ラミ・デュ・ヴァン・エフ シェフのブログ ~言葉の錬金術~

フランス料理に限らず、色んな話のブログ内容です。

今、この季節に感じた事を言葉にする散歩に出かけよう

2014-03-27 20:37:06 | Weblog
 不意に降り出した雨の温度やその粒の大きさにも「冬」が感じられなくなり、微妙に温まったアスファルトがその雨を吸収して春特有の匂いを放つのです。それは恰も(あたかも)地中で目覚めた虫たちが蠢き(うごめき)、這い出てくるのに似ていて、生命の力強さを感じる季節「春」を印象付ける今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 暖かくなり、身を屈めて寒さを凌いだ季節にはお別れを言わなければなりません。これからやって来る「春」という季節は、新しい何かが起きそうな、その何かは判らないけれど、何かが起きそうな、そんな気持ちにさせてくれます。
 そんな気持ちの時はなぜか「サラダ記念日」ばりに、その湧き出る気持ちを「五・七・五」の縛りに乗せてサラリと口に出してみたいものです。
 気温的に暖かくなり、今まで厚めの上着を着ていたのが普通のジャケットでも大丈夫だな、と思うと、

「春はそこ 畳む上着に さよならを」

 そんな言葉が浮かんでくるではないですか。仕舞う冬用の上着に半年ほど別れを告げ、仕舞っていた春夏用の上着に「お帰り」と声を掛けてあげる、他の人から見られたら確実に通報されるであろう光景ですが、春はそういう季節だ、と言い切る勇気も必要であります。

「通報を される私は おかしいの?」

 いや、そこまで詠まなくていいでしょう・・・しかも、疑問形で終わってるし。
 本格的に衣替えを終えると、今度は街中に出かけたくなる、というものでしょう。出かける先は最近できた巨大ショッピングモールではなく、普通の街中の方が風情があり、その中に佇むチェーン系カフェも自分の時間を有意義に使うために一役買ってくれるはずです。

「春の風 頬和ませる(なごませる) テラス席」

 そろそろテラス席があるお店はその場所を開放するでしょう。どこに焦点を合わせるでなく街を眺めているとまだ小さい子供たちの笑い声が空に吸い込まれるようです。しかし、残念ながらその傍らにはハーモニカを吹きながら子供たちと仲良くなろうとしているおじいさんがいます・・・お母さん方!迅速な対応をお願いしますよ!

「上手いのか? そうでもないのか ハーモニカ」

 カフェでエスプレッソをクイと飲み干して、また街中を歩きながら時計を見るとお昼時になっている事に気が付きました。よく考えてみたら朝ご飯を食べていませんでした。「どこかで、落ち着いて食事をしたいな」そう思うと、今度は何を食べるか、という大変な選択肢が待っている事に気が付きました。
 気持ちが浮つき加減で、先ほどのエスプレッソの香りが口の中に若干残っている事も考えれば「イタリアン」というのが妥当な線でありますが、和食で「松花堂弁当」というのも悪くありません。それを考えたら「春=ピクニック=弁当」という図式も出来上がってしまいます。という事で、お昼は和食に決定し、そのお店へ向かう事にしました。
 「弁当」と言っても、「松花堂弁当」は2000円以上する事は必至。しかし、そんな優雅なお昼だって許されるのが「春」なのです。暖かな日差しが現れ始めた「春のお昼」に躊躇は禁物なのです。

「竹の子や 木の芽が似合う 春の箱」

 「松花堂弁当」がある和食店へ入りそれを注文して店内を見渡すと、上品そうなおば様方が目立ち、男性指数の低さに気恥ずかしさを感じてしまいますが、それを払拭させてくれたのは厨房から流れてくるであろう鰹出汁の香りと、野菜を茹でたような青い香りでありました。
 その「鰹出汁」と「茹でた野菜」の香りがブレンドされ、店内から見える借景、店内の木の匂いなどが得も言われぬ空間を作り上げているようです。
 そうなればお茶だけでは役不足、というもの。すぐにお給仕さんに声を掛け、ビールを注文しました。ビールは瓶ビールです。季節外れの生ビールは野暮。お昼の、そんな雰囲気には瓶ビールが良く似合うのです。

「弁当を まだ見ずうちに ビールかな」

 ようやく来た弁当を開けると四分割に仕切られている弁当箱の中に松の形に固められた竹の子ご飯が目に入り、淡く炊いた海老やお浸しの緑も春を演出しています。
 これを食べ進めると日本酒を欲してしまうな・・・そんな一抹の不安は「春だから」というよく判らない理由によって消し去られるのです。そんな事を思っているとお隣のおば様方の笑い声が聞こえてくるのでした。

「思い出す その笑い声 ドリフだな・・・」

 結局、「松花堂弁当」を食べながらビール大瓶1本と日本酒2合を飲み、気分良く午後の春、午後の街中を歩くと今度はワインが飲みたくなってしまいました。

「飲むまいか いや、飲むべきだ 春だから」

 そんな言葉が浮かんで来たらやり過ぎです。

 しかし、そのやり過ぎ感までも優しく包んでくれるのは「春」だと思いませんか!皆さん!

