ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

井伏鱒二は、マス(サーモン)を燻せ、という意味なのか

2009-03-27 13:14:22 | Weblog
 私が勝手に春らしい食材と思っている「ホタルイカ」は、白ワインヴィネガーとオリーブオイルでマリネしてお出ししているものですが、「ホタルイカ」は掃除が重要なポイントだと私は考えます。
 「ホタルイカ」には、食べれない部分(食べれないわけではないのでしょうが、口に残るため食べ切れない部分)が、「目玉」「口ばし」そして「背骨」と3つあります。
 これをピンセットで丁寧に取り除いていくわけですが、めんどくさくて時間がかかる上、細かい!寝不足であれば朦朧としながらする作業でしょう。しかし、これをするのとしないのとでは食感に雲泥の差が生じます。
 時として、他店で「ホタルイカ」を食べた際、「背骨」が口の中に残る、あるいは「口ばし」が口の中に残る、などのご愛嬌はありますが、3点セット全て残る、という有難くない特典を強制提供している店も稀にありますから気をつけていただきたいものです。
 ご家庭であれば「めんどくさいしな。」や「そこまで手を掛けれないでしょう。」と納得するのかもしれませんが、お客様からお金を頂く「飲食店」の場合、「めんどくさい」「手を掛けれない」では済まされない話であります。是非、ご一考のほどを。

 さて、話は変わりますが、いつもコメントをくださる方からこのようなご質問を頂きました。

「スモークセットというものを買おうか迷っているが、スモークは、一度スモークを掛けると生のまま(スモークを掛けた状態)でしばらく食べられるのか?スモークを掛けると腐りにくくなるのか?」

 というものでした。
 そこで今回は、スモークをいうものを考えてみたいと思います。
 
 スモークはフランス語で「fume(ヒュメ)」と言い、「燻製した、いぶした」という意味を持ちます。
 因みに、魚のだし汁の「ヒュメ・ド・ポワソン」の「ヒュメ」は「fumet」と表記し、「香り、風味」という意味を持ちます。発音が似ておりますが、まったく別な意味を持ちますのでご注意ください。
 スモークは大きく分けて「冷薫」「温薫」の2つに分類され、用途や作業も異なってきます。
 前者の「冷薫」は、摂氏25度以下で1~3週間スモーク(燻製)する事を意味し、後者の「温薫」は40~60度で2~12時間スモークすることを意味します。
 どちらも温度管理をしっかりしなければならない、というのはありますが、とりわけ「冷薫」の場合、スモーク庫の温度が25度以上になると雑菌が繁殖し、仕上がりにも影響が及ぶ、という極めて手間のかかる作業を強いられますから、おいそれとは手を出せないのが現実なのではないでしょうか。
 因みに、「冷薫」は、スモークサーモン、ベーコンなどの長期燻製に向いており、25度以下で長期間、という条件を満たすのは冷寒地での事だと考えております。
 一方、「温薫」は、比較的温度管理も楽で、現実的であります。殆どの場合、この「温薫」で仕上げられている、といっても過言ではないでしょう。
 スモークサーモン、ベーコンは勿論、肉、魚、問わずあらゆる燻製向きですから、自家製を作りたい、とおっしゃる方にも対応できる、と考えられます。
 
 スモーク、燻製をする時に必要なのが、「塩漬け」という作業です。
 厳密には、塩に砂糖を加えたもので食材を塩漬けして脱水し、発色作用と口当たりの良さを促す工程が必要になるわけですが、これをしなくてはスモークを掛けても日持ちがしません。その後、「塩抜き」「スモーク」となるわけです。
 簡単に書きますと、スモークサーモンの場合、

「サーモンを塩漬け(約3日)→水に晒し塩抜き(半日)→食材の大きさに合わせた時間でスモーク(大体40度以下で5~6時間)→風干し(2時間くらい)→完成」

 となります。
 予め(あらかじめ)、塩漬けしているので、まるっきり生の状態ではありませんし、スモークを掛けている間に食材にある程度火が入りますから、冷蔵庫に保管しておけば2~3週間は持つのではないでしょうか。
 
 その他に「熱薫」という方法もあります。
 これは当店も採用している燻製方法なのですが、生食用のサーモンに塩、グラニュー糖をまぶし、1日脱水、120度の燻製器で約1分、スモークしたものです。
 これは正当なスモークというより、短時間で薫香をつけた食材を料理に使用する、という考えでありまして、レストランの中での調理法の一部、と私は捉えております。
 この方法は手軽ではありますが、市販の燻製器が売っておりませんので「自分で燻製器を作るしかない」というのがネックでしょうか。
 
 スモークする際は、スモークウッド(スモークチップを圧縮成形したもの)やスモークチップ(木片を粉砕したもの)をチョイスしなければなりませんが、前者は長期燻製用で、後者はどちらかといえば短時間燻製用であります。
 因みに、私は「ナラ」と「サクラ」のスモークチップをブレンドして使用しております。理由としましては、「サクラ」は、薫香がきつ過ぎますし、「ナラ」は薫香がおとなしいように感じるためブレンドして調整しております。
 
