突き刺す風の冷たさと舞い散る雪の華麗さが年の瀬を演出し、そして、新しい年への期待を持ちながら1日1日を着実に過ごす、そんな今年最後のカウントダウンが聞こえてきそうな今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
「忙殺」という言葉がありますが、それに近い状態になりPCを開く事さえままならなくなっておりました。
ブログが書けない、いや、書ける状態ではない、というのは意外と苦痛で、自分のストレスのはけ口をブログに投影している私としましては(大げさ)活字を発信したくなるものです。
という事で、そのはけ口はフェイスブックの記事に移行していたのでした。(どれだけ「はけ口」を求めているのか)
しかし、「写真と短い文章」では不完全燃焼感は否めなく、やっと今こうして新規投稿画面を対峙しながら記事を書いているのですが、よく考えるとネタがないんですな。
「終わったけどクリスマスの話だろ!」そのようにツッ込んでいただけますとキーボードを打つ手も軽やかになるというものですが、確かにその通りですな、クリスマス期間の話でしょうね。
以前当ブログに掲載しましたが、今年から「クリスマス特別ディナー撤廃」を掲げ、「クリスマスを普通に過ごしたい方の為のレストラン宣言」をいたしました。
「クリスマス=売り上げ倍増期間」的な気持ちで料理を作って良いのか?、「クリスマスだから高い食材を使える」そんな気持ちで食材に接して良いのか?、「クリスマス期間は金額を上げても大丈夫」それは誰の了承を得ているのか?、誰の為の、何の為のクリスマスなのか、そして、それ以上に「クリスマスとは何か?」という初歩的な考えにぶつかってしまい、考えれば考えるほど苦悩し、悶え苦しみ、身体を掻き毟られる(かきむしられる)ような心の葛藤に苛まれたのです。(当然ですが大げさです)
キリスト教という宗教観を持たない日本の料理人(この場合、フランス料理に従事している私を指します)が本当にするべき事は、キリスト教を理解する努力をし、そして、「本当のクリスマス」とは何か、を考え、それを店に反映させる事ではないでしょうか。
数年前、ある雑誌にクリスマスが近づいた時の女子高生同士の会話、というのが載っていたのを読んだ事があります。
以下、会話を再現したものです。
「ねぇ、ねぇ、○○(友達の名前)、知ってる?キリストってさ、すごいラッキーなんだよ!」
「エッ?ナニナニ?!」
「キリストってさ、誕生日が12月25日なんだって!」
「え~?!マジ?、クリスマスじゃん!」
「そう!クリスマスが誕生日って凄くない?」
「い~な~、キリスト。私も誕生日がクリスマスだったら盛大に祝って貰えるのに~。」
どうですか、言葉が出ませんな。JK(女子高生の略らしい)だから許せる、という範疇ではないでしょう、国に教育要綱の見直しを求めたくなりますよ。
頻繁ではないにしてもこのような事(雑誌の記事ですが)を目にしてしまうと色んな意味で心配になりますが(心配しすぎ)、それは私も同じで、曲がりなりにもキリスト教文化圏であるフランスの料理を標榜として調理しているわけですから自分なりの宗教理解で望みたいものです。
そこで出た答えが「クリスマス特別ディナーという縛りでお客様を限定しない」というものでした。(それがキリスト教を理解した答えなのか、と言われるとビミョーですが、厳かにクリスマスを祝う、という点では理に適っていると思います)
勿論、通常営業どおりコース料理は「\4725」「\6300」とし(\3675のコースは割愛させて頂きました)、それ以上のコースをご所望される方には「\8400」「\10500」のコースをオススメする、という通常と変わらぬ姿勢にしたのです。
もしかするとご批判を頂くかも・・・そのように思って望んだのですが、ご予約のお客様からは「締め出されたような疎外感を味わっていたから歓迎」「柔軟に対応する事が大事」「お前の店は普段から高いからそれで良いのだ」といった声を頂き、そして、連日満席、という有り難い状況になりました、ありがとうございます。
まぁ、当店はそのようなクリスマスでありました。
今回はご報告記事、ということでご容赦ください。
そして、今思い出しました、書こうとしていたネタを。
