頂いて

2007-01-31 18:17:48 | Weblog
1月最後のブログ投稿に際しまして、テンプレートを変えてみたのですが如何でしょうか?
 
 話は変わりますが、皆さん、安全地帯というバンドをご存知でしょうか?
あの玉置浩二率いる、80年代を代表するバンドなのですが、その安全地帯のヒット曲の中に「ワインレッドの心」という曲がありました。
 
 最近、夜中の通販番組で、「懐かしのヒット曲CD集」を取り扱っていたのですが、その中の1曲に「ワインレッドの心」がチョイスされていました。
懐かしいな、くらいに思っておりましたところ、「ワインレッド」という言葉が気になってきました。

 「レッドワイン」なら「赤ワイン」でしょうが、「ワインレッド」とは何を言いたいのか?
多分、「赤ワインのようなレッド」の略、と思われますが、いまいち腑に落ちません。

「ワインレッドという色のジャンルがあるんですよ。」

そんな一言で終わされてしまいそうですが、それにしても、そんな色の心は信用ならないものです。

 ということで、今回は、ワインの話でも少し。
皆様の中で、ワインが好きな方はいらっしゃるでしょうか?
 世の中焼酎ブームで、飲み会などでは、ほとんどの方が焼酎を飲んでいらっしゃるご様子ですが、たまにはワインでもいかがですか、と言いたいものです。

「ワインは、難しいし分からない。しかも高いでしょ。」

そうおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、難しいのは、ブドウの品種や作り手の名前、地域の違いなどでしょうが、そんな事は興味を持ってから調べるなり何なりすればいいのです。
 
 味が分からないというのは、分かろうとしないだけで、味よりも香りに重点を置いて飲んでいくと、自分の好きな香りのワインに出くわすかもしれません。

 最後に、高いと言うのは、安いのを探さないからで、レストランなどに行っても

「リーズナブルでおいしいワインをください。」

と、言わないからだと思われます。
 店側は、その言葉を聴かない限り、高めのワインを勧めてきますから気をつけて下さい。
因みに、うちの店ではそのような事はございません。(もう遅いよ)

 私は、仕事柄高いワインを飲んだり、お客様のワインを頂いたりすることがあるのですが、高級なワインは飲んでいるうちに疲れてきます。
勿論、好きですし、おいしいのですが、香りを嗅いで、コメントをする、口に含んで、空気を含ませて飲む、その喉越しも含めてコメントをする、そして、今が飲み頃なのかどうか考える、という作業は、楽しいのですが疲れます。
高級なレストランでなら尚更です。
因みに、うちの店はその様な店ではございません。(分かったって)

「ワインはキリストの血、パンはキリストの肉」

という言葉もありますが、何も考えずにテーブルワインから始めるのが一番いいと思うのですが。

 私は、休日にワインを一人で3本程飲んでしまうのですが、体のほうはいたって健康です。(健康診断に行っていないので、結果を知らないというのもありますが)
当然ですよ。キリスト様の有り難い血なのですから。
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おいしさの単位

2007-01-30 14:12:17 | Weblog
 小学生の頃、刈り終わった田んぼで、野球の球を使って遠投するのが友達の間で流行ったことがありました。
その際、どれだけ遠くに投げたかで順位を競う訳ですが、勿論、メジャーや測定器などあるわけも無く、アバウトに順位を決めていました。
 しかし、ある時皆で話し合いをし、単位を「田んぼ」に決定し、より正確に順位を競おう、という事になったのです。
 それからというもの、

「○○君は、1田んぼ半投げたらしい。」

「いや、××君の方がすごいよ、2田んぼを越えたらしいぜ。」

など、知らない人が聞いたら、何の話かさっぱり分からない話題で持ち切りでした。
 「3田んぼ」投げた、横山君が優勝してそのシーズンは終了しましたが、今でも
、同級生の友達と飲むと

