「梅は咲いたか、桜はまだかいな♪」と小唄のひとつも歌いたくなるような今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
気温はまだ肌寒いのですが、陽気が良くなっていくのが判るのは、大地に根付く生命の息吹を感じ取れるようで意味もなく心が躍る、というものです。(大げさ)
そんな時期、当店から歩いて30秒ほどの所にありますスーパーが今月一杯で閉店する事を知りました。
不意に切らしてしまった卵や牛乳、日常の賄い食材を買いに行くのに適した近さでありましたスーパーの閉店は軽くショックを覚えましたし、スーパーの店員の方とも仲が良かっただけに残念でありました。
良く言えば「肩の力が抜けている」、悪く言ってしまえば「ヤル気があまり見られない」そのスーパーは、地域密着型を目指していた、いや、それにしか成れなかった「脱力型スーパーマーケット」という微妙な地位を確立しているようで私的には嫌いではありませんでした、う~ん、今考えると結構好きだったのかも。
もう既に先週から閉店のカウントダウンが始まっておりますから店内全品「2割引」「4割引」戦略で在庫一掃計画を遂行している模様ですが、先日、買い物している最中ある事に気がつきました。
その時のスーパー内のBGMが「ネヴァーエンディングストーリーのテーマ」だったのです。
私は買い物を中止し、足早にその場を離れ、店に帰って失礼ながら大笑いしてしまいました、流石「脱力型スーパーマーケット」、閉店が目の前に迫っているのに「ネヴァーエンディングストーリー(終わりのない物語)」のテーマソングを流すとは。
それとも、「ここが閉店しても私たちの心は永遠にこの場所に生き続けます。」という意思表示だったのでしょうか?どちらにしても離れ業であります。
思い起こしてみればそのスーパーのBGMは「USEN(ユーセン)」などのようにランダムに音楽が掛かる、というものではなく、誰かが選曲したカセットテープをラジカセで流す、という古典的な手法でしたから「たまたまその音楽が掛かってしまった」という事故ではなく、「その音楽をかけた」という「ヤル気満々」なBGMであります。
ある時、グラニュー糖を買おうと探していた時に掛かっていた曲は、久保田利伸の「ミッシング」でありました。(「ミッシング」は、寂しく思う、という意味もありますが、行方不明、という意味も持っています)
またある時、財布を忘れてきてしまったので買い物籠をレジに預けて財布を取りに行く事を告げた時にかかっていた音楽は佐野元春の「約束の橋」でした、偶然にしてはやりすぎですぜ。
今日も買い物に行くと、もう殆ど品物が無くなった状態の店内で寺尾聡の「ルビーの指輪」が鳴り響いていました。
レジ店員のおばちゃんに
「何だか寂しくなりますね。」
と声を掛けると、
「今までありがとうございました、明日も営業しますから来てくださいね。」
といつもの笑顔で返されましたが、笑っている目が少し潤んでいたように見えたのは錯覚ではなかったようです。
「勿論、最終日、来ますよ。」
そう言い残し店に帰ってきましたが、その帰り道に大事な事を思い出しました。
「もう品物が無いのに何を買えば良いの?」
何でも良いや、顔だけ出せば。
でも、寂しいものですよ、脱力型スーパーマーケットの閉店は。
気温はまだ肌寒いのですが、陽気が良くなっていくのが判るのは、大地に根付く生命の息吹を感じ取れるようで意味もなく心が躍る、というものです。(大げさ)
そんな時期、当店から歩いて30秒ほどの所にありますスーパーが今月一杯で閉店する事を知りました。
不意に切らしてしまった卵や牛乳、日常の賄い食材を買いに行くのに適した近さでありましたスーパーの閉店は軽くショックを覚えましたし、スーパーの店員の方とも仲が良かっただけに残念でありました。
良く言えば「肩の力が抜けている」、悪く言ってしまえば「ヤル気があまり見られない」そのスーパーは、地域密着型を目指していた、いや、それにしか成れなかった「脱力型スーパーマーケット」という微妙な地位を確立しているようで私的には嫌いではありませんでした、う~ん、今考えると結構好きだったのかも。
もう既に先週から閉店のカウントダウンが始まっておりますから店内全品「2割引」「4割引」戦略で在庫一掃計画を遂行している模様ですが、先日、買い物している最中ある事に気がつきました。
その時のスーパー内のBGMが「ネヴァーエンディングストーリーのテーマ」だったのです。
私は買い物を中止し、足早にその場を離れ、店に帰って失礼ながら大笑いしてしまいました、流石「脱力型スーパーマーケット」、閉店が目の前に迫っているのに「ネヴァーエンディングストーリー(終わりのない物語)」のテーマソングを流すとは。
それとも、「ここが閉店しても私たちの心は永遠にこの場所に生き続けます。」という意思表示だったのでしょうか?どちらにしても離れ業であります。
思い起こしてみればそのスーパーのBGMは「USEN(ユーセン)」などのようにランダムに音楽が掛かる、というものではなく、誰かが選曲したカセットテープをラジカセで流す、という古典的な手法でしたから「たまたまその音楽が掛かってしまった」という事故ではなく、「その音楽をかけた」という「ヤル気満々」なBGMであります。
ある時、グラニュー糖を買おうと探していた時に掛かっていた曲は、久保田利伸の「ミッシング」でありました。(「ミッシング」は、寂しく思う、という意味もありますが、行方不明、という意味も持っています)
またある時、財布を忘れてきてしまったので買い物籠をレジに預けて財布を取りに行く事を告げた時にかかっていた音楽は佐野元春の「約束の橋」でした、偶然にしてはやりすぎですぜ。
今日も買い物に行くと、もう殆ど品物が無くなった状態の店内で寺尾聡の「ルビーの指輪」が鳴り響いていました。
レジ店員のおばちゃんに
「何だか寂しくなりますね。」
と声を掛けると、
「今までありがとうございました、明日も営業しますから来てくださいね。」
といつもの笑顔で返されましたが、笑っている目が少し潤んでいたように見えたのは錯覚ではなかったようです。
「勿論、最終日、来ますよ。」
そう言い残し店に帰ってきましたが、その帰り道に大事な事を思い出しました。
「もう品物が無いのに何を買えば良いの?」
何でも良いや、顔だけ出せば。
でも、寂しいものですよ、脱力型スーパーマーケットの閉店は。