これを書き始めたら長くなりますぜ。(普段から長いだろ)
また、こんな調子で当ブログが進みますからこれからもよろしくお願いします、ね。
「忙殺」という言葉がありますが、それに近い状態になりPCを開く事さえままならなくなっておりました。
ブログが書けない、いや、書ける状態ではない、というのは意外と苦痛で、自分のストレスのはけ口をブログに投影している私としましては(大げさ)活字を発信したくなるものです。
という事で、そのはけ口はフェイスブックの記事に移行していたのでした。(どれだけ「はけ口」を求めているのか)
しかし、「写真と短い文章」では不完全燃焼感は否めなく、やっと今こうして新規投稿画面を対峙しながら記事を書いているのですが、よく考えるとネタがないんですな。
「終わったけどクリスマスの話だろ!」そのようにツッ込んでいただけますとキーボードを打つ手も軽やかになるというものですが、確かにその通りですな、クリスマス期間の話でしょうね。
以前当ブログに掲載しましたが、今年から「クリスマス特別ディナー撤廃」を掲げ、「クリスマスを普通に過ごしたい方の為のレストラン宣言」をいたしました。
「クリスマス=売り上げ倍増期間」的な気持ちで料理を作って良いのか?、「クリスマスだから高い食材を使える」そんな気持ちで食材に接して良いのか?、「クリスマス期間は金額を上げても大丈夫」それは誰の了承を得ているのか?、誰の為の、何の為のクリスマスなのか、そして、それ以上に「クリスマスとは何か?」という初歩的な考えにぶつかってしまい、考えれば考えるほど苦悩し、悶え苦しみ、身体を掻き毟られる(かきむしられる)ような心の葛藤に苛まれたのです。(当然ですが大げさです)
キリスト教という宗教観を持たない日本の料理人(この場合、フランス料理に従事している私を指します)が本当にするべき事は、キリスト教を理解する努力をし、そして、「本当のクリスマス」とは何か、を考え、それを店に反映させる事ではないでしょうか。
数年前、ある雑誌にクリスマスが近づいた時の女子高生同士の会話、というのが載っていたのを読んだ事があります。
以下、会話を再現したものです。
「ねぇ、ねぇ、○○(友達の名前)、知ってる?キリストってさ、すごいラッキーなんだよ!」
「エッ?ナニナニ?!」
「キリストってさ、誕生日が12月25日なんだって!」
「え~?!マジ?、クリスマスじゃん!」
「そう!クリスマスが誕生日って凄くない?」
「い~な~、キリスト。私も誕生日がクリスマスだったら盛大に祝って貰えるのに~。」
どうですか、言葉が出ませんな。JK(女子高生の略らしい)だから許せる、という範疇ではないでしょう、国に教育要綱の見直しを求めたくなりますよ。
頻繁ではないにしてもこのような事(雑誌の記事ですが)を目にしてしまうと色んな意味で心配になりますが(心配しすぎ)、それは私も同じで、曲がりなりにもキリスト教文化圏であるフランスの料理を標榜として調理しているわけですから自分なりの宗教理解で望みたいものです。
そこで出た答えが「クリスマス特別ディナーという縛りでお客様を限定しない」というものでした。(それがキリスト教を理解した答えなのか、と言われるとビミョーですが、厳かにクリスマスを祝う、という点では理に適っていると思います)
勿論、通常営業どおりコース料理は「\4725」「\6300」とし(\3675のコースは割愛させて頂きました)、それ以上のコースをご所望される方には「\8400」「\10500」のコースをオススメする、という通常と変わらぬ姿勢にしたのです。
もしかするとご批判を頂くかも・・・そのように思って望んだのですが、ご予約のお客様からは「締め出されたような疎外感を味わっていたから歓迎」「柔軟に対応する事が大事」「お前の店は普段から高いからそれで良いのだ」といった声を頂き、そして、連日満席、という有り難い状況になりました、ありがとうございます。
まぁ、当店はそのようなクリスマスでありました。
今回はご報告記事、ということでご容赦ください。
そして、今思い出しました、書こうとしていたネタを。
これを書き始めたら長くなりますぜ。(普段から長いだろ)
また、こんな調子で当ブログが進みますからこれからもよろしくお願いします、ね。