「そういえば、あの3田んぼの横山君って今何やってるんだろう?」

と、その当時の単位が出てくる位、私たちにとって「3田んぼ」は前人未到の記録として、脳裏に焼きついているのでした。

 話は変わりますが、最近、どうも気になることがありまして。
「おいしさの基準と単位」なのですが・・・。
個人差が有るのは分かるのです。しかし、よく聞く言葉で「普通においしい」というのがあります。

 例えば、どこどこのレストランへ行ってきた、という話を聞くと

「どうだった?おいしかった?」

と、聞きます。当然、同業ですから聞いてみたいでしょう。すると

「おいしかったですよ。普通に。」とか

「普通においしいと思います。」

という、答えが返ってくるときがあります。
口コミのサイトなどを見ても、「普通においしい」というコメントがあり、たまに

「普通においしい、という普通は、本当に普通です。」

など、「分からない、何が分からないか、それすらも分からない」的なコメントを
書いている方もいらっしゃるくらいです。

 何が「普通」なのか聞いても、「普通」は「普通」という回答なので、自分の中で消化できません。

しかし、作り手の立場から言わせていただくと、「普通にうまい」というのは、「まずくない」という意味にしか取れないのです。

「中の上は、上の下」というとややこしくなるでしょうか?

 我々料理人は、「おいしい」ものを作るのが仕事であって、「まずくない」ものを作ろうとするものではありません。(というのは私だけではないはず)
 故に、「おいしい」のであれば、どういう風に「おいしい」のか、表現するのも
「食べ手」の技量なのではないでしょうか?

「だから、それが普通なんだって!」

「まずくないのだから、いいじゃないですか。」

そういう問題でもないような気もしますが、
そう言われてしまえば、それまでなのですが。

 うちの店はどうなのでしょうか?
「普通に」?「けっこう」?「異常に」?

気になるところではあります。

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オォ マイ ブッダ!

2007-01-29 01:57:12 | Weblog
結構前の話ですが、合コンをしました時に趣味の話になりまして、一人ひとりの趣味を聞いていく、という事になったのですが・・・
 当然、私の番にもなり、聞かれることとなりました。

「藤原さんって、趣味何なんですか?」

一人の女の子が聞いてきました。

「えぇと、ギターと・・・」

言いかけたとき、話を盛り上げようとしたのか、

「えー、ギター弾くんですか?アコースティックですか?」

と言われてしまい、正直に

「エレクトリックなヤツなんですけれど・・・」

と言うと

「あぁ、そうなんですか。(少しガッカリ気味に)」

と返ってきました。しかし、その後

「ギターと、っていうことは、他にも何かあるんですか?あっ、好きなアーティストとかいます?」

という問いに、一瞬、躊躇したのですが、

「えぇ、ギターの他は、写経ですかねぇ、因みに、好きなアーティストは、
棟方志功ですかねぇ。」

の答えに、皆さん、ドン引きなされたご様子で、端の方では「棟方志功って誰?」
という、ヒソヒソ話までされてしまう有様でした。

因みに「棟方志功」先生は、版画家界のゴッホと呼ばれる大先生です。

 10代の頃、料亭でデッチ(丁稚奉公の略)をしていた時、尊敬する先輩に

「技術だけじゃあかん、色んな勉強せな、お前は伸びん!勿論技術も大事じゃが、
それは何とかなるじゃろ、もっと本読んで勉強せ。」(中部地方出身の方でしたが、流れな方だったからか、酔うと関西弁が若干混じるのでした)

 というお言葉を頂き、その後、暇になると図書館へ行ったりしているうちに、
「精進料理」の本と出合いました。
その本の内容もさることながら、「精進料理」というものの考え方や食材への向き合い方など、非常に勉強になり、且つ、感動すら覚えたのでした。
 そのような事をきっかけに、仏門系に興味を持ち出し、仏像の写真集まで買ってしまう所まで来てしまいました。
勿論、「土門拳 記念館」は制覇しております。
因みに、法隆寺中門金剛力士は、阿形像、うん形像(漢字が探せませんでした、口辺に牛です)の二対の仏像のことですが、「あ、うんの呼吸」はここから
きています。

