ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

スィートドリームはどうすれば味わえるのか。

2014-01-29 21:48:26 | Weblog
 毎年この時期になると「気が付けば1月も残りわずかになり・・・」という書き出しで始まる事が多い当ブログですが、今年もそれに倣い(ならい)、そう書き出させていただきます。気が付けば1月も残りわずかになり、またもや1年の12分の1が終了してしまった、とどこかネガティブな考えに陥ってしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 ついこの間「年末」が終わったと思っていたら、もう「新年」という言葉が似あう月が終わりになろうとしています。こうなってしまうと今年の「初夢」が何だったのかさえも思い出せない感があります。
 因みに、今年の私の初夢には・・・いや、今年だけではないと記憶しておりますが、「富士」も「鷹」も「ナスビ」も登場しませんでした。それどころか、全く気にもしていない俳優さん(50代男性と30代後半女性)が登場してくださいまして、朝起きてからその二人が出ているドラマを調べてしまったほどです、しかも、そのドラマ、私は観た事がないし全く知らないんですけど・・・。
 それはそうと、初夢は「一富士、二鷹、三ナスビ」と言いいますが、ナスビを咥えた鷹が富士山付近を飛んでいる夢を見たらどう解釈すればいいのでしょうか?上位三夢ゲットで最も良い年になるのか?それとも、夢だけで消化してしまい大変な年になるのか?気になるところではありますが、そんな夢は見たくありませんな。
 私が子供の頃は「夢は大きく持て!」と、思い返せばかなり無責任な事を教え込まれた世代ですが、今の若者は「夢よりも現実」と冷めている、と漏れ聞きました。
 仮に「都知事選についてどう思いますか?」と質問しても「誰がなったって一緒じゃないですか・・・しかも、あなた山形ですよね、関係なないですよ・・・」と、冷めた目をして答えるかもしれません・・・まぁ、その通りなんですがね、いや、山形県民だって気になるじゃないですか。
 「夢」だけを爆発させたいなら、私は「D・N」候補者じゃないかと思うのですが、その理由は「新エネルギーシステムを開発した」と断言しておりました、ライジングサン新聞でですけど・・・いや、それでも断言して良いのか?という疑問は残りますな。
 しかし、毎回候補者として出続ける勇気、と言いますか、不撓不屈の出馬、と言いますか、その気持ちは人として大事なのではないか、と思うわけです、その人に入れるかどうかは別として・・・(だったら書くなよ)
 話は「夢」に戻りますが、稀に「料理の夢って見る事あります?」というご質問を頂く事がありますが・・・いや、1回しかありませんでした、そのようなご質問は。
 月一ほどもありませんが、料理している夢を見る事はあります。しかも、その夢の中では味見をすると淡く味わえることがあり(多分錯覚)、現実と交差してしまう程のリアルさです。
 そして、その夢には共通点があり、その夢の中では「絶対無理」的な仕事を要求されて窮地に立たされることが大前提になっているようです、病んでいるのか、オレ。
 それでも頑張って動こうと思うのですが「夢」の中のお約束なんでしょう、思うように動かないんですな・・・そんな事を覚えているのも病んでいる証拠なんでしょうか、大丈夫か?オレ。
 
 夢の中で大きな厨房を任されて、無理な仕事を要求される夢を見る事自体、何か精神的不安定さでもあるのか、と朝起きて思うのですが、それはそれでいいのかな、と。(いいのか?)
 
 それより問題は、それをネタにしてブログを書かなければならないほどネタ不足だ、という事でしょう。

 まぁ、それもそれでいいんですかね。(いいのかよ)

















