鼻の先が赤くなっているのが判るくらいの「寒さ」なのに、突き抜けるような青空が見えていると「寒さ」を許せる気持ちになってしまうのは晴々とした青空のせいでしょう。それが灰色の曇りだったら「寒さ」どころか空の色さえも許す事は出来ず、悶々とした1日を過ごす事になるのです。そんな事を思いながら青空を仰いで買い出しに出掛けた今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
人は中途半端な色を見続けるとストレスが掛かってしまう、という話を何かの本で読んだ事がありますが、それが本当であれば空の色も「青色」より「灰色」の方がストレスが掛かりやすくなる、という事なのでしょうか。
確かに、「灰色」は「黒」と「白」の中間色でありますから「中途半端な色」と言えるのでしょう。だったら「赤」と「白」の中間色と言える「ピンク」もストレスが掛かるのでしょうか。だとしたらゴレンジャーの「ピンク」は相当ストレスを抱えている事になります。いや、逆に敵にストレスを与える為の色使いなのか・・・
それを基(もと)にして考えると料理の色もくすんだ色より鮮やかな色の方が美味しそうに見えるわけで、例えば、ほうれん草も長く茹でてくすんだような緑で出されたら食べる側も元気がなくなってしまう、というものでしょう。
やはり、鮮やかで目に焼き付くようなほうれん草の緑、焼く前以上に赤くなったのではないかと思えるような肉の断面の赤、白い皿に同化しそうなじゃがいものピュレの白、など何気ない料理でもその色というのは大切なのです。
しかし、料理をその色に仕上げるまでは細心の注意と調理理論、そして、調理技術が必要になってきます。ほうれん草は茎と根の部分をどれだけ加熱するか、葉の部分はどのように短時間過熱にするのか、肉はどのように焼いてどれだけ休ませるのか、じゃがいもは皮付きでで茹でるのか、それとも皮を剥いて茹でるのか、など考える力、そして、それを確実に調理できる技術というのが必要になってくるのです。
肉を例に取り上げて考えてみますと、最近よく「ギリギリの火入れ」という言葉を聞きますが、「ギリギリの火入れ」というのは「ギリギリ」まで「火を入れる」という事ですから、「ギリギリ」で「生」はアウトです。
例えが悪いかも知れませんが「ギリギリの火入れ」というのはある意味、崖っぷちのチキンレースみたいなものですから「ギリギリ」で止まらなければならないわけです。
たまにレストランに食べに行って肉を食べると調理した人のその時の精神状態が垣間見える事があります。
「忙しくて肉に掛かりっきりになれないのだろう。ギリギリを目指したが結構手前で止まったな・・・。火を入れ過ぎるよりは生っぽい方を選ぶ人・・・ギャンブルを好まない堅実な人間性ですな、この肉を焼いた方は。」
と人間性まで分析できます。(ちょっとだけ大げさです)
まぁ、たまには崖をブレーキ無しで飛んで行ったような肉焼きの方もいらっしゃいますが、それはそれでアッパレです。勇気がある、というのとちょっと違いますが・・・
例えば、牛肉だったらかなり手前で止まってもいいでしょう、「セニャン(レア)」という肉焼きの分類があるわけですから。しかし、「豚」「鶏」「仔羊」にその論理は通用しません。特に「仔羊」、「骨付き仔羊」だったら尚更、というより、一番神経を使うのではないでしょうか。
「仔羊」の焼き方に「セニャン(レア)」はあり得ません。肉の中心部分がちょっとだけ生、というのも許されないでしょう。なぜそんなにこだわるのか。それは、「仔羊」の肉というのは火が入って初めて香りが立ち、そして、その美味しさを十分引き出した、となるからです。(「なるからです」と断言してますが、私個人の考えですのでご了承ください)
「あの匂いが嫌で・・・」そのように思われる方もいらっしゃるでしょう。それは判ります、判るのですが、あれを「匂い」と捉えるか「香り」と捉えるかでだいぶ「仔羊」のイメージが変わってきます。
クセのある香りが苦手、という方は多いと思われますが、あの香り、いや、あのクセが無かったら「仔羊」は美味しく感じられないのではないか、と思うわけです。
クセのない「ナンプラー」、クセのない「たくあん」、クセのない「ハーブ」、クセのない「鮒寿司」、クセの強いものは、逆に考えればクセが無ければ美味しくないんです。でも、「ドリアン」はクセが無くてもいいですけどね。
話が逸れました。「仔羊」に限りませんが、肉というのはキチンと火を入れてこそ、その素材の美味しさを引き出せるのです。しかし、火を入れ過ぎてしまうと肉が縮み、ジュ(この場合は肉汁)が出てしまい旨味の逃げた肉料理に成り下がってしまいます。
だから料理人は葛藤するのです。これ以上オーブンに入れるべきか、それとも今出して余熱で休ませて火を入れるか、しかし、中心がちょっとだけ生だったら・・・じゃあ、もう少しオーブンに入れるか・・・でもこれ以上お客様を待たせるわけにはいかないし・・・、そんな心の葛藤があるのです。
そんな葛藤は肉料理だけではありません。
魚はどう焼くのがいいか、野菜はどう調理するのがいいか、ソースはどこまで煮詰めるか、付け合せは何にするか、常に選択を余儀なくされ、その評価を気にしなければならない仕事、それが料理人という仕事なのです。
ちょっとマゾっ気がなければ出来なそうな仕事でありますが、マラソンと同じで苦しみの先にゴールがある仕事なのです。マラソンは全くしませんが、ワタクシは。