 意外とやり始めるとハマってしまう「スモーク」。お手軽に「スモークセット」が手に入るのでしたらチャレンジして、この夏にはキャンプでスモークマイスターになってみるのも悪くないのではないでしょうか。

 と、このように長い説明になってしまいましたが、よろしいでしょうか?「なると様」。

 お題を頂きますと、キーボードを打つ手も心なしか軽やかになる私ですから、当然、長文化してしまうわけですが、ご了承ください、そして、お疲れ様でした。

 ご精読ありがとうございました。







 
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緊張を楽しむのも料理という仕事の一部である

2009-03-26 19:03:31 | Weblog
 毎年の事ですが、春に近づいてきたと思うと雪が降る、という現象が山形では起こります。
 これはまさに、「調子が良くなったと思うな。思うそばには何か落とし穴があるのだ。」という人生訓のようなにも取れ、「新年度だからといって浮かれてはいけない。」と心に刻む事になるのです。
 当店もあと3ヶ月で6年目を迎えますが、毎年、「落とし穴」の連続で、落とし穴を避けて通らなければならないのに、なぜか、落とし穴に入ってしまう、いや、決断したことが「落とし穴」だった、などという事がざらでした。山形の「風雲!たけし城」状態と呼べるのではないでしょうか。
 しかし、「落とし穴」に落ちなければ分からない事も必ずあるわけでして、色んな経験を積ませていただき、色んな意味でタフになりました。
 さすがに最近は、落ちる事もなくなりましたが、まだ何処に「落とし穴」があるか分かりませんから心して仕事をしていきたいと思います。
 当店が開店してからまもなく丸5年が経とうとしているわけですが、やっと知名度が出てきた、と言いましょうか、思いっきり暇な日が無くなったのは幸いな事で
す。
 それ以外にも最近、昔、共に料理修行をした方(私より1年後に入った人ですが、私より年上)から連絡が入り、「雑誌で知って、人からも聞いた、何でもっと早く教えてくれなかった!」といった「水臭い論」を展開される羽目になりました。
 「そのうち予約して食べに行くから。」という事でしたので、

「いやいや、こちらからそちらのお店(上山で和食のお店をしております)へ伺いますよ。」

 と申し出たところ、

「絶対に来るな!来ちゃダメ!本当に来るなよ!」

 と拒絶されてしまいました、そりゃないぜ、セニョール。3年以上も一緒に仕事で苦楽を共にした仲じゃないですか。

「ちょっと待ってよ、俺、普通に客で行くんだよ。」

 と食い下がっても、

「ホント、お願い来ないで!」

 と頑なです。どれだけ嫌なヤツなんですか?私は。
 「来月、すぐに後輩を連れて行くから。」と思いっきり予防線を張られてしまったのですが、この方以外にも、「緊張するから来ないでください。」や「いやー、今度にしてください。」など、「やんわりと出入り禁止」的な発言の方が周りにはけっこうおります。
 しかし、その方たちは当店へは年に何度か、いや、下手すれば月に何度か来ていたりします。
 「お前の店には行くけど、俺の店には来るな。」という考えはイマイチ理解できませんが、本人たちは「緊張するから。」の一点張りです。
 そんな事を言ってしまったら、オープンキッチンで完璧に厨房丸出しのカウンターに同業者しかいない中、料理を作っている私の立場はどうなるのでしょうか?
 前に一度、ある方の店(その店主も「藤原来ないで」論者)に偽名を使い予約を入れて強行来店した時がありましたが、「ヤラれた!」という顔で対応されてしまいました。一応、客で来ているのですけどね。
 同伴者も満足しておりましたし、私も美味しく頂きましたからお礼を述べて店を後にしましたが、「偽名予約はアリね。」と思ってしまった次第です。

 よくカウンターに座られた方から「緊張しませんか?」とご質問を受ける事がありますが、その都度

「その緊張感がね、燃えさせるんですよ。」

 と、お答えします。
 稀に、私より断然年上の同業の方がカウンターにお越しになる場合がありますが、その方がより燃えるんですな、料理というのは。

 その時の私の動きは、普段よりアクロバティックになるのは言うまでも無いでしょう。







 
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君はあの歌を正確に聞き取れたか

2009-03-24 17:35:37 | Weblog
 ワールドベースボールクラシックス決勝の結果が気になって、仕事が手につかない御仁もいらっしゃったのではないか、と推測される今日、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 遂に日本がアノ韓国を下して優勝し、2連覇を達成したわけですが、ここに辿り着くまではキューバ、アメリカなどの強豪チームとの対戦もあったわけですから、長い道のりだったのではないでしょうか。
 侍ジャパンの皆様、おめでとうございます、そして、お疲れ様でした。途中で山形県出身で実家が焼き肉屋さんの「栗原健太」が出場しましたが、見事なまでの三振っぷりに、「チームを和やかにするためにわざとしているのではないか?」と目頭が熱くなってしまいました。これからが期待されます。
 
