「子ゆえに迷い、子ゆえに悟る。」 坪内逍遥
今回の記事は、私の実家で起きた事(それほど大変なことではないのですが)とそれに対する何となく思った超個人的な内容になっておりますので読まれて「内容自体無理!」と思われた方は遠慮なくスルーしてくださいますよう宜しくお願い致します。
話は10年ほど前に遡るのですが、私の父が「かろうじて記憶はあるけどこれは認知症ですね」的な、まだそんな状態の頃(この後もっと大変になるのですが)、母が「うつ病」と診断され入院を余儀なくされた事がありました。
私の住んでいる山形市から車で約1時間ほど離れた実家には両親しか住んでいませんでしたから、店が休みの日、当時一人で暮らしていた(になってしまった)父のために実家に帰って料理を結構な量作って一緒に食べて(酒も飲むんですが)残った料理は小分けにして冷蔵または冷凍して「ちょっとづつ温めて食べて」と言い残し帰る、というのが2ヶ月くらい続きました。
1週間後また実家に帰り父本人に「何か食べたいのあるか?」と聞いても「お前が作ってくれれば何でもいい」と言うのですが、明らかに減っている料理と減っていない料理があるので、「酒でも飲ませて聞き出すか」と思い(短絡的)飲みながら聞いても「何でも良いんだ」の一点張りなので、病院に見舞いに行ったついでに母に聞いてみると「結構カレーが好きみたいだ」と重要証言を聞き出すことが出来ました。
いつも切り昆布やひじきのシーウィード系煮物や魚の煮付けなどを作っていたため(そういうのが好きだと思っていたので)、「カレー?」と意外な料理名が飛び出したことに少し驚き、年寄りだからといって若者のイメージがある料理を選択肢から抜いていたのは申し訳なかったな、反省をしつつ、自分がどれほど父の好みを知らなかったのか、を思い知らされたのです。(相変わらず大げさです。若い時から実家に帰っていなかったので、という言い訳を当時自分自身にしましたけど)
その後、母は無事退院しましたが数年後父の認知症はグレードアップし今度は「介護うつ」になった母を父と一緒に入院させる事となり、何だか訳分からなくなった私も以前の店「マチルダベイ」を閉店して介護しようと思うに至ったわけです。(それは言い訳で店がダメになったのだろう、というお言葉は数件頂戴しましたが、当時はどうでもよかったです)
それはいいとして(良くはないのですが、一応、経過説明でした)、現在父は他界し、実家には母が一人で暮らしており、また休みのたびに帰り食事を作っていてまた同じ問題にぶち当たった、と言うわけです。
毎回作る度に「これは好きそうだな」とか「これはイマイチなのか…」とか色々考えさせられます。
数ヶ月前、「かん」に濁点の付くような病気になってしまい、その流れでまたうつ発症、というのもあるのですが食欲がないようで、そこも食事を作る難しさに繋がっているのです。
最近は「ここでちょっとだけ刺身でも出しとけば喜ぶ」とか「旬の野菜をお浸ししとけば何とかなる」「何気に肉も好きみたいだ」などのデータが取れたのでそれを駆使して作っています。
ただ、料理的にある程度の量を作ることになるのでそれなりの量を作ると「こんなに食べれない!」と精神的負担になるらしく(うつなので)作っているところを見せないでちょっとだけ器に盛って本人に出さなければなりません。鶴の恩返し的に作っている現場を見せない方法論です。(大げさです。それなりの量を作って持ち帰ってますけど)
肉親といえどピンポイントで好きなものを、食べたいタインミングで作るのって難しいな、と今更ながらに思っているわけですが、この経験が仕事に良い作用をもたらしてくれれば、と願うばかりです。
訪問介護の方にもお世話になっていて週一でしか実家に帰っていないので「介護している」とは言い切れないのですが、ちょっとでも役に立てれば、いいんですけどねぇ。
因みに、「オレって何が好きなのかな?」と自問自答したら即答できませんでした…
とりあえず「ワイン」は好きです…(バカ)