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物だけではなく人もレンタルの時代に君は何を想うか

2014-01-28 20:34:02 | Weblog
 雪が降らなくて「過ごしやすい」と捉えるか「気象的に不安」と捉えるか、意見が分かれてしまう所でありますが、とりあえず「過ごしやすくて良い」にしておきましょうよ、これからドカッと降るかもしれませんが・・・と「今が良ければすべてよし」的な考えになってしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 1月後半で山形市内に雪が無い、という光景は山形に住む者にとって異様とも思えますが、雪掃きをする必要がないのは魅力的であります。しかし、蔵王には積もっておりますから、全国のスキー好きな方には山形蔵王に来ていただいてスキー、スノーボードなどのウィンタースポーツを楽しんでいただきたい、そのように思うわけであります。(県の回し者か)
 「スキーやウェアなどなくて・・・」そのようにお考えの方、レンタルがあるじゃないですか、レンタルが。私も昨年、子供の付き添いでスキーをしに行きましたが、ウェアは友人から借り、スキーはスキー場でレンタルし、と上から下まで借り物で済ます、というレンタラー(全てレンタルな人。今考えた言葉です)に徹してスキーをしましたから大丈夫であります。(何が大丈夫なのか)
 しかし、今やスキーやウェアだけではなく人間もレンタルする時代。ネットのニュースには「レンタル友達事業が拡大へ」という記事が載っておりました。
 その記事をよく読んでみると、レンタル友達を展開している会社が急成長している様子を紹介し、その要望の一部にも触れておりました。
 ただ単に「話友達になってほしい」から「一人でジムに行くのは心細いから慣れるまで一緒に通って欲しい」や「海辺で日焼けしたいが一人で行くのは寂しいから一緒に海へ行って欲しい」「ベランダにセミがいる。怖くて窓を開けれないのでどうにかしてほしい」「パチンコがやめれず、負け続けで自分が嫌になった。一緒に考えてほしい」などその内容も様々です。「全然女性の気持ちが判らず、フラれてしまいそうです。女性の気持ちを教えてほしい」という案件もありましたが、女性の気持ちが全く判らない男と付き合ってしまう女性の気持ちは一生かかっても理解できないと思われますので「自分で何とかしなさい」としかアドバイスできないでしょう。
 そして、その記事にはこんな一文も書かれていたのです。「欲しいのは道具のように即応する理解者」・・・お前ら、いくらレンタルだからといって道具扱いかよ!そんな気持ちに・・・なりますな。
 わざわざ「道具のように」と本心丸出しで言ってしまうから友達が出来ないのではないか、とも思えますが、その一文から「道具のように」という言葉を削除してみるとそれはそれで判らなくはありません。
 「欲しいのは即応する理解者」。こうなると「仕事上の」や「仕事における」といった意味合いにも取れますからビジネスチックで何となくカッコイイ言葉に思えてきます。
 数年前、「料理人派遣業」という事業を立ち上げようか、と本気で考えた事がありましたが、よく考えると「オールジャンルに対応でき、色んな厨房にも溶け込める料理人」というのはなかなかいない、という結論に達してしまいました。ヘタすると私が派遣として行かなくてはならなくなりますしね。
 所謂「レンタル料理人」になりますが、仮にそれが成立するのであれば、料理長の指示を仰ぎながらも自らの考えで優先順位を決めて仕事を遂行し、周りの人間にも配慮する協調性を持ち、というレストランや板場の現場で一番欲しいと思う人間になると思われます。
 そして、忙しいのが落ち着く頃にはその人も消えて行ってしまう・・・また忙しくなったら来てね、寅さん・・・のような、そんな料理人がいるのであれば、経営者からしてみればまさに「欲しいのは即応する理解者」であります。
 「一日だけ」というスポット的な使い方もできますし、「一か月」というロングタイムな申し込みも可能ですが、故意による引き抜き行為が発覚した場合、訴訟の対象になりますのでお気を付けください、という文章を定款に盛り込まなければなりませんな。
 
「お前が一番人を道具として考えているのではないか!」

 そのようなお言葉を投げ付けられそうでありますが、そんな事はありません、派遣される料理人も現場現場で勉強する事ができ、そして、それは料理人人生に於いて大切な一ページになるはずです。

 あのレストランのシェフは何を考え、そして、何を想って料理を作っているのか、あの板場の料理長の料理に掛ける想いとは何か、あの中華料理店の調理長は中国の歴史的背景から料理が透けて見える、と言っていた、など、そのような人の下(もと)で仕事をする事が「レンタル料理人」さらに成長させ、そして、これからの自分の仕事を明確にできる、と考えられます。

 よし!いつかレンタル料理人事業をやれるように頑張ります。そして、レンタル料理人希望の方、ご連絡ください!