 さて、話は変わりますが、ここ最近のCMで耳に残り、何と歌っているの?と疑問に思っていたのは「かっぱ寿司」のCMソングです。
 「かっぱ、かっぱ、河童○○、かっぱ寿司♪」という歌を中年男性が歌っているようなアノ曲は「かっぱ」はハッキリ聞こえるのに、「○○」の部分だけ微妙に聞き取れません。
 友人に聞いてみても「意識して聞いていない。」と言われてしまい、その後、「気にしているのはお前だけではないか。」とも言われてしまったのですが、一度気にすると、かなり気になるものです。
 そこで、そのCMが流れた瞬間、テレビに近づいて聞いてみたところ、ナレーションが邪魔をしてうまく聞き取れませんでしたが、「かっぱ、かっぱ、河童様、かっぱ寿司♪」とも聞こえます。
 しかし、河童の子供とも何とも取れないキャラクターに「様」付けするとは考えられませんし、自社のCMなのに、そんな不遜な歌詞を持ってくるとは考えられません。
 「かっぱ、かっぱ、河童かな?かっぱ寿司♪」というのも、思いっきり河童が登場しているCMで、店の冠に「かっぱ」と付いているのに疑問形は変でしょう。
 「かっぱ、かっぱ、河童です、かっぱ寿司♪」では、意味不明で、誰が見ても「河童」以外の何者でもありませんから今更「河童です。」といわれたところで困ってしまうだけです。
 そんな事を疑問に思っていたある日、「もしかしたら・・・そうなのかもしれない。」と思えるように聞こえた瞬間がありました。
 いつも休みの日にそのCMに出くわすのですが、その時も例外ではありませんでした。お昼過ぎ、テレビを見ていると、あの少しやる気がないような中年男性の歌声と共に河童の子供が登場しました。
 すかさず身を乗り出してテレビの近くまで行き、よく耳を澄まして聞いてみると

「かっぱ、かっぱ、河童のマーク、かっぱ寿司♪」
 
 と聞こえます。「河童のマーク」は、結構、字余りでそのまんまですが、歌詞としても成立しますし、訴えようとしている事柄も理解できます。
 私的には「ラッパのマークの正露丸」が起因しているような気がしているのですが、考えすぎかもしれません。

 やっと胸の痞え(つかえ)が取れた気がしますが、正確には何と言っているか未確認であります。

 誰か正確な情報をお持ちでしたら、是非、ご教授ください。

 いつもですが、料理に関係の無い話ですみませんでした。













 
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3日、3ヶ月、3年、それが仕事に憂鬱さを覚える目安である

2009-03-22 17:36:32 | Weblog
 3連休最後の日曜日、夕方になって寂しい気持ちになられている方もいらっしゃるかとは思いますが、残念ながら私には連休がありません、いや、連休こそ働かなければならない気持ちにさせる、そんな今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 今日の山形は雨降りでありますが、やはり、暖かくなってきた証拠なのでしょうか?この雨の中、朝っぱら警察官から職務質問を受けている怪しいオヤジがおりました。暖かくなってくると色んな人が出没してきますから気をつけたいところです。

 さて、話は変わりますが、毎月購入しております、料理に携わっている人間しか読んでもまったく分からないであろう雑誌「専門料理」の今月号の特集は「店作り」でありました。
 新人君が入るこの時期ならではの特集ではありますが、当店には新人君が入る気配すら感じられませんから直接役に立つ記事、とはなりませんが、読んでいて面白い内容でした。
 「ズブの素人で料理人を目指す人間が、専門料理、などという難しい記事内容の雑誌を手にするのだろうか?」という疑問も頭をよぎりますが、是非、新人の方にも読んでいただき、そして、自分の道、というものを確立するよう努力していただきたい、そのように思う次第です。
 翻って(ひるがえって)、自分の事を思い出してみますと「立派な料理人になるための修行」などという事は殆ど思った事は無く、毎日、こなしていく事で精一杯だったように思います。
 磨いても磨いても一向に減らない山のように積まれた鍋。いつまで洗えば終わるのか?と思わせるような洗い物。八百屋に走らされ、失敗しては殴られ、そんな繰り返しだった気がします。
 今は、失敗しても殴られる、という事は無いかもしれませんが(一部では未だにありますのでご注意)、叱られるのはしようがないでしょう。しかし、その「叱られる」事を気にしすぎるため、無難に仕事をする人の方が仕事的に中途半端になるのも事実であります。
 「失敗」というのは「次のチャンス」とポジティブに捉えるか、「叱られるから失敗したことを避けて通る」とネガティブに考えるかで大分仕事への取り組み方が変わってくるものです。
 与えられた仕事を失敗してしまうのは痛いものです。しかし、なぜ失敗したのか?次に失敗しないためには何が必要なのか?というのを探るには絶好のチャンスであり、失敗しない人よりも深く仕事に取り組める、とは考えられないでしょうか。
 そして、その事がクリア出来た時、新たにこのチーム(厨房の人たち)のために役に立つことは何か、という、「自分のための仕事」ではなく「チームの一員としての役割」というのを考えるでしょう。
 最終的には「店」というチームを引っ張っていく「シェフ」になるのでしょうから、その時まで踏ん張って頑張るしかありません。
 