 しかし、仏像だけでなく、「般伽心経」にまで、手を付けてしまい、写経がマイブームとなったのでした。
そこで、冒頭の話となるのですが、やはり怪しいですか?怪しいですよね。
どう考えても。

 前付き合っていた彼女には

「棟方志功の版画のポスターはいいけど、曼荼羅のポスターは外して!」

と、人の部屋のインテリアまで、干渉されてしまいました。
当然といえば、当然なのかもしれませんが。

 フランス料理に転向した頃は、フランスがキリスト教圏ということもあり、
聖書を読み始めました。
聖書、聖書の述解書などを読みながら、ワインを飲んでいる男の姿は、どう考えても異常です。
 知らない人がその光景に出くわしたら、必ず通報するでしょう。

 周りの人たちからは、呆れ顔で

「藤原さん、程々にしましょうよ。」

と、よく言われるのですが、自分では、程々だと思っているのですが、どうなんでしょうか?

 先日、本屋さんで「一刀彫で仏像を創ろう」みたいな本を見つけてしまったのですが、買おうか悩んでいます。
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捜索する創作料理

2007-01-26 17:34:25 | Weblog
20代前半の頃、駐日アメリカ大使館、オレゴン州大使のお宅に招かれて、伺った事があります。(その経緯は長くなりますので、また今度)
 物凄いパーティーなのかと思って、スーツ姿で伺ったところ、大使は非常にカジュアルな格好で出迎えてくれました。
ボタンダウンのシャツにジーンズという姿に、どことなく旧ソ連ゴルバチョフ書記長に似た笑顔の大使と、不法滞在だと笑って言っていた大使の友人のインドネシアの方と3人で交わすトークは微妙な感じでした。
 しかし、その時に大使が作ってくれたハンバーガーは、今まで食べていたハンバーガーの概念を覆すぐらいのおいしさがあったのです。
どうやって作ったのか聞いたところ、

「何も特別な事はしていません。バンズは私の好きなパン屋さんで作ってもらいました。シンプルにハンバーグとパンだけが私の中では最高の組み合わせです。」

 という答えが、流暢な日本語で返ってきました。
たしかに華はないのですが、ハンバーグのジューシーさ、噛み締めたときの肉の旨味、バンズの力強い小麦粉の味、そこには、他の食材が介入することの出来ない
アメリカの味を垣間見る事ができたのでした。

 最近、創作料理という言葉も恥ずかしい言葉になってきたのではないでしょうか。
前記のハンバーガーは、ハンバーグ(語源はドイツのハンブルグ)とパンを合わせた創作料理なのではないか、と言われればそれまでかもしれませんが、市民権を得て、脈々と受け継がれていく立派な伝統料理と私は考えます。

 話は変わりますが、数年前に食事に行った際、コースの中の一皿にリゾットがありました。
「サーモンのリゾットサフラン風味 いくら乗せ」という一皿でしたが、どう考えても、「腹子飯」の印象が残り、こういうのもありなのか?としか思えませんでした。
 そういうのもありならば、と考えたものがこれです。カッコ内は私の心の中のツッコミと考えてください。 

・大根のリゾット(それは、「おしん」でしょ)

・グリーンティーのリゾット サーモンのグリル乗せ(お茶漬けといいなさい)

・うこぎのリゾット(米沢の人しか分からないでしょう、それは。)

・リゾット ド ルージュ 小豆の香り(名前はかっこいいが赤飯です)

・さつまいものリゾット(戦時中の代用食なのか?硫黄島の人が泣いてます)

・エルブ ド ジャポネーゼ 7種の香りのリゾット(日本のハーブ7種を使った
リゾットと言えば、あれですよね。芹、なずな、全部言えるかな。)

バカバカしいですか?いいんです、それでも。(当店ではお出ししておりません)

 こういうところで、日本の伝統色を出すのも如何なものかと思うのですが、意外と平気で出している店ってあるものなんですよね。

 でも、若者には受けるのかなぁ。
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名前の由来を追え!