そして、クセのある食材とも向き合わなければならない仕事でもあります。
でも、人間的には、クセが無い方がいいんでしょうな・・・
クセ、無いですよね、私・・・たぶん・・・(祈り)
人は中途半端な色を見続けるとストレスが掛かってしまう、という話を何かの本で読んだ事がありますが、それが本当であれば空の色も「青色」より「灰色」の方がストレスが掛かりやすくなる、という事なのでしょうか。
確かに、「灰色」は「黒」と「白」の中間色でありますから「中途半端な色」と言えるのでしょう。だったら「赤」と「白」の中間色と言える「ピンク」もストレスが掛かるのでしょうか。だとしたらゴレンジャーの「ピンク」は相当ストレスを抱えている事になります。いや、逆に敵にストレスを与える為の色使いなのか・・・
それを基(もと)にして考えると料理の色もくすんだ色より鮮やかな色の方が美味しそうに見えるわけで、例えば、ほうれん草も長く茹でてくすんだような緑で出されたら食べる側も元気がなくなってしまう、というものでしょう。
やはり、鮮やかで目に焼き付くようなほうれん草の緑、焼く前以上に赤くなったのではないかと思えるような肉の断面の赤、白い皿に同化しそうなじゃがいものピュレの白、など何気ない料理でもその色というのは大切なのです。
しかし、料理をその色に仕上げるまでは細心の注意と調理理論、そして、調理技術が必要になってきます。ほうれん草は茎と根の部分をどれだけ加熱するか、葉の部分はどのように短時間過熱にするのか、肉はどのように焼いてどれだけ休ませるのか、じゃがいもは皮付きでで茹でるのか、それとも皮を剥いて茹でるのか、など考える力、そして、それを確実に調理できる技術というのが必要になってくるのです。
肉を例に取り上げて考えてみますと、最近よく「ギリギリの火入れ」という言葉を聞きますが、「ギリギリの火入れ」というのは「ギリギリ」まで「火を入れる」という事ですから、「ギリギリ」で「生」はアウトです。
例えが悪いかも知れませんが「ギリギリの火入れ」というのはある意味、崖っぷちのチキンレースみたいなものですから「ギリギリ」で止まらなければならないわけです。
たまにレストランに食べに行って肉を食べると調理した人のその時の精神状態が垣間見える事があります。
「忙しくて肉に掛かりっきりになれないのだろう。ギリギリを目指したが結構手前で止まったな・・・。火を入れ過ぎるよりは生っぽい方を選ぶ人・・・ギャンブルを好まない堅実な人間性ですな、この肉を焼いた方は。」
と人間性まで分析できます。(ちょっとだけ大げさです)
まぁ、たまには崖をブレーキ無しで飛んで行ったような肉焼きの方もいらっしゃいますが、それはそれでアッパレです。勇気がある、というのとちょっと違いますが・・・
例えば、牛肉だったらかなり手前で止まってもいいでしょう、「セニャン(レア)」という肉焼きの分類があるわけですから。しかし、「豚」「鶏」「仔羊」にその論理は通用しません。特に「仔羊」、「骨付き仔羊」だったら尚更、というより、一番神経を使うのではないでしょうか。
「仔羊」の焼き方に「セニャン(レア)」はあり得ません。肉の中心部分がちょっとだけ生、というのも許されないでしょう。なぜそんなにこだわるのか。それは、「仔羊」の肉というのは火が入って初めて香りが立ち、そして、その美味しさを十分引き出した、となるからです。(「なるからです」と断言してますが、私個人の考えですのでご了承ください)
「あの匂いが嫌で・・・」そのように思われる方もいらっしゃるでしょう。それは判ります、判るのですが、あれを「匂い」と捉えるか「香り」と捉えるかでだいぶ「仔羊」のイメージが変わってきます。
クセのある香りが苦手、という方は多いと思われますが、あの香り、いや、あのクセが無かったら「仔羊」は美味しく感じられないのではないか、と思うわけです。
クセのない「ナンプラー」、クセのない「たくあん」、クセのない「ハーブ」、クセのない「鮒寿司」、クセの強いものは、逆に考えればクセが無ければ美味しくないんです。でも、「ドリアン」はクセが無くてもいいですけどね。
話が逸れました。「仔羊」に限りませんが、肉というのはキチンと火を入れてこそ、その素材の美味しさを引き出せるのです。しかし、火を入れ過ぎてしまうと肉が縮み、ジュ(この場合は肉汁)が出てしまい旨味の逃げた肉料理に成り下がってしまいます。
だから料理人は葛藤するのです。これ以上オーブンに入れるべきか、それとも今出して余熱で休ませて火を入れるか、しかし、中心がちょっとだけ生だったら・・・じゃあ、もう少しオーブンに入れるか・・・でもこれ以上お客様を待たせるわけにはいかないし・・・、そんな心の葛藤があるのです。
そんな葛藤は肉料理だけではありません。
魚はどう焼くのがいいか、野菜はどう調理するのがいいか、ソースはどこまで煮詰めるか、付け合せは何にするか、常に選択を余儀なくされ、その評価を気にしなければならない仕事、それが料理人という仕事なのです。
ちょっとマゾっ気がなければ出来なそうな仕事でありますが、マラソンと同じで苦しみの先にゴールがある仕事なのです。マラソンは全くしませんが、ワタクシは。
そして、クセのある食材とも向き合わなければならない仕事でもあります。
でも、人間的には、クセが無い方がいいんでしょうな・・・
クセ、無いですよね、私・・・たぶん・・・(祈り)