 と、こんな、励ましとも説教ともつかぬ話を書きましたが、自分のときはそんな事考えて仕事していたのか、記憶にありません。

 常に考えていたのは

「どうやったら早く終わるのよ?」

 だったような気がします。

 意外と、今もそんな感じなのかもしれませんが。







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記憶に絡みつく苦味はマスカレードの装い

2009-03-19 23:43:05 | Weblog
 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、彼岸入りしてから山形も暖かかな気候に恵まれております。
 春を感じるようになると、なぜか「茗荷(みょうが)」が頭の中に登場してきて、「使え!」のシュプレヒコールを繰り返すようになります。(シュプレヒコールはドイツ語で大勢が声を揃えて唱えること)
 「フランス料理で茗荷?」とお思いになった方もいらっしゃるかもしれませんが、軽くグリルやソテーしてもその苦味がアクセントになって美味しいですし、ピクルスにしてもその食感と風味が爽やかで申し分ありません。
 「茗荷を食べると物忘れする」という俗説がありますが、あれは「茗荷」を陥れる悪の組織の意図的な流布によるものと推測されます。
 もし、それが本当ならば食べた人全員、映画「花いちもんめ」の主演、千秋実状態になってしまうではないですか。(映画「花いちもんめ」は素晴しい映画です。主演の故千秋実さんは鬼気迫る演技で主演男優賞を受賞しております。興味のある方は是非ご覧ください)
 では、そのグリルやソテーした茗荷をどのようにしてお客様に出すのか?私は、グリルやソテーをした茗荷にバージンオリーブオイルとフランスの塩を掛けてシンプルに、などという料理は絶対に出しません。(望んでいる場合は別ですよ)
 料理には「展開」というものがあります。最近の悪い風潮で「シンプルにオリーブオイルと塩だけ」という考え方がありますが、それは「料理」として成立しているのでしょうか?私はそれが「素材の味を引き出している」とは思えませんし、家庭でも作れるようなものを店で出すのには疑問を抱いてしまいます。
 よく「フランス料理は足し算の料理」と言われておりますが、それは「素材」に素材が持ち合わせていない「違う要素」を組み合わせて美味しさを高める、といういわゆる相乗効果を狙ったものであり、それこそがフランス料理の真骨頂といえるでしょう。
 「日本料理は引き算の料理」とおっしゃった方もいましたが、その考え方には疑問を持ってしまいます。
 「素材」を「0」として考えた時に、それに手を加える事は、それ自体「足し算」になりますから、日本料理の場合、「鰆の西京焼き」であれば「西京味噌」の要素が足されている、と考える事が出来るのではないでしょうか。
 では、刺身はどうなのか。刺身は「素材そのもの」と取れますが、「魚」という「素材」を「刺身」に昇華させるまでの過程は手が込んでいて、作業の慎重性、というのも求められます。
 日本料理人の魚の扱い方を見たフランス料理人は「魚に手を掛けすぎており、自然な状態といえるのか?」と疑問に思ったそうですから、感覚の違い、というのは恐ろしいものです。
 
 話を戻しますが、私が「茗荷」を料理に組み込むならば、「フォワグラ」を合わせるでしょう。
 茗荷を縦に半割し、食感が残るよう断面のみソテーします。フォワグラはエスカロップ(厚めのスライス)にし、表面に小麦粉をはたいてソテーします。
 ソースは、玉葱をスライスし、バターで茶色になるまで炒めたものにシェリーヴィネガーを加え、煮詰め、フォン・ド・ヴォーを加えてさらに煮詰め、バターを加えた「シェリーヴィネガー風味のソース・リヨネーズ(リヨネーズはリヨン風という意味。「麦畑」を歌ったのは「オヨネーズ」ですが、「リヨネーズ」とはまったく関係ありません)」を流します。
 玉葱の甘み、シェリーヴィネガーの酸味、フォワグラのリッチな香りととろける旨み、「シャク」と微かに音が出る食感と独特の苦味と爽やかさを持つ茗荷、そのハーモニーが一皿に集約されているのは、まるでマスカレード(仮面舞踏会)のようではないですか。