2007-01-25 18:34:42 | Weblog
皆さん、突然ですが「すっぽこ」という物の存在をご存知でしょうか。
ご存じない方は、気になさらずにお読みください。

 先日、「週間 言葉マガジン」というテレビ番組に「すっぽこ」が登場し、それに合わせて「すっぽこ研究所」の所長さんも出ておられました。
 実は、昨年末から「すっぽこ研究所」所長さんのブログを読ませていただいたので、その経緯と番組出演は知っておりました。
しかも、所長の長岡さんは、個人的に知っております。というか、厳密に言えば、
長岡さんの会社に仕事をお願いした、という事になるのですが、結構前から知っています。まぁ、それはどうでもいい話なのですが。

 「すっぽこ」を知らない方の為にに簡単に説明しますと、「すっぽこ」は、
甘めの醤油味のあんかけにうどんが入っている食べ物、ということになります。
 私が初めて「すっぽこ」を食べたのは、20代前半の頃でした。
よく行く食堂のメニューにそれはありました。今までスルーしてきたメニューなのですが、ある日なぜか、「名物 志っぽこ」の字が目に留まり注文してしまいました。しかも大盛りで。
 置賜生まれの私としては、どんな食べ物か想像つかず、ワクワクして待っておりましたら、蓋付きの御椀が運ばれてきました。
恐る恐る蓋を開けてみましたところ、前に説明したものが入っておりました。
いや、「びっちり詰まっていた」という表現の方が的確だと思います。
 具は、椎茸(乾物を戻したもの)、鶏肉(胸肉だと思いました)、蒲鉾(普通の物です)、せり(堀込の物ではありませんでした)が、あんのなかに埋まっておりました。
味の方は、皆さんのご想像にお任せしますが、さすが「名物」です。
 
 番組では、その「すっぽこ」または「しっぽこ」または「志っぽこ」の由来を
探っていくという、構成になっておりました。

 結論から言いますと、長崎の卓袱料理が京都に渡り、それが、北前舟で山形に運ばれてきたものではないか、それと江戸にあった「あんぺい」と呼ばれるうどんが
合わさったのではないか、というような内容でした。
因みに、「すっぽこ研究所」の論文内容もそれと重複する部分があります。

 しかし、番組を見終えてから、若干の疑問が生じました。
卓袱(しっぽく)料理が北前船で京都から運ばれてきたのならば、「すっぽこ」は庄内にも存在するのではないか?というものでした。
 奥さんが庄内人で、よく庄内にも行き、庄内のラジオ番組を持っている、
マネージャー佐藤に聞いてみたところ、庄内には「すっぽこ」は無いと言う回答が返ってきました。

 ということは・・・
 
 実は、私も「すっぽこ」を食べ終えてから仮説を立てたことがあります。
私の仮説はこういうものでした。
 
 「しっぽこ」には必ず干し椎茸が入っております。それがキーワードになると考えました。
 干し椎茸は、料理業界用語で「しっぽく」です。長崎の卓袱料理から来ているのは間違いないでしょう。
因みに、さつまいもは「丸十(まるじゅう)」です。薩摩藩の印から来ていると思われます。
業界用語かと思っていたところ、とあるおばぁさんも干し椎茸のことをしっぽくと呼んでおられました。(山形の方です)

 ここからは、私の想像の域ですが、「すっぽこ」のスープベースは干し椎茸の戻し汁だったのではないか、というものです。
つまり、干し椎茸の戻し汁に砂糖と醤油で味を付け、葛でとろみを付けた物にうどんを入れた冬の風物詩、貧困時代の家庭料理がそれなのではないか。
ネーミングは、具材アンド、スープベースの干し椎茸、つまり「しっぽく」。
それが訛って、「すっぽこ」になったというのが、私の仮説です。

 たぶん、これはハズレだと思うのですが、ありそうな話じゃないですか。
こういうのって。
 
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開店するは我にあり

2007-01-24 19:29:46 | Weblog
 毎年の事ですが、1月は暇な月です。12月が死を覚悟するほど忙しかった為、
そのギャップに戸惑いを隠せません。
この店を開店してから、3回目の1月なのですが、なかなか手強いものです。
 