「春だから その言い訳で 飲み過ぎに」

 ですよね・・・ですよね・・・

 だから!もう「春」のせいにはしません!

 暖かくなると、昼飲みしたくなりますよね、何となく。(結局、何となく、のせいにしている)































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まっさらの状態から何かを作り上げるのは大変だ。それはブログも同じだろう

2014-03-26 22:04:28 | Weblog
 「曇り空は人間の精神衛生上よろしくない」という話を聞いた事がありますが、最近続いていた曇り空のせいでブログを書く事が出来ませんでした。しかし、今日の抜けるような青空を見てブログを書く意欲が湧いてきたんですよ!と言い訳とも何ともつかぬ書き出しをしたくなる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 当ブログは、紆余曲折ありながらも7年ほど続いているのですが(本当に紆余曲折を経ているかは不明)、ブログ開始当初、当時アルバイト長だった「ノッチさん(現在、株価本日終値6440円の企業で頑張っております)」から、「このままブログの文章が長くなってくと、誰も読まなくなりますよ!」と労使関係を無視し、仕事に全く関係のないご指摘を頂いた事がありました。
 (段々文章が長くなっていく過程を、お前は読んでいるんじゃないか・・・)とツッコミを入れたくなったのですが、そこは大人な私、込み上げてくるツッコミを抑えて「まぁ、閲覧数が30、とかだから(当時)、読まれているうちに入らないから大丈夫、かな、ハハハハハ。」と彼を往なして(いなして)その場を丸く収めたのです、大人な対応って大事ですな。
 100文字程度からはじまった当ブログは、現在「2000文字」ほどになり、文章内容も料理とかけ離れたものになってしまいましたが、有難い事に閲覧数は開始当時の何十倍にもなりました、ありがたや、ありがたや・・・
 しかし、これだけ続けてしまうと「引き際」と言いましょうか、「止め時」と言いましょうか、「最終回」をいつに設定するか、という問題も出てくるのです。
 以前、その話をマネージャーにしてみたところ、「まぁ、ねぇ。とりあえず、続けたらいいじゃないですか、読んでる人もいるんだし。一応、ブログも仕事のうちだと思って。」と質問への対応どころか、柔らかい言葉で完全否定されてしまったのです。
 「でもねぇ、ネタが無いんですよね、正直。」と食い下がってみると、「大丈夫、大丈夫。すぐ出てきますよ、ネタくらい。」と非常に軽く払い除け(はらいのけ)られてしまいました・・・誰の・・・味方なんだ・・・
 それで現在まで続いているわけですが、本日の記事内容は皆さん薄々感づいていらっしゃるように「ネタが無い」という「ブログネタ」であります。
 当ブログの「検索ワード」1位は「ポワレ」で、2位は「調理師と料理人の違い」でありますから、それらのワードを駆使し、「調理師と料理人の違いとポワレの関係性について」のような記事を書いてしまえばいいのでしょうが、「ポワレ」というワードに関しては、2007年の7月9日にアップした「「ポワレ」という調理法を考えてみる」がダントツに読まれている記事で、それとダブるような記事を今更書いてもな、という諦めモードが私を支配してしまっているのでなかなかその手の記事にはなりません。(言い訳)
 
「いや!それでも説明するのが、シェフのブログ、でしょう!」

 そのようにお怒りになられる方がいらっしゃるかもしれませんので手短に説明させていただきますと、「ポワレとは、特殊なロティ(ロースト)だとお考えください、以上です」こうなります。
 
「何ですか!その投げやりな説明は!」
 
 す、すみませんでした・・・ではもう少し補足を・・・「イメージとして、ロティ(ロースト)は塊肉や魚一匹を時間を掛けて焼くものですが、ポワレは切り身をフライパンで、必要ならばオーブンに入れて焼く特殊なロティ(もうお分かりですね)であります、以上です」これで・・・いいでしょうかね。
 
「まだ不十分ですけど、まぁ、良しとしときましょう。次、調理師と料理人の違いは?」

 は、はい!「意識の違いでしょうか・・・以上です。」となりますが・・・

「ナメてんの?そんなじゃ判らないじゃない!」

 す、すみませんでした・・・「ワタクシ個人のイメージとして、調理師は職業としての、調理をする人、を指し、料理人は生き方としてそれを選ぶ・・・」このイメージの方がカッコイイかな、と思ったのですが・・・