「ボンソワール、マドモアゼル、もうお帰りですか?僕ともう一踊りいかがです?」

「ありがとう、でも行かなきゃ。月が出ているうちに帰るの。月が沈んでしまったら現実に戻るでしょ。そうなる前に楽しい想い出を抱いて眠るわ。」

「僕がその楽しい想い出になる、というのはどうですか?」

「ふふふ、順番待ちになるけどいいかしら?」

「何番目ですか?」

「108番目よ。」

「えっ?!108番目?」

「そう、煩悩の数だけお待ちになって。それじゃあ、おやすみなさい。」

「あっ!ちょっ、ちょっと!」

 そんな、そんな幻想すら出てくるような料理を作れるように日々頑張らねば。








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「ヒトラー日記」に変わる日記は「惣菜日記」である

2009-03-17 23:30:42 | Weblog
 春らしい、暖かな陽気が感じられるようになった今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 昨日は確定申告の最終日。店は休日なのに、奥さんの確定申告を代理で申告しに行って来た私でしたが、予想外の行列に目眩すら覚える感がありました。
 自分の事を棚に上げて、「この人たちは何の仕事しているのだろう?」といらぬ詮索をしてしまいましたが、中には申告の指導員に「あんだって?」と志村けんのじいちゃんのまねを地で行っているご老人も見受けられました。まさに「深刻、確定」なケースといえるでしょう。
 1時間以上も並んだ割にはあっけなく終わってしまいましたので、帰宅してから「たまに本棚の整理でも・・・」と思い立ち、本を部門別に仕分けし、探しやすいようにしようと作業をしていました。
 しかし、昔買った本を何冊かペラペラめくっているうちに読み込んでしまい、まったく作業がはかどらないどころか、次から次と本を出して読んでしまうので逆に散らかしてしまう、という結果に終わりました。
 最近はあまり本を買う事がなく、買ったとしても雑誌などが多いため、現在、所有している本は、20代に読んでいたのが殆どで、読み返すと懐かしいものばかりです。
 大半が料理関係のものですが、小説やエッセイは、みうらじゅんの「カリフォルニアの青いバカ」から松本清張の「小説 帝銀事件」までと幅広く、その他「買ったけど読まないからあげる。」と頂いたカントの「純粋理性批判」(これは半分くらい読んだ)、「こういうの藤原さん好きそうだから。」と頂いたヒトラーやムッソリーニ関係の本(これも半分くらい読んだ)と読破していない本もありましたので、この辺から新たに読み返していこうか、と意気込んでしまいました。(なぜか本を頂くことが多い)
 そんな折、たまたま手にした池波正太郎先生のエッセイを読んでおりましたら、「惣菜日記」のくだりがあり目を引いてしまいました。
 それによりますと、先生は、その日食べたものをメモし「惣菜日記」として記していたそうですが、その理由は、自分が一日中家の中で仕事をしていて、常に家で食事をするため、奥さん(本には「家人」と書いてある)が献立で困らないように日記を付けているのだそうです。優しいぜ、しょーちゃん!(残念ながら、先生は1990年にご永眠なされております)
 それを読んだ時、「俺って・・・最近何食べたんだろ?」と妙に考えてしまいました。
 一日の中で主食的なものを食べるのが夕方の賄いだけ、という私とマネージャーですから、もろ一極集中的な食生活で、夜食がアルコール、という非常に不健康な生活形態になっております。
 それでは、休みの日以外は何を食べているのか先週を振り返ってみましょう。

・火曜日「煮込み味噌ラーメン」(これはマネージャーのリクエストでした。煮込みラーメンは市販のものではなく、スープを簡単に作り、麺を買ってきて茹でずにそのまま投入し煮込むタイプのラーメンです。味噌の場合、辛味噌にしますが、その際、味噌とブレンドするコチュジャンは専門店で購入しないと美味しいものに巡り合えません)

・水曜日「シラスと小松菜のスパゲティ」(当店でスパゲティは出しておりませんので在庫がありません。その為、賄い用として100円ショップ、いわゆる「ヒャッキン(「ヒャ」の部分を「ファ」と言い間違えると外国の方に怒られます)」から購入しますが、シラスは1パック200円、小松菜は安いと88円、と400円あれば作れます。一番高いのがバージンオリーブオイル、というのがネックになってきますが、仕方がありません、これをケチると美味しくありませんから。冬に生たらこを塩漬けにし、干していたもの(自家製)を少し入れると美味しさが上がる事が判明しています)

・木曜日「牛スジ入りカレー」(なかなか無くなりません。煮込みラーメンで残ったスープなども入れているので無くなりかけては増え、という状態が続いています。後1回の食事で無くなると思われるのですが、ビミョーです)

・金曜日「鴨南蛮そば」(いつも行くスーパーにはお手頃な冷凍の合鴨スライスが売られています。それを使い温かい鴨のそばつゆを作り、乾麺のそばを茹でて頂きますが、その乾麺は新潟の「十日市町」というところで作られたものが最近のお気に入りです。田舎そばではなく、更科を髣髴させる麺は一食の価値ありです。しかし、売っているところが限られている上に無くなるといつ入荷になるか分からない、というものですから在庫確認をしてメニューを組まなければなりません)

・土曜日「魚の切れ端と小松菜のスパゲティ」(一週間でどれだけ小松菜を摂取するのか、という話になりそうですが、小松菜とスパゲティの相性は悪くありません、いや、個人的に好きです。小松菜は魚介類との組み合わせが良いのではないか、と勝手に思っております)

・日曜日(第三日曜日のディナーはお休みを頂いておりますから、賄いは食べません。その日の夜は自宅で鶏肉を焼いた物とサラダ、そして、ワインの3点セットで終わったように記憶しております。「記憶しております」という表現は土曜から日曜に掛けては殆ど寝ていないため、飲みながら寝てしまったからであります)

 と、このような私の「惣菜日記」でしたが、皆様はいかがな1週間を召し上がったのでしょうか?

 私たちの賄いは大抵このローテーションで決まりですから、どれだけ賄いで冒険しないかお分かりになられたのではないでしょうか。

 先々週はこれに「牛スジ煮込み」がプラスされたラインナップでしたが基本的にそう変わりはありません。

 冷凍庫の中に新たな牛スジが蓄積されておりますから、来月あたり「牛スジ花見会」と称して、牛スジ煮込み食べ放題(飲み物は持ち込み可)な企画を立てようか、と真剣に考えております。

 10人から15人程度の完全予約制でどうでしょう?

 まだ企画段階です。










 
 
 
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県産米新品種の名前を考えた時、サッカーの事も考えなければならない

2009-03-14 14:19:43 | Weblog
 先頃、山形県産米新品種の名称が「つや姫」に決定しましたが、人気を二分した「山形97号」は却下されたわけですが、これには、県外での作付け販売を考えた時、「山形」の名前が入っていると支障をきたすから、という深い理由があったそうです。舐められたもんですな、山形も。
 「つや姫」の「つや」を漢字にしなかったのも「艶」では「イヤラシイ」イメージがあるからだそうですが、それを連想するのではないか、と考える方がよっぽど「イヤラシイ」感があります。
 私的には、「つや姫」だけですと、「篤姫」の2番煎じのような印象を持ちますから、「山形97号」と掛け合わせた「つや姫97号」くらいにして、撹乱していただきたかった、と考えます。
 しかし、その「つや姫」がモンテディオ山形の選手の胸に張り付くわけですから、「TUYAHIME」とアルファベットにして選手に配慮してみてはどうか?といらぬ心配をしてしまうのですが、仮に「おしんちゃん」で決定していた場合、アルファベットにしても「OSHINCHAN」となり、何が何だか分からなくなる可能性があります。
 どうせなら「おしんちゃん」の表記を「OSHING CHANG」にして「HONG KONG(香港)」「KING KONG(キングコング)」のように、さも、昔から存在していたもののように祭り上げる、という手もアリでしょう。
 それを考えるとモンテディオの選手も大変です。胸に米の名前、背中に「平田牧場」とある意味、「豚肉丼」のようなダブルネームを掲げて試合をしなければならないわけです。
 前回の試合では「つや姫」が間に合わなかったためユニフォームにはリストオンしていなかったようですが、そのうちお目見えするのではないでしょうか。
 「つや姫」オン後のユニフォームの写真を地方新聞で取り上げておりましたが、結構キビシイものを感じました。是非、アルファベット化の検討をお考え頂きたいものです。
 明日、モンテディオ山形と名古屋グランパスの試合が行われますが、また、ジュビロ磐田戦の時のような活躍を期待しております。
 このまま快進撃を続けて、J1残留になった暁には、小林監督を終身名誉県民にするべきです、いや、そうしましょう。仮に小林監督が辞退しても許しません、もう名誉県民大決定です、しかも終身で。
 余談ですが、「モンテディオ山形」の「モンテディオ」は「山の神」という意味だそうですが、「名古屋グランパス」の「グランパス」は「グラン(仏語で大いなる、偉大な、の意味)」な「パス」という事なのでしょうか?どなたか知ってらっしゃる方がいましたらご教授ください。考えると眠れなくなるんですよ、地下鉄の電車をどうやって入れたか、というのと同じで。
 
 もう、ネタが無いのがバレバレな今回の内容でしたが、内容が内容だけに30分ほどで打ち終わってしまいました。

 今度はちゃんとネタを考えて書くようにしますので、ご容赦ください。







 
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器と料理が融合する時、何かが生まれる

2009-03-13 14:22:12 | Weblog
 たまに料理の写真でもアップしようかと思い、今回仕込んだ「エイヒレとアスパラガスのテリーヌ」を載せてみました。
 これを撮影したのが3日ほど前ですので、現在はほとんど無くなりました、いや、もうありません。その辺をご了解いただき、また新たなテリーヌを仕込み終わるまでお待ちください。
 そして、この写真の皿も最近購入した皿であります。
 前菜用のガラスの皿は他に3種類ほど在庫しておりますが、何と言いますか、欲しくなるんですよ、新しいガラスの皿が。
 今回は、業者さんに

「なんかさー、四角っぽいので、若干、緑がかってるっていうか、ゴツゴツした雰囲気のガラスの皿・・・ない?」

 と、かなり分かりづらい注文をしたのですが、流石は業者さん、2日後に持ってきてくれました、大量のカタログを。
 その中からこの皿を選んだのですが、中には、「これは・・・どうでしょう?」という皿も・・・私が思う限りあったような、無いような。
 
 皿というのは料理にとって非常に大事な部分を占めるものだと私は思っております。
 皿ひとつで料理をイメージする事も出来ますし、逆に皿が派手すぎると料理を邪魔します。
 当店の皿は、前菜のガラスの皿以外は、ほとんど真っ白な皿で統一しておりますが、それは、料理を盛った時に料理が映えるように、という意図があります。
 フランス料理の場合、基本的な盛り付けとして「シンメトリー」というものがあります。
 つまり、皿の上部に付け合せ、その下にメイン、そしてソース、というように盛られていますが、それは、左右対称(シンメトリー)に盛り付けなくてはなりません。
 フランスに限らず、西洋の建築物(教会なども含む)はシンメトリーを基本とした設計になっており、それは、西洋独特のシンメトリー(左右対称)の美学なのではないか、と私は思っております。
 その考えは料理の盛り付けにも現れており、シンメトリーな盛り付けが良し、とされておりました。
 しかし、現在では自由な盛り付けの風潮、というより時代の流れなのかもしれませんが、自由な発想での盛り付けが主流のようであります。
 私はどちらかと言いますと、盛り付けで冒険するタイプではございませんので、地味に、そして確実に綺麗に、というのが私の盛り付けの基本的理念であります。
 
 料理というのは、作る側のメッセージと共に盛られておりますので、その意図するところを理解した時、本当にその料理を楽しむことが出来るのかもしれません。
 例えば、エスカルゴのフリカッセという、カタツムリを下処理し、クリームで軽く煮込んだ料理には、葉の形をしたフイユタ-ジュが添えられている事がありますが、それは、葉の周りを遊ぶカタツムリ、という表現にも思えますし、フイユタージュの語源がフイユ(フランス語で葉っぱを意味する。ミルフィーユは千枚の葉の事)であるから葉の形をしているのか、とも取れるわけです。
 ナヴァラン・ダニョー(仔羊の煮込み)に蕪が入っているのは、蕪(仏語navetナヴェ)から来ているのだろうか、や、冬の野菜は柔らかく茹でて冬を表現し、春の野菜は歯ごたえを重視した固めの茹で方なのか、など、思うところは沢山あります。
 その料理を盛る皿の意味は何か、というのも考えると料理を作る立場の人間は楽しいのであり、頭を使い精一杯料理するのが料理人の仕事ではないか、と私は思います。

 牛丼ひとつにしてもプレゼンテーションで印象が変わると思いますので、牛丼の上に叩いた木の芽を乗せて雰囲気を出してみる、というのも悪くは無いのではないでしょうか。

 定食屋さんのお盆に水打ちするのはやりすぎだと思いますけどね。








 
 
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私の定額給付金の使い道を一緒に考えてください

2009-03-12 17:03:22 | Weblog
 先日、テレビを見ておりましたところ、日本で一番早く定額給付金を手にした方が「貰えてうれしい。」と喜びを見せている姿が映し出されていました。
 その方は2万円を見せておりましたから結構なお年を召された方だと推測できましたが、残念ながら私の場合は1万2千円でしょう。
 しかし、この「1万2千円」という金額は、「欲しい物は買えないけど素直に嬉しい」金額でありますし、大きい物の頭金にするにはもってこいの金額です。
 食事をしてパーッと使う、という手もアリですが、一人で1万2千円の食事代というとかなり良いワインが飲めますから、その際は迷う事無く当店をご利用になられることを提案します。(一部宣伝)
 翻って考えてみますと、私の場合、何に使うか迷うところであります。どう考えても貯金するような堅実な人間ではありませんので、一気に使ってしまう確率100%でしょう。
 しかし、いかんせん、今すぐに欲しい物がありません。とりあえずスーツが欲しいな、とは思っておりますが、それは「必ず欲しい」という範疇ではなく、公の場に出る際のスーツが必要かな?くらいなわけで、「どうしても欲しい!欲しくてたまらん!」というものではありません。
 因みに、「公の場」に出る機会があるのか?と突っ込まれるとしどろもどろになってしまうわけですが、私だってたまにはレストランでの食事をしますので、その時、カジュアルな格好では店側に失礼ではないですか、それなりの年齢ですし。
 一応、スーツの頭金、と考えていたのですが、深く考えると1万2千円では屁の突っ張りにもなりません。頭金だから・・・としたところで2回目からの入金額はそれ以上になることでしょう、それを考えると怖い・・・という事で保留。
 趣味であるギターの頭金、とも考えたのですが、それも1万2千円では非力でありますし、現在所有ギター本数が10本近くなっておりますので、また新たに買ってしまった場合、私の奥さんから「他のギター売却法案」を制定、強制執行される恐れがあります。ですからこれも保留。
 ワインも欲しいところではありますが、店で保管しているうちにマネージャーの手によって売却される恐れがあります、いや、これに関しては前例がありますので売却されるでしょう、確実に。
 「パコジェット」という冷凍粉砕機能のミキサーも欲しいのですが、これは100万円近くするため、買えません、1万2千円貰ったところで。
 真空調理器も欲しいのですが、こちらも40万円以上と高額な為、1万2千円では頭金にすらなり得ないでしょう。
 
 では現実的な1万2千円の使い道とは何でしょう?