 この店「マチルダベイ」は、2004年6月28日にオープンしました。
以前勤務していたところは、2004年の5月末日まで仕事しておりましたから、
退職して、1ヵ月半でこの店をオープンしたことになります。
今考えると、とても恐ろしいことにチャレンジしていたことになりますが、必死だったので苦にならなかったのでしょう。
因みに、開店1週間前から、不眠不休で食事もほとんど取らない状態だったので、
6kgぐらい痩せました。皆には「開店ダイエット」と言って自慢しておりましたが、今は、リバウンドしまくりです。

 以前仕事していた店は、レストランバーな感じのところで、高い天井、ブルーのライト、クラブ系の音楽、カクテルの他ワインも充実しており、料理はパスタなども多数ありましたが、肉、魚料理のフレンチも用意してあり、食事だけでも十分満足できる店でありました。
 そこで、一緒に仕事をしていたのが、現在マネージャーを担当している佐藤ということになるのですが、彼と仕事をしてから10年以上になってしまう計算になります。いやぁー、年取りましたよ、お互いに。
 
 当時私は、その店「D(としておきます。)」(現在は閉店しました)と、同系列のもう1店舗、イタリアンのレストラン「B(としておきます)」を掛け持ちで
仕事をしていたものですから、多忙を極めておりました。
「B」のランチとディナーをこなしてから、「D」の営業に入る訳ですから、仕込みをしながらオーダーをこなさなければいけません。
 当然、終わるのは、3時過ぎ。お客様が残っていれば4時、5時というのも当たり前。

 大変だから辞めたのではなく、自分自身の仕事の有り方に納得できなくなったからです。
 フランス料理への憧れが強くなったのも要因の1つではありますが。
やりたい料理がフランス料理なのに、今、自分がやっている料理は、イタリア料理

 生活のために、自分の信念に蓋をしている自分が腹立たしく思えてきたのでした。

 開店するに当たって、マネージャー佐藤は快く仕事を引き受けてくれました。
この先何にも保証が無いのにもかかわらず。
ゆえに、彼には感謝しても感謝しきれない気持ちで一杯です。
 
 そして、開店するに当たって、いろんな方から「フランス料理は、受けないよ」
という言葉もいただきました。

「藤原さんは、今年から天中殺期だから、店潰れますよ。潰れるだけなら良いけど
死にますよ。」

 などと真顔で言う人まで出て大変でした。(これは本当の話です)
その度、「貴重なご意見ありがとうございます。これまで以上に自分を律してがんばります。」と言って、受け流してきました。
 しかし、その冷静な言葉が、人の心を逆なでするのか、ますますご批評をいただくのでした。

 残念なことに、今、お客様にも評価を頂いておりますし、店も潰れておりません
、そして相変わらず酒量は減りませんが、まだ生きております。私。

 英語で言えば「Still alive」と言ったところでしょうか。

 
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真昼の死闘

2007-01-23 18:42:25 | Weblog
 我が店「マチルダベイ」では、平日のランチ営業はいたしておりません。
その代わり、ディナーのラストオーダーが夜の12時30分、閉店時間が深夜1時30分という、後ろに長い営業スタイルです。
夜遅くからでも食事を楽しんでほしい、というのと、ディナーというものを時間を掛けて楽しんでほしい、という考えですので、デザートの後のコーヒーで1時間くらいおしゃべりを楽しんでも、一向に構いません。
 しかし、ランチに来たいお客様もいらっしゃるのではないか、と言う事も考え、
ランチ営業を、日曜、祝日に持ってきました。
日曜の昼からワインを飲むのもいいものだよな、という自分勝手な意見も少し取り入れて。

 お陰さまで、今では、満席になることも珍しく無くなりましたが、開店当初は
悲惨なものでした。(一説ではある方が来店すると、忙しさが倍増すると言われております)
 その知名度の無さからか、宣伝をしなかったからか、ランチのお客様が1組などというのはザラでした。(今でも知名度は無いほうでしょう)
 当時は、そんなに朝早く来て仕込みすることも無かったのですが、今では、朝の7時に出勤しなければ、間に合わないという、ある意味うれしい大変さに、感謝するばかりです。