 まずは当店のホールを手伝ってもらいます!(バカ)
















 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その一瞬の閃きを大事にして料理を作る・・・耳触りは良いが同じものは作れない、という事だ

2014-01-16 21:16:04 | Weblog
 今日、何気に当ブログの記事投稿数を見てみましたら前回の記事までで「1,140」でありました。「通算1,140本安打」的な気持ちになりますな。
 当ブログを始めてから「7年3か月」くらい経ちますから7年チョイで1,140本も記事を書いた事に少し驚きながら「いつまで書き続けるんだろ、オレ・・・」とちょっとだけ冷静に考えてみたのです。
 当初の予定ではキリの良い「1,000本」で「いや~、お疲れ様でした」的にブログを終了しようかと画策していたのですが、周りの友人や、当店マネージャーにまで「止めてはいけない!」と言われてしまい、頭を抱えて床に転がりながら胸を掻き毟られる(かきむしられる)ほどの苦悩の末、続ける決心をしたのです。(表現はかなり大げさです)
 常に枯渇状態のブログネタにも慣れてしまいましたし、ブログを書く事(書く、という表現をしてしまいますがご理解ください)が日常的になると記事の間隔が空く事に妙な不安すら覚える事さえあります。(若干、大げさ)それよりも「ブログ、読んでます」と言われることがブログ更新の原動力となるのかもしれません、一応、本職は料理なんですがね。
 「シェフのブログ」なのにもかかわらず、「料理の話は難しいので、料理の話の時はスルーしてます。」と面と向かって言われてしまうブログも珍しいと思うのですが、年々、文章が長くなってゆくブログ、というのも珍しいと思われます。疲れるでしょうな、読んでいる人は。
 始めた当初は「100文字」くらいからスタートしたと記憶していたのですが、しばらくして「200文字」に、更にしばらくすると「400文字」にと増えていき、現在は平均「2,000文字」くらいですから、400字詰め原稿用紙に換算すると5枚分ほど読まれている事になるんです、なるんですよ!皆さん!(2回言うなよ)
 親しい方からは「藤原くん、ゴメン!全部読めないです!」と言われてしまう事もあるのですが、それを言われてしまうと自分の中のサディスティックな面がムクムクと頭を擡げ、「もっと文章漬けにしてやろうではないか!ハッハッハッハッハァ!」と月に向かって叫んでしまいます。(ウソ)
 ですから、「そういう(この場合の「そういう」は「文章が長い事」)ブログなんだな・・・」と思ってお読みいただけます事を切にお願い致します、しょうがないんです、こうなっちゃったんだから・・・
 さて、本文に入りたいと思いますが(今までのは「書き出し」です)、先日、山形ローカリークッキングTV「酒の肴 つくってみーよ」の当店版が放映されました。
 この「酒の肴 つくってみーよ」には、普通に酒の肴的料理を説明しながら作っていく「通常版(以前はこれだけでした)」と、その場で突然、テーマ食材を見せられ、その食材を使って料理を作り上げなくてはならない「むちゃぶり版」の二通りあるのですが、当店はあまりいい意味ではない「特別扱い」なのか、「むちゃぶり版」しか出演依頼が来ません。
 有難い事に最近、「テレビ、観てますよ。」とお声掛け頂く事が多々あるのですが、その後に続く言葉は「アレって、打ち合わせしてるんですよね?」と微笑みながらも疑惑の目を向けられる時があります・・・「フルハム藤原」と呼ばれそうですな。
 そのように疑惑に駆られている山形の方のために釈明させていただきますが(山形以外の方が目にするのは難しいでしょうから)、99,9%、ヤラセではありません!(釈明会見か!)
 その為、事前の打ち合わせもありませんし、収録日近くになると撮影の流れを説明するようなFAXが無言で流れてきますが、それ以外は本当に何も聞かされません。正直、「撮影の流れFAX」も目を通した事がないくらいです、それ見たってどうしようもありませんからね。
 番組がリニューアルして出演した際の最初のテーマ食材は「凍み豆腐」でした・・・その次は「夕顔」でした・・・その次は「鯉の甘露煮と蒲鉾」でした・・・そして今回、「鏡餅とみかん」です・・・百歩譲って「凍み豆腐」や「夕顔」は良いでしょう、食材の範疇ですから。しかし、「鯉の甘露煮」「蒲鉾」はそのまま食べてもイケますし、「鏡餅とみかん」に至っては飾り物です。
 それを見せられて「調理、開始!」と声高らかに言われても「ちょ、ちょっと!お願いしますよ!」と心の中で思うしかありません、無情にも開始してしまっているのですから・・・
 では今回、何を作ったのか、「鏡餅とみかん(切り餅も用意してありましたが、焼け石に水的な立場でした)」というテーマで何を作ったのか?振り返ってみましょう。
 
