ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

久々に本を読んでみると、それが頭から離れない

2012-08-31 21:49:35 | Weblog
 じんわりとした暑さが徐々に弱まっているような、いや、弱まっていると願いたいような、そんな気持ちになっているのは夏が終わりに近づいているからかも知れませんが、もうひと暑さ来そうな感じも否めない今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 「そろそろ涼しくなりそうだな・・・」と思っても「いやいや、世の中、そんなに簡単に行かないだろう・・・」と前言を打ち消すように微妙に用心深く考えるのは、最近読んでいる本のせいではないでしょうか。
 昔、何となく買って読んでいなかったその本をふと見つけて読み始めたのは先日の休みの日でした。
 最近活字に触れる事がなかったものですから新鮮に感じ、そして、その内容にハマっていったのです。
 一度疑問に思った事を徹底的に洗い出し、そして、裏づけする事に特化する、簡単に言えばそんな内容ですが、時代背景の描写や文章の組み立てが面白く、「この先どうするのだ・・・」と思いながら読むと止まらなくなってしまう、流石ですぜ!巨匠、松本清張先生!そして、読ませるぜ!「点と線」!
 犯人と思しき(読み途中の時点では)人物がアリバイで電車(当時は“汽車”という記述もある)を多用しているので複雑ですが、犯人と思しき人物の奥さんが寄稿した、という設定の随想には、時刻表は下手な小説より面白い、という事に触れ、時刻表を見ながら架空の旅をする、と話を膨らませながら沿線の駅名を読む楽しさを提唱しておりました。
 その中に「新庄」「余目」などという山形に関係のある駅名が出てくると「嗚呼、松本清張先生は山形にも目を向けてくれたのですね!」と思わずにはいられません。
 推理物のジャンルでは「アリバイ崩し」となるのだそうですが、それを読んでしまったからでしょうか、何気ない光景すらも特別に思えてくるものです。
 例えば、仙台行きのバスを待っている人が目に入ると、

「若者の中にサラリーマンと思しき男性がひとり肩から鞄を下げて待っているな。もしかすると彼はただのサラリーマンではなく、××省の課長補佐かなんかで、あの鞄の中には重要書類が入っているのではないか。という事は、その重要書類をY氏に渡した後、彼は連れ去られ、三陸の海に沈められ、自殺に見せかけたやり方で殺されたりして・・・。ハッ!その男性の後ろの女性が腕時計を見た!ははぁ、彼女は料亭「小雪」の女中「お時さん」だな、確か料亭「小雪」は××省が接待で使っていた料亭。その繋がりか・・・、という事は、2人は何者かに仙台へ誘い出され、「情死」に見せかけられて殺される可能性がある!何とかして知らせなければ!どうすればいいんだろう・・・どうすれば・・・」

 などと考え込みながら歩いてしまう為、「そっちの方がよっぽど怪しいだろ!」とツッコまれてもおかしくありません。
 あの手の本(この場合「松本清張先生」の本です)は読み始めるとハマってしまい頭に残ってしまうため、その感覚が薄らいでいくまで時間が掛かります。
 10代の頃に同じ松本清張先生の「小説 帝銀事件」というのを読んだのですが、時代背景や731部隊の事が理解できず、遡って(さかのぼって、という言葉が適切なのかは疑問ですが)森村誠一氏の「悪魔の飽食」を読んで関東731部隊を勉強してから「小説 帝銀事件」を読み直した、という事がありました。
 そこまでドップリ「帝銀事件(帝国銀行毒物強盗殺人事件)」に浸かってしまうと、全ての不可解な事が「GHQ絡みか・・・」などと思ってしまい(もうその頃はGHQは解体されておりましたけどね)、事件の事が頭から離れませんでした。(大げさ)
 
 だ、ダメだ・・・ブログを書いていても松本清張先生の文章が蘇ってしまう。

 これを打破するには違う本を読んでリフレッシュしなければ。

 確か、買っていて読んでない本は・・・

 夢野久作「ドグラ・マグラ」・・・

 これも一緒だな、多分。










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飲食関係者なら判るはず、業務用総合食品店が楽しい事を

2012-08-28 22:45:23 | Weblog
 今日の午前中、某業務用総合食品スーパーへ「クミンシード」と「がんこたわし 厨房用」を買いに行ったのですが、久々に行って売っている物や買っている人を観察すると「意外と楽しい所だな・・・」と思わずにはいられませんでした。
 「業務用梅くらげ」や「業務用たくあん」などは関係ないのでスルーしますが、目当てのスパイス類の他、洋物食材コーナーは見ていて楽しいものです。
 オリーブオイル、アンチョビ、ピクルス、ヴィネガー、マスタード・・・と見ていくうちに“ソース缶詰コーナー”に行き着き、そして、そこで「意外に、揃っているな・・・」と思ってしまったのです。
 揃っていたのはこの缶詰。

①アメリカンソース

②フォン・ド・ヴォー

③デミグラスソース

④グラス・ド・ヴィアン

⑤フュメ・ド・ポワソン

⑥フォン・ド・レギューム 

 というラインナップでした。

 では、どういうものなのか①から説明していきましょう。

 ①の「アメリカンソース」は仏語的読みにすると「ソース・アメリケーヌ」となりますが、缶詰にはカタカナで「アメリカンソース」と銘打っているその下にさりげなく仏語で「Sauce Americaine(ソース・アメリケーヌ)」と表記されておりましたから「読みもそれでいいだろ!」と思わすにはいられませんでしたな。
 「ソース・アメリケーヌ」は直訳すると「アメリカ風ソース」となるのですが、本来の意味は「アメリカ人が好きなソース」という事らしく、海老好きなアメリカ人のため、オマール海老でソースを作ったソースであります。
 
 ②の「フォン・ド・ヴォー」は「子牛のだし汁」の事で、肉又は魚のソースに使用するだし汁であります。つまり、「フォン」とは「だし汁の事なんですな。

 ③は言わすと知れたものですが、「デミグラスソース」の本当の意味を知っている人は少ないのではないでしょうか。
 「デミグラスソース」の前身は「ソース・エスパニョール」というものですが、これはクラシックすぎて作った人はいないでしょう。
 老舗フランス3つ星レストラン「グラン・ヴェフール」の元オーナーで「料理の教皇」と言われた「レイモン・オリヴェ」氏は著書「オリヴェ ソースの本」の中で「デミグラスソース」の事を「エスパニョール(ソース・エスパニョールの事)の灰汁(あく)をすくい何度も漉したものがドミ・グラス(デミグラス)」と言っておりますからクラシックから派生した由緒正しきソース、と言えるでしょう。
 因みに、「デミグラスですか、それともドミグラスですか?」と読み方を気になさる方がいらっしゃいますが、正式には「ドゥミ・グラス」です。
 仏語で「ドゥミ」は「ハーフ」つまり、「半分」を意味し、「グラス」は「固まる」を意味しますから「ドゥミ・グラス・ソース」は「少し固まっているソース」となります。
 これは、ソース自体が冷めるとゼラチン質などで表面が光沢を出して固まるからその名が付いた、とされています。
 因みに、私は「デミグラス」と呼んでいます。チョコレートと同じで「すみません、チャクレ(チョコレートのネイティブに近い発音)ください。」って言えないですよね。

 ④の「グラス・ド・ヴィアン」ですが、これは「フォン・ド・ヴォー」を煮詰めて濃度を高くしただし汁であります。
 先ほどの「デミグラス」の意味でいきますと、「グラス」は「固まる」、「ド」は「接続詞」、「ヴィアン(ヴィアンド)」は「肉」となりますから直訳すると「肉の固まり」となりますが、意訳すると「肉の風味が強い固形状になっただし汁」となります。
 「フォン・ド・ヴォー」を煮詰めている分、風味が強いのでソースに加えると煮詰める必要がありません。それくらい旨みが強い、という事になりますが、その分、金額も凝縮されているわけですな。

 ⑤の「フュメ・ド・ポワソン」は「魚のだし汁」でありますが、「ヒュメ」は風味や香り、といった意味を持ちます。なぜ「フォン」ではなく「ヒュメ」なのか、と言いますと、「フォン」ほど長時間煮込んだりしないためです。
 サッと煮込み、香りや風味を移しただし汁、そんなクリアなイメージがその名にさせたと言えるでしょう。
 因みに「fumet」だと「ヒュメ(香り、風味)」ですが、「fume’」だと同じ「ヒュメ」でも「燻製」という意味になりますからお気をつけください。

 ⑥、これが今日最大の疑問でした。「フォン・ド・レギューム」は直訳すると「野菜のだし汁」であります。
 少し前ですと「クールブイヨン」と呼んでいた物ですが、今では「フォン・ド・レギューム」又は「ブイヨン・ド・レギューム」と呼ぶようになりました、時代の流れなんでしょうな、野菜の味を前面に出すだし汁が出たのでは。
 当店でも常備しておりますが、ハーブなどは多用せず、玉葱、人参、セロリ、ローリエ、パセリの軸、ホワイトペッパーホール、などでシンプルに取っています。
 ですから、それを缶詰に求めてしまうのはなぜなのか、最大の疑問となりました。
 「フォン・ド・ヴォー」や「コンソメ」なら時間が掛かるから缶詰、というのも理解できますが、野菜のだし汁くらいは自分で取っていただきたいものですな。

 そんな事を思い、それを横目で見ながら買い物をしたのですが、当店では「デミグラスソース」以外、自分で作っておりますから購入する必要がありません。(デミグラスソースは使用しないので仕込む必要がありません)

 缶詰は使用した事がありませんが、食べればすぐに判ります。

 美味しすぎるんですよ、缶詰は。

 決して「不味い」から使わないのではなく、美味しすぎて調整できないから使用しないんです、そのところをご理解くださいね。

 買い物籠に「クミンシード」と「がんこたわし 厨房用」を入れてレジに並んだところ、前で会計をしている人の籠を何気に見ると2リットルのヴァニラアイスを4つ買っている人がいました。

 40代の女性でしたが、飲食関係なのでしょうか?

 そんな事も観察しつつ、今日の仕込みも考えるのでした。

 ん~、やっぱり楽しい所かも、業務用総合食品店は。










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料理というのは当たり前の事をそれ以上に出来るか、にかかっている

2012-08-24 22:54:10 | Weblog
 先日、「オヤジ料理スペッナズ養成機関」つまり、「男だけの料理教室」だったのですが、メインの実践作業は「野菜を切る」でありました。
 「野菜を切る」と言うと簡単そうに聞こえますが、正確に、切りながら作業性も重視して、となると意外と難しく、ややもすると「そこまで拘ら(こだわら)なくても・・・」という甘えた考えが出てきますから気をつけなければなりません。
 その日の切った野菜の料理は「鶏肉と野菜のオリエンタル風サラダ」という、千切り野菜、スライス野菜、棒状に切った鶏肉、などをエスニック風なオイルを使わないドレッシング(ノンオイルドレッシング、というと市販の物っぽいのでこう表記します)で和える、という簡単なものですが、その前仕込みの野菜や材料を「切る」という作業が難しいわけです。
 私の好きな(というか好きになっている)料理番組「MOCO'Sキッチン」でもやたらと千切りするシーンが出てきますが、ただ漫然と千切りする事は誰にでも出来ますから、我が訓練生ならそれ以上を目指し、「素人ですから・・・」などという言い訳をしない覚悟で臨みたいものです。(失礼、もこっちゃん)
 私は野菜の場合、均等に切れているか否か、というのは切った後の野菜の散乱具合を見ればわかる、と考えております。
 例えば、玉葱ですとスライスしながら均等かそうでないかは切りながら判ると思いますが、それ以上にスライスした玉葱が散乱してしまう場合はスライスした厚さが不均等である、と考えなくてはなりません。
 「別にいいじゃないですか、それくらい・・・」と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、それではイカン!イカンのですよ、それでは!
 何が「イカン」かと言いますと、厚さが不均等な玉葱を炒めてみてください、火が通り過ぎて玉葱の甘みが強くなる部分と、火が十分と通らず辛味が残る部分、つまり、同じ炒め時間で全く味の違う玉葱が出来上がってしまいます。
 そういう不均一なものを「人間味」という言葉に置き換えようとする人もいるでしょうが、それは、均一に切れる技術があるのに「敢えて」、というのを前提としている、と考えなくてはいけませんし、そうでなければおかしいです。
 そういった話から始まった「オヤジ料理スペッナズ養成機関(ちょっとハードルの高い料理教室です)」、訓練生は4人ですが、みんな一応、真剣です。
 当料理教室は、調理実践も大変ですが、その後「復習している」というのを前提に次のメニューが組まれていきますから自宅でやらないとすぐ置いてきぼりになってしまう、というある意味、サディスティックな料理教室であります。
 実は極秘裏に第2期生も募集しているのですが応募がないのが玉に瑕ですな。(当たり前だろ!)
 実際やる調理が緊張して疲れる、という声もありますが、それ以上に、その後の「試食」という名の「宴」が一番疲れたりしますから月に一回しか実施できません。
 実際、当訓練生の「社長」という肩書きを持つ人は、月曜日の会議を火曜日に移動させたくらいですから相当なものでしょう。(料理教室は日曜日に実施しております)
 実は、稀に「男だけ、があるなら女性だけの料理教室というのはやらないんですか?」というお話も頂くのですが、人が集まればやらなくはないです、ないですが、男から料理を作ってもらう方がいいじゃないですか。女性的に。そうなると男を鍛えなければ、という思いが強くなるんですよね、私は。
 
 それと、前にも記しましたが、試食からの参加(参加費別途必要)、というのもありますからご興味のある方は事前にご連絡いただければ実施日をお教えいたしますので、如何でしょうか。

 試食からの参加、という人がいれば訓練生の為にもなりますし、私は大歓迎なんですがね。

 ただ、ひとつだけ問題が・・・

 先ほども書きましたが、試食の時間が長いです。

 それと、皆さん相当ワインを摂取しますのでその覚悟でよろしくお願いいたします。

 これを書いてしまうと試食参加の人も来なくなるのか?













 
 
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夏休み終わり間近になると憂鬱になる者がいる。よし、その手助けをしよう

2012-08-22 21:27:02 | Weblog
 先週末くらいからの日に日に上昇する気温を体感すると「残暑、厳しき折・・・」という枕詞を何にでも付けたくなる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 この「イタチの最後っ屁」のような8月後半に入ってからのむせ返る暑さは何なんでしょうか?秋に突入したくない!と駄々をこねているようにも感じられます。
 早く暑さもフェードアウトしていただきたいものですが、一昨日辺りからフェードアウトしかけて昨日で完全に終わりを迎えたのは「夏休み」なのではないでしょうか。
 私が子供の頃は、「夏休み最終日」は「宿題総仕上げ」の日であり、同時に「宿題諦めの日」でもありました。
 子供である為、1ヶ月の長さを把握しきれず、「まだ大丈夫・・・」と思っていたら後半1週間を切り始め、「そろそろ取り掛かりますか・・・」などと思っていてもテレビが気になって本気になれず、休み残り3日になって着手してみるとどう考えても終わらない事が判明して半ば諦めてテレビを見て、最終日に本気で「ヤバイ・・・」と思い「今夜は徹夜だな・・・」と意を決してみるものの、不覚にも寝てしまい新しい学期の朝が来て「フッ、もうどうなっていいよ・・・」と開き直ってしまう、こんな感じでありました。
 誰でも陥りがちな「夏休みの風景」ですが(陥っていない人も沢山いるでしょう)、そのパターンと全く同じ道筋を歩いて行こうとする、そんな棘(いばら)の道をあえて選んで歩もうとする若者を目にしました。
 あまりにも私と同じ夏休みの苦悩を味わっているので一瞬、「デジャブ」かと思ったのですが、現実でした。その若者の苗字は「藤原」。私の息子であります。(小学4年生)
 最終日前日、彼の宿題進行状況を確認した所、終わっていないどころか、折り返し地点をちょっと過ぎた、くらいでビックリしてしまったのですが、よく考えてみれば私の息子、当時の私もそんな感じでした。
 その日は店は定休日でしたから、朝から彼に付いて学習指導をする、と決めたのです。
 「掛け算の筆算」「割り算の筆算」「億単位の計算」などはまだ私でも理解できる範疇ですから教えれるのですが、途中、息子から「億、なんて単位は良く判らないし、使う事あるの?」という質問を頂きましたから私なりに説明しました。
 それは、億単位の引き算の問題の途中でしたから、

「いいか、現実的に考えると理解できると思うよ。例えば、お父さんのサマージャンボ宝くじが当たって5億円が入りました。そのお金で家族みんなの為に家を購入します。土地建物込みで6000万円。余りデカい家を建てると嫉妬されてしまうからこのくらいでいいと思います。次に、物件取得料を200万円、税金など300万円払いました。次に店の改装費に1000万円使いました。ついでに車も買いました、控えめにプジョーにしときましょう、フランス車ですから。これは保険なども込み込みで500万円。最後に、都市銀行株、一株300円の物を100万株買います。さ~て残金はいくらかな?」

「わかんないよ・・・」

「答えは1億2千万円です。」

「え~!?そんなに残るの?」

「そうです。でも実際今までに当たった最高額は3900円ですからご安心ください。」

「な~んだ・・・」

「まぁ、それはいいとして早く勉強しろよ。」

「・・・・・」

 このような会話をしながら彼の勉強の手助けをしたのです。(邪魔をしていた、という声もありましたが)

 朝9時から始まった宿題タイムは昼過ぎ1時で一旦休憩。

 暑いから蕎麦でも食べに行こうか、という事になり、近所の某蕎麦店へ。

 歩いていく途中、

「いいか、これからは計画を練って勉強をしろよ。遊びたい気持ちを抑制してこそ人は成長するものですよ。」

 などと説教しながらも、蕎麦屋へ着いた途端、ビールを注文し、息子に溜息を付かれてしまう私。

 いいか!息子よ!蕎麦屋でビールを注文するのは、蕎麦屋の本当の使い方をお前に教える為なのだ!

 だから、いいだろ、日本酒も追加して、ね。

 その後、帰宅して私は昼寝をしましたが彼はせっせと残りの宿題をしていたようでした。

 ん~、身をもって教える事が出来て感無量です。














 
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「冷やし」な料理はインプロヴァイズ(即興)では成り立たないと思う

2012-08-21 22:56:42 | Weblog
 「残暑」という言葉が脳裏に焼き付いて離れないほど蝉の断末魔にも似た鳴き声が響き渡り、熱気でユラユラ揺れるアスファルトもその後押しをしているような、そんな今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 朝、蝉の鳴き声で目が覚めるのは夏の正常な起き方なのかもしれませんが、時間が経つにつれ「ミィ~ンミンミン・・・・」という声が、「ジジジジジジジ・・・・」という声に変り、それに呼応するかのように周りの蝉も鳴き出すと「ウルサイ!竹島と尖閣諸島は日本固有の領土ですよ!」と、何となく言ってしまうものです。
 それはいいとして(いいのかよ)、こんな暑い日が続きますと食欲も落ちる、というものですが、かといって冷たい食べ物に頼りすぎるのも考え物です。
 当店から歩いて2分ほどの「元祖冷やしラーメン」の店の前には長蛇の列が遠くからでも見て取れ、「冷たいラーメンを食べる前に熱中症になったりしないのか?」と心配してしまうほどでありますが、山形名物ですから「食べておく」に越した事はありませんな。
 最近、「冷やし」を謳う食べ物が色々出てきておりますが、先日、私が食べた「最新冷やし物」は、「冷やし麻婆豆腐サラダ」という独走態勢をキープしているサラダでありました。
 勿論、居酒屋さんでのメニューですから飲んだ勢いでなければ注文はしなかったでしょう。
 オーダー後、どういうものが運ばれてくるかマネージャーと考えたのですが(マネージャーとの反省会での出来事)、

①豆腐サラダの上に辛いソースが掛かっている。

②冷えた麻婆豆腐の上にサラダが乗っている。

③冷えた麻婆豆腐をミキサーにかけてソースにし、サラダの上に流している。

④凍らせた麻婆豆腐をスライサーでスライスしてサラダの上に飾っている。

⑤麻婆ソースが絡んでいる野菜に豆乳ベースのドレッシングが掛かっている。

 メニューに写真が載っていましたからどう考えても①なのですが、どうせなら④くらいトリッキーな物でお願いしたいしたかったですな。
 因みに、①が目の前にやって来まして実食してみましたが、正直に言いましょう、試作段階から抜け出せていない感がタップリでありました。
 改善の余地はそれなりにあると思われますから何卒、ご再考の上、新たな「冷やし麻婆豆腐サラダ」をメニューにリストオンしていただきたいものです。
 「冷やしもの」は意外と考えるのが難しく、そして、それを調理するのも簡単ではないのではないでしょうか。
 温かい物を冷やせばそれでOK、という簡単な考え方ではありませんから冷やすには冷やすなりに持論を展開し、確固たる「冷やし」メニューを考えなくてはありません。
 例えば、「冷たいおでん」というのを考える時、普通におでんを作り、それを鍋ごと冷やす、という考えもありますが、その一歩先の作り方も考えたいものです。
 冷たいおでん種の「豆腐」は、昆布と酒、水、塩、少量の醤油と共に弱火で煮含めて、常温に冷まし、更に冷蔵庫で冷やします。
 冷たいおでん種の「大根」は鰹出汁に醤油で味付けした汁で柔らかく煮含め、常温に冷まし、更に冷蔵庫で冷やします。
 冷たいおでん種の「昆布」と「牛スジ」は牛スジを2回茹でこぼしてから、鰹節の血合い(塊)と共に煮込み、3時間経ったらぬるま湯で戻し、ねじった昆布を投入し皿に1時間煮込み、鰹節の血合いを引き上げて更に煮込み、常温に冷まして冷蔵庫で冷やします。
 皿に豆腐、大根、昆布、牛スジを盛り付け、豆腐の出汁、と大根の出汁を足して一度沸騰させ、冷ましたものをかけて上に小葱の小口切りを散らして完成です。

 こういうのはどうでしょうか?

 夏の暑さで文章が全く浮かばず、この記事も書いていて「何で冷やしおでん?」という思いで書き切りました。

 仕込中暑い→営業開始→ヒートトップレンジの近くで暑い→バックヤードも暑い→パソコンの近くも暑い→文章が浮かばない→元々ネタも切れている→文章が浮かばない、という負の連鎖ですのでご了承ください。

 ブログネタ(料理ネタも含みますがそれ以外の方が多い)も補充したいと思っているのですが、どうしたいいんでしょうね?

 とりあえず、来週あたり、一人旅にでも出掛けますかね。

 といっても近場ですがね。













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串打ち的「魚の塩焼き」を改めて深く考えてみると楽しさが残るはずだ

2012-08-15 22:51:53 | Weblog
 「お盆」で使われたであろう線香の匂いが微かに街の中に残っており、その線香の余韻を感じながら黙祷しなければ、と日本の心が表われてしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 一昨日、昨日とお盆休みの連休を頂いた当店ですが、今日、街中を歩いていたら小型バスを改造した白塗りの街宣車が大音量で軍歌を髣髴させる曲を流して走っておりました。
 「8月15日だからな・・・」と、遠い目をしながらも改造バスの中を見ましたところ、パンチパーマと思しき現代古風なヘアースタイルのお兄さん達が運転&同乗しておりました。
 「それもまた、8月15日だからな・・・」と益々遠い目になってしまったのですが、例の旗や例のマークを誇示して本当に憂国になっているのであれば先日から騒ぎになっている竹島問題、尖閣諸島問題について右投げ過ぎない程度での街頭演説をし(警察へ事前の申請が必要です)、国民に理解してもらう事の方が大事ではないか、と思うのです。(8月15日の事も忘れてはなりませんよ、基本的に)
 これ以上書いてしまうと「お前、やっぱり・・・ライトウイングか!」と深読みされてしまう可能性がありますからこの辺にしておきますが、そんな事はありません、自分の住んでいる国の事に関心を持つのは当然だと思うのですがね。
 こんな事を書いてしまうのも「8月15日」がさせる事なのか、と大げさに考えてしまっても構わないんじゃないでしょうかね、今日くらいは。(8月15日が何の日か判らない人がいない事を前提に書いております)
 
 さて、話は変わりますが、先日、私の息子の「親子レクレーション大会」というのが催され、その開催時間が朝早くからだったため参加する事が出来たのです。
 思い起こせばその手の行事にほとんど出ない私は、奥さんから「仕事に逃げ込む男」「協調性のない男」と野次られ、たまにその手のものに出ると疎外感と脱力感が禁じえない状況になるのでした。(大げさ)
 今回の行事は先に書いたように朝が早くからの開催ですからそれをこなしてからすぐに帰宅し、シャワーを浴びて仕事に行けるな、と判断しました。
 行事の内容が「釣り」としか聞いていなかったので、近くの釣堀りで・・・かな?と思っておりましたが、ちょっとでありますが高速に乗り、微妙に遠いような「渓流釣り」という名の「渓流風釣堀り風」的なところでの開催でありました。
 「野外での活動が著しく似合わない男選手権国際大会」というのがあれば間違いなく日本代表選手団にリストオンされるであろう私でありますが、釣った後の魚の処理は負ける気がしませんし、その後の「焼き」の作業に至ってはキチンとした考えを持って臨みたいものです。
 魚釣り自体は「6本(私が4、息子が2)」とそれほどでもなく、息子は「全然連れなかった・・・」と落胆の声を漏らしていたのですが、「いいか、魚に串を打って焼く事を考えれば6本程度が管理しやすい本数なんだよ。」と仕事モードな慰めをし、私だけ魚の処理に入りました。
 息子に「友達と遊んできたら?」と言って魚の処理をさせなかったのは、エラの除去と内臓を取り出す作業を速やかに終わらせ、魚に手の温度を伝えない為です。
 そして、「串打ち」。魚への串打ちは2通りあり、「口から串を入れ中骨を絡ませるように打つ」打ち方と「エラ脇から串を刺し、皮を貫通しながら泳いでいるように魚体を湾曲させるように打つ」打ち方があります。
 今回は釣った魚が「岩魚」という川魚であったため、私は前者を採用しました。というのも、焚き火の周りに串打ちした魚の頭を下にして立てて焼く場合、「なぜ、そうするのか」という考えがなければ意味がありません。
 岩魚は鮎と違って雑食なため養殖と言えども昆虫などを食べている可能性があります。(天然の岩魚は昆虫が主な餌です)
 つまり、餌の臭みが身体に回っているわけですからその臭みを取らなければなりません。
 そうすると、口から串を入れて中骨を絡ませるように打ち、皮になるべく穴を開けないような串打ちをして、焼いている時に逆さにした岩魚の口からその臭みの液体を出してあげる焼き方をしなければなりません。
 魚体を湾曲させた方が波打っていて見た目には美味しそうなのですが、焚き火を熱源とする場合、火のムラもありますから焼きムラが出る恐れがあります。(湾曲させた打ち方の場合は熱源を炭火にすると遠赤外線効果で焼きムラが最小限にとどめれる、と考えられます)
 そうなると、岩魚の皮に最小限の穴しか開けないで火にかざし、その輻射熱で皮を張らせ、焼きムラがないよう火の強弱を利用して均等に焼き上げる事が大事になってきます。
 イメージとしては、熱により魚の皮が張り、中の身の水分で蒸し上がるような、そして、臭みは余分な水分と共に口から流れ落ち、皮はサクッと仕上がり、身はふっくら、しっとり火が入り、臭みは感じられないのが理想でしょう。焼き上がりの理想を持っているか持っていないかで出来上がりは違ってきます。

 そんな事を思いながら、息子に一切手を出させず焼き上げた「岩魚の塩焼き」は、本人判断で70点、と言ったところでしょう。

 減点の30点は何かと言いますと、「火を熾すのに時間が掛かった」「火床の組み方が今ひとつだった」「化粧塩がうまく付いていなかった」という点でしょうか。

 その辺をクリアすると、もっと良く焼けたのではないか、と帰りの車中で反省してしまった次第であります。

 「お前、そういう事って、他の家族に説明したのか?」

 そのようなお言葉を頂きそうでありますが、スミマセン!他には他のやり方があると思って黙々とひとりでその作業に没頭していました!

 「親子レクレーション」だったのですが親睦を図れたのか疑問であります。

 でも、魚の焼きに関して詰めて考えさせてもらったので、私的には楽しかったですけど・・・

 まぁ、楽しみ方は色々、という事でひとつ、ご勘弁を。















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夏になると思い出す事がある。それは恐怖体験という名の出来事

2012-08-10 23:47:32 | Weblog
 もうすぐ「お盆」という、先祖、又は亡くなった方の魂を自宅に迎えるジャパニーズイベントが開催されますが、「そんな時、何かが起きるかも知れない・・・」と稲川淳二風に言いたくなる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 お盆ど真ん中の「8月13日」は月曜日で定休日と重なりますからお休みを頂きますが、その日は実家へ帰り墓を掃除しなければなりません。
 墓を掃除→お参り→魂を持ち帰り→線香上げる→自宅で酒飲み、と一連の流れは、「酒を飲む為に墓を掃除するのか!」と言われても仕方ないくらいであります。
 しかし、勘違いしてはいけません。酒を飲むのは自分たちが楽しむ為ではなく、亡くなった方たちの話をし、そして、思い出してあげる事が魂の供養になるのです。
 女流画家であるマリー・ローランサンも「(前章略)死んだ女より悲しいのは、忘れられた女です」と詩に残しているくらいですから亡くなった方を忘れてはいけません。(ちょっと意味が違うんですけどね)
 その為に飲むんです、その為だけにですよ!(ちょっと言い訳がましい)それ以外の目的は全くありません!(言い訳がましい)ビールで先祖を思い出し、ワインで最近亡くなった人を思い出し、日本酒で何の為に飲んでいるか思い出し、次の日、昨晩の事を思い出す努力をし、と色んな事を思い出すために飲むんですよ!(完全に言い訳)
 そして、お盆の時期になると出てくるのが「怖い話」になると思われますが、最近では「番町皿屋敷」などのクラシックなタイプよりも、「リング」のような(コレも古い)白装束長髪女系が這って出てくるタイプが人気のようです。
 確かに、あんなのが目の前に出てきたら「く、くるな!や、や、やめろぉ!」と絶叫したくなるものですが、その昔、私は白装束と思しき物を着た者から窓を叩かれ、恐怖におののいた体験を持っています・・・ドロドロドロ・・・・(恐怖系の擬音です)
 確かあれはまだ私が18歳の頃で、前職を辞し、次の仕事に移った為、アパートを探さなければならなくなった事から始まりました。
 何気に入った不動産屋さんで格安物件を見つけたのです。「家賃3万円」。価格も魅力的でしたが、条件が「6畳和室、4畳半フローリング、バス、トイレ別、最寄のバス停まで徒歩1分、電気水道費込み」という破格の物件だったのです。
 そこまで好条件で「3万円」というのはどう考えても怪しいのですが、私の事情、「1年しか住めない」という条件も飲んでくれたのですから「怪しい」だろうがなんだろうが都合が良かったのです。
 1年後、上京する事が決まっておりましたからそれまでの仮住まいでありましたが、必要最低限の生活用品や服、その頃から弾き始めたギターなどを持ち込んで楽しい一人暮らしが始まったのです。
 しかし、荷物を搬入している時に何気に感じたのは、何か若干、不快な匂いがする事でした。
 手伝ってくれた友人や後輩に聞くと「そうですか?匂いなんてしませんけど。」や「アパートが結構古いからそういう匂いがするのだろう。」と取り合ってくれず、しまいには「お前、気にしすぎだ。」と一喝されてしまったのです。
 「臭い(くさい)」とは違う、何か不快な匂い。決して「腐敗臭」や「カビ臭」のようなわかりやすい匂いではない、何か不可解な匂い、それを気にしながらも住み始めて1週間ほどしたある日の夜、ドアを叩く音がしました。
 「コンコン」。確実にノックした音で、友人か後輩だと思いドアを開けてみると誰もいません。
 気のせいかと思いまた部屋に戻ると「コンコンコン」とノックする音が響きました。“気のせいではない、これはノックの音だ”そう思いドアを開けてみるとまた誰もいない暗闇の風景です。
 次の日、友人や後輩に聞いてみると誰も遊びに行っていないとの事で、薄々感じてきたのです。
 「これは・・・本物ですな。」その次の日もノックの音が響き、3回に1回は本当に友人が遊びに来た時だったりしましたからとりあえずドアは開けなくてはなりません。
 イタズラのようにも思いましたが、夜中にそんなイタズラ(たまに夜中の2時くらいに鳴る時もあった)をする人がいるとも考えられません。
 「安いからな・・・色々あるのだろう」そう思って住むしかなかったのですが、それから数週間後、今度は朝起きると1メートル以上ある長い髪の毛、しかも、濡れている長い髪の毛が顔に掛かっている、という朝一で恐ろしい事まで起こるようになったのです。
 「絶対・・・本物だな・・・」そう確信した私は友達にその話をしてみるとその日からパッタリと遊びに来なくなりました、今までたまり場だったのに。
 しかも、日を追うごとに髪の毛の本数は増えていく為、本当は自分の髪の毛が抜けて禿げるのではないか、と違った意味での恐怖にも苛まれたのですが、全く別人の髪の毛でありました。
 そこで、少し冷静に考えてみる事にしたのです。整理してみるとそのアパートは、「考えれないほど安い」「その部屋だけ空いていた」「臭いのとは違う不快な匂いがする」「夜中、ノックされる」「知らない人の髪の毛が自分お顔に朝ついている」そして、「沼の近くである」それにプラスして「その沼では死者が出ている」という情報を得てしまい、「そういう事ね、やっぱり・・・」という揺ぎ無い答えが出たのです。
 しかも、その部屋の構造は道路との関係で2つある窓のうち、ひとつはコンクリートで覆われている、というオマケ付きです。
 そのコンクリートの意味する所とは何なのか!その答えは冒頭で書いた白装束と思しき物を着たと思われる者からの壮絶な来襲で恐れおののく事となるのです。

 その出来事とは!・・・ちょっと凄すぎるので止めときます。(おいおい寸止めかよ)字数もかさんできましたしね。

 しかし物凄かったのですよ、出来事が。そんな事がありながらも1年は住んでいたのですがね。
 
 その後、横浜、東京、と移り住み、東京に部屋を借りようと不動産屋めぐりをして部屋を実際に見に行く事がありました。
 
 とある部屋を見せてもらいに部屋へ一歩踏み込んだ瞬間、「ハッ!」とする事がありました。

 したんですよ、あの「匂い」が。

 あの時と同じ匂いでした。

 勿論、その部屋はパスしましたが、懐かしい、と言いましょうか、恐ろしいと言いましょうか、複雑な想いが去来しましたね。

 先日、何気にそのアパートの前を通る事があったのですが、もう新しく立て直されて昔の面影はありませんでした。
 
 何が原因でそうなったのか今となっては判りませんが、とりあえず書いておきましょう、ご冥福をお祈りいたします

















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「熟年トゥルーロマンス」と呼べる映画を観て思った事は・・・

2012-08-09 22:38:42 | Weblog
 熱帯夜から一転、涼しく過ごしやすい爽やかな夜になり、「まだ、夏だよな・・・」とふと考えてしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 昼は暑くても構いませんが、夜は少しだけ涼しさを纏った気温ですと日中の暑さで疲れた身体が文字通り「クールダウン」されます。
 そんな夜は、本を読むか映画(DVDなど)を観るか、という過ごし方が何となく有意義でありますが、先日、私がテレビ(ひかりTV)を付けると現代フランスの官能映画をやっておりました。
 「官能映画なんてイヤらしい!このスケベ!助平料理人!女性の敵よ!」ここまで言われてしまうと返す言葉もありませんが、官能映画は一応、芸術系の作品なんですけどね。
 官能映画、と聞くとどうしても「エマニュエル夫人」を連想してしまう方が多いと思いますが、「エマニュエル」と聞くと「夫人」か「坊や」以外浮かびませんな、いや、「ベアール」というのもあるか。(「エマニュエル坊や」は過去に「シティー・コネクション」という曲で日本デビューを果たしています。「エマニュエル・ベアール」はフランスの女優です)
 そうなると「アーノルド」と聞くと、これも「坊や」か「シュワルツェネガー」なんでしょうな。(過去に「アーノルド坊やは人気者」というエマニュエル坊やに似た男の子が主役のテレビドラマがありました。それに出ていたキンバリーという女の子の方が私の中ではある意味、人気者でしたが)
 話を戻しますが、先日観た「官能映画」に括られていた「熟れた本性」というフランス映画は、官能シーンはそれほど重要ではなく、話の内容が重要なのです。
 
 「歯科医師を夫に持つ主人公(50代女性)は、何不自由なく暮らしていたが子供が自立したのを切っ掛けに元の仕事である臨床カウンセラーの仕事に就く。
 ある時、勤めている診療所の内装工事に来ていた男性(30代後半)に怪我を負わせてしまった主人公は、謝罪を兼ねて男性と会うがいつの間にその男性を好きになってしまい、ひいては2人とも恋に落ちてしまう。
 仕事以外に家を空けるようになった妻に疑問を持ち問いただす夫に妻は全てを打ち明けるが、ブチ暴れる夫を見て、男性との事を清算して家に戻る、と宣言する。
 しかし、一度燃えた恋の炎は治まらず、またもや男性のもとに走り、それが見つかると逆切れして一方的に家を飛び出してしまう。
 夫も子供も置き去りにして男性と暮らし始める女性だが、歯科医師でありながら地元の名士でもある夫に経済制裁を受けてしまい2人の生活は困窮してしまう。
 貧乏でも愛があれば良いのよ・・・、と夢を見ていた女性だが、生活費もままならない、男性の仕事(男性はスペインからの移民、という設定)にも夫の手が回る、という状況にブチ切れて自宅(夫と子供が暮らす家)に押し入り、名画や貴金属、高級ワインを持ち出し(ワインはシャトー・デュクルュ・ボーカイユでした)て売ろうとする。が、それに気づいた夫が警察に手を回し2人は逮捕されるが、女性は夫が手を回し保釈、男性は強盗容疑で重罪になってしまう。
 警察と夫に男性への量刑の軽減を求める女性だが、夫が出した「家に戻り今まで通りの生活をし、今後一切男性と会わない事を約束すれば男性の刑は強盗未遂で6ヶ月にする」という案を飲まされ、また家に戻り、家事をする事となる。
 そんなある夜、夫に身体を求められ言うがままに従った女性は、夫が寝た隙に隣の部屋へ行き猟銃を持ち出し夫を射殺してしまう。
 そして、そのまま車を持ち出して男性の所へと向かい、2人で想い出の場所にとどまっている所にパトカーのサイレンが響きフィナーレとなる。」

 どうですか?この映画。
 映画タイトル「熟れた本性(日本未公開映画なのでネットで検索しても出てきません。原題で検索するしかないのでしょうが原題失念)」は、観終わってから「熟れた本性」に続く言葉があると思い知らされるのです。
 つまり「熟れた本性」に続く言葉は、「を刺激すると大変な事になりますぜ」という事なんでしょうな。
 清楚でセレブな50代女性が、本能のままに突き進み、家出をして庶民化していくところまでは愛らしいのですが、生活に困って自分の時計(カルティエ)を路上で売り出したりするシーンを観ると「早く家に帰れ!」と言いたくなるものです。
 しかし、女性は「それでも幸せ」を連発していましたから遅くに開花すると周りが見えなくなってしまうな、と思わずにはいられません。
 経済制裁する夫も大人げないな、と思いますが、冷静に考えると、何一つ悪い事をしていない家庭第一主義の夫なのに、突然、妻が不貞行為を働き、挙句の果てには一方的に家を出て財産分与を要求され、それを退けると家に強盗に入る、という強硬手段を行使され、最後に射殺される、という踏んだり蹴ったりであります。
 
 これを観終えた後に、「フランス人ってみんなこうなってしまうのかな・・・」と若干の不安感を覚えましたが、映画ですからね、フィクションですよ。

 ただ、全くないわけではないでしょうから、怖いものです。

 夜中にひとりでこの映画を観て、次の日、食器の洗い物や掃除をちょっとだけ積極的にやり始めたのは言うまでもないでしょう。

 これが常にワインを飲みまくっている私の「熟れた反省」ですよ。

















 
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使うならば正確に使うべきではないか、そう思わせる言葉がある

2012-08-07 23:07:45 | Weblog
 ロンドンオリンピック後半の盛り上がりに巻き込まれるように帰宅してからのテレビ観戦が日常になり、興奮と酒量が右肩上がりになってしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 昨日は「なでしこジャパン」が頑張ってくれました、今日はサッカー男子日本代表「関塚ジャパン」の準決勝であります、その前に卓球女子団体決勝もありますな、また寝れませんぜ。
 結果云々は、皆様ニュースなどでご存知でしょうから割愛させていただきますが、今回のオリンピックは金がなかなか取れないのにこの盛り上がりは何でしょうかね、不撓不屈を教えていただいているようでありますよ。
 深夜、ひとりでワイングラスを持ってテレビを観ながら応援している中年男性、という設定だけでもビミョーな私ですが、昨夜の喜びの余り、猫にワインをかけて不機嫌にさせたのは余計でした。反省してます、近くにいた猫と喜びを共有しようとしたのですがね。
 夜中にオリンピックを観ていてメダルを取る様をLIVEで観れるのはとても嬉しいのですが、今回、実況を聞いていて気になった事がひとつありました。
 「体操男子個人総合」の内村選手の時と、「サッカー男子」対エジプト戦での実況でありましたが、「その言葉って・・・スタンダードなんですか?」と疑問に思った瞬間でもあります。
 まず体操では、

「お~っと内村、綺麗な着地!両手を上げてガッツポーズしています!団体総合の時の不安は完全に吹き飛び、初めて笑顔が出ました。そして、得意の“どや顔”も見せてますね・・・」

 そして、サッカーでは、

「キャプテン吉田、ゴールを決めました!吉田!走りながら喜んでいます!そして、吉田の“どや顔”!」

 お判りだと思いますが、これらの実況に使われているキーワードは「どや顔」です。
 まだ「どや」の部分をひらがなで書いていますから柔らかく感じますが、カタカナにすると「ドヤ顔」となり、ちょっとトゲトゲしい、どちらかと言いますと憎たらしささえ感じる表記となります。
 「どや顔」が頻繁に使われるようになったのはここ最近ですが、読みからも判るように発祥は関西地方、特にお笑い系の人間が広めた、と思っても間違いないような言葉であります。
 オリンピックの実況にも出てきてしまうのですから市民権を獲得した、と言っても良いこの「どや顔」は、何気に料理雑誌にも出ていて、その時から私は気になっておりました。
 料理人しか購入しないであろう「専門料理」の中の「京料理、ひいては日本料理のさらなる展開を探るこの企画。研鑽会のメンバーがテーマ食材に沿ったオリジナルの料理を紹介するとともに、メンバー全員でそれを試食。テーマ食材とその食材を用いた料理について座談する(専門料理6月号より抜粋)」「京料理のこころみ」という企画連載の中で柴田日本料理研鑽会のメンバーが会話の中でこのような発言をしております。

研鑽会メンバー“T”「即席のへシコっていうのはおもしろいですね。この糠床はよく熟れたものなんですか?」

研鑽会メンバー“I”「普段店で使こうてるやつですわ。実は糠床の再利用っていうのも今回のテーマで・・・九州には糠でイワシを炊く料理があるんよ。」

研鑽会メンバー“M”「そんなドヤ顔せんでもみんな知っとるわ(笑)」

 (柴田書店「専門料理6月号」より抜粋)

 ここにも普通に登場している「どや顔」。完全に市民権を得ておりますが、元々はどのようなニュアンスが込められていたのでしょうか。
 私が思っていた「どや顔」のニュアンスは、

「それほど高くもないハードル(事柄や技術など)を越えた時にそれ以上の満足得て人に確認するかのようなしぐさ、または顔。」

 になりますから、

「なんやねん!今の“どや顔”!」

 とツッコまれるのではないか、または、ツッコまれるのを予測しての行為、と捉えます。(関西弁は喋れませんが、このような言葉でツッコむのではないか、と思い記しました。もし違っていた場合、関西圏の方、修正をお願いします)

 それを考えると、先に書いた体操、サッカーでの実況での「どや顔」の使い方は違うのではないか、と私は思うのです。
 スポーツでの高すぎるハードルを越えたわけですから「他人には判らない体力の限界や緊張から解き放たれた時の嬉しさがもたらす表情」であって、決して「どや顔」ではないでしょう。
 それに比べて柴田日本料理研鑽会の方の「どや顔」の使い方は間違いがありません、流石、京料理を担う関西の方。

 私はそこに、関東と関西の温度差があるように思いました。

 稀に、自分の父親や母親の事を「おとん」「おかん」と呼んだりする山形の人がおりますが、それまで山形弁でその部分だけ関西弁を使う、というのも違和感があり共感が持てません。

 テレビなどで耳に入りますから使ってみたくなるのは判りますが、東北人が正確に関西弁を使えるでしょうか、ハッキリ言いましょう、無理です。「おとん」「おかん」までは使えてもその後が続かないでしょう。

 それも含めて市民権を得たであろう「どや顔」を正確に使いたいものですな。

 こういうのは「どや書き」って言うんですかね?















 
 
 
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これからあるかも知れぬ飛躍的な花笠祭りの進化について考えてみる

2012-08-06 23:18:53 | Weblog
 過剰に熱された空気を一時的に冷却するかの如き雨が叩きつけるように降り、その雨雲が去った後にはリセットされた青空が悠々と祭りを望んでいる、そんな気持ちにさせてくれた今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 昨日から山形市は「山形花笠祭り」で賑わっておりますが、当店は平常通りの営業スタイルですから全く「祭り感」がありません、平常心でいいじゃないですかね。
 今年の花笠祭りはゲストが「八代亜紀」「冠二郎」「加藤夏希」「ロケット団 三浦なにがし(下の名前失念)」(敬称略)その他大勢、私のよく知らない歌謡、芸能関係者が参加しておりました、今年も盛り上がってますぜ!と思います。
 勿論、私が知らないだけで有名な方も参加されているのだとは思うのですが、如何せん、そういうのに疎いものですからご容赦ください。
 今年も「ゲストハナガシャン(招聘された花笠の踊り手の事)」は「演歌系」歌手の方が多いようですが、毎年、加藤夏希嬢のようなモデル、タレントの方も若干名、参加していただけます。
 その「ゲストハンガシャン」がどのような基準で選出されるのかは不明でありますが、その昔、「シェイプアップガールズ」という「花笠」とは縁遠いような方たちもゲストになっていたように記憶しておりますから主催者の趣味によるもの、と考えて間違いないでしょう。
 話は逸れますが、この今は無き「ガールズ系」のグループは、今考えてみると疑問だらけであります。

「シェイプアップガールズ」
(シェイプアップに成功したのか、シェイプアップしたいのか、それとも、シェイプアップさせたいのか、何に対してシェイプアップなのか判りません。「シェイプアップした女性グループの事だよ」とスンナリ言われても疑問の霧は晴れませんな)

「ギリギリガールズ」
(これも基本、上記と同じ“何がギリギリなのか”という疑問しか浮かびません。「ギリギリまで見せる女性のグループだよ」とスンナリ言われても「そんなの街中にもいるだろ!」と反論したくなりますな)

「Tバックス」
(もう名前から「ガールズ」が消えています。消えていますからパンツの集合体でしかありません。それだけがクローズアップしてしまい穿いている(はいている)女性はどうでもいいようにさえ感じられます)

 と、このように疑問だらけですが、懐かしく思われる方もおられるでしょうからこの辺にしましょうかね。
 
 話を戻しますが、花笠祭りのゲストに女性やお笑いの方、も良いのでしょうが、花笠祭りの基本「踊り」に特化したゲスト、例えば「EXILE(エグザイル)」にお願いしてみるとか、そんなノリないんでしょうか?
 「絶対、無理!来ないよ、山形になんか。」そのように思われる方が大半だと思われますが、諦めるのか!諦めるのかよ、「花笠EXILE」を!(勝手にEXILEに決定)
 彼ら風の花笠踊りを、いや、ダンス「HA・NA・GA・SA」を披露してもらい、その様子(参加交渉から最終的な踊りまでの様子)をドキュメンタリータッチの映像として全国配信し、花笠の山形をアピールしようではないですか!(もう止まらない)

 その過程で彼ら(EXILE)に近づこうとする山形の若者ダンスグループにスポットを当て、その挫折と苦悩、それを励ます人々との触れ合い、ダンスを通して精神的に成長するところも撮ろうではありませんか。

 
「オレ・・・やっぱし、ダンス、やめるは。(オレ、やっぱり、ダンス、やめるよ)」

「何で?何でやめんのや、ショウちゃん。あっだい、ダンスすぎだってわだしさいってだっけべ!(何で?何でやめるの、ショウちゃん。あんなにダンスが好きだって私に言ってたじゃない!」

「んだげど・・・んだげどよ!なんぼやったってこれ以上ダンスなてうまぐなんねべな!(だけど、だけど!いくらやったってこれ以上ダンスなんて上手くならないだろ!)」

「は~、んだんだ。ほだなきもじでいるんだごんたらやめだらいいのったな。んだげど、ショウちゃん、わだし、ショウちゃんのダンスしったすがだ、いじばんすぎなんだがらな!(ふ~ん、そうなんだ。そんな気持ちでいるんだったら止めたらいいんじゃない。だけどね、ショウちゃん、私、ショウちゃんのダンスしている姿、一番好きなんだよ!)」

「・・・・・(・・・・・)」

「ショウちゃん!わだしのためにつづげでけろ!(ショウちゃん!私の為に続けて頂戴!)」

「わがった、美和子!もっとがんばって、おまえさいいどごみせでけっからな!(判った、美和子!もっと頑張って、お前に良い所見せてやるからな!)」

 ん~、とりあえず、山形弁押しは一時、保留にしますか。

 ドキュメンタリー映像では。


(*)個人名は架空の物です、いつもの事ですが。

(*)最後の会話は山形弁(特に村山弁)が判らないと全く面白くありません、ご了承ください。

















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