 早起きの方にしてみれば、朝の7時で何が早いのか、と一喝されそうですが、
土曜日の夜というのは、私たちにしてみれば魔物が棲んでいるのです。
 土曜の夜11時過ぎ辺りから、カウンターに人が集まってきます。
ワインの話をしに来る方、料理の話をしに来る方、人生相談をしに来る方、以前在籍していた店のときからのお客様(以前在籍してた店でも、マネージャー佐藤と一緒に仕事をしておりました。独立開店にあたり、マネージャー佐藤を引っ張ったという形になりました。その話は次回)などで盛り上がりを見せます。
 しかも皆さん、次の日が休みな方ばかりですから、3時、4時は当たり前みたいな雰囲気を醸し出していらっしゃるのです。

 「閉店時間ですので、お会計よろしいでしょうか。」

 そんな言葉は掛けれませんから、自分たちもワインを飲んで、一緒に盛り上がるしかないのです。
 しかし、お客様より飲んでいるのはなぜでしょう?時として、お客様より自分たちの方が盛り上がってしまう事例が多々あります。

 そして、掃除をして帰宅すると、朝5時という恐ろしい時間ですから、仮眠をして、シャワーを浴びて、また出勤という事になるのです。

 ランチでカウンターに座られた事のある方でしたら、お分かり頂けると思いますが、ランチは、時間勝負みたいなところがありますので、一人厨房では、人の倍のスピードを要求されます。オーダーは待ってくれませんから。
一人で、グルグル回りながら仕事していると、時々

「俺は、このままバターになって、最終的にはホットケーキになってしまうのではないだろうか?」

 と真剣に考えるときがあります。
でも、そんな事を考えるのは、まだ余裕があるからなのか?などと考えている
日曜の昼なのです。
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映画と食事の関係とは

2007-01-22 17:21:14 | Weblog
子供の頃、何ヶ月に一度家族全員が揃った時、皆で映画を見に行くのが楽しみでした。(両親は仕事で、あまり家に居なかったのでいつも兄と留守番でした)
その後の外食はもっと楽しみでした。
 当時、映画は2本立てが主流で、映画を見に行くと言うのは、映画を2本見るということでした。
その映画の選択権は、父に委ねられていましたから、「男はつらいよ」と「トラック野郎」の2本立てや、時代劇2本立てなど、子供にとっては逃げ場の無い映画を見せられる事となっていたのです。
 
邦画の後という事もあってか、その後の食事は、和食な場合が多く、洋食を希望する兄と私は、次は洋画を、と嘆願しました。
洋画を見た後、洋食を食べる。なんてカッコいいんだ、そう兄と2人で話し、次回を楽しみにしました。
 
そして、しばらくすると「見たい映画があるけど、洋画と一緒だから見に行こう。」と、父は誘ってくれましたが、その和洋のカップリングが、「エレファントマン」と「あぁ、野麦峠」という、物凄い組み合わせ。
 ハンバーガーとご一緒に、お味噌汁はいかがですか?と、ファーストフードの女の子が微笑んでいるようなものです。
 どのような基準でこの組み合わせにしたのか理解に苦しむところではありますが、明らかに小学生が見るには辛過ぎる2本でした。
 
 デヴィットリンチ監督の「エレファントマン」は、そのタイトルで、アンパンマンの親戚か何かを連想させますが、不遇の出生をした子供が、見世物小屋でエレファントマンとして見世物に晒され、人間らしい生き方を剥奪されながらも成長していく様は、見ていてつらい。(子供のころは余計に)モノクロの映像もその内容を助長するかのようでした。
 2本目の「あぁ、野麦峠」。子供心に、(あぁ、このタイトルと、ポスターを見る限りかなり辛そうだ。)と思ってしまうような感じ。内容は、予想を上回る暗い内容で、その後、大竹しのぶを見ると、繭工場の女工員が、口の中に繭を無理やり入れられて、苛められているシーンが蘇るほどでした。