 まずは、みかんの皮を剥き、焼いて皮を剥いた赤と黄のパプリカ、ズッキーニでテリーヌにしようと考えました。しかし、制限時間は30分。試みてはみたものの、やはり、完全に固まらず緩いゼリー寄せになってしまいました、残念。
 それに、ハモンセラーノ(切り出したスペインの生ハム)を合わせてサラダ仕立てとし、その上にスライスしてカリカリに焼いた切り餅を上から散らして食感のアクセントをつけたのです。
 その写真がコレ。



 それと並行して、鏡餅を横に、厚めにスライスし、グリルパンでグリル目を付けたものをオーブンで焼いたものに、ソテーしシェリーヴィネガーで風味付けした牛蒡を合わせます。
 みかんを洗剤で洗い、横に、厚めにスライスしたものをバターで焼いて若干、グラニュー糖を加えてカラメリゼしたものを土台とし、その上にローストして厚めにスライスした蝦夷鹿を合わせます。
 みかんを絞ってシノワ(濾し器)で濾し、それにマデラワインを加えて煮詰め、フォン・ド・ヴォーを加えて更に煮詰めてバターを加えたものをソースとします。
 最後に、鏡餅に添えてあった水引を添えます。(笑)その写真がコレ。



 本当は、蝦夷鹿ではなく、鶏肉で行きたかったのですが欠品してました。
 
 そんな放映内容だったはずです・・・「だったはず」というのは観ていないからです。

 日曜日の夕方は何かと忙しくて観れないんです、「つくってみーよ」。

 今、思い出してみると、本人、大変焦っておりまして、動くスピードはMAXだったんですが、カメラの方が追い付かないようでして、もうちょっとで怒鳴ってしまう所でした・・・アブナイ、アブナイ。

 もしも、怒鳴ってしまったら・・・カットしてくださいね、制作会社さん。

 そこは打ち合わせ「アリ」って事で。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は物事に拘ると孤立する。しかし、それは名誉の孤独だとは思えないか