「自分の都合の良いふうに考えてるわけね。それで、結局、ブログネタ無いんでしょ!」

 はぁ・・・無い、と言いますか、枯渇してしまった、と言いますか、基本、自宅と店の往復ですからねぇ。劇的な事など起こるわけもなく・・・、それで、ブログネタ無しです。

「普通に生活していれば劇的な事など起こらないんですよ。でも、その普通の生活をつぶさに観察してみればブログネタになるんじゃないですか。」

 なるほど、おっしゃる通りです。普通の生活の中にブログネタになる事・・・卒業ネタは終わったし、季節ネタは書き出しの為に取っときたいし、あんまりテレビ観ないからテレビネタはできないしな・・・

 じゃあ、料理ネタで。(バカ)


 全くブログネタが無い状態から書くのって大変・・・

















 
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男の自炊は簡単でいい。しかし、細かい点まで拘れ

2014-03-23 21:58:30 | Weblog
 頬を撫ぜる寒い風の中に、ふと温かくなる要素を含んでいるような感覚を見出す事が出来、「そろそろ、本格的に冬も終わりですかな。」とひとり曇り空を見上げながら呟いてしまいたくなる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 すぐそこまで来ている「春」という名のバトンを掴む事が出来ず、いまだに「冬」という名のバトンを持ったまま走っているような状況ですが、温かさは確実にやって来ている気がします。
 限りなく「春」に近いが、もう「冬」と言えるほどの極寒ではない、季節は中途半端であり、その様子は、卒業はしたがまだ入社していない新社会人のようで、ある意味、初々しいのかもしれません。
 今までは実家で暮らしていたがこれからは一人暮らしです、という若者もまだ生活が落ち着かず中途半端でしょう。アパートの周りにどんな店があるのかまだ判らず、とりあえず今日もチェーン店で牛丼、という人だっているかもしれません。
 そうなってから思うのです、「あ~あ、こんな時、ちゃんと自炊とかできれば楽しいんだろうな・・・」と。それはその通りです。自炊が出来れば暇もしないし、自分で工夫して自分なりの、しかも、自分しか判りえない、そんな食の楽しみを満喫できるのです。
 「自分しか判りえない、食の楽しみって何ですか?」そのように不思議に思われる方もいらっしゃうのではないか、と推測できますが、「自分にしか判りえない食の楽しみ」は誰でも持っているものです。
 例えば「目玉焼き」。食べた事がない人を探す方が難しい「目玉焼き」は、個人の、いや、育った家庭の好みが色濃く反映する卵料理でありますが、「目玉焼き」の話になると「黄身は固く焼いた方が好き」や「黄身はほぼ生が好き」など卵黄の火の通し方で激論になったりしますから、その好みは自分にしか判らないものなのです。
 「自分が好きなもの」を「自分にしか判らない調理」をし「自分にしか判らない食べ方」ができる環境、というのが一人暮らしの特権であり、しかも、実家暮らし時代には抑えつけられていた食の自由が、一人暮らしで解放されるわけですからこれ以上楽しい事はありません。
 先の「目玉焼き」に話を戻すと、私が一人暮らしをした時にすぐに実践したのは「目玉焼き丼」でありました。母親の目玉焼きは、彼女の好みがそうさせるのか若干固焼きで、私にとっては「ウェルダン気味」だったのです。
 その積年の(といっても一人暮らしを始めたのは10代でしたけど)疑問に終止符を打つべく、目玉焼き、レア気味のサニーサイドアップな片面焼きをご飯に乗せ、そこに醤油を掛けて両親指の付け根に箸を挟んで両手を合わせ、「いただきます」のポージングをしてから黄身に箸を差し込み卵黄液体を決壊させ、その卵黄液体がご飯に染み入るのを見届けてからまだ完全に固まってはいない白身部分とご飯を食べます。この食べ方こそが「自分にしか判りえない食の楽しみ」であり、これが最初の一歩でした。
 「目玉焼き丼」を実践していくうちと「次のステップ」というのを考えたくなるものです。

「ご飯の上に目玉焼き、それだけではシンプルすぎる。第一、卵黄が絡まったご飯がおいしいと感じても突き詰めればそれは、卵かけご飯とそれほど変わらないではないか。もっと、目玉焼きをご飯に乗せる意義を考えないと完成度が高まる事はないだろう。」