 その後、何故か中華料理になったのですが、4時間近くそんな内容の映画を見せられて、食欲が沸かず、ゲンナリしたものでした。

 しかし、今は、邦画の後に和食、というのも悪くないな、いや、逆にそう有るべきなのか、とも思えるようになり、「武士の一分」の後に「天麩羅」か、などと
計画していたところ、「武士の一分」を見て感動したという、マネジャー佐藤から
内容を細部にわたり、説明されてしまい、中止の運びとなりました。
 マネジャー佐藤曰く、「ブシイチ(武士の一分の略)すごい良いですよ。藤原さん、見たほうがいいですよ。あー、でも僕的には、たそがれ(清兵)の方が気に入っているけど。」

 「それだけ丁寧に説明されたら、もう見なくてもいいでしょう。」

そう言い掛けて、言葉を呑んだ私でした。
だって言えないでしょう。殺陣の動作入りでしたから。 
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料理の60%は理論と知識である

2007-01-20 04:11:35 | Weblog
 よく、「料理は愛情でしょう。」と言う言葉を耳にする事があります。
それは間違いではありません。しかし、それだけではない事も事実なのではないでしょうか。

「料理は気合だ!」

 それも、必ずしも間違いではないと思いますが、それは精神的な問題であって、料理の味には、あまり影響があるとはいえません。

「料理は食材の質でしょう。」

 近年、この言葉もよく聞く様になりました。それも間違いではありませんが、
その最高の食材を、変に調理してしまったのでは、本末転倒なのではないでしょうか。
 何を言いたいのかといいますと、食材と向かい合い、どう調理するかと考えたとき、ベストな調理法を選択できる頭の引き出しを持っているか。と、その食材に対する知識を兼ね備えているか。最後に、やろうとしている国の料理の歴史、文化などの背景を理解しているか。というのが「料理」を作るときの最重要ポイントなのではないか、と考えられます。(これは、あくまでも私見的なものであって、絶対ではないとお考えください。)

 この考えでいくと、技術と言うのは、この理論と知識を具現化する為の手段に過ぎないという事になるのですが、技術の後に理論と知識が付いてくる場合がほとんどだと思われます。

 例えば、フランス料理の場合、「牛肉のステーキ 赤ワインソース」を作ろうとする時、何を考えるかと言いますと、まず牛肉の部位の選択から始まります。
フィレ、ロース、ランプ、等さまざまな部位があるわけですから、食べる人の事を考えてチョイスする訳ですが、ワインが好きな人に作る場合、ロースでは脂がきついしヘビーなので、赤ワインのソースは重すぎます。
 フィレでは、繊細な味を損ねる可能性があるように感じます。(しかし、セオリーでは、この組み合わせです。)
 ランプもいいのですが、その下についている「イチボ」というのが通好みで、比較的安価、しかも、噛み締めると肉汁のうまさを堪能できるタイプの肉です。
 
 この肉を選んだとき考えなくてはならないのが、さっと焼くステーキという調理法ではなく、じっくり、フライパンの中の脂を掛けまわしながら、オーブンで焼いていく「ロースト(フランス語でロティール)」という調理法でしょう。
 比較的繊維が荒いイチボは、最初は強火で、のち中火でゆっくり、かつ丁寧に焼き上げていくうちに、その繊維の緊張を解き、肉汁を中に閉じ込める、と考えます。
 焼き上げた後、ルポゼ(肉を休ませて、肉汁を落ち着かせる作業)しながら、ソースを作ります。

 ソースは、赤ワインだけでは酸味が立ちすぎるので、ポートワインを加えます。
その時の赤ワインとポートワインの比率は、4対1が甘すぎない比率ではないかと考えます。
 煮詰めていくときに、本来ならばエシャロットのアッシェ(みじん切り)を入れるところですが、ワインの味を際立たせるために割愛します。
 十分煮詰まり、鍋の底に張り付くぐらいになったら(この状態をグラスと言います)フォンドヴォーを、煮詰める前のワインの量より若干少ない程度(それ以上入れると、フォンドヴォーの味が強くなり、ワインの味がぶれます)入れ、さらに煮詰めます。
 最後に、赤ワインヴィネガーを数的たらし、ソースに切れを出します。
因みに、ヴィネガー(Vinaigre)と言う言葉は、ヴァン(Van、ワイン)と
エイグル(Aigre、酸味)を足して出来た造語です。(どちらもフランス語です)