2014-01-14 21:27:40 | Weblog
 雪が降らないから底冷えするのか、それとも、底冷えするから雪が降らないのか判りませんが、「寒い」の一言では片づけられない何かを感じ取れてしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 「冷たい風が肌に突き刺さるようだ」という表現がこれほど似合う風というのも恐ろしいものですが、大きく息を吸おうものなら鼻の中が凍てつきそのままぶっ倒れてしまいそうであります、ラジオ体操禁止令発令ですよ。
 そんな夜には、お約束的に「鍋物」となるのでしょうが、当ブログでは何度となく「鍋物」の話に触れ、その難しさや基本的理念の大事さ、というものについて書いてきました。
 その為、とある女性(当ブログを読んでいる)と飲みに行った時(別に怪しい関係じゃありませんよ)、「藤原さんとは鍋を一緒に食べたくないです、めんどくさそうですもん。」と面と向かって言われた事がありました・・・ワォ!直接フリーキック!
 「えっ?!何で?」この期に及んで聞いてみると、「だって、鍋ファシストなんでしょ。」と自分のブログネタを突き付けられてしまい、不覚にもその場で大笑いしてしまったのでした。
 以前、鍋物やそれに付随する飲み物までも手配し、一切合切取り仕切る人を「鍋ファシスト」と呼び、その話を書いた事がありましたが、そのイメージが強烈だったのか、「鍋ファシスト」=「藤原」という図式を作り上げてしまったのです。
 「いや、あれはネタでオレが鍋ファシスト、っていうわけじゃないからね。」一応、軽く流してみたのですが、自分のブログネタを否定することほど悲しいものはありません。
 「だって、焼肉とかもうるさいんでしょ。」その女性はどうやってもその手の事にうるさい男「藤原」というイメージを崩そうとしません。
 「はははは・・・」笑ってやり過ごそうとどこか必死になった部分もあったのかもしれませんが、よく考えると「それのどこがいけないのか?」という逆ギレ的思考になってしまい、「焼肉ね・・・」と言いかけ、そして、酒の勢いもあってか、「まぁ、肉を焼くのには・・・うるさいかな・・・」と言ってしまったのです。それはまるで執拗な警察の取り調べが続き、「オレがやりました、って言った方が良いのかな・・・」という、冤罪でありながらもこの場をやり過ごしたい一心で罪を認めてしまった人のようでもありました。(菅谷さん、お元気でしょうかね)
 「ほら!やっぱりうるさいんでしょ!どういうところに拘るわけ?」酔いが回ったからと言って鬼の首を取ったような発言はイライラしてしまいましたが、「焼肉の心得108つ(ひゃくやっつ)と言いましてな、焼肉に関する事柄が煩悩の数だけあるわけでして・・・」と適当な話をしたところ、それがウケたようでして、結局、二人で大笑いしながらさらに飲んだ事を先ほど思い出しました。
 先ほども書きましたが、時折、当ブログで鍋物や焼き肉などに触れる事がありますが、人が完全に調理したものを食べるものではなく、最終調理を自分でしなければならない形式の食事、略して「自調形式」の場合、そのやり方次第で「グッド」にも「バッド」にも針が振れてしまう、という特徴があります。
 仮に、「焼き肉」を取り上げて言わせていただければ、「さぁ!食べて食べて!」などと言いながら皿に盛られた肉を全て網の上にぶちまけてしまう御仁がいるのは残念な事であります。
 一気に肉を網の上に乗せるとどのような弊害があるのか?まず第一に「熱源の火力低下」が挙げられるでしょう。つまり、適度な火力に設定してあり、その火力で焼いてください、という店側の思惑は無視され、低温で肉を焼く事になります。
 「今、低温ローストって流行ってるじゃないですか!」そのように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、申し訳ありませんが論破させていただきます。低温ローストは塊肉の時にこそその真価を発揮するもので、薄切り肉に対してはほとんど意味を成しません、いや、中途半端に火が入ってしまいクニャクニャな食感を生み、それが嫌だからと焼きすぎるとジュ(肉汁)が完全に抜けて美味しさも抜けた固い肉になってしまいます、気を付けたいものです。
 第二に「焼き色が付かない」というのがあります。肉の焼き色の正体は「メイラード反応」というたんぱく質の変化によってもたらされるものでありますが、それが行き過ぎてしまうと「炭化」となります。
 しかし、「メイラード反応」である「たんぱく質の変化」が人の食欲をそそるわけであのこげ茶色の色と、それにまつわる焼けた香りが無ければ視覚的、臭覚的魅力は半減します。それでも焼き色を付けようと焼きすぎてしまうとジュ(もうお分かりですね)が完全に抜け、美味しさも抜けた固い肉となってしまいますから気を付けたいものです。
 第三に「無駄に追加詩くて済む」というのがあります。焼肉を一気に網上に乗せる人は、乗せるだけ乗せてから自分の話をし始め、焼きや食べるタイミングを奪う、という能力も兼ね備えた方が多い事が経験則で実証されています。
 そうなると「肉の焦げ」確率が高くなり、その分、廃棄率も高く無駄に追加注文をしなければなくなる、という現代社会に反するゴミ生産者になりかねません、気を付けたいものです。
 では、「鍋物」はどうか?例えば「すき焼き」。すき焼きはその名前の意味、そして、その手順を理解しなければ「牛鍋」になり、例えどれだけ良い肉(この場合、米沢牛の5番)を揃えたところで、その美味しさを堪能する事は難しい、と考えられます。
 例えば「鶏団子鍋」。鶏団子も火を入れ過ぎては固くなるどころかその旨さは鍋に放出され抜け殻になってしまいます。ですから、入れた鶏団子を誰の物か決めてから入れる事をおすすめします。
 例えば「豚シャブ」。豚肉は肩ロース肉のスライスが好ましいのですが、その場合、スライスの厚さが薄すぎてしまうとすぐに火が入り過ぎる事になりますし、正直、味も堪能できないはずです。適度な厚さでお願いしたいものです。
 例えば「キムチ鍋」。・・・キムチ鍋は拘れる箇所があまり見当たりませんし、外交的な問題で割愛させていただきます。
 
「結局、鍋物や焼き肉には煩い(うるさい)って事じゃないですか!」

 いや、まぁ、ウルサイと言いますか、ねぇ、仕事がコレっすから、仕方がない、って言いますかねぇ・・・

「だからあなたのような人とは鍋を囲みたくないんです!」

 でも、どうせだったら美味しい鍋や焼き肉食べたいじゃないッスか。

 その為に知恵を絞った、という事で・・・お許しを。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年の書初めは勿論、長文でなければならない。

