「ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~」記事一覧
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3年ぶりの話は粉っぽい話から、と言うと勘違いされるのだろうか
(2024-10-04 19:53:00 | Weblog)
9月並みの暑さ、9月並みの豪雨など「... -
ドラマや映画は休みを使ってイッキに観たい派です、というかそうでしか観れない男の話
(2021-09-10 21:24:00 | Weblog)
先日、ひょんな事で知ってしまったある海外ドラマを某動画配信サービスで観る事... -
15年という年月は長い。しかしそれは深い、と思いたい。
(2021-09-08 21:05:00 | Weblog)
「猛暑」という言葉が遠い過去のも... -
君はあの曲にどんな想いを抱くのか
(2021-08-21 20:52:00 | Weblog)
湿気を纏う熱空間が身体を覆いマスクの中は高温多湿極まりない状態になって呼吸すら... -
寒い日のひとり酒。その時に飲む酒は何か、そして音楽は何か、
(2021-01-26 17:17:43 | Weblog)
鼻から息を吸い込むと鼻の奥がツーン... -
料理は文章のみより画像をつけた方が良いのか、という忖度
(2020-12-02 19:17:00 | Weblog)
寒い風や雪と共にその季節がやって... -
雨の湿気に誘われてキーボードを打つ
(2020-07-07 20:28:00 | Weblog)
肌にネットリと張り付くような湿気と... -
歳を重ねて体感時間が早くなると秋の夜長を感じれなくなるのかもしれない
(2019-10-18 21:30:29 | Weblog)
ビルの2階にあります当店「ラミ・デュ... -
文章を長文化しようとするのは3年ぶりだからだろうか
(2019-10-17 22:27:45 | Weblog)
いつの間にか「気温的に過ごしやすい... -
雨の降らない梅雨にはどうでもよい話が似合う。それは湿気のせいだろう
(2016-06-16 17:01:34 | Weblog)
時折見せる鈍色(にびいろ)の空に「... -
半年という時間は、ガラリと状況を変えるのに十分な時間である 後編
(2016-05-18 14:54:01 | Weblog)
父の母、つまり、私の祖母も認知症で... -
半年という時間は、ガラリと状況を変えるのに十分な時間である 前編
(2016-05-17 14:47:54 | Weblog)
連日の晴天を打ち消すような今日の雨... -
詩的な表現には経験、知識が必要だ。そして、それを言葉に込めて吐き出せ
(2015-10-31 22:40:51 | Weblog)
コートを着れる季節になるとシャツと... -
器用に生きる事とは何か、器用に生きれない事とはどういう事なのか。
(2015-10-29 23:01:25 | Weblog)
末尾当選が2~3枚あったと記憶してい... -
「どうでもいい話」を書いてしまう時、心に乱れがあると思われても仕方がないだろう
(2015-10-11 21:09:31 | Weblog)
秋の雨は冷たく物悲しい雰囲気の中に... -
リスペクトなき模倣はオマージュにあらず。ただ表面をなぞるだけなり。
(2015-09-15 21:25:24 | Weblog)
先日、東京からいらしたお客様(当店... -
秋になると苦悩する者、汝の名は「芋煮会幹事」
(2015-09-13 21:12:58 | Weblog)
9月は夏の終わりなのか秋の始まりなの... -
祭りの時の屋台を軽く考えてはいけない。店も屋台も同じ「調理」なのだから。
(2015-08-07 23:21:23 | Weblog)
日中の尖った日差しと、夕方のアスフ... -
「カジュアル」という言葉の意味は広い。広いからこそ難しいのだ。
(2015-07-28 22:15:43 | Weblog)
目が覚めるような太陽光に照らされて... -
調理の指示は抽象的でいいではないか。ただ、それは料理教室では敬遠される
(2015-07-22 22:43:08 | Weblog)
突き抜けるような青空とジリジリとし...