皆様、突然ですが、清水健太郎が歌う「失恋レストラン」という曲をご存知でしょうか?ご存じない方は気にせずそのままお読みください。
私が子供の頃大ヒットした曲ではありますが、歌っていた本人がその後、覚醒剤で捕まるなどしてしまったために封印された曲のように感じます。
しかし、曲自体は切ないメロディーが耳に残り、歌詞は哀愁を帯び、「ねぇマスター、ねぇマスター、ねぇマスター早く」という最後の絶叫とも言える部分では、「何だか判んないけど、マスター、早くしてやってくれよ。」と、こちらも感情移入してしまうくらいの勢いはあります。
「つのだひろ」が作詞作曲したというのは最近知った事ですが、私は、これは歴史に残る名曲なのではないだろうか、と勝手に思っております。
若干、歌詞に疑問な点が多いのもこの曲に興味を持ってしまう理由でもあるわけでして、その疑問のために歌詞を思い出す、のようになっている事からもこの曲の心の残留指数は高い、と考えられます。
では、改めて考えてみますと
「悲しけりゃここでお泣きよ、涙拭くハンカチもあるし、愛が壊した君の心を優しく包む椅子もある」
ここまでは何の疑問もありません。というか、良いレストランではないですか。失恋し、落ち込んだ人にこんな言葉をかけてあげれるなんて。ひとつだけ疑問に感じる事があると言えば、この言葉を投げかけた人は従業員なのか、それとも、隣のお客さんなのか、といったことろでしょうか?
「ポッカリ空いた胸の奥に、詰め込む飯を食べさせる、そんな失恋レストラン、色んな人がやって来る」
「詰め込む飯を食べさせる」という表現が結構、乱暴のように感じますが、心の隙間を埋めてあげるよ、という事と解釈すれば問題はないように思います。しかし、「そんな失恋レストラン」って、どんなレストランだよ、とツッコミたくはなりますな。
「好きな女に裏切られて、笑いを忘れた道化師が、すがる失恋レストラン、もう、おどける事もない、今は」
ここからは、疑問全開でしょう。おどけて笑いを取っていた道化師のような男を、女の人は信用しない、と、この歌詞からは取れるような気がします。しかし、道化師のようにおどけて気を引こうとしている人間を人は簡単に裏切る、とは思えません。本人にも何か問題があったのではないか、と推測されます。
「笑いを忘れた道化師」というのも怖いものがあります。笑っていない道化師、という事になりますからね。そして、そんな人たちが「すがる」「失恋レストラン」、怖いです。
「ねぇ、マスター、作ってやってよ、涙忘れるカクテル」
ここはサビの部分ですが、この後、「ねぇ、マスター、歌ってやってよ、痛みを癒すラプソディー」「ねぇ、マスター、ラストオーダーは、失恋までのフルコース」とサビは続きます。
余談ですが、私の友人は「ねぇ、マスター」の部分を「見えますか」に聞き間違えておりました。そんなわけないでしょう。意味不明です、それじゃ。「見えますか?作ってやってよ・・・」そんな日本語ありません。
話を戻しますが、段階的に考えていくと、「涙忘れるカクテル」を注文できる、という事はこのレストランにはバーカウンターが設置されている、という事になります。現在の店舗ネーミングの括りでいえば「ダイニングバー」となるのではないでしょうか。
ここまではいい。しかしその後の「歌ってやってよ」という表現の辺りから疑問がフルスロットルです。
このマスターは、「作ってやってよ」と言われれば、「涙忘れるカクテル」を作らなければなりませんし、「歌ってやってよ」と言われれば、「痛みを癒すラプソディー」を歌わなければなりません。しかも、「笑いを忘れた道化師」たちの相手もしながらですよ、「ラストオーダーは、失恋までのフルコース」に至っては意味が分かりません。
「失恋までのフルコース」というコース料理を「食べさせてやってくれ」、もしくは「食べたい」、なのか、彼氏、または彼女と付き合うようになった経緯から、別れる、もしくは失恋するまでの話を「聞かせてやってくれ」、もしくは「聞きたい」、なのか、今ひとつハッキリしないところであります。どっちにしても大変なことになっているのには変わりないですけどね。
しかもよくよく歌詩を思い出してみると、第3者的に傍観していたと思われる歌の中心人物(「作ってやってよ」などと発言していた人)も実は失恋していた、というオチがあり、やはりこの曲は侮れないな、という事が分かります。
当店でも、カウンターがありますし、マネージャー(マスター)に言えば、涙を忘れるかどうか分かりませんが、簡単なカクテルくらいはお出しします。
しかし、「失恋までのフルコース」と言われると・・・
頑張って作る努力はします。
私が子供の頃大ヒットした曲ではありますが、歌っていた本人がその後、覚醒剤で捕まるなどしてしまったために封印された曲のように感じます。
しかし、曲自体は切ないメロディーが耳に残り、歌詞は哀愁を帯び、「ねぇマスター、ねぇマスター、ねぇマスター早く」という最後の絶叫とも言える部分では、「何だか判んないけど、マスター、早くしてやってくれよ。」と、こちらも感情移入してしまうくらいの勢いはあります。
「つのだひろ」が作詞作曲したというのは最近知った事ですが、私は、これは歴史に残る名曲なのではないだろうか、と勝手に思っております。
若干、歌詞に疑問な点が多いのもこの曲に興味を持ってしまう理由でもあるわけでして、その疑問のために歌詞を思い出す、のようになっている事からもこの曲の心の残留指数は高い、と考えられます。
では、改めて考えてみますと
「悲しけりゃここでお泣きよ、涙拭くハンカチもあるし、愛が壊した君の心を優しく包む椅子もある」
ここまでは何の疑問もありません。というか、良いレストランではないですか。失恋し、落ち込んだ人にこんな言葉をかけてあげれるなんて。ひとつだけ疑問に感じる事があると言えば、この言葉を投げかけた人は従業員なのか、それとも、隣のお客さんなのか、といったことろでしょうか?