 そんなどうでもいいような事を深く考えてしまうのも一人暮らしの「魔力」であり、裏返せば「魅力」でもあるわけです。
 次に考えたのが目玉焼きを焼く時にサラダ油を多めに加え、目玉焼きの周りのチリチリとしたクリスプな食感をプラスしてアクセントにし、卵2個を使用する、というものでした。
 これはこれでいいのですが、また考えると油を多くして焼いたからかご飯の上での座りが悪く、ちゃんと固定してくれない所に不満を感じてしまいました。
 「ご飯と目玉焼きの間にクッションを入れないと・・・」そう思った時に「キャベツの千切り」を思い出し、ご飯、キャベツの千切り、目玉焼き、というしたからの順番にしてみると、何となく丼ぶり物の様相を呈してきているような気がしてきました。
 しかし、食べてみると予想以上に味や食感といったキャベツの主張が強く、目玉焼きの存在を最大限に生かす事が出来ていないような気がします。そこで、次は「海苔」を敷いてみる事に。これはいい!かなりいい!と何回か続けたのですが、しばらくすると疑問点が出てきます。
 ご飯に海苔を敷き目玉焼きを乗せると、当然でありますが海苔はご飯にくっついて食べづらいのです。しかも目玉焼きとの一体感すら感じる事が出来ていません。
 そこで、海苔を手でちぎる事にしました。そうする事によってちぎった海苔と海苔の間からご飯に卵黄が流れ込み、ご飯、チリチリの卵白部分、流れる卵黄、海苔の風味、そして、醤油の香りと味、それらが混じり合い自分にしか判りえない至福の時を迎える事が出来たのです。
 しかし、それから10年以上時が経ち、30歳も超えると「目玉焼き丼」への考え方はまた変わってきます。年齢も年齢だからか「贅沢」な「目玉焼き丼」を考える様になったのです。
 まずどんぶりの4分の1程度の深さにご飯を盛り、ハサミで2ミリ幅にカットした海苔を散らし目玉焼きを乗せて目玉焼きの黄身部分を破って卵黄液体を全体に塗し(まぶし)、その上からうっすらとご飯を盛ります。その上に2ミリ幅にカットした海苔を散らし目玉焼きを乗せる・・・目玉焼きの「ひつまぶし」状態にするのです。
 これはこれで良かったのですが、しばらくすると「やりすぎ感」を感じてしまい次の「目玉焼き丼」製作に取り掛かる事となるのです。
 次に考えたのは根本的な「目玉焼き」への考え方です。今までは油多めで周りを若干クリスプに焼いた「片面焼き」でありましたが、表が半熟なのに裏がクリスプ、よりも、全体をチリチリっぽいクリスプで包み、中を割ると半熟な卵黄と白身が出てくる、というサプライズ的ターンオーバー(両面焼き)な「目玉焼き」が最終形なのではないか、と思うようになったのです。
 「目玉焼き」のターンオーバー、つまり、両面焼きは普通に考えても難しいものですが、実際やってみてもなかなか難しいものです。(結局、難しいんだろ)
 目玉焼きを裏返して焼く、というよりも、白身で黄身を包んでいく、という調理法は難易度が高く、ややもすると自己満足の世界なのですが、いいんです!自分にしか判らない楽しみのためには難易度が高い方が喜びは増大するのです。
 そうなるとご飯の炊き具合もシャリぐらいの固さが欲しいところ。柔らかいご飯では「目玉焼き丼」の完成度が半減する、というものでしょう。
 それを考えてしまうと海苔もご飯に乗せる前に軽く炙り香りを立たせた方が良いでしょう。

 固めに炊いたご飯に2ミリにカットした海苔を乗せ、両面を焼いた目玉焼き(両面焼いてしまうと目玉焼きと言わないかもしれないが・・・)を乗せて軽く塩を振り、醤油を少し振り掛ける、現在はこれに落ち着いていますが、これからまた変わる可能性があります。

 「目玉焼き丼」が料理にカテゴライズされるのかは疑問でありますが、一人暮らししてすぐに作り始めたのがそれでした。

 時を経て、形は変わりましたが今でもたまに作ったりするのは思い出に浸りたいからなのかもしれません。

 でも、やっぱり「目玉焼き」はターンオーバーですよ、小さい話ですけどね。















 
 
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「キッシュ」。食べるのは簡単だが、ディティールを詰めて作ると簡単ではない