2014-01-11 22:33:45 | Weblog
 「新年明けましておめでとうございます!」ブログ初めにとりあえず年頭の挨拶を、と思ったのですが、もう1月も日が過ぎてしまい「明けましておめでとう、でもないでしょ・・・」と言われてしまいそうな今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 年末は忙しくて更新できず、年始も忙しくて更新できず、私的には有難い事なのですが当ブログを読まれている方にしてみれば「早く更新しろよ!」となるのは重々承知しております、理解もしております。
 正直、「ブログ、そろそろ終わりにしようか・・・」と毎年思ってしまうのですが、もうちょっと頑張って続け、そして、そのまま灰になりたいと思います。(おいおい)
 毎年変わる事のないネタの応酬である当ブログでありますが、今年2014年、平成にすると何年ですか?え~っと「26年」!そう平成26年も当ブログ「マチルダベイ シェフのブログ ~言葉の錬金術~」、何となく更新していきたいと思いますので、当店同様、よろしくご愛顧いただき、そして、以前よりは更新頻度が落ちる事もご理解いただきたい、そのようにお願いいたします。
 さて、年末は「怒涛の忙しさ」と表現するほど忙しかったわけではありませんが、それなりに、そして、以前よりも落ち着いた雰囲気の中、年末を終了する事が出来ました、ありがとうございました。
 しかし、毎年「仕事納め」と呼びたくなる「アレ」があるわけでして、それが終わらない限り「今年一年も・・・」とはいかないのです。そう「アレ」とは「お節」。
 今年は三段重ではなく一段のみで挑ませていただいたのですが、連日忙しくてお節の仕込みが出来ず、やっと着手できたのは12月29日の夜から。お引渡しは31日で、30日もご予約を頂いておりましたからほとんど時間がない中での仕込体制だったのです。
 時間がない、気が焦る、睡眠時間がない、影が出る、まぶたが重くなる、シワが気になる、ドモホルンリンクルでも塗り込んでしまいたくなる状況でしたが何とか終わる事が出来(途中、トラブルがございました。ご迷惑お掛けしました)、最後の大掃除を終わらせると31日の午後7時過ぎで、しかも、帰宅すると家族は一足早く帰省していて家には猫しかいませんでした、孤独感倍増。
 前日から何も食べていませんでしたが、1日食べないと食べるのが面倒になり大晦日は何も食べない事に決定。そのまま店に戻ってリーズナブルなワインを取りに行き、自宅に戻ってやっと落ち着ける時間となったのです。
 そうなると今度は娯楽です。笑ってはいけないようなバラエティーもありましたが、家には誰もいない、という状況の時は(大体、いつもそんな感じなんですが)、映画でも観たくなる、ものでしょう。
 幸い、自宅には「ひかりTV(フレッツひかり回線系映像配信サービス)」がありますので、とりあえず無料の映画でも観る事にしたのです。
 映画を選ぶとき、最初に考えるのは「洋画」にするか「邦画」するか、という問題がありますが、年末で、しかも、店までワインを取りに行く途中、誰とも合わなかった(勿論、知っている人はおろか、知らない人とも合わなかった)という、今自分が置かれている孤独感に拍車を掛ける状況を目の当たりにしてきたばかりでしたから心の中で「日本語が聞きたいな」と思ったのです。
 という事は「邦画」。しかし、「邦画」と言ってもその数は無数でありますからそこから何をチョイスするか、なかなか難しい問題であります。
 「年末だからな・・・今年一年にサヨナラを告げるような、そんな作品なんだろうか・・・」そんな事を考えると絞られるような気がしてきます。
 「一年にサヨナラを告げるような・・・サヨナラを・・・サヨナラ・・・サヨナラは・・・別れの・・・言葉じゃなくて・・・・・・これって・・・」もうそれだけで十分です、もうそれだけで大決定ですよ、「邦画」チョイスは。
 という事ですぐさまリモコンを手に取りジャンルから選びました。本当にそれが観たかった、とかそういう問題を通り越してノリでしかありません。そして、見つけたのです、その映画、薬師丸ひろ子主演「セーラー服と機関銃」を。
 現役女子高生が弱小と言えどもやくざの組長になる、という設定は、正直、かなり無理がありますが、小学生の頃、友達に誘われて劇場(というほどの物ではなく、普通の映画館)に観に行った覚えがありました。
 しかし、内容はほとんど覚えておらず、なぜに女子高生が機関銃をぶっ放す事になったんだっけ?くらいの軽い気持ちで観たのですが、これが考えさせられる事となったのです、年末にひとりで。
 とりあえず、映画の説明以外の感想は私個人の意見でありますから、「それは違うだろう!」という意見は受け付けかねます。
 なぜ、そんな前置きを書いてからの説明になったかと言いますと、何と言いますかねぇ、正直に言ってしまいますが、面白いと思えなかったからです。
 ストーリーの強引な部分は認めましょう、赤川次郎原作ですし映画ですから。しかし、そこを差し引いて、30年以上前の映画、というのを差し引いても「面白い」と思える部分が少なかったのです。
 軽く説明しますと、街の弱小やくざ「めだか組」の組長が亡くなるところからこの映画は始まります。組長が亡くなり、辞世の句代わりに後継指名をするのですが、それが組長の息子だったのです。
 しかし、運悪くその息子も交通事故で亡くなり、残ったのはその彼の娘、つまり、現役女子高校生である、という設定の薬師丸ひろ子嬢だったのです。
 学校まで迎えに来られてしまい、成り行きで襲名してしまうものの、対立する組との抗争、そして、「ふとっちょ」と呼ばれる麻薬組織のボスとの絡み、など主人公「星泉(ほしいずみ。薬師丸ひろ子)」を色んなトラブルが待ち受けていたのです。
 というものですが、多分、今、冷静に観直しても「面白い」とは言えないかもしれませんが、だた救いなのは豪華キャストである、渡瀬恒彦、風祭ゆき、三国連太郎、柄本明、チョイ役で柳沢しんご、が脇を固めている、という所でしょう。勿論、薬師丸ひろ子の演技は当時から出来上がってましたな。
 では、何が。わたくし考えるに脚本、演出に問題があったのではないか、と考えます。相米慎二監督の独特なカメラワークは良いのですが、映画「飛んだカップル」とカメラワークがカブっているようなところも考えさせられました。
 