 考えました。

 東京研修の交通費、がピッタリですな、金額的にも。

 という事で、今年もゴールデンウィーク後、お休みを頂いて東京へ研修に行きたいと思います。

 という事は・・・やはりスーツいるのか?







 
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店を開店するより、維持するのが難しい

2009-03-11 19:01:21 | Weblog
 年度末、確定申告という数字との格闘をやり終えた方も多数いらっしゃるのではないか、と推測される今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 私は先週、確定申告を提出して、その呪縛から解き放たれましたが、1年ほど請求書や納品書などをひとまとめにし放置しておくことが、どれだけ年度末に自分自身を苦しめるのか、毎年分かっているはずなのですが忘れてしまう、と言いますか、「後でも大丈夫。」と思ってしまうのか、「わかっちゃいるけどやめられない。」という人間の真理は恐ろしいものです。
 毎年、年間の支払額を見ていると卒倒しそうになる私ですが、払えるだけまだましなのか、とも思うわけです。
 とある飲食店では、従業員給与が滞っているところもある、との情報も漏れ聞きますから、同じ経営者として一刻も早く支払う事を心から願い、従業員も我慢せず何らかの措置を取るべきではないのか、とも思う次第です。(余計なお世話)
 同じく、年度末だからなのでしょうか?山形に帰郷して就職しようとしている、又は、店を出そうとしている、という方々が何名かいらっしゃいまして、なぜかその方たちが当店へ来店し、そして、カウンター越しに相談されます。
 カウンターで、ある程度食事を終えてから「実は・・・」と切り出される話ほど重い内容だったりするわけですが、知り合いの方と共にいらっしゃっているわけですから聞かないわけにはいきません。
 
「春から働けるフランス料理店は無いでしょうか?」

 この話を切り出されると、

(今までカウンターで俺の仕事を見た限り、ここでは働きたくないわけね。)

 と、思ってしまうのですが、それはスルーして

「このご時勢ですからね・・・何ならこの店売りましょうか?」

 と冗談のひとつも飛ばしてみると、

「何を言ってるんですか!」
 
 などと、烈火の如く怒られたりするわけです。冗談なんだから、もう、察してよ。
 店を出そうと思っている、という人もおりましたが、「どう思いますか?」と言われて何と答えればいいのでしょうか?「いいんじゃないでしょうか。」と「頑張ってください。」以外に言葉が見つかりません。
 「店を出す」と一口に言っても、「どんな店を出すのか」「どういった客層を狙うのか」「客単価はいくらに設定するのか」「月にどれくらいの売り上げを目標としているのか」「人件費はどの程度に設定するのか」「店のコンセプトは何か」「月の支払いの想定額はいくらなのか」「店の内外装にはいくら掛けるつもりなのか」「その内外装のもたらす効果とは何か」など、考え得る事は全て考え、それを書面に起こして「営業計画書」なるものを作成しなければ、融資を受けることは出来ません。
 「融資を受けれない」という事は「店を出せない」と同じ事ですから、融資を受けようとする段階で経営者に徹さなければならないわけです。(強力なパトロンがいる場合は別です)
 料理人は完璧な料理を作るのが仕事ですが、オーナーシェフは、その仕事以外に経営者としての仕事がのしかかってきますから精神的なプレッシャーに強くなければ務まりません。
 「店を出そうと思うがどう思うか?」の話の前に「何をするのか。」「どういう店にしたいのか。」「どういった年代の人たちにターゲットを絞っているのか」といった「コンセプト」というものをしっかり持ってから「店を出したい」話をするべきなのではないか、と私は考えるわけです。
 そして最後に、経営者は店と共に成長するものだと思いますので、これから先の店のあり方、というのを従業員の方々に話をし、そして、協力を仰ぎ、「我々なら大丈夫!」と鼓舞しながらも、「本当に大丈夫なの?」と微かな不安を抱いているのが真の経営者の姿なのではないでしょうか。(大げさ)

 私が「俺って経営者。」と思う瞬間は、マネージャーと東京に食事(勿論、フランス料理)に行って会計後、

「マチルダベイで領収書をください。」

 と言えるところでしょうか。しかし、その後、こんな会話が続きます。

「マチルダベイ様でよろしいでしょうか?」

「結構です。お願いします。」

「・・・・・・(領収書を書きながら)、失礼ですが、マチルダベイ様は何をなさっている会社なのでしょうか?」

「色々ですよ。色々。」

「えっ!?色々って・・・」

「色々仕入れたり、色々売ったり、そんな仕事ですよ。」

「その色々が・・・何だか・・・」

「ご馳走様でした!」

 謎のまま去って行くのがいいんですよ、人はね。








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