2014-03-22 23:38:44 | Weblog
 気が付けば、卒業シーズンも終わり、世の学生たちは春休みに入り、県外へ進学、又は、数少ない県外から県内へ進学の学生の移動で転出、転入手続き窓口が混雑し、はんこ屋さんが忙しくなり、各課移動が言い渡され、送別会が行われ、大手紳士服屋さんにまだあどけない若者の姿が見受けられ・・・と世の中がゆっくりと、そして、大きく動いているのを実感できる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 「3月ももう後半か・・・」と思いながらPCを開け、ブログの編集画面を見たところ、今月はまだ2回しかブログ記事をアップしていない事にかが付きました。
 連日記事をアップすると「そんなに読めない」とクレームに似たお言葉を頂く当ブログでありますが、更新しないとしないで「まだか」と言われているような気持ちにさせるほど閲覧数が落ちないのでビミョーに焦りを感じてしまいます。(大げさ)
 今月は有難い事に中団体(4~8名様くらい)から本団体(20名様未満)までのご予約を頂きましたので忙しく、何と言いますか、更新できなかった、と言いましょうか、更新する時間を取れなかった、と言いましょうか、そんな言い訳させていただきたいのであります。
 その他に、料理教室も3回ほどあり、そのうちの1回は完全にイレギュラーな回でありまして、そんな事も更新を妨げる一因となったと・・・言い訳させてください・・・スミマセン!ご予約様や料理教室が悪いわけじゃないんでゲス!このワタクシのブログ更新能力が落ちたんです!(卑屈な男)
 先日のイレギュラーな料理教室は、「山形勤労者福祉サービスセンター」という所から頼まれた企画でありまして、「なぜに・・・うちの料理教室が・・・」とよく判らないままに遂行した企画でありました。
 それでもみなさん、真剣に料理作りに取り組んでくださいましたから「結果オーライでいいのか・・・」と自分自身を納得させたのでありました。
 稀に「料理教室、って・・・何作ってるんですか?」というご質問を頂く事がありますが、一応基本的な料理から、ちょっとこれ難しいでしょ、というような料理まで幅広く作りながら(それじゃダメでしょ)、料理教室参加メンバーにリクエストを聞いて、それをお題にして取り組んだりもしているわけです。
 当料理教室は「女性の料理教室」と「オヤジの料理教室」に分かれていますが(男性の部が投げやりっぽい)、共通してリクエストが出たのは、何と「キッシュ」でありました。
 「キッシュ」。よく判らない人はそれを聞いた後、「かまやつ?」と続けてしまいますが、どんな料理だよ!とぼけた顔して作るのか?ババンバンと!・・・失礼しました、そんなわけないでしょう、ないです、絶対。(しつこい)
 「キッシュ」は、フランス・アルザス地方のお惣菜でありますが、「キッシュ」の語源である「クーヘン」からも判るようにドイツ語」の影響を受けています。
 ドイツ語の「クーヘン」は「焼き菓子」を意味しますが、「キッシュ」は「惣菜」で、要は「タルト」などに使う「パータ・フォンセ」又は「パート・ブリゼ」を使用した「焼き菓子風惣菜」であります。
 たまにパン屋さんやカフェなどでそのメニューを見掛けますが、真面目に作ると恐ろしく時間を要し、その工程ひとつひとつを論理的に理解し、的確に作り上げていかなければならない料理であります。
 しかし、料理教室のメンバー男女共それをリクエストしてくる、という、ある意味「試してる?」と思わせるリクエストに重い腰を上げ、そのリクエストに答えたのであります。(大げさです。いつもです)
 まず、取り掛らなければならないのは「パート」、つまり「キッシュ」の下に敷く「生地」作りであります。料理教室だからと言って「ここで市販のパイシートを使って・・・」などという妥協はしたくありませんし、それではリクエストに答えた形になりません、「キッシュ風」ではダメなんです。
 小麦粉(薄力粉)500gをふるいにかけて冷蔵庫で冷やします。(なるべくグルテンを出さないよう材料は冷やす)次にバター300gを測り冷蔵庫で冷やします。(同左の理由です)
 水80g、グラニュー糖20g、塩10g、卵黄2個をボールに入れて混ぜ冷蔵庫で冷やします。先の材料(小麦粉、バター)をフードプロセッサーにかけサラサラな状態にしておきます。それに水、グラニュー糖、塩、卵黄を加えカート(パン生地を切ったりする物)で切りながら水分は加わるがサラサラな状態、にしておきます。
 今度はそれを手でまとめながら練り過ぎないように軽く練りまとめ「パート・フォンセ」とします。(練り過ぎるとグルテンが出るのでサクサク感が失われる。この表現は難しい)
 それらを8等分してラップに包み冷蔵庫で1晩寝かせます。(実際の料理教室では、生地を仕込み、時間短縮の為、次の工程では予め寝かせたものを使用します)
 ここまでの工程を読んである事に気が付いた人は鋭い、と言えるでしょう。そう、「蕎麦」と似てるんですね、強引ですけど。まぁ、それはいいとして(いいのかよ)、その生地を叩いて伸ばし、それをさらに麺棒を使って厚さ2ミリに伸ばし、予めバターを塗り粉をふるった型に敷いていきます。文章として書くのは簡単ですが実際やるのは難しいものです。これを読みながら「作ってみようかな・・・」と思ったあなた!、心して掛かるように。
 型に生地を敷き型の高さより5ミリほど高く生地を成形したら冷蔵庫で2時間ほど休ませます。(こちらも実際に伸ばして型に敷き、次の工程では休ませたものを使用します。生地は15センチの型2台分です)
 型に敷いた生地を重しをして180℃のオーブンで18分焼き、取出して重しを取り溶き卵を塗り160℃のオーブンで3分焼きます。
 生地を焼いている間に、角切りベーコン約60g、玉ねぎスライス2.5個分を甘みが出るまで炒め、冷ましておきます。
 生地が焼きあがったら先のベーコンと玉葱を敷き(2台分ですから2台に分けて)、その上にチーズを敷き詰め、全卵3個、卵黄1個、牛乳100㏄、生クリーム200㏄、を混ぜたものをアパレイユとして注ぎ入れます。(2台に分けてね)
 それを160℃のオーブンで30分焼き上げて「キッシュ・ロレーヌ(ロレーヌ風キッシュ)」の完成です。

 実際の料理教室では、生地を仕込んでいる辺りから「諦めモード」に突入し、生地を焼き上げる頃には「諦め前提」で話を聞いているようにお見受けできました。

 しかも、試食時に至っては「冷凍でキッシュが売っているので、それを買った方が早い」という話になり、完全に諦めたようでした・・・

 しかし、実際にご家庭で作った方もいるようですから作れなくはないはずです。

 でも・・・道のりは・・・大変ですよ。

 料理って、そんな感じです。だから楽しいんだけどなぁ・・・











 
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決めてしまうのは簡単だ。しかし、そのお膳立て、という事も考えなくては。

2014-03-18 23:59:39 | Weblog
 先週末と今週頭は小中学校の卒業式ラッシュだったのではないか、と思われますが、号泣ポイントを踏まえたかのような卒業式構成に飲み込まれてしまい、後半から号泣しっぱなしの出席者続出の様子を思い描ける今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 最近の卒業式では「仰げば尊し」が歌われない、という話を聞いた事がありますが、理由としては「わが師の恩」の部分、つまり「私の師への恩」「我が先生への恩」という歌詞が「先生への恩を強制している」からなのだそうです。
 好き嫌いは別として、色んな意味でお世話になった先生へ恩を感じてはいけない、という事こそ強制のように感じられますし、仮に生徒が「先生に恩など感じていない」というのならその部分だけを口パクして自分の心の中だけでの反抗をするべきだと思われます。
 しかし、学校生活で色んな事があったのは事実でしょうから「教えの庭にもはや幾年 思えばいと疾し(いととし)この年月」くらいは歌わなければならないでしょうし、いつも変りなく、当たり前に建っていると思っていた校舎に向かって「今こそ別れめ いざさらば」と、あの清々しくも何かへ一区切りつけたくなるメロディーで別れの言葉を投げ掛けなければならないでしょう。
 もう卒業式も終焉を迎えようとするその頃は、出席者、つまり、生徒の親御さん、いまいち誰だか判らない来賓者の人たちは号泣です。「私は、卒業生入場!の声の時点で泣いてしまいました・・・」そのような方、フライングです。一応、卒業式には「泣き」の仕掛けが用意されてありますから、仕掛けの前に泣かれてしまっては、お化け屋敷入口の前で泣いている人と何ら変わりありません。
 まず最初の「泣きポイント」は「卒業証書授与」でしょう。小学校卒業生ならブカブカの制服で証書を受け取る様(さま)に成長を重ねて泣き、中学校卒業生ならキツキツの制服姿にこれからの羽ばたきを思い浮かべて泣き、で各種思い浮かべる様(さま)を連想できるようにピアノ伴奏が入ります。そのピアノ独奏のメロディーにも泣きの要素が入っているようにも思われます。
 そして、卒業式が終わり、まだ寒さが残る中、校舎を後にする姿にも「ラスト泣き」する事でしょう。どれだけ泣くのか・・・
 その「泣き」の儀式が終わった後、保護者さんらは「謝恩会」で会った事のない親御さんと話をしなければならない、という「大飲み会」が行われるのですが、その場での「乾杯」でとりあえずお役御免になる解放感を味わうのです。
 しかし、私は最近、この「乾杯」、いや、「乾杯時の飲み物」に対して大きな疑問が湧き起こり、そして、やっと今回の記事の本題に入る事となるのです。(前段階が長いな・・・相変わらず)
 「乾杯の何が悪いのだ!」そのように憤慨なさる方がいらっしゃるのは判るのですが、まず話を聞いてください。私は「乾杯」自体を否定しようとは思いません。いや、むしろ乾杯野郎ですよ、かなりの。
 問題視しているのは「乾杯時の飲み物」であります。「そんなの何だっていいじゃないか!」そのようにブチ切れる方も多数出て来られるのではないか、と推測されますが、話は最後まで聞いてください。最近、ごく最近、山形市では「県産酒で乾杯」しなければならない条例が施行されるというのです。
 まぁ、「県産酒で乾杯条例」は余所の市でも条例として施行してるのでそれ自体には不満はないのですが、問題は「乾杯時の県産酒」って何を飲むのか、いや、何を飲ませようとしているのか、がハッキリしていない、という事です。
 「とりあえずビール」という言葉が世に定着している昨今、「条例だから」という理由で日本酒に鞍替えしなければならない、というのは意外と強引です。
 「そんな方のためにワインもありますよ」そんな事は知っています。しかし、乾杯時に県産ワインが最もふさわしい飲み物なのか、というとそれも間違いではないが正解ではない、という感じではないでしょうか。
 乾杯時には、やはり発泡性の飲み物でのどを潤したいではないですか。「地ビール?」それでは風味が強すぎるでしょう・・・「県産発泡酒?」それなら問題ありませんが出回っている数的に疑問が生じますな・・・「結局、県産酒が嫌いなんですね!」いやいや、そういうわけではないんです。私が言いたいのは「乾杯は県産酒で」というキャッチコピーを出す前段階として、「乾杯用の県産酒」の開発に着手、又は、「乾杯用県産酒認定委員会」を設置して「県推奨乾杯用県産酒」を広く普及し、それを安価で提供できるシステムを確立してから「乾杯は県産酒で」と銘打たなければならないのではないか、という事です!(え~、大げさです。大げさですが、必要ではないですか?)
 条例として制定するには、まずその条例(この場合、県産酒で乾杯条例)を揺るぎ無いものにするため前段階としての足固めが必要であります。
 急に「乾杯は県産酒で」と言われても、一般飲食店が「いきなりすぎて何を出したらいいのか・・・」や「えっ?何で乾杯するの?」とうろたえるようではその条例自体、不完全である、と言わざるを得ないでしょう。
 ですから、まず県産酒で乾杯できるように「乾杯用県産酒」というのを確立し、それをうまくメディアに乗せて市民、又は県民に「乾杯用県産酒」の存在を認めさせる必要があるのです。
 日本酒でも構いません、ワインでも構いません、しかし、考慮しなければならないのは「女性」も飲めるように若干のカスタマイズをし、甘めで低アルコールな乾杯用県産酒を認定、普及する事です。
 公務員の「オヤジ目線」で考えても広く普及しないのは一般の「女性目線」を考えないからで、「ラフランスリキュールの日本酒割り」や「さくらんぼリキュールの白ワイン割り」など(勿論、全て県産物加工、県産酒使用)の開発を先にする事が急務である、と考えられます。
 それらが「乾杯用県産酒」として定着し「それが当たり前」となり、山形県全体がその機運で盛り上がりを見せ、そして、県下の飲食店どこでも「県産酒で乾杯!」となったらその勢いで県外へ広報活動をして山形県産酒の県外輸出、という構図が見えてくるのです。
 