「だったらお前やってみろよ!」

 いやいや、そういう問題ではなくて、観た感想をですね、まぁ、正直に、と言いましょうか、ね。でも、勿論、面白かった部分もあるわけでして、そこを聞いてくださいよ。
 最後に、組員たちが殺された復讐として星泉(薬師丸)と若頭(渡瀬)が対立する組に乗り込んで機関銃をぶっ放すわけですが、ぶっ放した後、薬師丸が言う「カ・イ・カ・ン」という名セリフがあります、当時、それが話題となったのですが、当時も今も「機関銃をぶっ放すと快感なのか?」という疑念が付きまとっていたわけです。
 しかし、今回「セーラー服と機関銃」を観てその疑念が払拭されました。
 話は長くなりますが(もう十分長い)、映画後半に「ふとっちょ」という麻薬組織の謎の人物が出てくるのですが、それは「三国連太郎」です、いや、それはいいとして、その「ふとっちょ」の娘が星泉の父親と付き合っていまして、その娘役は「風祭ゆき」です、いや、それもいいとして、その「ふとっちょ」は星泉の父親に運び屋をさせていたんですね、そして、その麻薬がなくなった事から、娘である「星泉」が持っているのではないか、と思い軽い拷問を掛けながら聞き出そうとするのです。
 その際、自分が足を失った経緯を話し始めるのです。(両足が無く車いすに乗っているが、実は失ったフリをしていた。この辺も無理がある)
 
「自分が足を失ったのは太平洋戦争の時の地雷で失った。地雷というのは踏むと爆発するのではなく踏んで離した瞬間に爆発するもんだ。私は地雷を踏んでから3日踏みっぱなしだった、離してしまうと爆発するからな。その3日、死の恐怖と隣り合わせだったわけだが、最初は死が恐怖に思えたが、最後はそれが快感に変わっていったのだよ、そう快感にな。」

 そのようなセリフがあり、プチ拷問を受けている星泉に「君に快感が判るか?」みたいなセリフを受けての最後の「カ・イ・カ・ン」になったのではないか、と私は思いました。
 と同時に、「お・も・て・な・し」もここから来たのではないか、と。(旬が過ぎてるよ)

 そんな年末を私は過ごしましたが、皆様におかれましては素敵な年末だったと思います。(もういいよ)

 今年最初のブログは「年の初め」という事もあり、400字原稿用紙約10枚分に相当します。

 今年も長文ブログで行きますのでご理解とご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。




















 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする