じんわりとした暑さが徐々に弱まっているような、いや、弱まっていると願いたいような、そんな気持ちになっているのは夏が終わりに近づいているからかも知れませんが、もうひと暑さ来そうな感じも否めない今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
「そろそろ涼しくなりそうだな・・・」と思っても「いやいや、世の中、そんなに簡単に行かないだろう・・・」と前言を打ち消すように微妙に用心深く考えるのは、最近読んでいる本のせいではないでしょうか。
昔、何となく買って読んでいなかったその本をふと見つけて読み始めたのは先日の休みの日でした。
最近活字に触れる事がなかったものですから新鮮に感じ、そして、その内容にハマっていったのです。
一度疑問に思った事を徹底的に洗い出し、そして、裏づけする事に特化する、簡単に言えばそんな内容ですが、時代背景の描写や文章の組み立てが面白く、「この先どうするのだ・・・」と思いながら読むと止まらなくなってしまう、流石ですぜ!巨匠、松本清張先生!そして、読ませるぜ!「点と線」!
犯人と思しき(読み途中の時点では)人物がアリバイで電車(当時は“汽車”という記述もある)を多用しているので複雑ですが、犯人と思しき人物の奥さんが寄稿した、という設定の随想には、時刻表は下手な小説より面白い、という事に触れ、時刻表を見ながら架空の旅をする、と話を膨らませながら沿線の駅名を読む楽しさを提唱しておりました。
その中に「新庄」「余目」などという山形に関係のある駅名が出てくると「嗚呼、松本清張先生は山形にも目を向けてくれたのですね!」と思わずにはいられません。
推理物のジャンルでは「アリバイ崩し」となるのだそうですが、それを読んでしまったからでしょうか、何気ない光景すらも特別に思えてくるものです。
例えば、仙台行きのバスを待っている人が目に入ると、
「若者の中にサラリーマンと思しき男性がひとり肩から鞄を下げて待っているな。もしかすると彼はただのサラリーマンではなく、××省の課長補佐かなんかで、あの鞄の中には重要書類が入っているのではないか。という事は、その重要書類をY氏に渡した後、彼は連れ去られ、三陸の海に沈められ、自殺に見せかけたやり方で殺されたりして・・・。ハッ!その男性の後ろの女性が腕時計を見た!ははぁ、彼女は料亭「小雪」の女中「お時さん」だな、確か料亭「小雪」は××省が接待で使っていた料亭。その繋がりか・・・、という事は、2人は何者かに仙台へ誘い出され、「情死」に見せかけられて殺される可能性がある!何とかして知らせなければ!どうすればいいんだろう・・・どうすれば・・・」
などと考え込みながら歩いてしまう為、「そっちの方がよっぽど怪しいだろ!」とツッコまれてもおかしくありません。
あの手の本(この場合「松本清張先生」の本です)は読み始めるとハマってしまい頭に残ってしまうため、その感覚が薄らいでいくまで時間が掛かります。
10代の頃に同じ松本清張先生の「小説 帝銀事件」というのを読んだのですが、時代背景や731部隊の事が理解できず、遡って(さかのぼって、という言葉が適切なのかは疑問ですが)森村誠一氏の「悪魔の飽食」を読んで関東731部隊を勉強してから「小説 帝銀事件」を読み直した、という事がありました。
そこまでドップリ「帝銀事件(帝国銀行毒物強盗殺人事件)」に浸かってしまうと、全ての不可解な事が「GHQ絡みか・・・」などと思ってしまい(もうその頃はGHQは解体されておりましたけどね)、事件の事が頭から離れませんでした。(大げさ)
だ、ダメだ・・・ブログを書いていても松本清張先生の文章が蘇ってしまう。
これを打破するには違う本を読んでリフレッシュしなければ。
確か、買っていて読んでない本は・・・
夢野久作「ドグラ・マグラ」・・・
これも一緒だな、多分。
「そろそろ涼しくなりそうだな・・・」と思っても「いやいや、世の中、そんなに簡単に行かないだろう・・・」と前言を打ち消すように微妙に用心深く考えるのは、最近読んでいる本のせいではないでしょうか。
昔、何となく買って読んでいなかったその本をふと見つけて読み始めたのは先日の休みの日でした。
最近活字に触れる事がなかったものですから新鮮に感じ、そして、その内容にハマっていったのです。
一度疑問に思った事を徹底的に洗い出し、そして、裏づけする事に特化する、簡単に言えばそんな内容ですが、時代背景の描写や文章の組み立てが面白く、「この先どうするのだ・・・」と思いながら読むと止まらなくなってしまう、流石ですぜ!巨匠、松本清張先生!そして、読ませるぜ!「点と線」!
犯人と思しき(読み途中の時点では)人物がアリバイで電車(当時は“汽車”という記述もある)を多用しているので複雑ですが、犯人と思しき人物の奥さんが寄稿した、という設定の随想には、時刻表は下手な小説より面白い、という事に触れ、時刻表を見ながら架空の旅をする、と話を膨らませながら沿線の駅名を読む楽しさを提唱しておりました。
その中に「新庄」「余目」などという山形に関係のある駅名が出てくると「嗚呼、松本清張先生は山形にも目を向けてくれたのですね!」と思わずにはいられません。
推理物のジャンルでは「アリバイ崩し」となるのだそうですが、それを読んでしまったからでしょうか、何気ない光景すらも特別に思えてくるものです。
例えば、仙台行きのバスを待っている人が目に入ると、
「若者の中にサラリーマンと思しき男性がひとり肩から鞄を下げて待っているな。もしかすると彼はただのサラリーマンではなく、××省の課長補佐かなんかで、あの鞄の中には重要書類が入っているのではないか。という事は、その重要書類をY氏に渡した後、彼は連れ去られ、三陸の海に沈められ、自殺に見せかけたやり方で殺されたりして・・・。ハッ!その男性の後ろの女性が腕時計を見た!ははぁ、彼女は料亭「小雪」の女中「お時さん」だな、確か料亭「小雪」は××省が接待で使っていた料亭。その繋がりか・・・、という事は、2人は何者かに仙台へ誘い出され、「情死」に見せかけられて殺される可能性がある!何とかして知らせなければ!どうすればいいんだろう・・・どうすれば・・・」
などと考え込みながら歩いてしまう為、「そっちの方がよっぽど怪しいだろ!」とツッコまれてもおかしくありません。
あの手の本(この場合「松本清張先生」の本です)は読み始めるとハマってしまい頭に残ってしまうため、その感覚が薄らいでいくまで時間が掛かります。
10代の頃に同じ松本清張先生の「小説 帝銀事件」というのを読んだのですが、時代背景や731部隊の事が理解できず、遡って(さかのぼって、という言葉が適切なのかは疑問ですが)森村誠一氏の「悪魔の飽食」を読んで関東731部隊を勉強してから「小説 帝銀事件」を読み直した、という事がありました。
そこまでドップリ「帝銀事件(帝国銀行毒物強盗殺人事件)」に浸かってしまうと、全ての不可解な事が「GHQ絡みか・・・」などと思ってしまい(もうその頃はGHQは解体されておりましたけどね)、事件の事が頭から離れませんでした。(大げさ)
だ、ダメだ・・・ブログを書いていても松本清張先生の文章が蘇ってしまう。
これを打破するには違う本を読んでリフレッシュしなければ。
確か、買っていて読んでない本は・・・
夢野久作「ドグラ・マグラ」・・・
これも一緒だな、多分。