 さて、これで完成ですが、ソースの酸味が気になる場合、ソースの仕上げにバターを入れて、エマルジョン(乳化)すれば、まろやかに成ります。

 あとは、肉を切り、ソースを掛ければ出来上がりです。

 いつもこんな事を考えながら、調理している訳ですが、如何でしょうか。
ご家庭でも是非どうぞ。

 っていうか、めんどくさいでしょ、家庭では。
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月は見ていた高校生活

2007-01-16 19:52:27 | Weblog
 先日、高校時代の同級生から電話がありました。(当時は女の子だったのですが、今は女性と言った方が良いでしょう。)
 随分久しぶりだったので、どうしたのかと思えば、スナックのママをする事になったので飲みに来てほしい、との事でした。
彼女の旦那さんは、私の親友ですので彼の近況を聞いたところ、昼は現場系の仕事をしながら、週二回程、そのスナックでボーイをしている、という話でした。

 早速、彼がボーイをしている日を確認して、そのスナックに行って見る事にしました。

 結果から言ってしまえば、普通のスナックなのですが、高校時代の懐かしい話に花が咲いて、大爆笑の一夜だったのです。
なぜ当時言えなかった事は、今言えるのでしょうか。暴露の嵐でした。
因みに、店には可愛い女の子が沢山いたのに、一言も喋れませんでした。
ママとボーイが付きっ切りでしたから。

 まぁ、それはいいとして。
 当時、私の通っていた高校は定時制高校で、授業は夕方から始まるタイプの高校でしたから、終わるのが夜9時頃でした。
学校が終わると、必ず悪いメンバーが集まって、当時遅くまで開いていたファーストフード店へ行き、煙草をふかしながら仕事の愚痴等を言ったりするのが日課でした。
 時には、彼女に振られた、仕事をクビになった、友人を励ますという名目で
居酒屋さんで残念会を開くという、迷惑行為もしたりしました。学生服で行くので店員さんやお客さんはびっくりしてました。当然ですよね。
いつも言い訳は、「大学の応援団です。」か、襟を返して「こういうスーツです。」という、どう考えても無理な言い訳なのですが、飲めたのですね。当時。
(本当はいけない行為です。真似しないでください。)

 様々な家庭環境や、事情があって入学してきた人間が多く、昼間仕事をしているので、変に大人びているヤツしかいませんでした。

「まぁ、それも人生よ。」

皆、それが口癖のようでした。

飲み屋で、サラリーマンにからかわれても、

「まぁ、兄ちゃんら、こっち来て飲んだら。」

自分たちより、年上の人間を呼び、「まぁ、それも人生よ。」を連発し、飲ませて、自分たちの飲み代をサラリーマン達に付けさせ千円だけ置いて帰って行くという、無礼な集団でした。

 勉強した記憶が無いといえば嘘になりますが、高校時代に勉強したのは、社会勉強と、酒飲みの勉強、そして、友達が居たからつらい仕事をがんばり通せたという勉強ぐらいでしょうか。
 最近、友人が他界して、顔を合わせる機会が増えましたが、皆、所帯じみていてびっくりしてしまいました。
見た目は、トラック野郎の菅原文太なのに、家庭状況がやもめのジョナサンと言えば分かっていただけるでしょうか。

 あの時の高校生活が良かったのか悪かったのかは、さておき、今が良ければいいのではないか。
そんな話でいつも飲み会が終わってしまうということは、皆、一応幸せなんだな、そんな風に思えてなりません。
 
 「こんな話が出るようでは、俺もオヤジだな。」
そんな風にも思えてなりません。

 因みに、同級生のスナックには、その後も暇になると呼ばれて2回ほど行きましたが、若い女の子は付きませんでした。
お願いしますよ、ママ。 
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