「ポッカリ空いた胸の奥に、詰め込む飯を食べさせる、そんな失恋レストラン、色んな人がやって来る」
「詰め込む飯を食べさせる」という表現が結構、乱暴のように感じますが、心の隙間を埋めてあげるよ、という事と解釈すれば問題はないように思います。しかし、「そんな失恋レストラン」って、どんなレストランだよ、とツッコミたくはなりますな。
「好きな女に裏切られて、笑いを忘れた道化師が、すがる失恋レストラン、もう、おどける事もない、今は」
ここからは、疑問全開でしょう。おどけて笑いを取っていた道化師のような男を、女の人は信用しない、と、この歌詞からは取れるような気がします。しかし、道化師のようにおどけて気を引こうとしている人間を人は簡単に裏切る、とは思えません。本人にも何か問題があったのではないか、と推測されます。
「笑いを忘れた道化師」というのも怖いものがあります。笑っていない道化師、という事になりますからね。そして、そんな人たちが「すがる」「失恋レストラン」、怖いです。
「ねぇ、マスター、作ってやってよ、涙忘れるカクテル」
ここはサビの部分ですが、この後、「ねぇ、マスター、歌ってやってよ、痛みを癒すラプソディー」「ねぇ、マスター、ラストオーダーは、失恋までのフルコース」とサビは続きます。
余談ですが、私の友人は「ねぇ、マスター」の部分を「見えますか」に聞き間違えておりました。そんなわけないでしょう。意味不明です、それじゃ。「見えますか?作ってやってよ・・・」そんな日本語ありません。
話を戻しますが、段階的に考えていくと、「涙忘れるカクテル」を注文できる、という事はこのレストランにはバーカウンターが設置されている、という事になります。現在の店舗ネーミングの括りでいえば「ダイニングバー」となるのではないでしょうか。
ここまではいい。しかしその後の「歌ってやってよ」という表現の辺りから疑問がフルスロットルです。
このマスターは、「作ってやってよ」と言われれば、「涙忘れるカクテル」を作らなければなりませんし、「歌ってやってよ」と言われれば、「痛みを癒すラプソディー」を歌わなければなりません。しかも、「笑いを忘れた道化師」たちの相手もしながらですよ、「ラストオーダーは、失恋までのフルコース」に至っては意味が分かりません。
「失恋までのフルコース」というコース料理を「食べさせてやってくれ」、もしくは「食べたい」、なのか、彼氏、または彼女と付き合うようになった経緯から、別れる、もしくは失恋するまでの話を「聞かせてやってくれ」、もしくは「聞きたい」、なのか、今ひとつハッキリしないところであります。どっちにしても大変なことになっているのには変わりないですけどね。
しかもよくよく歌詩を思い出してみると、第3者的に傍観していたと思われる歌の中心人物(「作ってやってよ」などと発言していた人)も実は失恋していた、というオチがあり、やはりこの曲は侮れないな、という事が分かります。
当店でも、カウンターがありますし、マネージャー(マスター)に言えば、涙を忘れるかどうか分かりませんが、簡単なカクテルくらいはお出しします。
しかし、「失恋までのフルコース」と言われると・・・
頑張って作る努力はします。
はい、某AM局の番組の話しでした、ハイ。
因みに、今年は出店やります?
ラジオはあまり聞かないものですから・・・すみません。
今年の屋台の計画ですが・・・色々あって取り止めの方向という事になりそうです。経緯などはブログに載せますので、よろしくお願いいたします。