 そんな事を・・・「県産酒で乾杯を!」というポスター、ニッコリ笑っているおばさん、吉村知事が堂々と乗っているポスターを見ながら思ってしまいました。

 今年の春から、本格的に当店は県産日本酒をリストオンしようか、と昨年から考えておりました。それは、素晴らしい日本酒がある山形、というだけでなく、それらを真摯に紹介してくれる方と出会ったからです。

 勿論、県産ワインは常備しております。それは県外の方の来店が増えた関係で数年前からその必要性に気づき、そして、それまで県産、いや、国産のワインをどこかバカにしていた自分自身への戒めにも似た感情を含めてのリストオンであると同時に、今ではその素晴らしさに気づき、それらを紹介していこう、と思っているのです。

 なのに、突然の「県産酒で乾杯を」宣言。アバウトすぎて疑問です。

 当店では必ず「県産酒で乾杯を」とは思っていません。

 ただ、県産酒のさり気ない宣伝、というのに徹する覚悟です。

 乾杯はただの入り口。もっと広く説明したので、そこからゆっくり県産酒について説明させて欲しい、というものでしょう。













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別れ 出会い 希望 成長・・・そのキーワードが最も似合う季節、3月

2014-03-13 23:03:18 | Weblog
 温かくなったり、雪が降ったり、冷たい風が吹いたり、きらやかな陽射しが差し込んだり、そんな日が続きながら確実に「春」に向かって動き始めている3月は未成熟な少年のようで思わず微笑みを浮かべながら見守りたくなりますが、「春」に成り切ってしまうと「見守りたい」気持ちが薄れてしまうのだろうか、とまだ見ぬ「春」への想いを文章にしてしまいたくなる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
 この記事が3月最初の投稿になってしまう事へ驚きながら当記事を書いているのですが、3月だからでしょうか、何気に忙しかったのでPCを開ける余裕もありませんでした。
 この状況に乗じて1ヶ月ブログをお休みしようかとも思ったのですが常に当ブログをチェックし「早く更新しろよ」と思われている文章ジャンキーな方の為に更新できそうな今日、おもむろにPCを開き厨房の片隅で立ってキーボードを打ち始めたのです。(勝手な思い込みの為、一部表現が大げさになっている箇所がございますが、それは指示書のせいにでもしておいてください)
 昨夜、仕事が終わった深夜1時半くらいに所用でタクシーに乗ったのですが、その時、運転手さんが「いや~、温かくなりましたね!」と話しかけてきました。
 「今朝は雪が降ってましたよ」と自分でもビックリするくらい意味不明な答え方をしてしまいましたが、タクシーの運転手がその表現でコミュニケーションを取ろうとするくらい温かくなったという事なんでしょうな。
 そんな返しにお構いなく、「もう春になりますねぇ」と運転手さんに続けて話しかけられましたが、本当に急いでいて時間を気にしていたので無視しました。(コラコラ!)
 それはいいとして(いいのかよ)、温かくなり「体感春指数」が高まってくると、ある一定年齢以上の人は柏原芳江の「春なのに」が何処からともなく聞こえてくるような気がする、という話を聞いた事がありますが(実は今作りました・・・)、「春なのに、お別れですか?」の一節は、「春なのに別れがあり、春だから出会いもある」とポジティブに捉えてもいいのではないか、と思えてしまいます。
 「別れは出会いの始まり」という言葉もあるように「春」は「別れと出会い」という相反する気持ちや状況が生じてくる季節でもあるのです。
 そのような季節に「人生の転機」ともいえる劇的な「別れと出会い」が学生から社会人になる人なのではないでしょうか。
 「学生時代、かなりバイトしてましたから大丈夫っス。」そのように頭をポリポリと掻きながら笑みを浮かべて喋りかける若者もいるのではないか、と思われますが、だまらっしゃい!バイトと真社会人は責任という負荷の大任に於いて別次元なんです!(突然キレ)
 例えば、飲食店のエンジン部分ともいえる厨房の事を考えても判るでしょう。いくら料理が出来ても、大げさな例えで言えば仮に料理長より仕事ができる、シェフより旨い料理が作れるアルバイトの人がいても、その人が厨房を取り仕切る「シェフ」や「料理長」にはなれないのです。
 それは何かあった時の「責任」を「負える」か「負えないか」というだけの問題ではなく、労働時間を超越して料理を提供し、来店されたお客様に楽しんでいって欲しいという願いと、それに対する「責任」などもあるのではないでしょうか。
 「アルバイトが嫌いなの?」いや、そんな事はありません。むしろ好きな部類です。しかし、なぜこんな話に至ったかと言いますと、現在の当店「マチルダベイ」にはアルバイトがいないからです!ですから、一人くらいアルバイトが欲しいな、という願いも込めてその話に至ったのですが、少し前にフェイスブックで軽く「アルバイト募集」してみても誰からも反応がありませんでした。(人気無し)
 「アルバイト募集してるんですか・・・」や「アルバイト募集してるんですね?」といった同情とも確認ともつかぬお言葉は多数いただいたのですが、「私、立候補します!」という気概のある方はおりません。(人気無し・・・)
 それでは、当店でアルバイトする事の利点と、あとはなんて言いましょうか、大変な事柄と言いましょうか、辛い点と言いましょうか、その辺を、昔もブログネタにはしましたが挙げてみましょうか。

   利点

・ワインが飲める(何気に忙しかった時は「夜のまかない」と称してワインを開ける事もあります)

・料理が食べれる(料理の切れ端などを食べれる。マネージャーは夜のつまみにしてます)

・人と会話ができる(人と会話する事は人生の勉強です)

・歓迎会が複数回行われる(時として主賓よりも我々の方が盛り上がってしまいます。しかも、主賓が来れない場合でも決行してしまいます)

・大盛りのまかないが食べれる(マネージャーのリクエストでパスタになる可能性が高いです)

 
 こんなところでしょうか。では、それに付随する辛い点を挙げてみましょう。

   辛い点

・ワインを覚えなければならない(商品そのものは勿論、開け方、注ぎ方などワインに関係する事は覚えなければなりません。アルバイトだから覚えなくてもいい、という事もありません)

・料理を勉強しなければならない(料理の説明を出来なければいけません。お客様から提示される疑問点にも答えなければなりません。それには勉強するしかないのです)

・人の話を理解し、それに対して答えなければならない(時として理不尽な事を言われるのもこの仕事ならではです。その時の答え方でお客様を楽しませるか、怒らせるか、に分かれてしまいます)

・歓迎会時のオーダーに気を使わなければならない(当店スタッフ飲みでは、理由なき酒や料理の注文を禁じております。これが食べたい、だからこの酒を合わせるのだ、この酒が飲みたい、だからこの料理を食べたいのだ、という明確な理由が無ければ大ブーイングが巻き起こります)

・太る(大盛りのまかないを食べると太ります。それは人間の摂理でしょう)

 
 こんなところでしょうか。

 「歓迎会時のオーダーに気を使わなければならない」という点が気になる方が多いのではないか、と思われますが、意外と重要部分ではないか、と思われます。

 ですから、その辺も含めて複数回行われるわけですが・・・いや、すみません、言い訳でした・・・

「この利点などはホールの人の場合でしょ。厨房の場合はどうなんですか?」

 確かに、上記の利点等はホールで働いてくれる方に当てはまるものです。

 厨房は、ですね・・・大変だから止めた方がいいですよ・・・とだけ言っておきましょうか。










コメント (2)
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